お花見の準備 その1
テペヨロトルが家でやることといえば、アニメを観るかスマホの感染ゲームくらいだった。
プライバシーの話をした手前、詳しく確認したわけでもないのだが、司が見る限り、相変わらずメッセージアプリをテペヨロトルは放置しっぱなしのようである。
このままずっと家の中にテペヨロトルを閉じ込めておくのも気の毒だ。
かといって、人目に付きやすい場所に行くと、教会に見つかってしまうかもしれない。
そんなセイパの進言もあって、帰国まで遠出は控えて、どこかに行くにしても近所をお散歩したりするのが、せいぜいだった。
窮屈な暮らしにテペヨロトルの不満が爆発する……かと思いきや、彼女は「しょうがないよねー」と、大人しくセイパにしたがった。
そんな我慢ができたのも、朝昼晩、司が作り続けたご飯をテペヨロトルが楽しみにしていたからである。
最初に揚げ物に成功したのが自信に繋がり、司のレパートリーも順調に増えていった。
とはいえ、レストランで食べるような高級料理は作れない。
見た目も地味だ。
それでもテペヨロトルは司の作る料理を喜んで食べてくれた。
朝食を食べ終えて、テレビの前に陣取ってぺたんとアヒル座りをしていたテペヨロトルが、目を見開いて画面を指さした。
「司!これなに?お花見っておいしいの?もしかしてオサシミの仲間?」
ワイドショーは全国各地の桜の開花情報を伝えたあと、お花見の特集をし始めた。
「お刺身の仲間じゃないけど、お花見がおいしいかって言われると……たぶん、美味しいだろうな」
番組の内容がデパ地下の行楽弁当の紹介に変わる。
「わあ!お弁当!おかずがいっぱい!テペヨロトルもお弁当食べたい!」
テペヨロトルは画面にかぶりつきだ。
司はソファーに座って食後の紅茶を楽しんでいるセイパに確認した。
「帰国のめどはついたのか?」
「はい。明後日の便で帰国いたします」
テペヨロトルが立ち上がって、くるりとターンするとセイパの顔を指さした。
「テペヨロトルはずっと日本で暮らすの!日本はとっても美味しい国だし、司と離ればなれは悲しいです」
ティーカップをソーサーにそっと置いて、セイパがゆっくり小さく首を左右に振る。
「それはできません。幸運にも今日まで大きなトラブルもなく、司様とひじり様のおかげで潜伏できたのですから……」
セイパの言葉にテペヨロトルが司に向き直った。
「じゃあこれからもできるよね?ずっとずっと、こっそりしてればいいよね?」
心細そうに聞くテペヨロトルに、司は返事を詰まらせる。
二人の帰国で、せっかく覚えた料理の腕を振るう相手がいなくなる。
ひじりも家族が帰ってくれば、司の家でご飯を食べてはくれないだろう。
キッチンで洗い物を片付け終えて、ひじりがリビングに顔を出した。
「どうしたの?三人して暗い顔しちゃって?」
「あ、ああ。二人は明後日の便で帰国するそうだ」
司の説明にひじりは安堵の表情を浮かべ、深くゆっくりと息を吐く。
「そう。それはよか……あっ……寂しくなるわね」
テペヨロトルの不機嫌そうな顔が視界に入ったらしく、ひじりは慌てて言い換えた。
テペヨロトルがひじりに懇願の眼差しを向ける。
キラキラとしたエメラルドのような瞳をめいっぱいに大きくさせて訴えた。
「さびしいなら、ひじりもセイパに言ってあげて!」
「言うって……なにをかしら?」
「テペヨロトルは日本の神になるって。電撃移籍するって!」
司は首を傾げる。
が、すぐにひじりがわかるように言い直してくれた。
「ええと、帰化は難しいんじゃないかしら。ただでさえ、二人は入国管理法に抵触してる恐れがあるわけだし」
なるほど。
と、司は心の中でうなずいたのだが、テペヨロトルはそんな司の心情などつゆ知らず、身震いしながらさらに訴える。
