それこそが、運命である。
注意:ちょっとえっちいキスあります。
―――好きだった。
そんな気持ちを押し殺して、もう何年になるだろう。
悪しき者が支配する世界は、今や召喚された『女神』によって救われ、平和を取り戻していた。
その『女神』を護衛するために、共に旅立っていった騎士のひとり、アルバート聖騎士は私の愛する人であり、全てを捧げると誓った仲だったのに。
『旅から戻ってきたら、一番に貴女を抱き締めたい』―――そう言って、身分違いだった恋を叶えようとしてくれたのに。
無事旅を終えた女神は、世界を救った褒美として、アルバート聖騎士との未来を王へと願った。
アルバート聖騎士も、それを受け入れ、国中―――いや、世界中が彼らを、名誉の結婚だと祝したのだ。
彼が太いその腕で抱き締めたのは、私ではなく女神だった。
―――王である父が認めた婚姻ならば、娘である私は意見などできようはずもない。
そして時同じくして、私には筆頭貴族の第一子との婚約が、進められていた。
この国の将来が、私の結婚にはかかっているのだ。
王国第一王女、それが私の持つ、重い責だった。
*
「見て下さい、アルバート様。お花がとても綺麗に咲いています」
「ええ、そのようですね」
二人の蜜言のように囁き合う姿が視界に入り、私は彼の代わりに宛がわれた護衛を連れて、庭園を離れる。
元々、アルバート聖騎士は私の護衛であった。
姫の責任が重いと、小さかった私は彼によく泣きつき、その都度慰めてくれていた優しい護衛。
そんな彼へ恋慕の情を抱くようになるのは、最早必然とも思える。
この広い城で、王でもなく、王妃でもなく、只一人、私の弱さを受け入れてくれる男性。
ある夜、熱のように燻る想いを堪えきれず、彼の好きなこの庭園で私は打ち明けてしまった。
『お慕いしております』と。
彼は心の底から驚いた顔をしていたけれど、破顔し、膝をつくと、そっと私の手の甲へ口づけを落とした。
『……夢みたいです。私のこの想いが、貴女に届くなんて。己の身分を理解し、何度も、何度も想いを押し殺してきた。本来であれば貴女の言葉に、胸を躍らせてはならないというのに―――私には、どうやらそれが出来ないみたいだ』
そう言った彼は頬を染め、慈愛溢れる眼差しで言う。
『たとえ一瞬の幻であろうと、貴女と想いを通わせた今日を忘れません。私は騎士……貴女に忠誠を誓うと共に、身も心も、全て貴女の為だけに……』
あの言葉を、きっとこれから先も忘れることなんてできないだろう。
嘘ではなかった。
きっと、嘘ではなかった。
ただ、今現在、護る対象が女神に変わってしまっただけのこと。
騎士の誓いを、優しい想いを、救世の女神へ捧げてしまっただけのこと。
私は、姫なのだから。
彼と心が結ばれるなんて―――夢に見てはいけなかったのだ。
*
「シャルロット姫」
「……」
「おい、シャルロット姫」
「え、あ……っ、な、なんでございましょう。シーザー様」
呼ばれていることに気付き、慌てて顔を上げる。
そこにはハバムーン侯爵家第一子長兄の、シーザー様が、不機嫌な顔をしてソファに腰掛けている姿があった。
わが国の伝統として、王族入りを果たすこととなった貴族は結婚前に城に住まい、現王の補佐をすることを義務付けられている。
外交も共に付き添い、王族の覚悟や職務、思想や威厳を理解する必要があるからだ。
そして現王から認められたときに、ようやく国中に次期後継者であることを報告できる。
「話しかけても全く応じぬ。なにかあるのか」
「いえ……なんでも。申し訳ありません、こうして執務の合間に、会いに来て下さっているというのに」
彼はとても能力が高い、と父が嬉しがっていたことを思い出す。
きっと、彼との結婚も近いだろう。
シーザー様は僅かな時間でも、こうして私のもとを訪れ、共にティータイムを楽しんでくれている。
それが互いを理解するための時間だと気づいたのは、彼に『愛そうと努力する』と告げられたときだった。
政略結婚であることは、重々承知している。
二人とも今まで会ったこともなければ、話をしたことすらなかったのだ。
だから、彼がそう努力をしてくれるというのなら―――私も、彼を愛する努力をしなければならない。
多忙であるはずなのに、こうして時間を割いてくれる彼のために。
「言いにくいのであれば、侍従達を下がらせよう。おい、皆の者。しばし二人っきりに」
「ご命令のままに」
「いえ、そのような……っ!」
制止の声も届かず、部屋にいた侍従達はぞろぞろと扉の外へとでてしまった。
広い室内にシーザー様とふたり、というのは今までなかったことだ。
不安に揺らめく瞳を誤魔化すように、ぬるいティーを一口飲んだ。
「気にするでない、愛する我が姫よ。お前の懸念を、俺は理解しているつもりだ」
「懸念、とは……?」
