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第7話 初めてのアレ

「ちぃっ……! まだなの? まだなのか!」

 後ろから尋常でない殺気が、私の背中をチクチクと突いてくるのが分かる。

 この煮えたぎる活火山のような危うさをほこる殺気を放つ正体は――相棒だ。


 手に負えていない通常時(・・・)でさえ寿司屋の件を出せば押し黙るのだが――この状態の彼女に食べ物関連の話題を出すことそれ即ち、自殺に等しい。

 これは非公式の情報であるが、彼女は以前まで所属していた始末屋の組織での任務中、あまりの空腹に人間を引き裂いて焼肉にして食べたという逸話が残っている。カニバリズムの嗜好を持っているわけでなく、限界を突破した空腹に陥ると、人すら食らうと情報があるのだ。


 しかし本人は『流石に人は食べたことないよー。ハ、ハハッ』と笑って否定していたので嘘なのだろう。そう信じたい。切に願う。いや絶対に大丈夫だ。


 後ろにいる相棒が、もしや過去に同族である人類を食らったかもしれないなど、これほどまでに恐ろしいことは無いだろう。い、いや大丈夫だと言っているだろう。ロリコンでトレンチコートの下に何も付けない変態ではあるが、こんなでも私の相棒だ。

 し、信じてやれ、ミステーロ。


「ミステーロォォォォ…………」

「……!?」

 腹の底から響いてくるようなドスの利いた声。地響きのような全土をを震わす声。


 な、何だ? この耳にのし掛かるような重苦しい声はッ。

 後ろ――い、いまの声はワトソンか!?

 まるで悪魔にでも憑かれたかのような重低音ぶりで、一瞬誰の声だが分からなかったぞ。


「な、なにかね」

 おそるおそる振り返ってみると、其処には体勢を低くして更に小さくなった相棒がいた。

「おなか……おなかがすきすぎて……きもちわるい……おえっ」


 なん……だと?

 見れば先ほどの殺気は何処へやら。真っ青な顔をしたワトソンが、二秒に一回のハイペースで食道に押し寄せているであろう胃酸を必死に堪えようと、ビクビクえずいているではないか。


 こんなところで吐いたら一大事だぞ!? 客は逃げ、せっかく売れていたハンバーガーショップに多大な迷惑をかけて閑古鳥の鳴く頃に……と、混乱した頭が、ワトソンが以前観ていたアニメのタイトルみたいな言葉を叩き出した。何をしているこの脳は。


 待て、落ち着け。ここで冷静にならずに何が常時冷静を自負する者か。

 そういえば車に乗り込むときピエーデに――


『一応だが、これを渡しておこう。向かう先は悪路だからな』


 そうだ――それだ!

 確かポケットに入れてあったはずの白いソレをすぐに取り出した私は、もう限界らしくゲロを頬いっぱいに膨らませている可愛げの無いリス少女・ワトソンの口元に押さえ付け、声が少しでも漏れないようにと、ロングコートを人生で最速のスピードで脱ぎ、ワトソンへと被せた次の瞬間――



「うっぷ……。お腹空いてるのに、ハンバーガーが美味しそうに見えない……」

 最後尾であった、そしてピエーデから貰っていたゲロ袋が役に立ったということもあり、ワトソンが胃液を吐き出すという行為は誰にも気付かれることはなかった。


 だが臭いだけは何とも出来ず、ようやくレジに辿り着いたと思いきや、臭いで店員に冷ややかな目で見られたのは言うまでもない。視線が私に集中していたのは、おそらくコートに臭いが付いてしまったのだろう。現に臭う。ツンと来る酸性の臭いが。後で相棒に洗わせるとするか。


 そんなハプニングもありつつ、何とかハンバーガーを買うことが出来た私たちは、店のすぐ近くにある簡易的な造りのオープンテラスにある席に着き、後は食事に手を付けるだけの状態となっている。