「そういうのじゃなくて、神だから大丈夫だし。だってネットには、この国に八百万も神がいるって書いてあったから、テペヨロトルとセイパが増えてもばれないよぉ!」
セイパがため息混じりに、落ち着いた口振りで告げた。
「テペヨロトル様ほどの神でしたら、即座にバレてしまいます」
「やだやだやだやだー!もっとずっと司といっしょにいるー!」
テペヨロトルのだだに、セイパとひじりはおろおろする。
司はそっとテペヨロトルの頭に手をあてて、優しく撫でた。
「二人を困らせちゃいけないぞ」
司を見上げるようにしながら、テペヨロトルはこれまで見せたことがない真剣な顔で言う。
「うう~~。じゃあ司が来て」
「俺が?テペヨロトルの故郷へか?」
今度はうんうんと、全身で跳ねるようにテペヨロトルはうなずいた。
「そしたら毎日、司の作ってくれる美味しい料理が食べられるし。それに司は優しくしてくれるし、テペヨロトルを偉いって褒めてくれるし、毎朝おはようってして、ご飯ができたらいただきます。食べたらごちそうさまでした。ありがとう。こんにちは。ごめんなさい。夜寝るときはおやすみなさい。いっぱいいっぱい、司に教えてもらったのに、帰ったら……会えなくなったら……すごく……すっごく寂しいよ」
テペヨロトルの大きな瞳にじわっと涙が浮かぶ。
それは今にもほっぺたを伝って落ちそうだ。
彼女の気持ちが伝わってきて、司は嬉しいのだが――。
「それはできないよテペヨロトル」
「どうして?司はテペヨロトルのこと嫌い?」
「嫌いじゃないさ。けど、俺にも居場所があって、ここでやらなくちゃいけないことがあるんだ。今は春休みでお休みしてるけど、四月に入れば学校も始まるし……」
「うう……やだー……あうううう……」
頬を伝って落ちる涙を司はそっと指ですくい上げた。
ぽろぽろとこぼれてすくいきれない涙の粒を、どうにか止めてあげたいと思う。
自然と司の口から言葉が漏れた。
「明日はお花見に行こう」
「お花見……美味しいの作ってくれる?」
涙ながらに聞くテペヨロトルに、司は力強くうなずいた。
「もちろんだ。テペヨロトルが好きなお肉いっぱいのお弁当を作ろう」
「う、うん……お花見したい」
涙の雨が止んで司は安堵した。
テペヨロトルには笑顔でいて欲しい。
いつの間にか、自然とそう思うようになっていた。
「そうと決まれば、さっそく買い出しだな。今からみんなでスーパーに行こう。いいよなセイパ?」
セイパは指で顎をつまむようにして考える。熟考する彼女を司がまっすぐ見つめると、根負けしたようにうなずいた。
「仕方ありません。本来でしたら、人目につくような外出は極力控えていただきたいのですが、テペヨロトル様にご納得いただくには他に方法もないでしょうし」
ひじりも同意する。
その表情は明るい。
「無事帰国もできそうだし、ここは笑顔で送り出してあげるべきだと思うわ!」
妙に乗り気なひじりの振る舞いに、司は不思議そうに首を傾げた。
「なんだか嬉しそうだな」
「そんなことないわよ!寂しいわよ……けど、湿っぽいのは苦手なの」
「そうか。ごめん。変に勘ぐった言い方をして」
「気にしてないわ。それじゃあ早速、お出かけの準備しましょ?」
ひじりが率先して買い物の準備を始め、司もセイパもそれに従うように外出の支度を調えた。
テペヨロトルは一人、落胆したままスマホをポシェットから取り出すと、画面にじっと視線を落としていた。
◆
スーパーに出かける前に、玄関先でセイパが「これはおまじないです。神性が衰えている今のテペヨロトル様には有効でしょう」と、テペヨロトルの頭になにやら粉のようなものをふりかけた。
