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第1話 Inzio

 ――実家を襲撃されたのが今から二十年前だったか。


 私の実家は有名な私立顧問探偵を生業としていた。

 曽祖父に当たる人物は、その研ぎ澄まされた洞察力と卓越した推理力で一躍有名となり、今も探偵業を営む者にとって、神に等しい存在として曽祖父は語り継がれている。


 これ自体は私が生まれてから十年ほど経った後に聞かされた話で、私も将来は世界一有名な探偵になってやると熱く意気込んでいた。


 ――私の一家が、世間では現在どんな風に扱われているのかも知らずに。


 私はお父様とお母様がイトゥリアという国に旅行中、予定よりもずいぶん早くに生まれてしまったと聞く。厳密に言えば、私の生まれ故郷は実家の誰とも違う。

 だが私のお母様はそのことを、良いことだと仰った。


 ――きっとこの子は将来、故郷とは違うこの国で活躍し、多くの謎を解明するでしょう


 そう考えたお母様は、その国の言葉で謎を意味する〝ミステーロ〟という名を、この私に名付けてくれたのだ。謎を解く一家だというのに、少し矛盾したように感じる名前だが。


 そんな生まれたばかりの私を抱きつつ、お父様とお母様が実家に帰省してみると、実家の屋敷が激しく燃えていた。雪のような純白さを持つ石の壁、精巧に造られた氷のように薄いガラス、緑が生い茂った広大な敷地が――その何もかもが、灼熱の赤い渦に飲み込まれて黒く灰塵と化している。


 曽祖父が立て替えた屋敷は、それまで家族に暖かい場を設け、風雨を凌いでくれていた屋敷は、まさに熱風を撒き散らす怪物、非現実的な存在になっていたのだ。


 燃え盛る屋敷を見ても慌てる様子もなく、二人はまず赤ん坊の私を近隣の女性に預けると、すぐさま消火活動と中にまだ誰かいるのではと勇敢にも火の海へ駆けて行った。

 しかし火事が収まるその時まで、二人が館から出てくることはなかったという。


 ――生まれてから僅か十日も経たぬうちに、私は天涯孤独の身となった。


 それから十年の月日が流れた。

 家族を失った、生まれたばかりの私はあの後、両親とは知り合いだという世界を旅する傭兵旅団に引き取られ、そこで私は自分自身の生い立ちを知る。


 家族は有名な探偵で、実家は何処とも知れぬ集団によって襲撃を受けたことを。

 世界的に有名だった私の一家は、今は亡き伝説の探偵一家として書籍や映画に取り上げられている。功績が華々しいと、後の世に様々な形で語り継がれることで、忘れ去られるということは避けられたようだ。当時はその世の中のシステムを、子供心に感動を覚えた。


 そして、私は何度も唱えたよ。

 自分はあの一族の末裔だと。

 襲撃された日に生まれた、唯一の生き残った存在だと。

 だが、世間は誰も認めなかった。


 ただの一人だって。

 ただの一度だって。


 ――その反応は当然であると、今なら容易く考えられることだった。


 私があの一族であるという証拠はあの日に屋敷と共に焼かれたか、盗まれて無くなってしまっていたのだ。

 DNA鑑定しようにも家族の持ち物はおろか、遺髪だって手元に無かったのだから。

 世間の認識は、ただの有名になりたがっている哀れな女としか見ていなかっただろう。

 だからこそ、私は決意した。


 私があの一家の末裔であることを証明すると。

 世間に、私があの家の末裔であると認めさせると。

 そのためならば、どんな手を使ってでも証明して見せると。



 ――たとえ人道に背く悪逆非道な行為であれ、必要とあらば黒にも染まる覚悟で。



 ――イトゥリア国・某所――


 ふと、閉じていた瞼をゆっくりと開けてみる。

 少しの間しか瞼を閉じていなかったつもりだったが、飛び込んできた光に驚いたのか脊椎反射で少し瞼が閉まりかかる。

 光に慣れたところで改めて瞼を開け、そして眼前に広がったのは、背後の彼方で地平線にその身を沈めようとしている太陽の光が満ち溢れる、見慣れたレンガの街並みだった。


 夕陽を背中に感じながら石造りの街道を歩いていくと、あちこちから出店やレストランなどで賑わう人々の喧騒が聞こえてくる。

 実に平和的な風景だった。何処を見てもお祭り騒ぎの馬鹿騒ぎ。あとワインの香り。

 だが私は喧しいのが苦手だ。耳に残るような、人の喧騒が特に。ワインは好きだが。

(まったく、のん気な連中だ)

