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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

せかんどらいふっ♪

作者: 独蛇

──どうか、良き人生を。


 旅立つ魂に、転生を司る女神は言葉を送る。


──穏やかで幸せな日々を送れますように。


 女神は祈りを捧げ、その魂は新たな世界へと旅立っていった。


 そして、新たなる物語が幕を開ける。

「またお前か、ジョンっ!!」

「も、申し訳ありません!」

「いつもいつも同じ失敗ばかりしやがって! やる気あんのかてめぇは!?」

「も、申しわげぇっ!?」


 次の瞬間、強烈な一撃がジョンの左頬を襲った。

 元冒険者の店主が繰り出した一撃の威力は凄まじく……細身とはいえ、大の大人であるジョンを三回転させて壁に叩きつける程であった。


「ぐげぇっ!?」


 押し潰される間際のカエルの断末魔のような声をあげるジョン。

 激しい痛みが全身を駆け巡る。左の頬には殴られた痕跡がクッキリと残り、折れた歯が厨房の床に何本も転がり落ちた。

 口からは次々と血がこぼれ落ち、彼の顎を赤く染める。


 痛みに悶絶するジョンに対して、店主は容赦しない。


「いつまで寝っ転がってんだよお前は! モタモタしてねぇでサッサと仕事に戻れ!」

「は……はひぃ……!」


 店主が再び拳を握るのを見て、痛みより恐怖が上回ったジョン。彼は痛みに顔を顰めながら、再び山積みとなっている皿のもとへと戻っていく。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 と、そこに。厨房に一人の少女が慌てた様子で駆け込んできた。店主の怒声を聞いてやってきた彼女はすぐに事態を把握すると、ジョンへと駆け寄る。


「大丈夫ですか?」

「……いつも、すみません……」

「一緒に仕事をしている仲間なんですから、気にしないでください」


 恐縮するジョンに優しく微笑む少女。そして彼女は『翼』を彼の頬に当て、「ヒール」と呟いた。


「……っ」


 すると淡い光に包まれた頬が、みるみるうちに元に戻っていくではないか。

 彼女はさらにジョンの身体に触れ、同様の治療行為を続ける。その結果、彼を苦しめていた痛みは身体から綺麗サッパリなくなり、ジョンはすっかり元気を取り戻した。


「……ありがとう、ハレルナさん」

「いいえ。私の方こそ、これくらいの事しか出来なくて申し訳ないです……」


 店主に殴られる前の状態に戻ったジョンの様子を見て安堵した翼人の少女ハレルナは、「それじゃあ私、戻りますね」と二人に声をかけ、ラウンジへと戻っていく。


「あぁ、いつもすまねぇな」

「……マスター。すぐ手を出すのはやめた方がいいですよ?」

「わかったわかった。今度からは気を付けるよ」


 年下の少女からの注意を軽く受け流し、不満そうな顔でラウンジへと戻っていったハレルナを見送った店主は、ジロリとジョンを睨みつけると、言葉の代わりに顎で指示を出し、彼女の後を追うようにラウンジへと去っていった。


「はぁ……」


 独りになったジョンは店主の恐怖から解放された事に胸をなでおろし、けれど鬱々とした気持ちで皿洗いを再開するのであった。


 大衆酒場オアシス。

 元冒険者である店主が全財産の三分の一を使って開いた食堂兼酒場は、大通りに面しているだけあって街の人々だけでなく、冒険者や他所の街からの来訪者も足を運ぶ、この街の名店の一つであった。


 コンカンカン……カンコンコン……


 店内の喧騒から遠く離れた店の裏側で響く濁音。そこが、ジョンの仕事場であった。


「……っ」


 今度こそ失敗しないように慎重に皿洗いをするジョン。時々店内から聞こえてくる笑い声を聞く度に、悔しそうに、羨ましそうに、恨めしそうに顔を歪めるこの男。


 実は彼、前世の記憶を持っていた。


 ここではない別の世界で『サラリーマン』という職業に就いていた男は、三十歳で死ぬまでペコペコペコペコ頭を下げて生きていた。どのような死に方をしたのかは記憶にないが、気が付いたら彼は別人として、しかも前世でいう『ファンタジー』の世界で再び生を受けた。


 この世界には沢山の国家があり、多種多様な種族が存在している。


 彼らはある者はダンジョンに潜り、ある者は魔物の討伐に奔走し、またある者は戦場を駆けた。時に協力し、時に競い合い、命懸けで一日一日を生きていた。

 無骨な鎧を身に纏う戦士が。先端に宝石のついた杖を抱える魔術師が。弓矢を丹念に手入れする狩人が。そして、人ならざるモノを従えるサマナーやテイマーが。

 エルフが。ドワーフが。ホビットが。翼人や猫人、人狼といった獣人が。鬼人や竜人、魔族までもが街の中を闊歩し、言葉を交わし、感情をぶつけあい、飲食を共にし、肩を並べて生きている。


 テレビや漫画の中でしか見た事がなかった存在が、目の前で生き生きと動き回っている。


 その事実に、ジョンは興奮した。

 誰もが一度は夢を見る異世界への転生。けれど創作でしかないと思っていた事が自分の身に起きた事で、もしかしたら自分は『選ばれた存在』ではないかと喜んだのだ。


「はぁ……」


 だが、その喜びは長くは続かなかった。











「ん~……特に何もありませんね」


 意気揚々と向かった冒険者ギルドで鑑定してもらった結果、ジョンには何もなかった。

 戦闘の才能も、魔法の才能も、『ギフテッド』と呼ばれる特殊な能力も。彼が有するスキルは、この世界では誰もが持っている代物ばかりであった。


「嘘だ……」


 ジョンの受けた衝撃は計り知れない。


(……そうだ。何かの間違いだ。だって俺は、転生者なんだぞ……?)


