霊感の強い、ある男の1日。
「一人目」
残業続きで俺の体は悲鳴をあげていた。栄養剤を飲みすぎたせいか、胃液ですらもそれと化した感覚がする。
吐きそう……。
虚ろな目。もたつく足元。それでもやっと電柱のとこまで辿り着くことが出来た。
恐る恐る辺りを見回してみる。
……誰もいない。
気が緩んだと同時に、喉の弁も緩んだのだろう。
込み上げてくるそいつを飲み込まないまま、電柱の足下に吐き出してしまう。
目の前が真っ白にかき混ぜられて、意識も混濁とする。
「うわぁ!なにしてんの!?」
突如背後から女の声。
見られたという絶望感が湧くが、それを気にする時間も無いまま、女の糾弾は始まる。
「きみ……!?うっわぁ、マジで!?なに吐いちゃってくれてんの!?トイレで吐いてよ!?」
ぬわぁー!くっそぉ!ばっちい!
と叫び、頭を抱える女。
…というか、いつからそこにいたんだ…?
「すまん、もうしないから…」口元を抑えながら去ろうとする。
視界の端、路地裏にたくさんの花束やお菓子が置いてあったのは見間違いだろうか。
「まったく……。今度したらホンットに許さないかんね?」
彼女の忠告を背後に、俺は街の中へと消えていった。
ふと振り返ると、女の姿はもう、なかった。
ただひとつ、交通事故の目撃情報を求めた看板だけが、寂しくそこにあっただけだった。
「二人目」
まだ意識は朦朧としている。残業の疲れからか、幻覚も起こっていそうだ。
「~♪ ~♪」
ああほら見ろ、ストレスで変な声が聞こえてきたぞ。全くふざけている。
しかし何故鼻歌が風に乗って聞こえるのだ。しかもこれは明らかに少女のものだ。
深夜帯であるこの時間にそんなもの聞こえてはならない。補導時間だぞ。
ピタリと鼻歌は止まった。
気になって、声が聞こえる公園の方を一瞥すると、少女の真黒な目がこちらを凝視していた。
しかも、無表情で、だ。
目というよりは黒い穴がぽっかりと空いているような、そんな深さを伴った瞳だった。
「ーーー?」
声は聞こえない。ただ口が動いたと感じた。
彼女と目を合わせたまんま、公園のそばを横切る。
しかし、俺の心臓はいきなり跳ね上がった。
よく見ると少女の手には赤黒く染まったカッターナイフが握られていた。
極め付けに、彼女の背負う白い袋からは赤い液体がボタボタと滴り落ちている。
何が入ってるかはすぐに予想が付いた。
「見たな?見たな?見たな?見たよな?見た見た見た見た!!」
俺は一目散に逃げ出す。見てはいけないものを見てしまった、彼女が追ってきたらどうしよう。
そんな不安に狩られたのだ。
あの壊れた玩具のような声は、しばらく耳から離れなかった。
「三人目」
仕事が長引き、いろいろあったがやっと踏切まで帰ってきたなぁと一息をつく。
これなら家まであと10分足らずだろう、とスマホの画面を見ながら思う。
しかしこの踏切、線路一本跨ぐだけの距離なのに……ああ、もう、早く向こうに行きたい……。
カバンを背負い直して、電車が通るのを待ち続ける。
カンカンカンと鳴る遮断機の音だけが、真夜中の道路を騒がせていた。
「ねぇ?オニーサン?」
急な事だった。
向こう側にいた青年が、大きな声で俺に話しかけたのだ。
何の用だ、こんな時に?この俺に?