 世界が現在、どのような状況に陥っているのか、分かっていないのか。


 耳を塞ぐ代わりに隣へ目を向けてみると、少し目立つ格好をした小柄な少女がしゃがんでアタッシュケースの鍵を開け、そっと隙間から中を覗き込もうとしている。

 覗き込んだその途端に、少女は笑顔と大声を辺りに安売りの告知並みに撒き散らす。


「うはー! こ、これ! こんな大金! 見たこと無いよ!」

 今の大声で何事かと此方を振り向く通行人をあしらい、私は少女の頭を小突いてアタッシュケースの鍵を閉めさせた。ゴツッと、私にとって喧騒よりはマシな音が鳴る。


「いったぁ~……! いきなり何すんだよ!」

 すると彼女はふてくされたように頬を膨らましてしまい、その場に座り込んでしまう。面倒になった私は近くにあった緑の鉄製ゴミ箱にアタッシュケースを放り投げる。投げられたアタッシュケースは綺麗な放物線を描き、重量感のある音を立ててゴミ箱に収まった。


「ひ、ひでぇ……」

「私は大金を持ってうろうろしたくないのだよ。つまり、早く帰りたいということさ」

 自分が少女にしたことを棚に上げ、私は元からこの少女とは関係が無いとでもいう風に足早に去っていく。しかしその後ろから、子犬のような悲鳴を上げるだけで一向について来ない少女に痺れを切らし、結局は踵を返して戻ってくるのだった。


「私は早く帰りたいのだが――」

 少女に対し、急かしていると誰もが確定的に分かるような、イラついた声を発してみる。

 しかし彼女は、アタッシュケースを抱え込んだまま顔を赤くするだけだった。


「ぞんなごど言っだっで~! お、重いッ……」

 確かに重いが、そこまで重いものか。私は確認するようにゴミ箱に置かれたアタッシュケースを持ち上げ、少しはたいてから少女へと渡した。特段、言うほど重くなかったが。


 この見事なまでの非力っぷりを見せてくれたのは、仕事仲間にして相棒のワトソン。

 茶色い探偵帽の下から覗く金糸のような髪を後ろで一本に結わき、頬はぷっくりと幼さを彩るような曲線を柔らかく描いており、色素の薄い精悍な赤い瞳と相まって実に子供っぽい。身長も150に満たないため、更なる相乗効果で十歳程度の少女にしか見えない。

 服装は胸元を開けた茶色いトレンチコートにホットパンツ、そして黒いスニーカーと、一見すると探偵のような、不思議な格好をしている。


(黙っていれば愛らしいのだがね)

 ふと、噂の人物が先ほどから一言も発していないことに気が付く。

 むっ、読心をされた? まさか。そんな非科学的な。


 隣を見てみると、端整で可愛らしい顔つきをしている彼女が、今は半目でみっともなく舌を出して汗だくとなっていた。なんだ、疲弊して(わめ)く力も無くなっていただけか。

 仕方なく私は羽織っている黒いロングコートのポケットからハンカチを取り出し、子犬のように舌を出して疲弊しきっている彼女の顔を拭ってやる。


 まさか汗を拭いてくれるとは――ワトソンはそう思ったのか、目を丸くして意外だと言う風に驚いている。拭いてやってこんな態度を返されるとは、失礼極まりない子だ。ハンカチ越しに伝わるプニプニなその頬を、(つね)ってやろうか。


「あ、ありがと……」

 などと物騒なことを考えていると、彼女の口から恥ずかしそうに小声でそう言ってきた。

 なんだ急に。私は至極冷淡に返答する。

「隣を歩く私の品格まで疑われかねないからね」

「自分のためかよ!」

「冗談だよ」

「冗談ですか……。ふぅ、ふぅ……」

「……持とうか?」


 あまりにも重そうにしているため持ってやろうかと手を伸ばしたが、奪われる! というよく分からない理由でワトソンは私の手助けを断った。意地を張るところがまた子供っぽい。私など背中にこれ以上重い、狙撃銃が入ったカバンを背負っているというのに。

