第13話:鉄VS星盗りの盗賊
「……アイオロスによる魔法書第十一章。カッターブロウ」
アーロンの唱えた文言により、鎌鼬のような風がキッカに向かって吹き荒ぶ。だが、その風が届く頃にはキッカは既にその軌道外にいる。
「アジト壊すんじゃねーよ」
ミリタリージャケットを翻し、しなやかな動きで着地しながら、彼女は言った。淡い色のジーンズを履いた脚は細く、体躯もやや痩せ気味で華奢に見えるが、先ほどの動きを見るに運動神経は良さそうだ。彼女の金色の髪は後ろで束ねられ、動く度に揺れるポニーテールはまるで猫の尻尾のようだ。
「トールによる魔法書第十一章。バレーノ・シュート」
「……tirse」
彼女の掌から雷魔法が放たれる。横向きに進む雷が轟音を伴ってアーロンを襲う……その少し手前で方向を変えた。
その先には地面から突き出した鉄塔があった。地面に指輪を嵌めた手をつけているアーロンの能力による避雷針だ。
「……雷魔法は効かない」
「鉄の能力……鉄のアーロンか」
「……ご明察」
今度は鉄を手繰り、短剣を作り上げたアーロンが答える。
「……マルスによる魔法書第一章。身体強化」
「! マルスによる魔法書第一章。身体強化」
アーロンの言葉に合わせて、キッカも追いかけるようにして魔法で身体強化をかける。
次の瞬間には、彼女に向かってアーロンが迫ってきている。先程見た感じでは、この距離ならまだ鉄短剣の間合いではない。
「……!?」
微かな殺気を感じてキッカが飛び退くのと、アーロンが左腕を振るうのはほぼ同時だった。
キッカが先程まで居た場所を、届くはずのない短剣が薙いだ。ぞくり、と密かに身震いがする。
アーロンが鉄を操る能力を用いて、攻撃する瞬間に鉄を足すことにより、短剣のリーチを伸ばしたのだ。
辛うじて回避したキッカだったが、安心するには早い。逆水平の形で左腕を振ったアーロンは、飛び退いたキッカとちょうど対面している。そしてその右手には既に鉄の槍が握られている。
「セクアナによる魔法書第十章」
槍による刺突を右にステップして躱しながら彼女は引用箇所を唱えた。
「フラッシュフラッド!」
アーロンは即座に槍を手放し、代わりに右手に盾を作り出して防御するが、水の勢いに押し流される。なんとか攻撃から逃れた頃にはかなりキッカとの距離は開いていた。
「意外とやるじゃねえか……ってうわ!」
息を整えようとして口を開いたキッカは突然驚いた声を上げてしゃがんだ。カシャ、と軽い音を立てて飛んで来た短剣がガラクタの山の一部となる。無論、アーロンが作り出して投擲したものだ。
「……ジールによる魔法書第六章。セリオンシュート」
間髪入れずに氷魔法が放たれる。その攻撃は正確にしゃがみ込んだキッカの胴に向かう。
「容赦ねぇな……」
キッカはそう呟いて左手を左後方の床につき、右手を大きく振り上げながら両足で地を蹴った。バク転に近い形で飛来する氷柱から逃げつつ、そのまま右手、両足の順で華麗に着地する。
「げっ」
その眉間を目掛けて、真っ直ぐに投げられたのは、野球ボール大の鉄球だ。投擲と魔法による遠隔攻撃を繰り返しながら、アーロンは鉄棍棒を構え、大きな隙ができるのを待っているように見える。
「マルスによる魔法書第三章! 身体硬……化っ!」
言いながら突き出した手で飛んで来る鉄球を殴りつけると、金属同士を打ち付けるような音がした。勢いを失った鉄球は、くぐもった音を立てて地に落ちる。
「焦んなよ。そんなんじゃモテないぞ」
「……余計なお世話」
「無愛想なこった」
キッカの紺色のスニーカーが地面を蹴り、今度は彼女の方からアーロンに襲いかかった。
「……"鉄壁"」
その軌道上に突として鉄の壁がせり上がる。しかし、キッカは走り込む勢いのままに壁を数歩駆け、バク宙の要領で音も無く着地することで止まり、回り込んでの攻撃に備えた。
