第4話 偽善論
「ボクは、争いが大嫌いです」
私の質問に答える彼――パトリオートの第一声は、そこから始まった。
この時点で私はもう殺意を覚えるほどの嫌悪感があったのだが、そこは我慢しておく。仮にも、相手は要人なので。
先に言っておくが、私は子供の考える理想の世の中的な偽善論が大嫌いだ。潰れたゴキブリ並みに。
「何故、人は争いなんて無意味なことをするのでしょうか。争いは争いしか生み出しません。人を傷付け、血を流し、心を壊されて。領土の問題、資源、お金――色々と争いの火種はあるでしょう。ボクは、そんな彼らの考えがまったく理解できません」
私のような、依頼ならば平気で人を殺す人間には君の言葉が理解できないのだが――とは言わず、私は適当に相槌を打つ。それしか出来ない。
「何故、同じ〝人〟であるボクたちが争わなければならないのでしょう? 何故、争いという方法しか取らないのでしょう? ボクたちには、言葉があります。耳があります。それを理解する、脳があります。ならば――」
そこで彼は一息置いてから、溜めたものを吐き出すようにして言い放った。
「争いではなく、話し合いでも解決できるはずです。いえ、そうすべきです。誰だって痛いのは、苦しいのは、身内や自分が死ぬのは嫌なはずです」
今気付いたが――ワトソンのやつ、静かだと思ったら寝ている……。
こんな夢いっぱいの、子供が考えた偽善論を聞かされている私の身にもなってくれ。
「――悲しいことに、この組織は裏で武器商人をしています」
悲しいのは君の偽善論と、それを聞かされている私だ。
「武器があるから人は争うのです。弱きを挫き、強き者のみが生きる弱肉強食の世界など、人間社会には本来あってはならないことなのです。世界中、みんな平等に。だからボクは今日の会談で組織のリーダーに就任すると同時に――この組織を解体するのです」
ほう、それはずいぶんと思い切ったことを。きっと君の部下となるであろう者たちは職を失って路頭に迷い、飢え死にすると思うが。こんな不景気だし、再就職など出来る連中がいるとも思えないしね。
「そして解体したら組織にあるお金で、貧しい人々を助けるプロジェクト団体を立てる。それを今日、行うのです」
解体したら、そもそも金は君たちのものでなくなる可能性があるぞ。
〝ソフェレンツァ〟は政界にも権限を持つ巨大な組織。
つまり国と密接な関係があるため、もし潰れれば組織の金が国に回るよう、何処かしらで不条理な契約を締結させられている可能性が高い。
解体する前に金を使うべきなのだが――やはりここら辺の知識は無いようだ。
――本当に、哀れな子だ。
私は、ここまで哀れな者を見たのは久々だった。
時代が時代、年齢が年齢なのは分かるが、誰も、周りの大人は教えなかったのか?
――人がいる以上、世界平和はありえない
という事実を。現実を。何故、教えない。
人は元来、凶暴な生命体であることを。攻撃的な種族であることを。
世界平和があるのは御伽話、漫画、小説などの世界であることを。
どんな理由や行動であれ、それは自分を満たすために働く欲求。
――人を助けたいから人を助ける? 一人ですら生きていけない者が、何を言うか。
――争いたくないから争いを止めたい? ただ自分が傷付きたくないだけだろう。
――武器があるから争いが無くならない? 武器製作とは、世界中の科学者の戦争。それは世界各国での科学技術の開発戦争とも言える。そもそも戦争のおかげで今の科学技術が飛躍的に進歩したというのは有名な話だ。
そして人の根底には必ず自分自身の欲と擁護があり、そこから何かがしたいと考える。
例えるならヒーロー扱いされたいから人を助けたい、と考えるのだ。無意識のうちに。
(どんなに綺麗事を並べようと、他人のために尽くすのは偽善だ)
己の欲に正直となる。他人は二の次三の次――それが、人としての最善な生き方だ。
パトリオートの偽善論に、今にも胃液を吐き出したくなる気分だが、それは私のプライドが許すわけもなく、私は何事もないように少し微笑んだ状態で頷く。
寝ている相棒はというと、時々『うへぇ……ようじょ、ウヘヘ』などと気持ちの悪い寝言を呟いている。逆恨みとはなるが、後で覚えておきたまえ。
「ここまで平和に解決しようとしているのに、一昨日の晩――対談の会場に向かうボクを襲撃して、殺すという殺人予告が来たのです。ボクは悲しいです。どうして、分からないのかと。どうして、ボクは狙われているのかと。こんなにも平和的な考えを持っているというのに」
「……君は」
ここで私は我慢の限界を向かえ、彼に話しかけた。
今まで黙って相槌を打っていただけだったため、彼は私が話しかけてきたことに少し目を丸くする。
「組織を解体すると、組織で働いていた人が路頭に迷うことは分かるかな」
「分かります」
「路頭に迷えば、今の不景気だ。再就職は厳しいだろう」
「はい」
「つまりは金を稼げない。というと彼らは、遅かれ早かれ――」
「そこはボクが何とかしてみせます。お金は組織のものを使えば良いのです」
私の言葉を遮るように、パトリオートは柔らかな声音で反論してきた。
組織にどれほどの構成員がいると思っているのだ。全員を養えるほど少ないのか?