 重たい(らしい)アタッシュケースを、私とワトソンがそれぞれ一つずつ持っているわけだが、中身は――この国で半年は豪遊できるほどの札束が入っている。


 先ほど、指名手配されていた殺人鬼を殺害した。そのため私たちは依頼達成の報酬と、賞金首として設定されていた大金を警察から頂戴したというわけだ。

 身柄を拘束しても相応の額は手に入ったのだが、何かと不景気な世の中なので――という理由で殺害した。殺害法は締め技による窒息死で、隣の非力少女が実行した。


「にしてもさ、ミステーロ」

 よいしょ、とワトソンが私の名前を呼びつつ細い腕でアタッシュケースを抱え込んだ。

 私とは身長差があるため上目遣いで話しかけてくる様子を見ると、やはりただの幼い少女にしか見えない。しかしつい先ほど人を殺した子でもある。

 見た目とは、実に恐ろしいものだ。


「こんな大金どうするの? まだ銃弾のストックや食料はあるんでしょ?」

 あぁ、そのことか。

 私はワトソンの方に向くことなく口を開く。


「いつ金欠になってもおかしくは無いだろう。今年に入って不景気が色濃くなってね、物価が高騰しているのだよ」

 近年発生した世界大戦であらゆる国の景気が著しく悪化し、物価の高騰や失業者と自殺者の増加などが社会問題となっている。あと戦死者も。

 それは一般市民が暮らす表の社会だけにとどまらず、私たちがいる裏の社会――マフィアや国家の裏側などの組織が強く絡む社会のこと――でも同様で、特に世界大戦が勃発しているため武器や弾薬などの値段が驚くほどに高騰しているのだ。