 結果を受け入れられず、担当者に何度も再鑑定を訴えたが聞き入れられる事はなかった。それでもゴネにゴネた結果、彼は冒険者ギルドを追い出され、そのうえ出禁を言い渡されてしまった。

 呆然とするジョン。これが創作の世界であれば「どうしたんだ」と美少女や相棒枠の男性が声をかけてくれるのだろうが、実際には誰もジョンに声をかける者はいなかった。


「……なんだよ」


 失意に沈むジョンは、理解せざるをえなかった。


(……こんなの、ただの前世からの延長戦……ただ環境が変わっただけ……)


 自分は、創作の主人公にはなれないのだと。英雄譚を紡ぐ資格が無い、と。

 夢破れ、心が折れたジョンは虚ろに街を彷徨い歩き、気が付けばオアシスで皿洗いをしていたのであった。






 コンコン……カンカン……


(あと、もう少し……!)


 遠くから聞こえる店内の喧騒をBGMに、ジョンは皿を洗い続ける。


(もう少し……もう少しだ……!)


 周りはめまぐるしく変化しているようだが、ジョンは何も変わらない。ただ対岸から指を咥えて眺めているだけで、彼らと同じ世界を生きているというのに、同じモノを皆と共有する事が出来ずにいた。


 無論、ジョンも漫然と日々を過ごしていたわけではない。


 しかし残念な事に、彼は十を聞いても二しか出来ない凡愚であった。努力しても結果は実らず、指示通りに動いたつもりが間違いだらけ。何とか成果をだそうと行動するが、いつも空回ってばかりいた。


 そうなると、最初は手助けしてくれていた周囲の態度も変わっていく。


 何度教えても同じ間違いを繰り返す彼に愛想を尽かし、ジョンが失敗をする度に嫌味を言い、怒鳴り散らし、ついには暴力を振るうようになった。地獄のような日々に彼の心は疲弊し、早く解放されたいと願ってばかりいた。

 ならば自ら命を絶てばいい、と思うだろうが、彼は臆病風に吹かれ、その選択肢を選べずにいた。


 いつかやってくる死だけが、彼にとって唯一の希望であった。


(よし……あと五枚……!)


 皿も残り僅か。これでやっと終わる、とつい気を緩めてしまった。


 ──それがいけなかった。


「あっ!?」


 手に取った陶器の皿がスルリと滑り落ちていく。慌ててキャッチしようと急に動いた結果、運悪く洗い終わった皿の山に肘が当たってしまう。


 グラリ、と揺れる皿の山。


「あっ、や……!」


 そして彼が気付いた時には手遅れで……哀れ、彼の今までの努力は全て水の泡となって割れた。

 派手な音を立てて大量の皿が砕け散る。それはもう粉々に。きっかけとなった皿も結局割れてしまい、二兎失うどころか全てを失ってしまった。


 だからこそ、これは当然の帰結──


「またやりやがったな屑野郎!」

「ひいぃっ!?」


 皿の割れる音を聞きつけた店主が、鬼の形相で向かってくる。

 ジョンはただ、震えて裁きを待つ事しか出来ない。


 かくして、再び店内に聞こえる程の雷が落ちたのであった。











 楽しそうに娼館へと向かう屈強な冒険者たち。

 姦しく話をする買い物帰りの主婦たち。

 これから外食をしに行くのだろう。料理名を嬉しそうに連呼する我が子を優しく見守る夫婦。

 夕暮れ時でも活気ある大通り。行き交う人々の間をすり抜けるようにジョンは家路に着いていた。なけなしの給金で得た酒と、食料を持って。


(くそぅ……くそぉ……! なんで俺はこんなにダメなんだ……)


 あの後、店主から殴られ蹴られ罵声を浴びせられ、最後に片付けを命じられて全てが終わった頃には日が暮れようとしていた。割った皿の分を給金から差っ引かれ、手元に残ったのは僅かな銅貨のみ。とてもではないが貯蓄どころではなく、ハレルナがこっそり食料を分けてくれなかったら、今日も食事にありつく事は出来なかっただろう。

 ……とはいえ、原因は自分である。文句など言う資格はない。けれど働かせてもらえるだけありがたいと思わなければ、やっていられなかった。


(なんで俺は馬鹿なんだ……どうして上手く出来ないんだ……)


 何をやっても失敗ばかりする自分に嫌悪感が募る。

 ジョン自身、現状を変えたいという気持ちはある。しかしその為の能力も、知恵も、やる気もない。

 結局、今の生活から抜け出す事など不可能であった。


(生きる事の何が楽しいんだ……クソがっ!)


 ジョンは恨んだ。二度目の人生を。自分を転生させた何者かを。

 成り上がり? 玉の輿? ハーレム? スローライフ?