そもそも、そのお金で貧しい人を助ける団体を設立するのではなかったのか? 矛盾しているにも程がある。話の破綻具合が、子供だからという理由を付けても逸しているぞ。
あぁ、もうワトソンのように不貞寝したい気分だ。
私は笑顔を絶やさず、しかし眉尻を吊り上げた苦笑状態で――
「そんな夢物語が実現するはずがなかろう」
「人を助けたい? 自分で生きていける力すらまだ無い君に一体何が出来ると言うんだい?」
「争いを無くしたい? 君は一度も相手に怒ったり不満を抱いたり不快な気分になったことが無いとでも言うのかい? 戦争なんて、権力者が感情的になったり金になるから起こるものだ。場合によっては、戦争は経済を良い方向へと導く」
「武器があるから争いが無くならない? だったら君も武器を持っているよ。それは人体だ。額、肩、腕、指、肘、尻、太もも、脛、脚――人の全身は、使い様によっては殺人武器となるのをご存知かな?」
「解体したら組織のお金で構成員を養う? 一人を養うのならば有り余るだろうが、一体君の組織は何人もの人間がいると思っているんだい? そんな大勢の人間を養える金など、そもそも組織を解体した時点で国が黙って看過していると思うかい?」
「この組織は国のトップと対談が出来るほどには繋がっているわけだし、おそらくその金は全て、国に奪われるぞ」
「というか、そもそもその金で貧しい人を助ける団体を設立するのではなかったのか?」
――……。
………………。
……………………。
と、言いたい。とても言いたい。腹が煮えたぎり、喉に熱いものが込み上げてくる。
だがそこはグッと堪えて
「……そうか。これから先は茨の道だろうが、頑張りたまえ」
一言にまとめ、パトリオートへ静かに呟く。
ヒクヒクと、口元を痙攣させながら。
「は、はい!」
彼はその言葉を聞いて嬉しそうに、首を縦に振った。
運転手の男が、少し愁いを帯びた瞳でパトリオートを見つめていた。
「もうすぐ休憩地に到着致します。降りる準備をお願い致します」
抑揚の無い枯れた声で運転手が、休憩所にそろそろ到着することを報せてきた。
昨日の晩に〝シーカーズ〟のボスに調べさせた情報によると、休憩所として寄る場所は市街地から少し離れた所にある、今は瓦礫の広場と化しているサービスエリア。
其処は和の国ジパングのサービスエリアをモデルに造られた場所で、ショッピングモールがあるため年中騒がしい場所……とは聞いたのだが、今はどうなのやら。
第三次世界大戦の被害はこの辺りにも影響を及ぼしているようで、やはり窓の外から見える景色は、瓦礫や焼けた建物ばかりだ。動物と人の死体に至っては処理されることなく放置されている。
「……」
死体など今まで、それこそ腐るほど見てきた。
頭が吹っ飛んでいて脳を撒き散らしていようと、体中に貫通創があろうと、上半身と下半身が千切れて別々の所に転がっていようと――私の目にはどうとも映らない。何とも感じない。慣れてしまったから。
そんなものに手を合わせている暇があるのならば、私は私のやるべきことを最優先する。
どんなに非難されようと、非人間的だと罵られようとね。
ただ、一つだけ厄介なことがあるのだ。死体に関して。
それは――異臭だ。
私は人より鼻が利くため、刺激臭が鼻腔を突くと、後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃に襲われてしまう。仕事に支障が出ないか、少し心配だ。