 今は休戦中ということもあって以前よりはマシになったが。


「なるほどねー。でもこんだけお金あれば心配するのも無駄と思うけど」

「念のためさ。大戦の火の粉から逃れるための避難資金、新たな土地で事務所を開くための資金など、起こりうる危険な可能性にはすべて、対策を練るのだよ」

「ふーん。ま、ボクは新しいメスと研磨材を買うけどねー」


 キラキラと健康的に潤む瞳を此方に向けてくるワトソン。その純粋な輝きに私は思わず苦笑してしまった。彼女は笑われてムッとしてしまったが。

 ちなみに、確かにワトソンは私の相棒だが、厳密に言うと私と彼女は職業が違う。


 私がどんな依頼でも報酬次第で引き受ける何でも屋なのに対し、彼女は〝始末屋〟という、言わば殺し屋のような職業だ。殺しの依頼時には、彼女が高確率でくっ付いてくる。

 そしてワトソンが何故メスを欲しがるかというと、彼女の主武器がメスだから。

 更にそこから切れ味や持ちやすさを自分で改良し、全身の至る所に収納しているのだ。帽子の中、結わいている髪の隙間、トレンチコートの中、果てには靴底にまで。


 まさに全身武装といったところだが、他にも蹴り技や絞め技、相手の力を利用する特殊な近接格闘術まで扱える、始末屋という職業の名に恥じぬ殺しのプロなのだ。

「でもメスってさ、本来は医療道具だからナイフ屋に置いてないんだよねー」

「それは道理だと思うのだが」

 本来は人を救う道具。それがナイフ屋に置いてあったら本末転倒もいいところだ。


「でも大丈夫! ボクは国際医師免許を持っているから、取り寄せることが出来る!」

「取り寄せたメスを殺人目的に使用しているのだから、皮肉な話だがね」

「それを言ったらオシマイ! オシマイだけに、今日の夕飯はオシュウマイ(・・・・・・)が良いな!」

「…………おっと、話に夢中で道を間違えそうだったよ」

 今のは酷かった。ホッキョクグマも尻尾を巻いて逃げ出すほどの寒さをほこるダジャレが、まさか私の相棒の口から出るとは。おかげで道を間違いかけてしまった。


 私とワトソンが通り過ぎようとしていた道は、無線専門店と銃器専門店の間にある通路。

 人が一人くらいなら入れる隙間のような道を曲がらなければ、事務所には辿り着けない道順となっている。言い換えると、私の事務所はそんな入り組んだ所に建っている。

 これにも色々と理由があるのだが、それが生かされた試しが無いため、今では道を間違えやすい原因の一つでもあるのだ。初めて事務所を訪れる者は確実に迷うだろう。


「私も変なところに何でも屋を構えたものだ……ん?」

 ふと、通路を抜けた先の広場から怒号と怒号がぶつかり合う喧騒が耳に届いた。

 更に通路を歩いていくと、その喧騒は壁に反響していることもあってか、どんどん大きくなって聞こえてくる。


「喧嘩かなー?」

「参ったね。事務所の近くで騒動を起こされては困るよ、色々と」

「じゃあ止める?」

 いきなりシャドーボクシングをし始めるな。殺す気満々かい。


「まずは傍観さ。飽きたら腕の一本でも折ればいい」

「えっ、それってつまり……ボクがやれと?」

 君の方が格闘術に長けているだろう。

「私は近接格闘なんて出来ないよ」

「よく言うよ。〝不可視のミステーロ〟とか呼ばれてるくせに。十分に強いくせに」

「やめてくれ。その通り名はあまり好きではない。それに、私は手の内がバレるのを酷く怯えているだけだよ。万が一の可能性も、視野に入れなくてはならないからね」


 へいへい、とワトソンがふざけたような返事をするとアタッシュケースを私に預け、先に路地裏から出ていく。『まだ口喧嘩だけみたい』と此方に振り向いて手招きをしてきた。

 誘導されるように路地裏から出てみると、私の視界にスプレーで落書きされたコンクリートの壁、テレビの麻薬特集などでお目にかかる有名な植物を売っている店、更に通りの端では人の死体を食い荒らすカラスなどが映り込む。


 ここは、先ほどの平和的で一般人が住む街の裏側にある――〝ブルット〟という、警察も入ることを躊躇う闇が蔓延る街だ。路地裏一本でここまで世界が変わると、自分は何処か異世界にでも迷い込んだのかとファンタジーな妄想を本能的に展開してしまう。それほどまでに衝撃的な変貌なのだ。


 だが私の鼻がそれを許さず、腐乱の強烈な臭いが鈍器でこれでもかと殴るように、鼻腔へと衝撃を与えてくる。炎天下に三日放置していた卵より臭いな、あの死体。

「……死体は濃硫酸か何かで処分出来ただろう。まったく」


 そして私が死体の臭いに眉を寄せたのと同時に、周囲からドッと歓声にも似た騒音が耳に届く。見渡すとガラの悪そうなチンピラや、黒いスーツに身を固めている如何にも危ない組織に身を置いていそうな者たちが、中心の二人の男を取り巻いて野次を飛ばしている。


 あぁ、実にうるさい。

 私は人の喧騒が嫌いだというのに。

 それに事務所へは向こう側――つまり中心にいる二人と野次馬をどかして通らなければ辿り着けない。出来れば早く歩を進めたい。アタッシュケース二つを持っているのは、流石に重いので。


「お前さんよぉ、先にぶつかって来たのはソッチだろうが! 謝ることも出来んのか!!」

「ぶつかった程度でゴチャゴチャうるせぇんだよオッサン!!」

 〝ブルット〟は警察も入りたがらない。国すら黙認しているような場所だ。

 当然、止める者などいない。此処は無法地帯なのだから。此処では肩と肩がぶつかっただけで乱痴気騒ぎの馬鹿騒ぎ。たまに銃撃戦もする、まるで漫画にでも出てきそうな死と隣り合わせの街。


 だが、それがこの街の常識でもある。

 はた迷惑な常識だよ、本当に。

「若いのが……口には気ぃつけろやぁ!!」


 遂に片方のオッサン呼ばわりされた黒服の男が、金髪でアクセサリーを全身にくっ付けたある意味ハイセンスな男に殴りかかった。不意に殴られたハイセンスな男は空中で錐揉み回転しながら吹っ飛び、野次馬たちが男を受け止めるとそのまま黒服の男の前へと投げ飛ばす。

 あのようにどちらかが気絶するか死ぬまで喧嘩は収まらない。過去の最長は実に一週間も喧嘩が続いたこともあったらしい。迂回ルートなども存在しないため、下手すると今日は事務所に帰れない可能性もある。