「なんだ?って思ってるよね?わかるわかる、そんな顔してるもん。」
「そう、聞いてよ。
僕、今ちょっとノルマが達成出来てなくてさ、ちょっっとだけ此処を渡って来て欲しいんだよね?」
そう言った彼は笑顔で右に腕を伸ばす。その手にはポケットティッシュが握られている。
今のタイミングでか?電車はしばらく来ないようだが……
だが、道徳的に、遮断機をくぐってまでして線路を渡るのは悪い気がする。
「出来れば”今”がいいなぁ?次の電車が通るときって、1時ピッタリなんだ。ノルマは1時までに達成しなきゃでさぁ。」
彼の黒いコートが、不自然に風で揺れた。
「すまん…今は、勘弁してくれ…せめて、電車が通ってから…」
ひらひらと腕を振る少年に違和感を覚える。彼の腕はやけに細い。木の枝のように、だ。
「えぇ?ねえ、お願いだよぅ、1日1魂なんだ、なんなら君だけ特別に天国に連れてってやるからさぁー」
そのセリフにハッとして顔を上げる。その丸出しの頭蓋骨と目が合ってしまった。
黒いコートからは真っ白な骨が覗き、ポケットティッシュと見間違えたそれは大きな鎌だった。
ため息を吐いたソイツを隠すように新幹線は通り過ぎていく。
遮断機が開けば、彼の姿は既になかった。
「四人目」
遮断機がゆっくりと上がっていくのを、呆然と眺めていた。
いや、死にたいわけじゃない。ただ、今日は運が悪いなぁと落胆していた。
俺は霊感の強い男だ。小さい頃から何度も何度も見たくないものを見てきた。
しかし、今日は格段上に運が悪い気がする。そういや上司にも一喝入れられたっけか。
「あの!!!!」
「う!?な、なんだ!?」
突然耳元で叫ばれたせいか飛び退いてしまった。
「あ、すみません…、あの、……踏切、開いてますよ…?」
見れば青年が向こう側を指さしている。
まあ、実際は「指差す」というよりも、握った鉛筆を向こうに向けていた。
青年はスケッチブックとペンを抱えており、リュックからは望遠鏡が突き出ている。
「あ、ああ。態々すみません、ありがとうございます。」
「いえいえ。お顔色が優れていませんが、大丈夫ですか?」
こんな年下に心配されるなんて、俺もみっともない。
少しばかり恥ずかしくなって、慌てて話題を逸らそうとした。
「何を描かれてるんですか?」
「え?」
「あ、そのスケッチブック。」
「はあ」
彼は表情を曇らせた。徐にスケッチブックを開いてみせる。
鉛筆で真っ黒に塗りつぶされただけの画用紙が、そこには広がっていた。
「今日も描こうと思ったんですけどね。やっぱり、都会じゃもう見えないらしいです。」
「五人目」
少し気分が戻った気がする。
寝静まった商店街の中、酒屋だけが今だに馬鹿騒ぎを起こしているが、俺は一瞥もせずに通過する。
ふと、不気味なものが目に付いた。
それは俺の前方をゆらゆらと揺れながら進み、ぐにゃぐにゃと足を交差させては転びそうになっていた。
こんな都市伝説、あった気がするぞ。
くねくね?くなくな?ゆらゆら?名前は忘れたが、怖い話で聞いたことがあったな。
追い抜こうとした瞬間、真横でそれは倒れた。
前言撤回だ。失礼な事を言った。よく見ればただの女性じゃないか。
ため息をつきながらその女性を持ち上げる事にする。
「大丈夫ですか?」
「うへへへへ、あらしゃまだシラフだぁよ~~」
とても機嫌がよろしいようだ。めっちゃ酒くせえ。
ただの酔っ払いじゃねえか。俺は何に怯えていたんだ?