(しかし……臭いを払う術は持っていない。我慢するしかないか)
さて、その問題は置いておき、そろそろ幸せそうに眠る相棒を起こしておかねば。
「ワトソン。そろそろ休憩地に着くそうだ」
……返事はない。というより動きさえしない。
これは昨日、遅くまで起きていたな。仕事の前日は早寝しろといつも言っているのだが。
「ワトソン。起きたまえ」
今度は揺さぶってみる。
パトリオートを挟んでいるので、体勢的にキツい。早く起きてくれ。
「う~ん……」
一瞬だけ眉をひそめて唸った彼女は、うっすらと目を開ける。
つくづく思うのだが、こう黙っていれば可愛らしい容姿をしているので、私も扱いやすいというか接しやすいのだがね。現実は非情なものだよ。
「うぅ……えぅ」
……ん? 何か、ワトソンの様子がおかしいな。
パチパチとルビーのような瞳を開閉させ、私の方をじっと見るや否や――
「お……おぉあああぁぁあああ~!」
奇声を上げて顔を両手で覆い隠してしまったのだ。
隣でパトリオートが、目を丸くして私の方に後ずさってきた。
な、何だ、この行動は? 寝惚けているのか?
「ミ、ミステーロ……あんたは、なんてタイミングでボクを起こしたんだ!」
タイミング?
小首を傾げると、親の仇と言わんばかりに彼女は私を睨み付けた。
「い、いま夢の中で『魔法少女・アミタン!』の主人公アミちゃんの夜這いストーリーが展開されていたのにいいいいぃぃぃ」
よ、夜這いの夢……だと?
「OVAと同じ展開でアミちゃんと素っ裸で抱き合えていたというのに~!」
私の相棒は、私が苦痛に耐えながらパトリオートの偽善論を聞いている傍で、そんな破廉恥な夢を見ていたというのかッ。
「うおおおおお……アミちゃんとの、アミちゃんとの夜這いが~、夜這いが~」
本気で悔しがっているのか、ワトソンは両手で顔を覆ってスンスン泣き始めてしまった。
というか、子供の前で夜這い夜這いと連呼するな。
「おい、喧しいよ。寿司屋の件を取り消すぞ」
「いや~、清々しい目覚めをありがとうミステーロ!」
何処が清々しい目覚めか白々しい。思いっきり破廉恥な夢を見おって。
見ろ、運転手が鷹の目のような鋭さで此方を睨んでいるぞ。
「あの、夢を見ていたんですか?」
何故ここでパトリオート、君がよりにもよって食い付くんだい。
まずい、運転手の視線に殺気が篭り始めたぞ。
「うん。ボクがお寿司を食べまくってる夢をね」
空気を読んだらしい馬鹿が、話の内容を偽装してパトリオートに説明した。
彼女にしてはナイスな判断だ。
そのまま話が終わるか別の話題に移行するか――
「それは良い夢ですね。で、『よばい』とは何ですか?」
――やはり、現実は非情なものだった。
子供の純粋さがこんなところで仇となるとは、想定外の結果だ。
「あ~、えっとそれはね……うん、お寿司を暗がりで食べて、何のネタかを言い当てるファミリーゲームのことだよ! そうだよねミステーロ!」
私に振るな。何故ここで私に振るんだ。
「まあ……あぁ、運転手さんよ。まだ着かないのかい?」
車内に運転手の放つ殺気が浸透してきたため、私は話題を変えようと彼に話しかける。
隣では『よばい……楽しそうですね!』と、実に平和的なお花畑が展開されていた。
最終的に、夜這い=闇鍋ならぬ闇寿司という誤解でその話題は幕を下ろす。
「もう、着きましたよ」
喉の奥から発したような、地鳴りにも似た声で私の問いに答えた運転手は、瓦礫で溢れかえったサービスエリアの駐車場らしき場所に車を、かなり荒々しく停めるのだった。