 ……そんなものは夢のまた夢。太陽が東からではなく西から昇るようなもの。

 今のジョンには、まったく、これっぽっちも縁のない世界であった。






 いよいよ日が沈み、世界が暗黒の帳に覆われ始める。星々の輝きによって辛うじて周囲が照らされているが、ジョンが進む先は、まるで己の人生のように暗闇に包まれていた。ここまで来ると辺りに人の気配はなく、時折吹く冷たい風がジョンの身を震わせる。


(速く帰って、明日に備えないと……)

「……ん?」


 ジョンの足が止まる。

 あともう少しで自宅に辿り着くというところで、違和感に気付いたからだ。


(誰か、いるのか……?)


 相変わらず目の前は真っ暗である。だが、確かにジョンは感じるのだ。

 その暗闇の中からジィッと自分を見つめる、何者かの気配を。


(勘弁してくれよ……!)


 この辺りの治安が良くない事はジョンも知っていたが、今の今まで巻き込まれた事がなかった故に、完全に油断していた。


「……ひヒ」


 闇が揺らめく。

 ユラリ、と闇の中から幽鬼の如く姿を現した男。薄汚れた格好からして浮浪者である事は間違いないが、彼の纏う異様な空気に思わずジョンは後退った。


「ひ、ひヒ……かねェ……クすリぃぃ……?」


 闇の住人に相応しい狂気に満ちた声。ジョンと体格は似ているが、彼よりも痩せ細った身体。大きく見開かれた両目だけがギラギラと輝き、キョロキョロと忙しなく視線を動かしている。

 そして、生気を感じない顔に浮かぶ歪な笑み。


「うっ……」


 さらにジョンの心胆を寒からしめたのは、眼前の異常者の手に刃物が握りしめられていたからだ。

 錆びついてはいるが、人を害するには十分なナイフを。


「う、ぁ……」


 前世ですら経験した事のない事態に、ジョンは動けずにいた。

 頭の中はパニックに陥り、逃げるという選択肢を選ぶ事が出来なかったのだ。


「ひヒ、ひぃ……」

「ひっ!」


 男が、一歩を踏み出した。

 視線はフラフラと、身体はユラユラと。まるで酔っぱらいのように右へ左へと揺れながら一歩、また一歩。ゆっくりとだが、しかし確実にジョンへと向かってきていた。

 対してジョンは動かない…………否、動けない。まるで地面と同化してしまったかのように足を、動かす事が出来ない。


 迫りくる恐怖が、ジョンを雁字搦めにしていたのだ。


「がネェ……カねぇ……」

「ひ……ぃ……!」


 ザッ、ザッ、ザッ……

 男は裸足だった。けれど何度小石を踏もうとも、男が痛がる様子はない。一心不乱にジョンを目指して歩き続けている。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……!


 逃げろと言わんばかりに心臓の鼓動が喚き叫ぶ。

 その間にも、狂人はドンドン距離を詰めてくる。


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……!


「はぁ……はぁ……!」

(なんで……なんで俺ばっかりがこんな目に遭うんだ!)


 ──どうして自分ばかりが辛く苦しい目に遭わなければならないのか!

 ──どうして自分だけ幸せになる事が出来ないんだ!


 どうして、どうして、どうしてと内なる声が騒ぎ立てる。それどころではないのだとジョンは言い返すのだが、そいつらはまったく聞く耳を持たない。


 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……!

 何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故……!

 ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン……!


「ヨこセぇ……カネぇ……よコせェ……!」

(うるさいうるさいうるさいうるさいっ!)


 涎を垂れ流し、ブツブツ何事かを呟きながら近付いてくる男。

 不平不満を喚き散らすだけで何もしようとしない心の声たち。


「カネェッ!」


 ついに、男の虚ろな眼差しがジョンを捉えた。殺意に蝕まれた瞳が獲物を見つけてギラリと輝きを増す。

 男が、ナイフを握りなおした。

 風船のように膨れ上がる、ジョンの内なる感情。


 そして──






 ドクンッ!!