さっきの不気味な歩き方だって、よくよく考えりゃ千鳥足だっただけだろうに。
「ね、ね、おじょうちゃん、私魔法使えるんだよね、見たい?見たいよね?ねえねえ?」
これまた見事に出来上がってらっしゃる。つーか俺はお嬢ちゃんじゃない、どうみたって三十路前半のおっさんだ。
「はいはい、出来るもんならやってみろってんだ………よ?」
突如鳴り響いた彼女の指ぱっちんの音。
一瞬何が起きたのかわからなかった。…いや、何も起きていないだろう。少し期待した俺がバカだった。
「冗談はこれぐらいにしとけ、最近物騒だからな、もう家に…」
「空見てみ?」
女の見上げる先ーーーーそこには、さっきまで無かった筈の、満点の星空が広がっていた。
「六人目」
久々に星が見える日であった。
この景色の中ゆっくり歩くのも悪くないが、何よりこの温度だ。俺にそんな余裕はない。
ああ、そういえば。家に帰っても飯はないな。
確かこの角を曲がった所にコンビニがあったはずだ。そこで夕食を買いつつ、暖を取るか。
真夜中の世界から、眩しいほどの蛍光の世界へと足を踏み入れた。
…店員の「…~しゃっせー」という気怠い声と同時に。
手早くオニギリと茶を手に取った俺はレジの前に立つ。
この時間はやはり客が全然いないな。
会計の為に台上に商品を置いて、通勤カバンの中に手を突っ込む。
しかし目の前の店員は俯いたまま微動だにしない。
俺は取り出した財布を開けて、400円を手に握る。
…繰り返す。それでも店員は微動だにしない。
「あの、すみません。」
「っあ!?あ!?なんですか!?」
異常に驚かせてしまったようだ。ただ声をかけただけなのに。
「あの…会計を……」
「うわ、うわわ、す!すみません!!ただ今!」
むんずとおにぎりを鷲掴みにした店員は、そのバーコードを叩きつけるように読み取らせる。
おいやめろ。大雑把だぞてめえ。
あれ………?と、いうか……??
「お前…若いな?」
「…ウッ…」
「いくつだ?」
「あ、384円になりますぅ」
「そうじゃなくて、歳。」
「じゅ……17です………。」
消え入りそうな声だ。可哀想に。ここにも俺のような社会の闇の犠牲者がいるとは思わなかった。
「…店長が、帰してくれなくて…ですね……」
そのセリフにため息が出る。
「店長、呼んでこい。」
「えっ!?な、なんで…ご、ごめんなさ…」
「いいから、呼んで来いって!」
「ひぃぃすみませんんん…!ただいまぁ……!」
俺は店の奥に消えていく少女を眺めながら、「…ああ、果たして店長を説き伏せる事は出来るのだろうか」とぼんやりと考えた。
「七人目」
裏口で少女を見送った後、俺も帰ろうと踵を返した。
さてと。家に帰ったらすぐに風呂に入ろう。少し飯を食って、ベッドに横になろう。
…コンビニで頭痛薬も買っておけばよかったなぁ、とふと思った。このままじゃ、頭が痛いせいで寝付けないかもしれない。
ぼんやりとする意識の中、腕時計を確認してやる。
文字盤は01:16を示している。…おかしいな、5分位には家に着いてる算段だったのに。
いろんなところで時間を取られてしまったようだ。
殺人鬼と遭遇する可能性を恐れた俺は、走って帰ることにした。
来るときに曲がった角を思いっきり曲がってーーーーー…
その瞬間、俺の体は宙に舞った。
輝いた寒空の下、さっきコンビニで買ったおにぎりも放られた。
「うわああー!あかんんんん!!人轢いてもうたあああ!!ごめんなぁああ生きとるかあああ!?」
俺の顔面を何かのライトが照らしている。
衝撃の強さから、自転車にぶつかったと思っていたが、エンジン音が聞こえるあたり俺はバイクと衝突したらしかった。
全身が痛い。吐き気が込み上げる…。
「うわぁぁあああああああ!!!??!!!??嘘やろおおおおおおおおおお!!!!!??????!!け、警察…!きゅ、救急車……!」
少年の声は、だんだんとフェードアウトしていく気がした。
「八人目」
いやぁ、災難でしたねぇ。
少年が電話しに外に出た後、目の前にいる警官が俺を見ながらニヒルに言った。
俺は…まあ、…交通事故にあってしまったのだ。
