日上家当主焼死事件 2
「え、と……平坂さん、ですか? 助けるとは、一体どういうことで?」
床に広がるほど伸びた朱色の髪、明るい髪色とは対照的に、真っ白な細い腕。そこにアンバランスな荒縄と顔に施された目隠し。そんな処遇を、彼女は当たり前かのように受け入れている。僕はその姿に、さも何も感じていないように装った。
「言葉通りだよ、日上秋葉さん。君をこの家の呪縛から救いに来た。君が望もうと望まなかろうと、俺は身勝手な救済をする。それが平坂探偵事務所のモットーだからね」
「はぁ……探偵なのに、救済ですか」
「探偵っていうのはあくまで建前だからね。表向きの顔ってやつだよ」
昨今は霊感商法などに過敏で、そういったスピリチュアルな屋号は一般人の反感を買いやすい。看板を掲げる以上、世間様の顔は窺わなければならないのは、個人事業主の辛いところである。
「率直に聞こう、日上秋葉。君には日上家当主、日上宗一郎殺しの嫌疑がかけられている。その事実は、ご存じですか?」
「……えぇ。私が、殺しましたから」
「おいおい。そんなすぐに自白されちゃ、探偵の仕事が無いじゃないか」
「私はやっていないと、とぼけて欲しかったのですか? それは失礼しました。さっきのは嘘です。私、そんな怖いことには一切関係しておりませんの」
クスクスと笑いながら、少女はそんな言葉を吐いた。そこに彼女の意思は感じられない。犯人だと言われたから認めた。否定して欲しいと聞いたからそうした。13の少女にしては、あまりに物分かりが良すぎる。
「そうか。なら、犯人捜しをしないとな。そのためにも、君には捜査に協力してほしいんだが……どうだろう?」
「えぇ、構いません。私に出来ることなら、何なりと」
「ありがとう。ご協力、感謝します」
「────え?」
俺はそう言って、彼女の手を握った。両手で、彼女の右手に陶器でも扱うみたいに慎重に。なるほど。平均より体温が高いかもしれない。その感覚を、僕はすぐに消失した。
「駄目っ! 燃えちゃう!!!」
「おっと……! 失礼しました。レディーの手にいきなり触れるなんて、下品でしたね。ご不快な思いをさせて、申し訳ございません」
「え……? 貴方……平気、なの?」
「心配しなくとも、俺はあんな馬鹿馬鹿しい話、信じてはいないよ。ほら、現に何とも無い。触れただけで物が燃えるなんて、あるわけ無いんだから」
「で、でも……今までは、私のせいで燃えていたのに」
「そういったことを解き明かすのもまた、探偵の仕事だよ。そして、今確信した。やっぱり君は犯人じゃないよ、日上秋葉」
俺は目隠しのされたままの瞳を、ジッと見つめた。見えずとも、彼女には伝わっているだろう。駄目ならば、信じて貰えるまで粘るだけだが。
「…………信じても、良いのですか?」
「もちろん。そのための探偵ですから」
少女は躊躇いがちにその手を右往左往させて、不安そうにその身体を揺らしていた。本当はその手をもう一度握って、安心させてあげたい。だが、今はそうしてしまえば嘘がバレる。どうか、君の意思で選んでくれ。
「……お願い、します。どうか……どうか、犯人を見つけてください」
「私は……! お父様を、殺してなんていません……!!!」
「その言葉が、聞きたかった」
3
「初めは、一冊の絵本でした。お気に入りだった、お姫様が王子様に救われて、最後には結ばれる。そんなお話の絵本です。私はそれを、燃やしてしまいました」
「燃やす、というのはどういう風に? ライターか何かで火を点けたってこと?」
「違います。ただ私が握っていただけなのに、いきなり火が起こったのです。お父様はそれを、『神の恩寵』だと言っていました」
「それは幾つの時?」
「6歳の時です。その日から、私はこの場所へ送られました」
その火は絵本だけを燃やし、日上秋葉の手には火傷の一つも起こさなかったらしい。以来、少女の周囲ではボヤ騒ぎが相次いだ。
母屋の風呂場へ赴く際、庭からいきなり火が上がる。夜中、蔵から煙が溢れる。日上秋葉の生活は、そんな火災と常に隣り合わせだった。
「お布団に畳、本の類いを私は何度も燃やしています。私が見た物、触れた物は全てそうなるのです。これが呪いと言わず、なんと言えば良いのでしょう」
そしてこの蔵でも火災は幾度となく起こったが、日上秋葉は今まで火傷の類いを負ったことが無い。たとえ手の中で本が燃えようと、布団が原型を留めないほど燃え尽きようと、少女は煤の中で無傷だった。
「そして10歳の時です。私のお世話をしてくれたミツというお婆さんが、私の手に触れて重度の火傷を負いました。呪いの類いを信じぬ、朗らかなお人でした」
「……君は、そのミツさんが燃える瞬間を見たの?」
「私に触れた途端、目の前で。肉の焦げる臭い、喉の奥から出る絶叫、こちらを化け物でも見るみたいな眼。全部、覚えています」
そして少女と日上家の断裂は、決定的なものになった。誰も少女に触れようとせず、可能な限り関わらないようにした。そうして少女は、この場所に幽閉された。
「それでも、お父様だけは私をそのような眼で見ませんでした。私のことを日上の誇りだと、そんな風に言ってくれましたっけ」
「…………」
しかしそれは、少女にとって幸いでは無かった。むしろ、少女の心を蝕む呪いでしかなかった。
「お父様はいつも、私を見ていませんでした。お父様にとって大事なのは、私の中に巣くうこの呪いだけ。それは恐れられるより、もっと辛いことでした」
「……良く、頑張ったね」