ちょうど彼女が次の一歩を踏み出そうとしたその時、鉄の壁がうごめいて、その真ん中に穴が出来上がりロングソードのような鉄の剣を持ったアーロンが飛び出してきた。
「よっ!」
不意の攻撃であったが、彼女はそれに動じず、懐から何かを取り出して、そのままアーロンの顔面を目掛けて投げつけた。
「……っ!」
投げつけられたそれは甲高い音と共に剣に弾かれたが、それによって驚いたアーロンの動きが、ほんの一瞬止まる。
「トールによる魔法書第十一章」
キッカの言葉を聞き、アーロンは咄嗟に剣を地に刺し込む。
「やっぱりやめ!」
その剣がまた避雷針としての役割を果たすと判断したキッカは雷魔法を中断し、再び懐から何かを取り出し、アーロンに飛びかかる。
剣を捨てた彼は、最早丸腰であり、新たに武器を作り出す時間もない。何とか辛うじて反応して、バックステップで距離を取る。
――しかし。
「……くっ」
「まず一撃」
避けきれずに彼の右腕につけられた傷から血が滴り、指先から赤い雫になって落ちた。
「いいだろこれ。クナイって言う武器らしい」
キッカは手に持った黒い武器を振って、付着した血を落とした。柄のついた両刃のその武器は、大体13センチメートルくらいの大きさで、柄の尻は丸い輪のような形になっている。
「……盗品だろ」
「失礼な。掘り出し物だよ」
彼女はそう言って手の中でくるりとクナイを回して構えた。先程までの逆手持ちとは異なり、握った手の親指側に刃が来る持ち方だ。
逆手持ちは、武器自体や武器のリーチを隠し、至近距離での戦闘で突く際に力を込めやすいが、リーチが短くなってしまうという欠点がある。反面、順手持ちは至近距離での戦闘には対処しづらいが、リーチがある分汎用性が高い。
「次は喉笛切り裂いてやるっ!」
「……ジールによる魔法書第二章。スノーボール」
突進してくる彼女を牽制するために、アーロンはソフトボールくらいの大きさの雪玉を数個打ち込むが、どれもあっさりと避けられてしまう。
「……ふうっ!」
しかし、その反応は彼にとって想定内であった。その間に作り上げた鉄の手斧を痛む右腕で彼女の頭部へと投げつける。
放たれた斧は水平方向に回転しながら彼女の頭を狙うが、彼女はそれを軽くしゃがんでやり過ごす。
「……ベリアルによる魔法書第十二章。ラインフレイム」
続けざまにアーロンが地面に近い位置で掌を突き出すと、今度はそこから直線上に炎が吹き出た。もちろんその射線には、キッカがいる。
「遅い遅いっ!」
キッカはそれを大きく跳んで回避する。撃ち出された蛇のような炎は、そのまま真っ直ぐ壁に当たって消えてしまった。
「……跳んだな」
そう呟くアーロンの手には鉄の大槌が握られている。一連の攻撃は全て彼女の行動を誘導し、着地を狙って強烈な一撃を叩き込む為のものだった。彼はキッカの着地地点目掛けて突き進み、鉄槌を横に振るために大きく振りかぶる。
「……吹き飛べ」
「cutci」
落下する彼女がスニーカーに触れると、見慣れた鋭い光が発された。
次の瞬間、落下すると思われた彼女は空中でもう1度ジャンプし、アーロンを飛び越えてその背後に回り込んだ。
「終わりだっ!」
キッカは着地のために曲げた脚のバネを使って、逆手持ちに変えたクナイをアーロンのうなじに突き立てようとする。
間一髪。振り返ったアーロンの小さな鉄盾による防御が間に合う。異変に気づき、鉄槌を振るわずに手放していなければ、宣言通りの首元への一撃で致命傷を負っていたことは間違いない。
焼くような悪寒がアーロンの全身を駆け抜け、次いで冷や汗が浮かんだ。敵から目を離さずに三歩飛び退って、彼は荒くなった呼吸を整える。
「ちくしょう、今のは惜しかったな」
キッカはクナイの刃を確かめながら言った。言葉とは裏腹に悔しさは感じられず、むしろ余裕すら伺える。
「……隠し玉か」
まだ呼吸の落ち着かないアーロンが問うと、キッカは不敵な笑みを浮かべた。
「そう。私もお前たちと同じ、異能持ちだ」