 だが私は、そこまで悠長に此処で突っ立っているつもりはない。

 あぁ、喧騒と通行の邪魔で何だか面白いくらいにイライラしてきたね。


「――ワトソン」

「おっ、いきなり出番?」

 声をかけられたワトソンは、――一緒になって野次を飛ばすな――待ってましたというように私の方へと向き直り、またシャドーボクシングをし始める。

 いや、殺すと処理が面倒なので控えて欲しい。一応、彼女にはそう伝えておいた。


「今回は私もやる。騒音でストレスが溜まってしまってね」

 するとワトソンは、狐につままれたような顔をして私を見つめてきた。

 何だ。何か変なことでも言っただろうか。

「ほえー、ミステーロが何時になくやる気だ。さっきはやりたくないって言ってたのに」

「誤解を生むような発言は慎みたまえ。まるで私がいつも無気力で怠惰な人間のようじゃないか。私は必要に応じて必要な実力を出していてだな――」

「めんごめんごー。んじゃ、ボクはあの二人をちゃちゃっと片付けるから」

「……承知した」


 私が頷き終わるよりも一瞬早く、ワトソンは後ろで纏めた髪を鞭のようにしならせて二人の男へとほぼ無動作で疾走した。

「オラオラァーッ! 手が止まって――ん? 今……誰か通ったか?」

 野次を飛ばすチンピラの僅かな隙間を、針の穴に糸を通すような繊細な動きで誰にもぶつかることなく駆け抜ける。その様子は、障害物を避けて走る子犬のようだった。


「なんだ?」「誰だ今の?」「何か通り抜けた?」「おい! 誰だアレ!」「乱入か!?」

 異変に気が付く周囲の人間。お互いの戦いでそれに気付かない二人の男。その場にいる誰もが、イレギュラーな存在が乱入してきたことに唖然としてざわつく――その前にワトソンは二人の男へと肉薄し、実に軽やかな動きで二人の体を容易にスルスルと登ってしまう。超人的な身体能力である。


「おわっ!?」

「な、なんだぁー!?」

 ハイセンスな男と黒服の男は驚きで身体を硬直させてしまい、その間にワトソンは二人の肩をジャンプ台にして、そこから2m半は飛翔した。

 人体とは、踏み台にするにはあまりにもグラつく。ましてや立っている人間など尚更のことで、しかし彼女はそれを思わせない常識離れしたバランス感覚で、まっすぐにジャンプしたのだ。

 誰もが、彼女の動きに釘付けとなる。

 クルッと空中で一回転したワトソンの視線が、二人の男の肩に集中すると


「喰らえ! ボクの超絶人体破壊ぃーッ!!」

 太ももを折り曲げて急降下したワトソンの膝は、彼女の全体重を乗せて二人の男の肩に命中した。あまりの重さと衝撃に二人はそのままコンクリートの地にバランスを崩して手を付いてしまう。

 しかし二人の腕はその衝撃に耐え切れず、ゴクンッ、ボキッと、脱臼と骨折をした際の異音を立て、肘がまったくの反対側へと折れ曲がってしまった。


 ワトソンの体重がどれだけあるのかは知らないが、人体とは予想以上に重く、更に落下の衝撃も加わったのだ、肩と肘と腕に掛かる負担は尋常なものではない。

 それなりに訓練を積んでいない人間がアレを受ければ――大怪我して当然の荒業だ。


「「ぎゃああああああ!!」」

 二人がまったく同時に叫び散らし、周囲の人間たちは初めて、二人が乱入者に負傷させられたことを知ることとなった。

 しかしその者たちは慌てる様子も無く『良いぞー!』『誰だか知らねぇけど今の動きスゲーな!』『そのまま殺せー!』などと囃し立てる。


 あぁ、喧しい。ワトソン以外の全員を射殺したい気分だが、そんなの弾代の損だ。

 そう私が、不機嫌にアタッシュケースを足下に二つ置いた瞬間――ッダァン!


 聞こえてきたのはこの喧騒よりも遥かに喧しく、それでいて鼓膜を激しく貫いてくるような、超攻撃的な轟音だった。火薬の臭いが、吹いてきた風に乗って広場に充満する。

 銃声――誰もが瞬間にして刹那に思考を張り巡らせ、爆音のした音源へと顔を向ける。


「おいおいおいおぃ……そこの嬢ちゃん。そこのチャラ男だけならまだしも、ウチのもんまで怪我ぁ、負わせてどうすんだよ」

 どうやら黒服の男の仲間らしい、倒れている男と同じ黒服を着たスキンヘッドの男――スキンヘッドなので、そう呼ばせてもらおう――が発砲したようだ。


 広場にいた人間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、この場には私とワトソン、そして負傷したハイセンスな男と黒服の男、スキンヘッドとその仲間たちだけが残った。


「ミステーロ! 宣言通りに腕一本ずつ折ったよー!」

 だきっ。すりすりっ。

 ワトソンが私の方に駆け寄ると、まるで子供のように『ほめてー!』と腰に抱き付いて頬擦りしてきた。暑苦しく鬱陶しいので、とりあえず蹴り飛ばして離れさせる。

「ぐほっ……よ、容赦無いなぁ……ハッ!? か、囲まれてる!」


 なんだその緊張感のない棒読み具合は。一応、危ない状況なのだぞ?