「私はそれでも良かったのです。私は生きているだけで迷惑をかける存在ですから。お父様がこんな力でも喜んでくれるのなら、それで良いと思っていました」
そして、現在。そんなお父様は不審死を遂げることになる。ここまでくれば、日上の人間は彼女を疑う他ないだろう。呪いを信じる者にとっては、彼女に一番近い人間が死んだのだから。
「でも、君はお父さんが燃える瞬間を見ていないだろう? どうして、自分が殺しただなんてことを?」
日上宗一郎が発見されたのは、火縄神社の境内だという。彼女の力が働くのならば、ミツという老婆を燃やした時と同様に目の前で燃えないと説明がつかない。
「それは……だって、皆私のせいだって……」
「なら、やっぱり君は違うよ。それとも、君は本当にお父さんが死んでしまえば良いだなんてことを思っていたのかい?」
「そんなこと思ってない!!!」
「なら、君はやってない。君は犯人じゃないよ」
日上宗一郎の死に超常的な何かが関わっているのは確かだろう。しかし、その原因に日上秋葉が関係しているかは、また別の話だ。状況証拠だけで彼女を犯人を断ずるのは、それこそ愚行というものだ。
「うん、大体分かった。ありがとう、秋葉ちゃん」
「…………探偵さん。私は本当に、何もしていないのですか……?」
「何もしてない。もし、本当に呪いが存在して、それが周囲の存在を傷付けたとしても、それは君のせいじゃない。秋葉ちゃんは、悪くないよ」
「そうは、思えません……だって、私が生きてるから、こんなことに」
「秋葉ちゃん、良く聞いて」
今すぐ彼女を抱きしめて、小一時間秋葉ちゃんが生きていて良かったと熱弁したいところだが、今の俺ではこれ以上彼女に触れることは出来ない。
だから、この程度が限界だ。それでも、彼女の心が少しでも救われるのならば……俺は言葉を尽くしたいと思う。
「誰だって、生きているだけで迷惑を掛けるものだよ。それが子供なら尚更だ。君は13歳で、まだまだ子供だ。だから、生きているのが申し訳ないなんて、思わなくて良いんだよ」
「……それでも、やっぱり」
「でもじゃない。俺は何度だって言うよ。今回の事件も、これまでの騒ぎだって、秋葉ちゃんは何にも悪くない。君は、生きていて良いんだよ」
「…………」
ここいらが限度だろう。いい加減、この“両手”を誤魔化すのもしんどくなってきた。俺は俯く少女に背を向けて、最後に誓いを述べた。
「必ず、君をこの因習から救ってみせる。だからさ、胡散臭いだろうけど信じてよ。これでも俺は、今まで色んな事件を解決してきたんだ。今回もサクッと終わらせてみせるから」
そう言って俺は、蔵からお暇した。扉をきっちり閉め、もう彼女に外の音が聞こえなくなってから、俺は一息吐いて、その場に崩れ落ちた。
「っうぅうう……! あれは、ヤバいな……!」
俺は自分の両手を見た。その手は焼け爛れ、意識が飛びそうなほどの激痛を未だ与えていた。少女の瞳が塞がっていて本当に良かった。こんな光景を見せては、彼女の心にトドメを刺しかねない。
「……ご主人様。また無茶をなされたのですね」
「さとり……! マジで良いところに来た! ちょっと『奇跡』を分けてくれ!」
「はぁ……あまり無茶をしないでください。私、泣いてしまいますよ?」
少女はそう言って、へたり込む俺の顔に手を当てると、そのまま口づけをした。
ちゅ、ちゅっ、と軽く数回唇を重ねると、痛みが段々と和らいでいくのが分かった。荒い息のまま、俺は自らの両手を何度か握って確かめた。
先ほどのグロテスクな光景はもう存在していなかった。まるで、最初からそんな事実はなかったかのように、俺の手は元通りになっていた。相変わらず、さとりの『奇跡』は凄まじい。
「ご主人様のストックが全て打ち消されていました。分け身では、あちらの方が格上ということでしょう」
「さとりの『奇跡』がなきゃ、多分死んでたよアレは。ちょっと、舐めてたな」
「…………やはり、日上秋葉様を殺すのが手っ取り早いのでは? いくらご主人様に呪いへの耐性があるとはいえ、今回は厄介過ぎます。世の中、どうにもならないことはあるでしょう」
「かもな。でも、ごめん。俺は諦めが悪いんだ。無理だって言われると、俄然やる気が出てくるってもんだ」
秋葉ちゃんの精神を安定させるため嘘を吐いたが、彼女の力は本物だ。神話を再現しただけのことはある。この家の歴史と組み合わさって、とんでもない力へと昇華されていた。あれを見過ごすのは、俺の理念に反する。見過ごすことなど、出来る訳がない。
「まぁ、分かっていました。ご主人様ってロリコンですからね。秋葉様、随分と可愛らしかったようで」
「ばっ……! 違うからっ! そういう下心とか、一切ねぇから!」
「その反応がガチっぽいです。私だけに飽き足らず、また女の子を誑かすのですね」
「うっさいよ。本当にそんなんじゃないから。俺はただ、今まで普通に生きられなかった子に、少しでも幸せになって欲しいだけだって」
これはただの自己満足であり、自分の最終的な目的のためだ。そのためになら、俺はどれだけ危険な眼に遭おうと、この仕事を続ける。
「一旦母屋に戻ろう。この近くって、飯屋とかあるかな?」
「ご用意して頂けるようですよ。空いている客室も貸して頂けるそうです」
「おぉ、やった。じゃあそこで情報共有といこうか」
この世から全ての超常を消し去るその日まで、俺はあらゆる穢れに塗れても良い。
この身体が動かなくなるその時まで、俺は呪いを受け止める。それこそが、平坂凪瀬の生きる意味なのだから。