シーザー様の言葉に、どきりと胸が高鳴る。
さらさらの黒髪、整った顔立ち。そしてなにより―――吸い込まれそうな自信溢れる瞳が、嘘を許さなかった。
「あの騎士と、結ばれたかったのだろう?」
「っ、……いいえ、いいえ、そのようなことは。私はこの国の第一王女です。王となる方を迎え入れることが私の、」
「騙るでない。俺は存外、お前に対して心を許している。それと同時に、お前にいたく気に入られたくてな。故に、他の者へ想いを抱くことを、俺は許そう」
「え―――?」
意外な彼の言葉に、驚きの目を向ける。
シーザー様は腰を上げ、私の隣へ席を移した。
唐突に近づいた距離に、心臓が跳ねる。
「黄金色の美しい髪、誰に触れられたこともない滑らかな肌……」
頬にごつごつとした手があてられ、慈しむように撫でられる。
彼がこんな風に触れてくるのは、はじめてのことだった。
まるで睦言のように口から出てくる言葉に、私は恥ずかしさから顔を赤く染めてしまう。
「蒼き宝石のような瞳、愛らしい声……お前のすべてを、俺は気に入った」
「あの、シーザー様……お戯れは、」
「戯れ? これが戯れだと? ならば確かめるがよい。俺が本当に、戯れで言っているのかを」
ぐっと距離が縮まり、顎を上げられる。
瞬間、唇に柔らかいものがあたり、数秒遅れてシーザー様のそれだと察した。
「っ、!?」
慌てて胸に手を当て突き放そうとするが、びくともしない。
これが、男性の力? なんて強い。まるで固い壁のよう。
「抗うな。お前は、俺を愛するのだろう?」
強く囁かれ、間近から見つめられる。
少しの戸惑いの後に、私は彼の言う通りに抵抗をやめた。
滑り落ちそうになった片手を掴まれ、彼の指に絡められる。
押し倒され、身をよじった私を押さえつけるように、シーザー様は口づけを重ねた。
開いた唇から、なにかが侵入してくる。
私の舌を舐め上げ、絡ませ、そして優しく撫で上げる。
「……っ、ん」
「は……これで、……分かっただろう? 戯れなどでは、ないと……。理解したなら、もう一度だ……」
親指で唇をなぞられ、開けと暗に告げられる。
彼の命じるままに口を開けば、貪るように再び合わさり、熱に浮かされるように絡まり合った。
まるで堪えていたものを吐き出すように―――シーザー様は、飽くことなく口づけを求め続けた。
「シャルロット」と、何度も熱く名を呼びながら。
*
侍従が、一通の手紙を持ってきた。
女神と、アルバート聖騎士との結婚を翌日に控えた日のことだ。
『どうか、夜の庭園へ』とだけ書かれていた、質素な手紙。
誰が書いたかなど、考えるまでもない。
その日の夜。
私はひとりで、庭園へと赴いた。
月の光に照らされ、花の彩も深く闇に飲み込まれた庭園。
よく、月に濡れた薔薇が美しい、と微笑んでいた彼は、いま私の目の前に佇んでいる。
久しぶりだった。
久しぶりに、彼の瞳が私を捉え、私の瞳もまた、彼を捉えている。
「……アルバート、様」
「シャルロット姫……こうして、ずっと……」
打ち震えるように言葉を紡ぐ彼は、唇をきゅっと結び、言葉を切ってしまう。
慈愛に満ちた瞳に紅潮し、胸が高鳴ってくる。
ああ、私は本当に―――本当に、恋をしていた。
「申し訳ありません。このように、貴女を呼び出してしまって……でも、どうしても、私は貴女に……」
「アルバート様、どうか、どうか泣きそうになさらないで。貴方は女神と共に在るお方……けれど、貴方と逢えることに、私は喜びを感じてしまった」
「……っ、姫」
「お許しになって……貴方への想いを殺すことなど、私には困難なのです」
きっと、もう、これが最後。
そう思ったら、口から溢れて止まらなかった。
たとえ彼の心に、もう私の想いなど微塵も残っていなくとも。
たとえ私を呼び出した理由が、想いの決別だとしても。
それでも、この時間、この一瞬の中だけでも、見つめ合うことを許してほしい。
「私は、今でも……!」
「なりません、なりません、姫。貴女も私も、運命に定められた相手がいるのです。……だから、どうか」
彼の言葉は、悲痛に途切れた。
言えない想いが、棘となって胸に刺す。
痛みで涙が零れ、なにより愛おしい彼の姿を見づらくさせた。
「……なぜ……貴方は、」
問いたいことは、山ほどあった。
それなのに、いざ彼を目の前にすると口にすらできない。
彼の心には、今女神の姿があるというのに―――彼の熱に浮かされた瞳が、シーザー様のあの瞳と重なる。
どうして、そんな瞳を向けるの。
どうして、泣きそうに顔を歪めるの。
明日になれば、もう二度とこうして逢えなくなる。
庭園の花が咲き乱れれば、私の婚約も公となる。
これが、最後なのだ。
「……お願い、今宵だけは……貴方の胸の内を聞かせて……」
「……っ、」
涙ながらに願う。
彼は迷いを滲ませた瞳を細めると―――仰々しく、その場へ膝をついた。