駆け付けた警察官が言うに、「事故の当事者が未成年なので、とりあえず駅の近くの交番まで来て欲しい。」との事。
待て。怪我人を動かすんじゃねえ。
「えっとですねー、まずは事故が起きた時の様子を……」
「あの、救急車……骨………折れてそうで……」
書類に手をかける警察を前に情けない声を出してしまった。
全身が痛いのは仕事帰りの所為か、それとも衝突した所為か知れなかったが、とりあえず一度医者に診てもらいたいと思ったのだ。
「ごめんなさい、すぐ終わるんで許してください…あっ、その後に好きなだけ呼びますんで。救急車。」
彼女の目の下にクマが出来ている。ああ、こんな夜更けに…警察も大変なんだなぁと他人(俺)は思う。
「それにしても、今日はクリスマスだというのに…本当に災難でしたね。」と、警官。そうか、今日はクリスマスだったか。そんな事も知らなかった。
「あの。賠償金とか、保険金とか、別に良いですから…あの…早く帰して貰えないですかね…?」
「えっ?ええ?困ります……!色々と手続きをしていただけないと…」
とりあえず俺は帰りたい。うちに帰りたい。明日も朝は早いのだ。
今日が12/24だとしても、25日は恋人とは何もないし、寧ろ恋人もいない。仕事があるだけだ。
だがこの警官も粘る粘る。そりゃあ自分の職務は全うしなければならないし。でも俺は帰りたい。
何故、駅前の交番まで来なきゃいけなかったんだ。ここからじゃ家まで15分はかかる。
と、その時、2人の会話を引き裂くようにコール音が響いた。
思わぬ邪魔が入ったと、警官は渋々受話器を耳に当てる。
「はい、此方、志布志駅前交番……はぁ。………えっ?何処でですか…?……ああ、あの住宅街の中にある公園……………。わかりました。今すぐ行きます。」
何かあったのだろう。電話後、警官は素早く身支度を始め、交番から出ようとしては振り返った。
「ちゃんと留守番しててくださいよ!?」
「九人目」
駅前までやって来た。
もう人通りは少なく、階段を降りてくる人達は皆疲れ切った顔をしている。
よたよた歩くその様は、ペンギンにも、パンダにも似つく。
ふと目を逸らして、家路を急いだ。
また別のコンビニが見えるが、それもスルーだ。
…そういえば、夜ご飯は何処かに無くしてしまった。カバンの中にも無い。いや、もう飯は諦めよう。風呂も諦めよう。
俺は、今すぐに、暖かい毛布にくるまって、寝たいのだ。
急ぎ足の前方。嫌なものが見えた。
霊感の強い俺がよく見てきた者だ。
ボンヤリとした影に包まれた赤いリボンをつけた少女は、物憂げな表情で俺を見つめていた。
ああ、目が合ってしまった。
急に逸らしてももう遅い。既に彼女は俺の側を並走している。
「見えてるでしょ」「…………」
「無視しないでさぁ」「…………」
「そう、聞いてよ。わたし今日死んだんだけどさ」「…………」
「人ってあんなに楽に死ねるんだね…あっ。血が抜けていくような感覚はキモかったけど」「…………」
「こう、頸動脈を刃物かなんかでズバッと。ヤバくない?びっくりする暇も無かったんだけどね?」「…………」
「ねえ、無視決め込まないでよ~~」
「…………」
「…やっぱり、見えてないのかな…?あぁ~~寂しいなぁ、成仏したいなぁ……はぁ………」
その深い溜息に、思わず情が起きてしまった。固く結んでいた唇を、ゆっくりと開く。
「…………お前、余り未練ないだろ。既に消えかかってるから、朝日が昇る頃には成仏出来るはずだ。分かったら話しかけるな、付いてくるな。」
その少女はくすくすと喉で笑い始めた。
「はーい、最近物騒だからね。おっさんも気を付けてね~~。」
「ま、まだ三十代前半だぞ…!?お、おっさん…おっさんて…」
声の元に振り返れば、少女はもう居なくなっていた。
「十人目」
踏切の音が近くに聞こえていたが、角を曲がった瞬間に、その音はすうっと溶けてしまったようだ。
しかし、代わりに嫌な声が大きく聞こえてきた。
どちらかというと、”声”よりも”音”と表した方が近い。それは女が啜り泣く音だった。
これ以上音に近づくのはマズイと思った。いや、気不味いと感じたのだ。
ベンチで俯き泣いていた女は、俺の気配を感じたのか、俺が通り過ぎる寸前に顔を上げた。