 その間にもスキンヘッドとその仲間たちが私とワトソンに近付き、逃げられないようにと取り囲んできた。人数はスキンヘッドを合わせて七人のようだ。


「あんたがそいつの保護者か?」

 スキンヘッドの男はニヤニヤと、此方が既に勝っている状況だというように、粘つくような不愉快至極極まりない笑みで私を見据える。


「保護者というほど偉ぶった立場ではないさ。彼女の仕事仲間だよ」

「その仕事仲間が俺らの仲間に何をしたか、見ていたよなぁ?」

「見ていたさ。実に痛そうだったね。ご愁傷様。良い医者を知っているから紹介しよう」

「なんだと……?」


 どうも頭に血が上りやすいスキンヘッドは、今の私の言葉で茹蛸のように赤く怒りだし、右手に持っていた拳銃をスライドさせた。周りの仲間たちも、同様にスライドや撃鉄を起こしていく。面白いくらいに怒りやすい集団のようだ。

 少しの挑発で撃鉄を起こされては、君の組織の弾代は馬鹿になっていないだろうね。


 それに彼が持っている銃は五一式手鎗(クロボシ)。旧リティシア連邦という昔の国の銃をモチーフに製造された、暴発発生率が高い粗悪な銃だ。


「不景気がここまでの勢力だと、マフィアも大変だね。主にその拳銃とか」

「所詮、俺らの組織は底辺だからなぁ!」

 いや、そこは威張るところかね。

「どうせ一般人(カタギ)に色々と難癖つけて、それで稼いでいるのだろう?」

「……!」


 おや、見る見るうちに顔が怒りで赤くなっていくのだが、まさか図星かい。

 そんなに稼げるものでもないだろう、一般人を揺すったって。特に今の時代は。


「ぐっ……それ以上、言葉を発するな! 俺はもうキレてるぞ!」

 いや、見れば分かるよ。そんなに顔を赤くしていれば。

「もう少し台詞を考えたまえよ。キレているだなんて、蛸みたいな君の顔を見れば分かる」

「こいつ――!」


 スキンヘッドが銃を構え、その銃口が私の眉間に向けられた。

 俗に言う絶体絶命という状態だが、如何せん私はこのような状況に陥り過ぎたせいか、感覚が麻痺して逆に気持ちが昂ぶってきてしまう。

(職業病かね、これは。まあいい)

 ドクンッ――と、もう制御出来そうにもない鼓動はコンマ一秒ほどに強まるのを感じる。きっと今頃、脳内には快楽を与える合法麻薬でも生成されているのだろう。


 高鳴る鼓動が血流を強める中、スキンヘッドがまさにトリガーを引こうとした瞬間――


 ――パァン!


 腰の横にあった私の右手から、マズルフラッシュと乾いた銃声が広場を駆け巡ったかと思うと、男が構えていた五一式手鎗が、内部から爆ぜるように粉々に吹き飛んだ。

 しかし私は何の動作もしていない。手を腰の横に添えていただけで。

 コートが風に吹かれたかのように、フワッと舞い上がっただけ。

 あたかもスキンヘッドの銃が、独りでに吹き飛んだかのように。


 ――という(・・・)ように見えただろう(・・・・・・・・・)、あちらの方々には。


「!?!!??」

 スキンヘッドは驚愕の表情でバラバラとなった銃を見下ろし、何が起こったのか分からないという風に固まってしまう。

 その間に私はグルッとその場で一回りし――パパパパパパッ! と無数のマズルフラッシュが左右の手元で炸裂すると、私とワトソンを囲うように立っていたスキンヘッドの仲間たちが持つ銃が、独りでに吹き飛んで冷たいコンクリートの地面に落ちていった。