「よぉコぉセェェェぇぇっ!!」

「うわああああぁぁぁぁぁっ!!!」


 男がナイフを突き出すのと、ジョンの恐怖と怒りが爆発したのは同時であった。


「ぐぅっ!?」


 頬の皮一枚を切り裂かれたものの、なんとか初撃を回避したジョン。しかし咄嗟に身体を動かした事でバランスを崩し、地面に倒れこんでしまう。


「つぅ…………はっ!?」


 痛みに顔を顰めたジョンであったが、襲撃者が彼に向ってナイフを振り下ろそうとする姿を見て顔を青褪めさせる。

 店主による『躾』がなければ、ジョンは今頃あの世に逝っていた事だろう。


「ひッ、ヒヒィッ!」

「うわあああぁっ!」


 男がナイフを振り下ろすよりも速く、ジョンは手に持っていた酒瓶を男の顔面へと投げつけた。


「ぐべぇっ!?」


 ゴンッ、という鈍い音を立てて酒瓶が敵の顔面を痛打する。その衝撃によって男は仰け反り、粗悪な瓶は砕け、中に入っていた安酒を全身に浴びる襲撃者。


「イたヒィィィ……メェェぇ……!」


 どうやら酒が目に入ったらしく、ゴシゴシと目を擦る男。

 チャンスだと、ジョンは思った。


「うおあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 怒りを力に変えて襲撃者に突撃するジョン。

 それからの彼は、無我夢中であった。

 手痛い反撃に悶える男にジョンは飛び掛かった。勿論、ナイフを奪う為だ。

 だが襲撃者も必死だ。酒が目に沁みて開けられない中、掴みかかってきたジョンに向って我武者羅にナイフを振り回す。


「クソ、くそ、クそ、くソぉッ!!」

「こっのぉ!」


 傷だらけになりながらもなんとかナイフを奪おうとするジョン。

 何度も殴られながらも、ナイフを動かす手を止めない男。

 一進一退の攻防の末、ついにジョンが男の、ナイフを持つ手首を掴んだ。


「ハなっセェぇェっ!」

「離すかこの野郎ぉ……っ!」


 二人は全力を振り絞って抗い続けた。

 グルグルとその場で回転したかと思えば、蹴りあっていた二人は互いに足を掬われ転倒。そのままゴロゴロと転がりながら路地裏へと消えていく。


 ──そして、











「うぐぅっ……!」



 何かを貫く鈍い音と呻き声が一瞬。それが決着の合図であった。

 先程の騒々しさが嘘のような静寂が訪れる。しかしよくよく耳を澄ませると、小さな呼吸音が聞こえる。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 路地裏に響く荒い息遣い。疲れ果てた男の視線の先には、地面に倒れ伏すもう一人の男がいた。


「ぅ……ぁ……」


 倒れ伏す男の腹には、ナイフが突き立てられていた。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン……!


 張り裂けるのではないかと心配になる程の心音が男の耳を打つ。

 彼はまだ、現実を受け入れられずにいた。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」

(……や、やっちまった……!)


 ドクンドクンドクンドクン、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……


 しかし、時の流れは残酷である。落ち着きを取り戻した男は、自分が何をしてしまったのかを理解した。

 人を刺す、という行為は男にとって初めての体験だった。


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクン、ドクン、ドクン……


(ひ、人を刺しちまった……!)


 身体が震える。たとえ相手が悪いとしても。自分の命を守る為だとしても。人を傷つけてしまった事に変わりはない。


(あぁ……くそっ!)


 もしもこの事が露見すれば、男の人生は間違いなく終わる。相手が襲ってきたのだと主張しても、証拠も証言もない以上通る事はないからだ。

 ただの人殺しとして一生塀の中か。または民衆への見せしめとガス抜きを兼ねて処刑されるか。

 暗い未来が頭を過り、男は……ジョンは顔を覆った。


(畜生……なんで……こんな……)


 今まで散々な目に遭ってきた。転生者なのに何の恩恵もない。ただ心と身体を磨り減らすだけの日々。同じ事を繰り返すだけの日常。

 それでも頑張って、頑張って耐え続けた結果が『コレ』だ。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……


 悲劇の主人公となったジョンは、大きく息を吐くと、倒れている男へと視線を向けた。


「……ぅ……うぅ……」


 男は、まだ生きていた。


「……タす、けテ……」


 男の虚ろな目が、ジョンを見ていた。血塗れの手を一生懸命伸ばして、男は、先程襲った相手であるはずのジョンに救いを求めていた。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……ドクン……ドクン……


「…………」


 ジョンは動かない。ただ、必死になって助けを乞う男の姿を見つめている。


「…………」


 ジョンは視線を落とした。そこには、震える手があった。男からナイフを奪い、男の腹に思いっきり突き刺した手が。その時の感触は、今でも残っている。


「…………」

「…………タス…………け、テ……」


 ジョンは男を見る。男は生きようと必死に手を伸ばしていた。けれど腹部を刺された影響だろうか。助けを求める声は徐々に弱く、途切れ途切れとなり衰弱する一方であった。このまま何も処置をしなければ、死ぬのは確実であった。