「ワトソン。口内を洗ってきたまえ。胃酸臭いぞ」

「ジュースで洗うぅ……」

 ズルルッ。ジュルルルルルッ。


 結局ワトソンは口をゆすがないままオレンジジュースを飲んでしまい、しかし食道をジュースが通過する度に、あれだけ真っ青だった顔が見る見るうちに赤みを帯びていった。

 凄まじい回復力というか単純というか。まるで水を得た魚のような勢いだね。


「ぶっはぁ~。生き返ったぁ……」

 とても花も恥らう乙女とは思えない中年の男性じみた飲みっぷりを見せると、いまさっき美味しそうに見えないと言ってのけたハンバーガーに、大きく口を開けてかぶりつく。


 モシャモシャと咀嚼(そしゃく)する様子を見るに……どうやら完全に復活したらしい。

 幸せそうにハンバーガーを頬張る相棒を見つめていると、何やらこちらまで空腹度が増してきてしまった。少し急ぐように包み紙を持ち上げる。出来立てらしく、温かい。


 丁寧に緑色の包み紙を剥いでいくと、其処には丸い形をした茶色いバンズが見え、その間からは肉汁が迸る牛のミートパティ。輪切りにされたトマトとキャベツも挟まれており、常人より敏感な私の鼻に、口に、喉に、気管に、フワッと香ばしい香りが満たされていく。


 実を言うと私は――これが人生初のハンバーガーでもある。

 事務所の近くにも以前はあったのだが、そのハンバーガーショップはどうも治安の悪い街だと上層部が判断した場合、別の場所に移動してしまうというなかなか豪快で繊細な店だった。そのため、どのような料理かと足を運んだときには、既に閉店した後だったのだ。


 だが、今回はその心配は微塵にも無い。

 何故ならば、まさに私の目の前に、手の中にあるのだからな!


「……では、私も」

 何故だろうか。殺伐とした戦場の雰囲気でもないのに、鼓動が強くなっていく。

 これは……緊張、か?

 未知なる探究心が生み出すほど良い緊張感が、余計に私の空腹度を増していく。


 フフッ……まさかハンバーガーでここまで胸が高鳴るとは。私もまだまだ子供のようだ。

 口を開け、手の中にあるハンバーガーを近付けていく。

 もう少しで、このハンバーガーがどのような味であるか――分かる。遂に分かるのだ。

 強く握ると肉汁とトマトの汁気がほとばしる、このハンバーガーの味が――



 ――うぼろろろろろええええええぇぇぇ!



 その声――いや、音が聞こえた瞬間、私の視界に映るすべての物がスローモーションに見え始めた。舞い落ちる枯葉も、向かい側に座るパトリオートの変化していく顔も、そして同じく向かい側に座るワトソンの、その口から細かな固形物が混ざった黄色い液体が、私に目掛けて、手元のハンバーガーに目掛けて放水されて近付いていくのが。


 走馬灯のようにも感じるゆっくりとした速度で、私のハンバーガーを黄色く染め、ついでとばかりに私の上半身にもバシャッ――

 生ぬるい感覚を与えて、滴り落ちていった。


「……」

「ゲホッゴホッ……おえっぷ……」

「あ、あぁ……あわわわ……」

 そして私の感覚は、元の速度へと戻った。

 そのまま、時間を撒き戻してほしいと思う気持ちすら湧かない。


 えずくワトソン。

 顔面蒼白となるパトリオート。

 そして、吐瀉物(としゃぶつ)にまみれた私。


「うえっ……調子に乗って食べてたらリバース現象がってぎゃああああああ!!」

 そこでようやく自分が私に何をしたのか気付いたらしいワトソンは、某名画のような絶望的な仕草をした後に私へと駆け寄り、ハンカチを取り出して顔や頭、服に付いた吐瀉物を拭っていく。ハッとしたパトリオートも、慌てて相棒の手伝いに加担する。

 対する私は――何も、考えられなかった。


「……」

 手元を見ると、そこには無残にもオレンジジュースと胃酸がブレンドされた液体で黄色く変色したハンバーガーが、吐瀉物を吸ったのかふやけてジュクジュクと、もはや柔らかい何かへと変貌していた。