そして、俺の背後から声をかけたのだ。
「あのっ…!こんぐらいの、背丈の女の子、見ませんでしたか…!?16歳の……っ娘なんですが……!!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。……あ。
「ごめん、なさい…。ちょっとよく分からなくて…」
あぁ、やめろ。やめろ。これ以上俺に何も聞くな。
なんで今日はこんなにも悪運が強いのだ。いや、昨日から今日にかけて悪運が強い。何故だ。何故……。
「あの、あのっ、これっ……これが娘の写真なんですけれど……!!見覚え、ありませんか…!!まだ、帰ってこなくて…、連絡も、付かなく…っ…!!」
震える手で女が差し出したのは一枚の写真。
見たくない。そんなもの、見たくない。けれど、目を逸らすなんて出来はしない。
赤いリボンを付けた少女が、両親に囲まれて笑っている。
目の前の女は、被写体としての表情の原形をとどめていない。
ああ。ああ。知っている。俺はこの少女を…彼女の娘を知っている。
霊感の強い俺だけが、彼女の顔を知っていた。幽霊と話せる俺は、今日、彼女と言葉を交わしたのだ。
「十一人目」
俺は近道をしようと、古びた商店街に入り込んだ。
真夜中ここは、酔っ払いやヤクザ、キャバやホストが蔓延る夜の世界になる。俺が女だったら絶対に通りたくない場所の一つになるだろう。
ぶっちゃけ、今でも通りたくない。
「へーいおにーさんちょっとちょっと」
ほら来たぞ、勧誘が。俺はもう酒は飲まん。こんな星が綺麗なクリスマスの夜に、ベロベロに酔っ払いたくはない。つーか明日朝早いんだって。
「良い子揃ってますよーちょっとでいいんです!3000円ポッキリですから!ね?ね?どうよおにーさん。」
女が話しかけて来たもんだからキャバの勧誘かと思ったが、そうでは無いらしい。
このテンションは…寧ろホストの勧誘か…?つーか男がする勧誘のセリフを女が喋るな。違和感があるわ。
ああ、キャバ。キャバか…?
そうだな、気分が凹んでたとこだ。少しだけ可愛い女の子たちを覗いていってもいいかも知れない。
「いい子って、どういう子達だ?」
「おー、写真ありますよ!一先ずどうぞ!」
女が薄い冊子(アルバム?)を取り出しては、俺の眼前に広げた。
と、同時に俺は硬直する。
「気に入った子います?いますよね?どうぞ言ってみてください!今日は全員いますからね!」
「あ、あぁ、あぁ…。すまん、ちょっと質問、いいか?」
「おう、なんでございやしょう?!」
「これ、全員……」
「⑦番とか可愛いっすよね!幼さを残した瞳!それでいて厚い唇!白い肌!あぁー…え?良いと思いません?」
「い、や、すまん…俺…流石に男は射程圏外ですから……。」
えええー!?と絶叫する女を背に即退散する。
俺そんなにソッチ系に見えたのだろうか…だとしたら凹むな……。
いや、でも確かに⑦番はちょっと可愛いとは思った。うん。
「十二人目」
真夜中だと言うのに、この酒飲み街だけは賑わっている。
上機嫌な奴らの作り出す、通り全体の活気に胃がやられそうになる。いや、胃はとっくにやられているが、更にやられそうな気になる。
酒は萬の薬と言ったが、それはさて本当なのだろうか。
嫌な事も忘れて、気分を変えてくれるのは確かに良い事なのだろう。が、心を満たせたとしても、身体は確実に悪い方に向かう。酒も薬も、適量が一番だと言うから、飲み過ぎは良くない。
それをこの飲兵衛共は…全く呆れる…。
「ねえ、そこのオ・ニ・イ・サ・ン?ちょっとアタシ達の店、寄ってかなァい?」
これまたべっぴんさんが話しかけてきたな。
輝かしい赤いドレスが、彼女のハデな顔によく似合っている。
そう…だよな、たまにはパーッと遊んでも良いかもな。
会社と自宅の間を振り子のようにして暮らす毎日に、いい加減嫌気がさしていたのだ。
邪な心が芽生えていたのを、俺はわかっていた。
「じゃあ、少しだけ…」
店はすぐそこだった。「パブ・愛の都」と掲げられた店の中に入った瞬間、沢山の女達がいるのを見て興奮する。…が、なんだこの胸のざわめきは…?