 ドクン……ドクン……ドクン……ドクン……


「…………」


 ジョンは、ゆっくりと男へと近付いていく。


「……ケ、て……」


 男の顔は土気色となっていた。それでも生きたいと、死にたくないと声を振り絞り命乞いをする男。維持するのも限界のはずなのに、それでも腕を伸ばし続ける男。


「……」

「……タス、ケテ……」


 そんな男の手を、ジョンはしっかりと握り返し、頷いてみせる。


 これで助かると、薄れゆく意識のなか男は喜んだ。

 自分は確かに、蜘蛛の糸を掴む事が出来たのだと。

 速く、速く教会へ連れて行ってくれ。声なき声で男は叫ぶ。男の声が聞こえたかのようにジョンは再び大きく頷くと、






 トクン






 ──もう一方の手で、男の腹から思いっきりナイフを引き抜いたのだった。






「が……ぁ……」


 男の目が見開かれる。彼の腹部から飛び散った血が、男とジョンを赤く染める。


「ぁ……ぁ……」


 何故。どうして。男の頭の中を疑問がグルグルと駆け回る。

 だって、おかしいじゃないかと男は心の中で訴える。

 ジョンは『わらっていた』のだ。男の顔を見て、嬉しそうに『わらっていた』のだ。だから、彼は自分を助けてくれるのだと、自分は助かるのだと男は本気で思っていた。


 だが、そうではなかった。


 何故。どうして。薬物と失血によって混濁している意識の中、男は疑問の答えを求めてジョンを見る。

 彼は今も『わらっていた』。それはとても、とても清々しい『えがお』だった。


「ぁ……」


 世界が遠のいていく。遠く、遠く、手の届かない空へと世界が飛んでいく。

 男の意識は落下していた。徐々に落下の速度は速くなり、比例して周囲を闇が塗り潰していく。男が落ちる先もまた、光の届かない暗黒が広がっていた。


 答えを得る事が出来なかった男は、疑問を抱えたまま底の見えない闇の中へと落ちていったのであった。






 ビクン、ビクン、と陸にあがった魚のように痙攣する男。そんな彼の最期を、ジョンは目を輝かせて見守っていた。


「……ふふ」


 ペロリと、ジョンは己の顔に付着した男の血液を舐める。

 血の味は、鉄の味だった。一見無意味とも思えるこの確認行動は、彼にとってはとても重要な事だった。


「……ふ、ひひ」


 身体の奥底から湧きあがる感情が、笑い声となって溢れだす。


「あっはははははははははははははははははははははははははは!!!」


 そして、男が死んだその瞬間。ジョンの『興奮』が最高潮に達した。

 腹を抱えて大声で笑うなど、前世でもない事だった。






「あ~……笑った。すっげぇ笑った」


 一頻り笑い転げた後、目に浮かぶ涙を拭ってジョンは男を、最早ただの肉の塊になったモノを見る。


「今度は良い人生でありますよ~に」


 自分がそうだったように、きっと男の魂も別の世界へと旅立ったのだとジョンは思い、「その世界では真っ当に生きてね」と先達としてエールを送ってあげた。


「……しっかし」


 愉快そうに死体を見下ろしていたジョンは呟く。


「人の命を奪うのって、こんなに楽しい事なんだな……そりゃあイジメなんてなくならない訳だ」


 ジョンはクツクツと笑う。悩んでいた算数の問題をようやく解く事が出来た小学生の時の気分だった。

 何故人は自分のような弱者を虐げるのか。これまではまったく理解出来なかった事柄であったが、ジョン自身が『体験』した事でその理由が解った。


 ペロリ、とジョンは再び血を舐めた。苦い味ではあったが、その苦さが彼の気分を高揚させる。


「なぁにが『人を殺す覚悟』だ……そんなの、自分たちだけが楽しむ為の方便じゃねぇか」


 人を害する事は悪い事だと前世で学び、彼はその通りに生きてきた。

 しかし、それは間違いだった。人を傷付ける事も、人を弄ぶ事も、命を奪う事も。本当は楽しくて気持ちのいい行為だったのだ。


『遊び』と称して人をイジメるのは、自身のストレス解消になるからだ。

『躾』と称して暴力を振るうのは、自分が上位の存在でいられるからだ。

『正義』を称して他人を追い込むのは、楽しくて仕方がないからだ。


 そんな彼らにとって、弱い人間が泣き、喚き、悶え苦しみ、赦しを乞う姿は滑稽で、噛めば噛む程味が増すお菓子のようなものだったのだ。


(それに、本能を止める事なんて誰にも出来ないんだよ)


 人間も動物の一種である。自分が生き残る為には弱い者を喰らうのは当然の事。それは自然の摂理であり、本能なのだ。


 自分に素直に生きる事こそが真理であると、ジョンは気付いたのだ。


「さぁ~てっとぉ……」


 ジョンは楽し気にこれからの事を考えていた。

 もう、指を咥えて眺めているだけだった無能者はいない。

 もう、搾取され続けていた弱者はいない。

 もう、未来に絶望し、終わりを願っていた負け犬はいない。

 ここにいるのは、この世界で生きる事を真に決意した男であった。


「血の跡を消してぇ……足跡を消してぇ……あぁ、酒瓶や食材もか」


 やる事が多いなぁ、と呟く男の表情は明るい。未来に明るい兆しを見出した男は強いのだ。


「ふっふっふふん、ふっふっふぅふ~」


 ジョンは鼻歌を歌いながら血や争った痕跡を砂で覆い隠し、酒瓶の欠片やグチャグチャになった食材を拾って証拠を隠滅する。清々しい気分で作業をする事の楽しさを知り、ジョンは喜色を深める。こんな気持ちで何かをする事なんて、彼はこれまで一度もなかったから感動もひとしおだ。


「よいしょっと……」


 やり残しがないか最終確認を済ませると、ジョンは息絶えた男を背負った。

 ジョンの心は弾みに弾んでいた。これまでは憂鬱だった未来を思い描く事が、今は楽しくて楽しくて仕方がないのだ。


「ふぅふっふぅ、ふふふふふふふ~ん」


 ジョンは鼻歌を歌いながら機嫌よく路地裏を出る。周囲に人の気配はない。


(あの『噂』は本当だったわけだ)


 店での話を思い出し、ジョンは人の目を気にせずに楽にこの区画を通る事が出来ると確信した。まるで神様が自分を助けてくれているような気がして、ジョンは笑みを浮かべた。


 そして、ゆっくりと一歩を踏み出す。


 ザッ、ザッ、ザッ、と歩く度に砂が音を立てる。

 歩く度に、聞き慣れた音を聞く度に。ジョンはこの地での生活を思い起こしていた。


 この地は、弱者にとっての最後の砦であった。

 貧乏人や世間に馴染めなかった奴、それに脛に傷を持つ輩といった今を生きる事しか出来ない連中にとって、放置されていたこの地は自分が生きていてもいいんだと思える唯一の居場所であった。

 先程までのジョンも、そのうちの一人であった。劣悪な環境ではあったが、紛れもなくジョンにとってこの地は故郷といえた。


 そして今夜、ジョンはこの地を発つ。新しい人生を始める為に。


「……行ってきます」


 自分の家がある方角に向けて別れの挨拶を済ませると、ジョンは死体を背負いなおして再び歩き始めた。

 そんな彼の目の前には、変わらず闇が広がっていた。その先に何があるのかいくら目を凝らしてもわからない程に分厚い暗幕が。かつてのジョンであれば、決して近付く事はなかっただろう。