 ざわざわ……何やら人の喧騒が増してきた気がする。

 どうやら一部始終を見ていたらしい人間が集まりだしたようだ。

 喧騒の中から『誰かハンカチないか!』『風呂に入れるべきだろ! 避難所のシャワー室を今すぐ準備してくれ!』と周囲に指示を出しているのが聞こえる。


 だが、それでも私は――何も考えられなかった。

 吐瀉物を洗い流したいとも、初めてのハンバーガーを台無しにした相棒を半殺しにしたいとも、いまは護衛中なのだから気をしっかり持てとも――


 何も。

 なにも。

 な、に、も。


「……フ」

 不意に漏れた。

 それは――笑みだった。


 ただ、無意識のうちに漏れた、笑みだった。

 何故に漏れたのか分からない、笑みだった。

 薄っすらと顔に浮かんだのは、笑みだった。


 ――両隣で私の体を拭いていたワトソンとパトリオートが、私の顔を見て体を震わせた。



 避難所に設置されているシャワーを浴びた私は、どうも自分が何故シャワーを浴びているのかよく憶えていなかった。とても嫌なことがあったのは分かるのだが。

 風呂に入ったのだから汚れたのだろう。


 服などに付いた臭いで何か分かるかと思ったのだが、私がシャワー室から出たときには洗濯され綺麗に折りたたまれて籠の中に入っていた。

 はて、私はどうしてしまったのだろうか。


(……駄目だ。霧が掛かったように記憶がかすれて思い出せない)

 まあ良いか。それよりパトリオートの護衛だ。

 私がシャワーなど浴びている間に彼の身に何か起ってしまっていては遅い。

 籠に入った服を纏いシャワー室を慌てるように出ると、向かい側にパトリオートと、何故か顔を膝に埋めて座っているワトソンが目に映った。周りには黒服の男たちもいる。


「ミステーロさん!」

「やあ。何故か私はシャワーを浴びていたようだが……」

「えっ……も、もしかして、憶えていないのですか?」

 やはり、私の身に何かあったようだな。


「憶えていないとは?」

「あ、い、いえ! 憶えていないのなら良いんです」

 良いのか……良いのか?


 彼の顔を見る限り、それは私が知ると大変なことになるということを示唆している気がしたため、気にはなるがそれ以上の詮索はやめておいた。

 変に思い出して仕事に支障が出るのも嫌だからね。


「まあ……喉に引っかかる思いはあるが。で、これからの予定は?」

「えっと。そろそろ出発です」

「そうか。ワトソン、車に戻るとしよう…………ワトソン?」


 声をかけてみるが、まったく反応が無い。まさかまた寝ているのか?

 あの時と同じように体を揺すってみる。反応が無い。

「起きたまえワトソン。出発するとのことだ」


 強めに揺すってみるも、やはり反応は……ん?

 いま……少し震えた。ワトソンの体が。まるで、何かに怯えているように。


「ワトソン?」

「……お」

 お? 声が小さくて聞き取れんぞ。

 何だこの怯えている相棒は。逆に気味が悪いね、いつも騒いでいるからか。


「怒って……る?」

 怒っている? 私が?

 これは何か私を怒らせるようなことをしたということなのだろうな。

 一体何をしたのやら、やはり気になってしまうが――


「いや。私は怒ってなどいないが」

 私の言葉を聞いたワトソンは、ピクッと体を揺らした。


「ほ、本当?」

「怒ってなどいないと言っているだろう……?」

 すると――ガバッ!

 いきなり顔を上げたワトソンは瞳のように赤くした目を此方に向け、何かを私に渡すとそのまま逃げるようにパトリオートを連れて車へと走り去ってしまった。


「あっ、おい……どうしたのだ、ワトソンは」

 強引に手渡されたその品を確認してみると――人肌程度の温かさをしている、緑色の紙に包まれたハンバーガーだった。

 な、なんだこれは。

 何故こんなものを?


「……持っていても仕方がないか」

 絶妙なタイミングで小さく腹部から『食料を入れろ』と警告音が聞こえてきたため、わけが分からないまま私は包み紙を開けてその中に入っていた照り焼きのハンバーガーを頬張るのだった。


 ……うむ。

 これがハンバーガーという食品の味か。

 噂通り、確かに美味いのだが……人肌の温かさなので絶品とは言えんな。

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