第9話:掃討開始
「sutra」
アリスはブーツに触れ、能力を発動させると、おもむろに立ち上がり、自分たちの隠れていた大きな岩を蹴り砕いた。その鳴動を号音として、アリスとアーロンの名コンビは一斉に廃坑へと走りだした。
「な、なんだお前ら……ぐわあ!」
見張り役として外に出ていた二人まで一気に距離を詰めたアリスが放った二発の蹴りは、それぞれが的確に彼らの土手っ腹にヒットし、そのまま吹き飛ばして廃坑の壁に激突させた。男たちはそのまま、道端に掘られた溝にべちゃりと音を立てて肩から落ちた。
その鈍い音に気付いたごろつきたちが、薄暗い坑内から何人か出てきて、アリスたちと向かい合っている。
「……派手好きなこった」
「僕らも行こうか」
後発組のリカがセオの車椅子を押して、ゆったりと彼らの背中を追い始めた。
その間にも、アリスたちはどんどん出てくる敵をなぎ倒して進んでいく。
「とりゃあ!」
アリスのハイキックがこめかみに直撃し、また1人が少し湿った廃坑の地面に力無く伏した。その後ろで、違う男がアリス目掛けて魔法を撃つ構えに入っている。
「ベリアルによる魔法書第二章! フレイムビーンズ!」
「……セクアナによる魔法書第二章。ロー・フューズィ」
男が掌から発生させた火の玉を、ほぼ同時に詠唱を終えたアーロンの手から放たれる水鉄砲が撃ち落とし、そのままの勢いで火の玉を出した男も攻撃した。
「水魔法でかき消された!?」
「嘘だろ……詠唱が始まる前に使われる魔法の属性を読み切ったってのか……!」
「怯むんじゃねえ! あの女から四人がかりでとっちめるぞ!」
そう言うと、奥にいた男たちがアリスの左右に二人ずつ分かれて襲いかかって来た。
それぞれの手にはナイフや棍棒といった獲物が握られている。
アリスは一瞥して戦況を見極め、次の一瞬には左の二人を下段の回し蹴りでまとめて蹴り飛ばした。壁にかけられていたランタンのような照明が、吹き飛んだ彼らの背中で潰れて割れる。
「もらったあ!」
右に回り込んでいた二人がアリスの背中を刺してやろうとしたその時、不意に彼らの目の前に鋼鉄の壁が現れた。もちろん、アーロンの能力によるものだ。
男たちは飛びかかった勢いを殺せずに、そのまま鉄壁にぶつかってしまう。
「……甘いね。インプによる魔法書第十五章。スリーピング」
その二人を睡眠魔法で手早く昏倒させると、奥から棍棒で殴りかかってきていた敵を鉄棍で返り討ちにする。
「鉄!? 異能持ちか!」
「あっちの女も身体強化にしては速すぎるっ! 誰かボスと三強に伝え……ぐえっ」
叫ぶ男にアリスの膝蹴りが炸裂した。その陰からアーロンの雷魔法が飛び、また違う敵が悲鳴をあげて倒れ込む。
さして広くない坑道の中で、アリスとアーロンは何も言わずともお互いの攻撃の巻き添えを食わないように敵だけを倒し続けている。まるで曲芸を観ているかのようだ。
「さすが黄金コンビって感じ」
「これは、僕らの出番はしばらくなさそうだね」
彼らの動作に合わせて、一人また一人と敵が打ちのめされていき、奥からの増援もほとんどいなくなっていった。それにつれて、より早く奥へ進めるようになっていく。
「……道が開ける!」
アーロンが叫ぶ頃には、彼らに挑みかかってくる敵はもうほとんどいなかった。
徐々にスピードを落とした彼らが踏み入ったのは、広間のようなスペースだった。円形のその部屋は大体半径10メートルほどで、広さを見るに坑道の中心部であったようだ。天井も通路よりも高い。
雑然と積まれたままの木箱や、錆びた機械のパーツと一緒にパンくずのようなものが散らばっているところを見ると、この廃坑に巣食う連中も、ここをたまり場にしていたのかもしれない。
向こうの方を見渡せば、アーロンたちの出てきた通路の他に3つほど道が続いているようだ。
「随分開けたところね」
「ああ、きっと転移装置の置かれていたあたりだろう」
息一つ切らしていないアリスの言葉にセオが応答した。彼は自ら車椅子を動かして、部屋の中を調べ始めている。
「転移装置?」
「うん。魔鉄鉱は採れたままでは魔力の伝導効率が悪い。だから採掘された魔鉄鉱は、一旦加工するために工場に送られる」
リカがそれを追いながら質問すると、セオは調査を続行しつつも丁寧に答えた。
「そのための転移装置っつーこと?」
「この辺りに工場が見当たらないからには、そういう事だろうね。大量の魔鉄鉱を転移させて運搬するとなると、ある程度大きな転移装置が必要になるだろう」
部屋の中央まで行って、全体を注意深く観察するセオと対照的に、アーロンは部屋の入り口で立ち止まったまま何か考えている。敵の気配がないことは確かだが、彼は何かを警戒するかのようにその場から動こうとしない。
何となく隣で突っ立っていたアリスが、その思案顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「……何か違和感がある」