 だが、生まれ変わったジョンは躊躇う事なく足を踏み入れた。闇の奥にも希望という名の光があると信じる事が出来るようになった彼に、迷いはなかった。


「ふっふ~んふぅふふっふぅ、ふっふ~んふぅふふっふぅ」


 まるでピクニックに行く前夜の子供のように楽しそうに。

 彼らの姿は、闇の中へと消えていったのだった。











 憲兵隊の屯所に凶報がもたらされたのは、翌朝の事だった。

 穏やかな空気を引き裂くように勢いよく戸を開けたのは、大量の汗を搔いた一人の男であった。

 ただならぬ様子の男に、隊長であるシモンズは見覚えがあった。


「どうしたウォーカー。また客同士の小競り合いでも起きたか?」


 そう軽い口調で尋ねてはいるが、シモンズの目は真剣であった。常ならぬ男の様子に、何か尋常でない事態が発生していると察しをつけていた。

 それを裏付けるかのように、ウォーカーという男は汗を拭う時間も惜しいとばかりに告げた。それは、悲痛な叫びであった。


「お、オヤジが……! ハレルナがっ! し……死んでいるんだっ!」

「なんだとっ!?」


 シモンズは驚愕するも、すぐさま隊員たちへ指示を飛ばす。


「オレットはほかの隊員たちに連絡を。ガント。マーベラ。お前たちは俺と現場に行くぞ!」

『了解!』

「ウォーカー。悪いが一緒に来てもらうぞ」

「あっ、あぁ……!」


 かくして準備を整えたシモンズたちは現場へと急行する。

 場所は大通りに面する大衆食堂兼酒場であるオアシス。そこはシモンズたちも通う、この街でも指折りの名店である。料理は美味しいし酒も旨い。それに夜には歌や踊りのショーが行われ、店の名前の通り、憩いの場として人々に親しまれていた。


「……扉が開いているな」


 オレットからの連絡を受けて駆けつけた他の隊員たちとも合流し、『準備中』と書かれた看板がぶらさがっている扉を見つめるシモンズ。彼はマーベラたちに裏口から入るように指示を出し、さらにウォーカーと護衛の隊員を残して、ガントたちと慎重に店内へと足を踏み入れた。


「うっ!」


 二階建ての広々とした店内の中央にある『モノ』を見て、シモンズたちは息を吞んだ。


 それはまさに、地獄絵図であった。


 いつもは客たちが飲食をする丸テーブルの上に、店主が仰向けになって死んでいた。四肢はロープで縛られており、その先はテーブルの脚に繋がれていて身動きが取れない状態であった。そんな状態の被害者を、犯人は何度も、何度も執拗に刺していた。店主に対して、相当な恨みを抱いている者の犯行とみて間違いなかった。


(……しかし、一体どうやって店主を拘束したんだ?)


 店主は元冒険者である。それも魔物を狩る事を専門とする『討伐者』だった。そんな屈強な相手を、犯人は如何にして拘束したのか。

 その答えは、すぐにわかった。


「……これか」


 店主の首や手足にはそれぞれ銀色の輪が嵌められていた。いずれの輪にも呪文が刻印されており、あとでウォーカーに聞いたところ、その輪には『無力化』の効果が付与されていて、この店の備品であるという。


「……店主」


 シモンズは無念そうに呟く。

 強面で短期で喧嘩っ早いところがあったが、話してみると実にノリがよく、いつも冒険者たちの話を聞いては楽しそうに豪快な笑い声をあげる漢であった。

 しかし、その死に顔にかつての面影は見当たらない。痛みに耐える為に歯を食いしばり、本来であれば青褪めたり土気色になっているはずの肌は真っ赤に染まったまま。鋭い眼差しは死ぬまで犯人を睨みつけていたのだろう。その顔はまさに、修羅の如き憤怒の形相であった。


「隊長っ!」


 顔馴染みの店主に哀悼の意を捧げていたところに、ガントの声が。シモンズは彼のいる方へと向かう。


 そこは小規模なステージであった。この舞台上で演奏家が音楽を奏で、吟遊詩人が物語を編み、踊り子が妖艶に舞い踊る。

 そんな彼らを見ながらの飲食は、なかなか楽しいひと時であった。


 しかし今そこにある『モノ』は、この舞台にはあってはならないものだった。


「……ハレルナ嬢だな」


 シモンズが呟く。当然、シモンズも彼女の事は知っている。いつも元気に動き回り、どんな客に対しても優しく、笑顔で接客をしていた少女だった。時折勘違いする輩がいたが、その度に店主や彼女のファンにボコボコにされていたのをシモンズは覚えている。

 そして、夜は歌手として楽しそうに歌っていた事も。将来は歌姫になるのだと、照れくさそうに話してくれた事もあった。


 ──その少女が、舞台の上で亡くなっていた。


「……隊長。俺、犯人の事、絶対に赦せないです……こんな……こんな事……」


 彼女の遺体を見てガックリと肩を落とすガントも、彼女のファンだった。


「……あぁ」


 シモンズも部下と同様の気持ちだった。

 彼女も店主と同様、悲惨な姿を晒していた。

 歌う事が大好きだった彼女の喉は無残にも切り裂かれ、さらに翼人にとって命と同じくらい大事な翼が根元から切り落とされていたのだ。


(……そういう事か)