水をかぶった犬よろしく、テペヨロトルが全身を振るわせる。
「うわっち!なんてことするの?セイパはテペヨロトルのしもべでしょ?」
「ええ。テペヨロトル様に死ねと命じられれば、喜んでこの身を薪として火にくべられましょう」
「そんなこと言わないよぉ」
不思議な粉は、まるで溶けるようにテペヨロトルの金髪に馴染んで消えてしまった。
一連のやりとりを、ひじりはいぶかしそうにじっと見つめていた。
「今のは一体何の魔術や呪術なのかしら……え、えっと!なんでもないわ。変わった風習だなぁって思っただけ」
「そうだな。日本で言うところの、出かける前の火打ち石ってところか」
「なによそれ?」
「時代劇で見たことがあるんだけど、ひじりは知らないのか?」
「司って時々、おじいちゃんみたいなところがあるわよね」
わざとらしく呆れ顔を見せるひじりに、司は苦笑いで返す。
「時代劇くらい見たってかまわないだろ」
「悪いとは言ってないわよ」
軽口をたたき合いながら、テペヨロトルの手をとって司はエレベーターに向かう。
テペヨロトルの口から弱々しい声が漏れた。
「ひじりはいいなぁ……司とずっと一緒にいられて。帰りたくないよぉ」
ひじりの表情がかすかに曇る。
テペヨロトルの寂しい気持ちが司とひじりの何気ない会話で、膨らんでしまったらしい。
フォローも兼ねて司はテペヨロトルに言う。
「また、遊びにきなよ。夏休みにでもさ」
「えっ!?いいの?」
テペヨロトルの悲しげな表情に晴れ間が射した。
「テペヨロトルとセイパなら歓迎だ」
「うん!そうだよね。また来ればいいんだよね!」
すっかり上機嫌になったテペヨロトルを連れて、エレベーターを降りるとマンションの玄関から外に出る。
夕方の、まだ温もりを残した空気に、かすかに花の香が混ざっていた。
「すんすん……くんくん……すはー」
テペヨロトルが鼻をひくひくさせてから、深呼吸する。
歩道脇の桜の木々が、優しく淡いピンクの花弁を広げて風に揺れていた。
テペヨロトルが桜を見上げてぴょんっと小さく跳ねる。
「わあ、綺麗だね。これもお花見かな?」
「お花見の試食サイズだな。明日のお花見は……そうだ。テペヨロトルと最初に会ったあの公園に行こう。たしかお花見にちょうどいい広場もあったと思うし」
ひじりが司とテペヨロトルの前に出て振り返りながら告げる。
「公園って学校の帰りに通るところよね?たしか桜の季節になると出店が出るのよ」
「出店って、縁日の屋台みたいなやつか?」
「そうそう。お弁当ももちろんだけど、一緒にお祭り気分も味わえるんじゃない?」
テペヨロトルのくりっと丸い大きな瞳が輝いた。少し興奮気味に司に質問する。
「お祭り?生け贄もくるの!?」
司は小さく首を傾げさせた。
「イケニエっていうのは聞いたことがないな。たこ焼きとかお好み焼きとか、リンゴ飴や綿飴や、お面に射的にくじ引きに、型抜きみたいなアトラクションとか……」
「そっかぁ。生け贄無しのお祭りもあるんだね」
セイパが司たちの背後で感慨深そうにうなずいた。
「他国の祭事に理解を示すようになられるなんて、成長なさいましたねテペヨロトル様。セイパは嬉しく思います」
「そんなことないよぉ。まだまだだよ」
首だけ振り返りながら、テペヨロトルははにかんでみせた。
「そのように謙遜なさるとは、すっかり精神的にも成熟なされて……」
「テペヨロトルは未熟ですから、お勉強のためにも、もうちょっとだけこの国にいたいなぁ」
「それはなりませんテペヨロトル様」
「セイパのけち」
顔を前に向けると、テペヨロトルはほっぺたをぷくっと膨らませ口を尖らせる。
司が二人の間をとりもつように「まあまあ」とたしなめた。