「アタシの名前はテレ子って言うのォ、よろしくぅ?」
「私の名前はケン美よぉん?かっわいいでしょぉ?」
腕に擦り寄られると、胸のざわめきは一層増した。
「あの、ごめんなさ…やっぱり帰っても…」
「イヤァン待ってよォ、久々のお客様なのォ、あ、アタシの名前はリョウ子ねェ?」
押し当てられる真っ平らな胸。いや、逞しい胸筋。
嫌な汗がダラァッと流れた。
俺の事を勧誘していたテレ子と名乗った…お、おんな…?はニヒルに笑ってメニューを手渡してきたのだった。
震える手でそれを受け取る。筋肉に囲まれながら、俺は情けない事に涙目になってしまう。
…貞操の危機を感じてます。誰か早く助けてください。
「十三人目(八人目)」
『やっぱり帰ってた!!?ホンッット!貴方って人は!!事故処理、まだ終わってませんからね!?!!?』
「あ、あぁ…先ほどはどうも………あ、あの…、結局、俺にバイク当ててきた少年はどうなりました…?」
『ちゃんと親御さんが引き取りに来ました!一応、損害賠償を請求できる様に、電話番号だけ置いていきましたよ…。まあ、明日あたりまた来てください…。』
「つーか、もういいですよ…俺疲れてるんで……」
『あ、あっと、すいません。これから先の話は別件なんですけれど…あなたの近所に公園ありますよね?
そこで事件があったのですが、何か目撃したりしました?』
「公園……?ええ、いつですか…?」
『現場に残された血液の状態から、恐らく3時間くらい前…えっと、つまり12:40くらいに、事件が起きたっぽいんですが…なにか、知りません……?』
『あれ?もしもーし?…もしもーし??………あのう、聞いてますか?もしもーし…?』
『おっかしいなぁ…また掛け直しますねー?』
ガチャ。ツー…ツー…ツー…ツー…。
嫌な音が電話口から流れている。
玄関の戸締り、窓の鍵、雨戸。全て確認してきた俺は、受話器を元の位置に戻した。
「十四人目」
窓が突如ガタガタ震えだした。
俺の肩はびくりと跳ねる。
今日は風は強くないはずなのに、雨戸が不自然に揺れている。
布団にくるまったは良いものの、寝付きが悪い。
奇妙な事に、今夜はマイナス思考が俺を付きまとっていた。
…そんな事あるわけ無いのに、殺人鬼が家に来ていそうな気がしたのだ。
ガタリ。ガタガタ。ガタガタ。ガタリ。
コンコン、コンコン。……。キリキリキリ、カチッ。
雨戸が揺れる音。後に、ガラスを拳で叩く音。…そして、鍵の開く音。やめてくれ、殺さないでくれ、まだやり遂げてないことばかりなんだ…ああ、俺は…!