 シモンズは犯人の残虐さに憤りを感じながらも、疑問の一つが氷解した。


(どうしてあの店主が大人しく拘束されたのか不思議だったが、彼女を人質にしていたのか……)


 そして、用済みとなったハレルナを殺害した。それも、残酷な方法で。


「悪魔のような奴だ……」

「隊長! こっちにも遺体がっ!」

「……わかった。すぐに行く」


 ガントたちにこの場を任せると、シモンズは声の方へと歩を進める。

 カウンター横の扉をくぐると、そこは厨房であった。すぐにマーベラと隊員たちの姿を見つけたシモンズはそちらへと歩み寄る。


 彼女たちの足元に、男が倒れていた。


「バーガスか」


 彼もここの従業員で、よく女性客にナンパしてはフラれていた。彼の自慢だった端正な顔は、現在はフラれた時以上に驚愕した様子で硬直していた。


「鈍器で殴打されたあと、心臓を一突きされたようですね」

「……これか」


 横たわるバーガスの傍に落ちている凶器──金槌と包丁──を見る。共に血がべったりとこびりついていた。

 シモンズはグルリと周囲を見回す。マーベラたちが突入した裏口とラウンジへと出られる出入口の他にもう一つ、扉があるのを見つけた。


「……あの扉は?」

「ウォーカーに聞いたところ、従業員の休憩室のようですね」

「……扉が少し開いているな」


 チラリと隊員たちを見るが、全員が首を振った。


「……確認するぞ」


 慎重に扉へと近付くシモンズたち。扉の隙間からソッと中を覗くと、机やソファが置かれていた。


 ──否、それだけではなかった。


「……足だ」


 机とソファの間の床に、わずかに見える靴のつま先。

 シモンズはマーベラを見た。


「どうだ?」

「『探知』をかけましたが、他に誰もいないようです」

「──よし、入るぞ」


 魔術師のマーベラの言葉を信じ、シモンズたちは中へと突入する。

 確かに、部屋には誰もいなかった。隙間から覗いた時にはわからなかったが、部屋の奥には机やソファの他に本棚や収納箱も置かれていた。


 そして──男が、死んでいた。


「……酷い有様だな」


 腹部を一突きされているその遺体は、元の顔がわからない程殴られていた。従業員の制服を着ているのでこの店の一員なのは間違いないだろうが、顔が潰されている所為でこの遺体が何者なのか、シモンズには見当がつかなかった。


「隊長! 応援が来ました!」

「……わかった」


 ──かくして、有名店で四人の人間が惨殺されるという事件は街を震撼させた。


 犯人は誰か?

 単独か、それとも複数か?

 金目的か、それとも怨恨か?

 そして今、そいつ、またはそいつらはどこにいるのか?


 人々は口々にああでもないこうでもないと考察し、やりすぎた結果無実の人間を犯人扱いするなど混沌としていた。




「……多分、ジョンだと思います」

「ジョン? そんな奴いたかな……?」

「隊長さんが知らないのも無理ないですよ。あいつ、不器用で頭も悪いから裏方しかやれる事がなくて……」

「……なるほど」


 街で事件の情報が錯綜する一方、憲兵隊による調査は慎重に行われていた。

 現在屯所では、第一発見者にして通報者であるウォーカーにシモンズが聴取を行っているところだった。時間が経った事で落ち着きを取り戻したようで、聴取には素直に応じてくれている。

 シモンズは続けた。


「犯人は金庫から金を盗み出しているようだが、鍵は店主が?」


 その後の捜査によって、店内の二階にある店主の部屋にあった金庫から金が盗まれている事が発覚した。


「えぇ、いつもオヤジさんが管理していました。それが一番安全でしたから……オヤジさん、売り上げが良かった時はよく奢ってくれたんです。いつも頑張ってくれてるからって……それなのに……なんで、こんな……」


 そう言って、涙ぐむウォーカー。シモンズも顔馴染みが亡くなって悲しいが、彼は憲兵である。役目を果たさなければならない。

 シモンズは、相手が落ち着くのを待った。


「……すみません」

「いや、こちらこそすまん……だが、我々はなんとしてもこの残虐な犯人を捕まえたいんだ。その為にも、協力してほしい」

「もちろんです」


 どんな些細な情報でも、今は欲しいというのがシモンズたちの気持ちであった。


「従業員は、君を含めて彼らで全員なのか?」

「いえ、あと六人います。基本は一日交替なんですけど、誰かが急用で出られなくなった時は代わりに出ていましたね」

「その六人にはあとで話を聞くとして……そうだな。他の者たちは知っているんだが、私はジョンという男については知らないんだ。彼はどんな人物だったんだ?」

「……さっきも言いましたが、ジョンは不器用だし、頭も悪いし、それにいつも人の顔色ばかり窺っていて会話も弾まないから皆とは距離がありましたね……あぁ、でも。ハレルナはよく話しかけたり食べ物や飲み物を渡していました」