 シリンダーを開け、クイッとひっくり返す。

 静寂とした広場に――チン、チチチチチチン、と七つの空薬莢(からやっきょう)が音を立てて私の足下に落ちてきた。


 時間経過は体感速度にして0・6秒ほど、といったところか。その間に、スキンヘッドとその仲間たちは銃を破壊されて、無力化されてしまったのだ。

 彼らはいきなり大破した自分の銃を見て、驚愕と戦慄、そして己の知識では解決出来ない正体不明の現象という、人間の恐怖観念を顕著に表したかのような表情をしている。

 例を挙げると、幽霊を見て怖がっている、そんな感じかね。あの顔は。

 そして私が銃弾をシリンダーへと丁寧に込め直していると


「な、何だ……!? 銃が勝手に……銃声は聞こえたのにッ」

 ハッと我に返ったスキンヘッドがやっとの思いというように声を絞り出す。

 その横で部下らしき若い男が、何かを思い出したのか絶望しきった顔をしてスキンヘッドの男に耳打ちをした。

「あ、兄貴! もしかしてこいつ……〝不可視の(ミステーロ)〟なんじゃ!?」


 聞こえているぞ、そこの男。耳打ちするならもう少し声を小さくしてくれ。その通り名はあまり好きでないのだから。

 だが今の見えない銃撃こそ――その通り名を作らせた要因であることは否定しないさ。


 私はある銃を使った、もはや人の目では反応出来ないほどの速度で早撃ちをする技を得意としている。 そのため、私がどんな銃を使っているのかすら、誰にも知られていない。

 視ることを許さず、銃声を感知した頃にはもう、相手は撃たれた後なのだから。

 現に今までこの技を使って、敵の死に際の一言が『い、今……何をされた?』が一番多いのでね。


「全く視えない早撃ちによる銃撃を得意とし、気付いた頃には撃たれているという、あのミステーロ!? な、何だってこんなところに!?」

「依頼。それと観光さ」

 私は手短に、彼らに返答した。

 勿論これは嘘だが、事務所の場所をやたらと知られたくないので。


「こ、こんなやつ相手にしてたら組織が潰れちまう! ズラかるぞ!」

 ズラ……ズラかい。

 スキンヘッドの男よ、それはギャグか何かかい? 隣でワトソンが腹を抱えてゲラゲラ笑ってしまったではないか。喧しい。腹でも蹴っておくか。


「アハハハハハハッ! ズラ……ズラって! スキンヘッドのお前が言ったらオブッ!?」

「喧しいよ。彼らならもう去ったぞ。私たちもさっさと事務所に帰ろう」

 私は足下に落ちた空薬莢を全て拾い、アタッシュケースを一つだけ持つと腹を抱えて、今度は涙目で腹部を抱えてうずくまるワトソンを置いて歩きだした。


「早くしたまえ。そんなところで寝ていては、ネズミに噛まれてペストに(かか)って死ぬよ」

「この……ミ、ミステーロめッ! い、いつか絞めてやるッ!」

 すぐに復活したワトソンは、一つだけポツンと置かれたアタッシュケースを引きずりながら、私の後を追って来るのだった。


 広場を後にした私たちは、もう何回目かも分からなくなるほどに右折左折を繰り返していた。隠匿性があるとはいえ、さすがにこれは入り組み過ぎだと私は思うよ。

 依頼や買出しで外出すると、この道のせいで行き帰りが本当に憂鬱となるのだから。


 ようやく最後である、あまり目立たない路地裏に左折し、アップダウンの激しいコンクリートで塗装された道なりを真っ直ぐ進んでいく。

 ここからは曲がることもなく真っ直ぐに歩けば辿り着くので、憂鬱も少しは晴れてくる。


 そんなことを考えていると、先を歩いていたワトソンがアタッシュケースを抱えたまま事務所の方を指差した。

「あれ? ミステーロ。事務所の前に誰かいるよ」

「……おや、本当だね」

 辺りに建つのは先ほどのレンガ調の建物ではなくコンクリート製の低いビルで、その中に溶け込むように建つ二階建てのオフィスビル(築二十五年で、買い手が見付からず格安で手に入れた。地下室もある)の前に、確かに誰かが立っていた。


 サングラスと黒い帽子と黒いスーツに身を包んだ全身真っ黒な細身の男が、私が経営している何でも屋〝グリージョ〟の前に立ち止まって、誰かいないかと二階の窓をひたすら見つめている。こんな路地裏ということもあり、まるで不審者のようにしか見えない。


 私とワトソンがわざと足音を鳴らして事務所に近付くと、男は弾かれたように此方へ顔を向け、安堵したのか口元を緩めて歩み寄ってきた。怪しい人間が近付いてきたとでも思ったらしい。