「違和感ねぇ」
アリスはそう言ってキョロキョロと辺りを見回した。しかし、どれだけ隅々まで見ても、あちこちに散らばるゴミの他には3つの通路と土の床や壁しかない。
耳を澄ませても怪しげな音はなく、少し湿った洞窟の空気にも、おかしな匂いは混じっていない。
「気のせいじゃない?」
一通り異常がないことを認めたアリスは、一番手近な場所にあった通路に向かって歩き始めた。
一歩ごとに硬い石の混じる土の地面を踏む音が鳴る。
その音が、彼女の5歩目で突然なくなった。
急に着地先を失った彼女の右足は、あるはずだった地面を通り抜けて落ちていく。一瞬遅れて、その場所に大穴があったことが分かる。
「……っ!」
「アリス!」
アーロンが彼女に駆け寄るが、もう落下を始めているその身体には手が届かない。
「ベリアルによる魔法書第二章! フレイムビーンズ!」
咄嗟の判断。アーロンは大穴の中の暗闇に右手を突き出し、勢いよく火球を撃ち込んだ。
野球ボールほどの大きさの火球は、暗黒を裂くようにして落下中のアリスを追い越し、その先を照らし出した。
その底にアリスが見たのは、落下したものを串刺しにせんと突き出した岩の尖端だった。
「sutra!」
空中で姿勢を整えた彼女がブーツに触れると、鋭い光が閃く。しかし、その間にも刻一刻と彼女の身体は大きな岩の棘に近づいていく。
まさにその先が、胸の辺りを貫こうという刹那。
「……っりゃ!」
アリスのつま先が横から岩を砕いた。轟音が穴隙の闇に響き渡る。
「よっ……と、危ない」
そのまま後方に宙返りして、強化された脚でしなやかに着地してみせたアリスは、額に冷や汗を浮かべながら状況確認のため素早く目を走らせた。
辺りは上層と同じで、炎の魔法を応用したような器具によって照らされているものの、仄暗い。先ほどの広場よりやや狭い空間のようだが、澱のように重い空気はじっとりと湿っており、人が暮らしていた感じがしない。
落ちてきた穴を見上げれば、なかなか大きかったはずの穴が小さく見える。いくらアリスの脚力が超強化されていたとしても、跳躍して戻るといった芸当は出来なさそうだ。
「おーい、無事ー?」
「ええ! 何とか!」
上から聞こえてきたリカの声に叫び返した。
「ここからじゃ上がれないから、別で上がり方を探すわ!」
「……独りで平気ー?」
「平気よ! 最悪アレを使って戻るわ!」
安否を伝えて、アリスは「さて」と呟いた。ゆったりと視線を落とし、この部屋から通じているいくつかの出口の一つを睨めつけると、殺気を向けて言い放つ。
「そこ、いるんでしょ?」
*
「……迂闊だった」
アーロンは大穴を覗き込んだまま唇を噛んだ。
「認識妨害魔法……インプの魔法書だね」
「落とし穴っつーことか」
アーロンと同じく悔しげな面持ちのセオと、さして心配していなさそうなリカが敵の罠を分析する。
「おそらくは、廃水を溜め込む水溜から水を汲み上げるための穴だったんだろう。ポンプが回収されてるから分からないけれど、もしかしたら換気の役割もあったのかもしれない」
「……となると、落下先は最下層」
「おそらくね。壁際の排水溝があるのに、水溜と汲み上げポンプの存在を失念するなんて……情けない」
不用心な自分たちの行動による大幅な戦力の低下に、セオは悲痛なため息を吐いた。
「ってかさ、終わったこと話してもしょーがないっしょ」
「……正論だ。先進もうか」
アーロンが立ち上がり、リカのドライな意見に乗った。その表情は、心なしか先程までより引き締まり、緊張感が漲っているように見える。
「進むとなると、通路は3つある訳だけど……」
「……うち1つは鉱脈を掘り当てるために外から掘った穴だろう」
「じゃ、それ向こうのかな。うちらが通ってきたとこを除くと、あそこだけ風が吹きこんできてる」
リカが通路の一つに近寄っていった。彼女がその掌を軽く振ってやると、空中に小さな水滴が浮かび上がり、それが靡いて広場の方に流れてくる。
「機械類がおおよそ回収されていることを考えると、換気や排水の機能がない下層の方はあまり使われていないと考えるのが自然だろうね」
「……町で見た廃坑内の地図と実際の坑内の地形が同じなら、上層はそんなに複雑な構造をしていないはず」
「二手に分かれて上層を探索して、幹部級と頭領を探し出して叩く?」
「……それで行こうか」
したり顔のリカから報告を受けて、セオとアーロンは迅速に次の一手を考え出す。頭脳派の2人は、その観察眼や記憶力を武器にすぐさま最善手に辿り着いた。
「僕とリカはこっちに進む。アーロンはそっちを頼む」
「……了解」
言うや否や、彼は奥へと走り出した。ワンテンポ遅れて、リカもセオの車椅子を押して進み出す。
冷たい静寂が満ちた幽々たる廃坑の中に、不穏な闘乱の気配がひたりと満ちていた。