「彼女とは恋人だったのか?」

「まさかっ! ありえませんよ、あんな奴となんて……いつも皿を割ってオヤジさんに怒られていた奴となんて、そんな……」


 ウォーカーの口ぶりから、ジョンがハレルナ以外には煙たがられていたのがわかった。

 シモンズはさらに尋ねる。


「そんな男を、あの店主がよく辞めさせなかったね?」

「あいつ、北区の人間ですから……ほら、そいつらを雇っていたら補助金が貰えるっている制度があるじゃないですか。その所為で辞めさせられなかったみたいです」

「なるほどな」


 そうしてさらに話を聞いてみると、北区の孤児院で育ったジョンには身寄りがなく、孤児院を出た後も同区内を拠点としていたという。


「北区か……」


 シモンズは溜息を吐いた。彼らにとって、曰くつきの土地だからだ。

 他の地区同様、北区にも開発計画は何度か持ち上がっていた。けれど上層部の予想以上に三区が発展を遂げた事で予算が足りなくなり、北区の予算を投入せざるをえなくなってしまった。その所為で開発は遅れに遅れ、やっと北区の開発に目処が立った時には既に浮浪者や犯罪者の巣窟となってしまっていたのだ。

 そして近く、シモンズたち憲兵隊と街の防衛隊の合同による一斉摘発が行われる予定であった。


「ジョンの過ごした孤児院はわかるか?」

「いや~……わかんないですね」

「それじゃあ、ファミリーネームはどうだ?」

「う~ん……」


 シモンズは何故かジョンの事が気になって仕方がなかった。


(だが、ジョンは既に死んでいる……)


 腹を刺され、原形を留めないくらい顔を殴打されて殺害されていたジョン。

 しかし、現時点で犯人の条件に合致しているのはジョンだけなのだ。


(いつも金に困っていて店主に恨みがあり、従業員だから被害者たちとは顔見知りだし店内にも詳しい……生きていたら、間違いなく犯人候補として追及されていただろうな)


 流れ者や他の顔見知りの可能性も検討されたが、必ずいずれかの条件に当てはまらなかった。完全に合致するのはジョンだけなのだが、何度も言うように、彼は既に死んでいる。


(……もしかして、何かを見落としているのか?)


 シモンズが考えを巡らせている間、ウォーカーも悩まし気に上を見たり下を見たり、首を横に振ってみたりと記憶を掘り返していた。

 そして、どうやら記憶の片隅に引っかかっていたらしい。パッと目を見開き、「そういえば」と彼は言った。


「確か……そう、『ドゥ』。ドゥって言っていました。初めて店に来た時、そう名乗っていました」

「……ジョン=ドゥ、か」


 ともかく、これで被害者全員の名前が判明した。大した事ではないかもしれないが、一歩前進したのは確かだ。


(必ず、犯人を捕まえてみせる……!)


 真実も犯人も未だ闇の中。しかし街の治安を守る者として。殺された者たちの無念を晴らす為。

 シモンズは事件の解決を誓うのだった。











「ふふぅふふふふぅふふふふふふ~」

「お客さん、何か良い事でもあったんですかい?」

「いや~……初めての旅だから楽しくて楽しくて」

「それはそれは……っと、失礼」


 御者は会話をやめ、手綱をしっかりと握りなおす。辛うじて馬車が一台通れる道に差し掛かったからだ。すぐ横は崖であり、落ちれば間違いなく命はない。

 緊張する御者とは反対に、乗客の男、ジョンは上機嫌だった。


(これから何をしようかな~)


 ジョンはこれからの事に思いを馳せる。


(金はたくさんあるし、まずは土地とか家とかを買うか借りるかして……それからぁ……)


 夢が膨らむ。未来を思い描くのが楽しくて仕方がない。

 頭上では、そんな彼を祝福するかのように太陽が燦然と輝いている。


(この世界には小説があるみたいだから、小説でも書くか……? いやいや、漫画を描いてみるのもいいかもしれないな……)


 今、彼の目の前にはいくつもの『道』が開いていた。その先では様々な自分が笑顔でジョンを待っている。

 その中には、諦めていたはずの『夢』も含まれていた。


(……そうだ。奴隷を買ってダンジョンに挑むのもいいかもしれない。腕が立って俺好みの雌奴隷とかいたら、やってみよう)


 笑みがこぼれる。これまで従うしかなかった人生が、押し付けられた事だけをこなすだけの毎日を送っていた自分が、これからは自分で進む道を選ぶ事が出来る。

 それもこれも、自分で行動した結果だ。


(これまでは辛い目に遭ってばかりだったけれど、これからは思いっきり人生を満喫するぞぉ~!)


 色々と失ってしまったが、ジョンは後悔していない。金があり、やる気があり、やりたい事がいっぱいあるので過去を振り返る暇などないのだ。


 ガタゴトと揺られながら、彼はもう一度外に目を向ける。

 山を登る度に近付く青空。きっとそこに──いや、さらにその向こうにいるであろう神に向って、ジョンは心の底から感謝の祈りを捧げた。


(ありがとう、神様! 転生させてくれて、本当にありがとう!)


 こうして、女神の祈りは叶った。少し歪んだ形ではあるが、彼は幸せを求め、自分の足で歩き始めたのだから。



 ジョンのこれからに幸あれ。

 そして、彼の『第二の人生』に………………乾杯。

数多の作品の中からこの作品を選んで読んでいただき、ありがとうございました。

この作品を読んで、皆さんがどういう思いを抱いたかはわかりません。

ただ、こんな作品もあるんだな、と思っていただければ幸いです。


最後に、これはあくまでもフィクション。創作。妄想の産物です。実在するものとは何も関係ありません。なので、過剰な誹謗中傷はお控えください。


改めて、今作品を読んでいただきありがとうございました。

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