「は、初めまして! もしかして〝グリージョ〟のミステーロさんですか?」

「如何にも。依頼しに来たのかな?」

「えぇ。名はちょっと言えませんが、仮として〝M〟と名乗らせていただきます」

「コードネーム? おじさん何処かの組織にでも入ってるのー?」


 ワトソンがじっと〝M〟と名乗った男を睨み付けると、彼は少し怖気づいたように少し高い中性的な声でアハハ、と乾いた苦笑を浮かべて後ずさりをした。

「初対面の人間を脅かしてどうする」

 私はまた彼女の頭を小突き、同時に目配せ(・・・)をしておきながら彼女のアタッシュケースを預かりつつ事務所の鍵を開けて中に入り、二つのアタッシュケースと背中のカバンをデスクの裏に隠すように置く。ふう、一気に体が軽くなったな。


 以前に依頼主を装った強盗に入られ、全員に金目の代わりに銃弾をプレゼントしたことがあった。それを防ぐためワトソンには、準備が出来るまで見張り役を頼んでいるのだ。


「待たせたね。さあ、上がってくれたまえ」

 事務所――というよりは一般的な社長室に似た此処は一階部分で、中央にガラス製の長テーブルと黒い三人掛けのソファ、その後ろには食器が並ぶ棚と冷蔵庫があり、長テーブルの奥には、私が使う事務仕事用のデスクと大きな革で覆われたイスが鎮座している。その周りには写真や地図が、所狭しと貼り付けられているコルクボードとホワイトボードがいくつも置かれて、良くも悪くも散らかっているとしか言いようがない。


 ちなみに二階へは玄関を入ってすぐ左の階段を登るのだが、其処は私やワトソンの自室とシャワールームがある。一階は仕事用、二回は私生活用といった感じだ。


「お邪魔しますね」

 〝M〟が私に一礼してから、事務所へと足を踏み入れた。

 しかし、近年稀に見るほどに丁寧な男だな。

 事務所の中に入る前にお辞儀をしたときは、流石に驚いたよ。


「茶を入れよう。紅茶か緑茶、コーヒーの三種がある。どれがお好みかね」

 私がティーカップと湯飲みを〝M〟に見せると、彼は苦笑しながら首を横に振った。

「すみません。どれも苦手でして」


 本当に申し訳無さそうに頭を下げると、もう一度苦笑した。

 どれも苦手とは、何処までも珍しい男である。

 ティーカップと湯飲みを棚にしまい、今度はソファと長テーブルがある場所に〝M〟を案内する。菓子の一つでも出そうかと思ったが、おそらく同じ反応を返されそうだったので止めておいた。


「して、依頼とは何かね」

 〝M〟をソファに座らせ、私も長テーブルを挟んだ反対側のソファに腰を下ろす。

 ワトソンが帽子とサングラスを預かろうかと聞いたが、彼は『これが無いと人前で喋れなくて……』と丁重に彼女の申し出を断った。


「まず単刀直入に言いますと、私は依頼主ではありません」

「依頼主でない?」

「私はある御方からの手紙の内容を伝えに来ただけなので、詳しくは聞いておりません」

「てがみー?」


 これは遠距離依頼というケースだね。

 何らかの事情で外出できない人物が、代わりに使者を此方に寄越して依頼を申し込むというスタイルで、マフィアや国のトップなど、容易に出歩けない者が使う手段だ。


 電話をすれば? と思うかもしれないが、私やワトソンのような職業の者が電話を使うと、逆探知される可能性があるため、基本的に一般的な(・・・・)通信機器は持ち合わせていない。


「何だか面白そうな予感! ボクも参加したいなー」

「人数に制限などの儲けはありませんが、報酬がちょっと特殊で……」

 少し含んだような言い方をする〝M〟

 そこで私は、〝M〟という男から妙な気配を感じ取った。


 何だろうか。まるで何かを知っているようで、それを隠しているような……。

 しかし弱腰に見えてこの男、全く隙が無く探ることが出来ない。身元の一つでも吐かせようかと思っていたが、まるで攻め入るタイミングが掴めないのだ。


 仕方なく詮索することを諦め、ある御方という人物から預かったという手紙を聞く事にした。

「……では、手紙の内容を聞こうか」

「分かりました」

 〝M〟はスーツの内ポケットから慣れない手付きで茶色い封筒を手に取ると、中から白い紙を取り出した。

「では読みますね。えっと――」

 初の小説家になろう投稿作品です。何だか機能の意味が理解できず、見づらい可能性が大です。見づらい場合はお申し付けください。

 とはいえ、これでも試行錯誤の末に投稿したため、ここが見づらいですと言われても改善できない場合がありますので、どうか改善方法も付け加えて報告してくれるととても喜びます。

 批評等は喜んで受けますが、豆腐メンタルゆえ、悪い点や改善点の指摘では……なんて。

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