「ホーッホッホッホ!メリィィイクリッスマァァアッス!!!!どうも!呼ばれて飛び出てサンタさんだよ!!今日は君にプレゼントを……わっ」
おもむろに部屋の明かりをつけてやった。サンタは驚き、光の中で目をぱちくりとさせている。
「不法侵入されたと通報するぞてめえ。」
「いやぁ、今日はクリッスマァァアッスですよ!?私はサンタさんですよ!?腐っても!夢を届けに参りました!」
「夢って………。ッ!?な、ぁ、お前…それ……」
サンタが担ぐ、赤く染まった白い袋。それにはどこか見覚えがあった。
「あ?これ?えっへへ、サンタってば金欠だから、拾ってきちゃった…
多分他のサンタが置きっぱなしにしてたんだと思う!」
「なぁ、それ…もしかして、公園に落ちてなかったか?」
「うわっ、すごーい!なんでわかったの!?サンタさんビックリ!」
テヘペロ、と笑うサンタの嬉しそうな表情反面、俺の顔はどんどん青ざめていった。
受話器を手に取り、無言で「110」の数字を押す。
俺はあの袋の中身を知っている。あの袋を作り出した少女の顔も知っている。
「ほら、君には赤いリボンをプレゼントしよう!もしかしてブレザーのほうがいい?」袋の中を漁るサンタ。
俺の中で、全てのピースは盤上にはまり込んだ。とりあえず、こいつを警察に突き出そう。
「霊感の強い、ある男の1日。(後日談)」
布団の中に潜り、やっと一息を吐けた。
今日は本当に不思議な日だった。
上司に怒られて少しむしゃくしゃしていたが、それすらも忘れる程に帰宅時は忙しかった。
幼い頃から霊感が強く、よく幽霊とかを見てしまっていたが、今回も頻繁に見てしまった。
本当は、あの様なものはみんな成仏するべきなんだ。
だから、あの交通事故に遭った少女もどうか安らかに眠って欲しい。現世に止まっても、何も得しないしな。
むしろそういう魂の類は、死神か天使か、悪魔か、ああ、兎に角誰でもいいから早めに回収して欲しい。
生きてる人間を其方に連れて行くな。まず霊魂を回収してくれ。
俺に力があったら、死神共にクレーム入れてるとこだぞ。まったく。
あとは、あの殺人鬼のことだが……ああ、うん、考えないようにしよう。俺の事をまだ探してそうだし。
あぁ、そうだ。あのコンビニバイトの少女。あの子もちゃんと家に帰れただろうな。
まあ自転車に乗って帰ったから、変な事件には巻き込まれていないだろう。
俺のことをバイクで轢いた奴も、親御さんと一緒に帰ったのなら大丈夫だろう。もう夜に外出するんじゃないぞ、少年よ。
焦らずとも失敗や間違いは大人になってからでも体験できるのだから。
ああ、あと、あの酔っ払いは本当に魔法使いだったのだろうか。彼女が起こした空の奇跡のお陰で、確実に誰かは幸せになったと思う。
星をスケッチしようとしていたあの青年も、突然散りばめられた星屑を見て喜び、あの後再び外に飛び出した事だろう。
よくよく考えれば、会社と自宅を振り子時計のように行き来しているのは俺だけじゃなかった気がする。
その辺のサラリーマンも社会人も、警察も…きっと、仕事、仕事で息苦しくなっているのかもしれない。
だからたまには肩の力を抜いて、気楽に酒屋通りでも歩いてみるべきだ。
そこには面白い世界がたくさん広がっている。
キャバもホストも、生きるために頑張って働いている。呼び込みの女の子だって、オカマバーで働くオカマさん達だって。
辛いのは自分一人じゃない。
みんなで助け合って社会は成り立っているんだから。
さて、翌朝。
俺の目はとあるニュースに釘付けになった。
「女子中学生の通り魔、逮捕」
俺の家の近所にある公園で殺人事件が起きた。その犯人である少女が今朝方捕まったのだという報道だ。
凶器はカッターナイフ。
死体は白い袋に詰めておいたが、埋める用意がまだ出来ていなかったので、少女は一時的にそれを公園内に放置したのだという。
しかしその袋は数分の間に何者かに持ち去られ、死体隠蔽は不可能となった。
テレビ画面に赤と白の服を着た愉快な女が映る。彼女は少女の親に感謝されているところだった。
少女の親は、昨日会った時よりもずっとずっとくしゃくしゃに泣いていた。
下手したら、死体すらも見つからなかったかも知れなかったのだ。
行方不明になっていた被害者(少女)を泣きながら探していた彼女は、少女のチャームポイントであった赤いリボンを握り締めながらインタビューに応じていた。
俺は、
テレビ画面に映し出された犯人の顔も、
白い袋を一時的に持ち去った少女の愉快さも、
我が子を探し続けていた女の人の涙も色も、全部知っていた。
さあ、今日は会社を休んで、病院にでも行こう。
と、その前に交番に寄らねば。また彼女はあそこで退屈そうに頬杖をついていることだろう。
俺はコーヒーを飲み干して仕舞う。
そして、玄関の扉のその先へ、足を踏み入れては大きく背伸びをした。