あの時と、同じように。
はじめて想いを通わせた、あの時と。
そして私の手を、優しく、大事そうに握ると、手の甲へ唇を落とす。
「誓いは、永遠に。身も、心も、すべて……すべてが、貴女と共に。私は騎士、命を賭けて―――貴女を護り続けます」
「アルバート、様……」
立ち上がった彼は、私へ優しい眼差しを注ぐ。
どちらかとも言わず、ゆっくりと顔を寄せようとして―――思い直したように、彼は離れていった。
それが、最後の逢瀬だった。
*
翌日、彼は大衆が祝う中、女神と将来を誓い合う。
そして後を追うように、私もまた、シーザー様と婚姻を果たした。
国が盛大に湧き上がったのは救世以来だ。
しかしその空気も長くはもたず、翌年、隣国との戦争が勃発。
隣国の勢力に、徐々にわが国は圧されていた。
そんな中、アルバート聖騎士が命を落としたと、訃報が入った。
隣国の騎士長と渡り合い、見事討ち取ったものの、残存兵によって殺されたと―――。
報告を聞いたとき、目の前が暗闇に覆われた。
どれほど嘆いても、悔やんでも、もう彼は帰らない。
彼の戦死は、名誉ある死として、国中で弔った。
またアルバート聖騎士の功績により、戦況は好転する。
討ち取った騎士長から、徐々に敵方が瓦解していったのだ。
シーザー様はこれを機に各国と同盟を結び、次々と戦争を終結させていった。
その優秀な手腕に、誰もが認める賢王だと、多くの民から讃えられた。
そして、私は戦争終結後、『役目を終えた』と告げた女神の口から、真実を知った。
女神には、神の能力がある。
未来が視え、人の心が視え、悪を祓い邪を滅する、神たる力。
その能力で、救世の旅をしている際、アルバート聖騎士へ告げたことがあるという。
曰く。
『この国は、運命に導かれるまま良き王を迎えるでしょう。そこに、アルバート様はおりません。貴方はいずれ始まる戦争にて、武勲を立て戦死されます。この戦争は回避できない。貴方の忠誠、貴女の誓いが本物であるのならば、心にある方から離れなさい。さすれば、この国は未来永劫、平穏たる時を歩むことでしょう』
女神の言葉に、アルバート聖騎士は決断する。
かの予言通りとするべく、私と離れるがために女神と婚姻を結び、誰に言うでもなく助けを求めるでもなく―――その命を犠牲としたのだ。
そして、誓いは成された。
彼は、誠たる騎士だったのだ。
アルバート様は真に国を想い、私を想ってくれていた。
決して口には出さず、自分の死すら恐れず。
定められた未来を受け入れ、柱のひとりとなったのだ。
その場に泣き崩れた私の肩を、シーザー様が優しく抱く。
女神は還り、国は平和を約束された。
国王シーザーの治世は、60年余り続き、以降も受け継がれた彼の意思によって平穏は続いた。
王妃を愛し、民を愛し、国を愛した―――彼の治世は、歴史に永きにわたって伝えられるだろう。
そしてまた、国を支えたひとりとして、アルバート聖騎士の名も語り継がれるに違いない。
愛している。
彼を心から、愛している。永遠に―――。
その想いを生涯口にせぬまま、私は眠りについた。
***
広大な大地が血に塗れ、戦う者達の叫びが轟く戦場。
血に倒れるアルバートには、僅かな意識だけが、残っていた。
「……ぁ、」
もはや感覚はない。
起き上がる体力すらない。
唯一許されたものは、祈りだけだった。
女神に告げられた未来が―――どうか、真実、穏やかなものであるようにと。
愛する庭園に花が咲き乱れ、
忠誠を誓った国に平穏が訪れ、
愛おしいあの方が、幸せとなるよう―――。
(ちが、う……)
けれど、彼は最期となって、その祈りを否定する。
本当は。
許されるのであれば。
自分が、この手で、彼女を幸せにしたかったのだと。
叶わなかった想いを封じ、押し殺し、『愛している』と言えなかった無念だけが、胸に広がる。
この手で彼女を抱き締めたかった。
触れたかった。口付けたかった。抱きたかった。
彼女を自分のものとしたかった。
―――けれど、笑っていて欲しかったから。
「シャル、ロット……っ」
呼びたかった愛おしきその名を、精一杯の力で告げる。
愛している。
彼女を心から、愛している。たとえ死したとしても―――永遠に。
その想いを生涯口にせぬまま、彼は眠りについた。
やがて時が経ち、国の在り方も変わり、文明が溢れ、永い、永い時が経った頃。
女神の祝福か、神の気まぐれか。
名も変わり、立場も変わり、ふたりは再び、出逢うこととなる。
それこそが、運命であると知らずに―――。
お読みいただき、ありがとうございました。
切ない恋物語を書きたかったのに、最後はどうしてもハッピーエンドにしたくなってしまいました。
今世では結ばれなかったとしても、時代を超え遥か未来で巡り逢い、また三角関係を経て、今度こそ結ばれると思います。