第13話 怪物と鬼
――カシネ湖。
ユートラス南東部に位置する小規模の湖で、その澄み渡った湖水から"森の楽園"と名高い。実際、魔素が多量に含まれた湖水を求めて妖精や魔獣が集まってくるらしく、楽園の名に恥じぬ幻想的な場所だったという。
――しかし、楽園は一夜にして惨状を呈した。
――――――――――
バルファさんからの依頼を受けた翌日。
僕達はカシネ湖へと向かっていた。
鬱蒼と木々が生い茂る森の中。
薬草採取の時にも森に入ったので、この自然の青々しさは記憶に新しい。
「こんな森の中に、本当に湖なんてあるんですか……?」
小柄な体を懸命に動かし、草をかき分けて進むロミア。
その肩にはベルがしがみついている。
「バルファさんが嘘を言ってなければ、あるはずだぞ」
「でも、バルファさんって平気で嘘つきそうじゃないです?」
「…………いや?」
「何か今すごい間がありましたけど」
ロミアが訝しげに顔を覗いてきた。
――正直、ロミアの意見も理解できる。
バルファさんとの付き合いはごく短時間だが、あの人はどこか胡散臭い。
掴みどころがないというか……。
子供の様な無邪気さもあれば、冷酷な長としての側面も持っている。その極端な二面性が不信感を産むのだ。
「でも、嘘の依頼なんて面倒な事するか?」
「分かりませんよ。生意気な冒険者を誘き出して、サクッと始末するつもりなのかも」
「生意気だったのはロミアだけだろ。僕は違う」
「そりゃ連帯責任ですよ。私達、同じパーティーなんですから」
「今日をもってパーティーは解散だ」
「やだああ! 見捨てないでぇ!!」
そんなふざけたやり取りをしながら、森の中を進む。
奥へ行くにつれて、段々と異様な雰囲気が漂ってきた。
「……そういえば、調査をお願いされた理由って、湖周辺の魔素濃度が急に上がったからでしたよね?」
「ああ。数週間前にギルドの諜報部が異常な値を観測したって言ってたな」
元来、カシネ湖周辺は魔素濃度の高い地域だった。
しかしながら最近になって、その値が急激に上昇したという。
魔素濃度が極端に高くなると強力な魔物が発生しやすくなる。生まれた強個体は他の魔物達を食い荒らし、生態系を崩壊させてしまう。
故に、そうなる前に異常の原因を探り、問題を解決する。
その為に僕達がやって来たのだ。
そう。やって来たのだが……。
「全然見つからないな……」
森に入ってからかれこれ数時間。
僕達は一向に湖を見つけられないでいた。
「周りの魔素はどんどん濃くなってきてはいるんですけどねぇ……」
ロミアは術杖を文字通り杖にして休憩している。
カシネ湖を中心として辺り一帯の魔素濃度が高くなっている為、より濃度の高い方へ行けば辿り着けると思っていたのだが……。
どうやらそう簡単にはいかないらしい。
さて、どうしたものか。
『主様、少しよろしいでしょうか』
頭を悩ませていると、エイルの声が響いた。
どうした? 何かあったか?
『周辺に【人払い】が使用されています。理由は分かりませんが、何者かが意図してカシネ湖への道を封じているのかと』
【人払い】?
こんな森の中で?
『はい。魔素濃度のせいで判別はしづらいですが、確かに魔術の痕跡が残っています』
言われて、周囲を見渡してみる。
しかし目に映るのはひしめき合うように生える樹木のみ。
痕跡って……エイル、お前には一体何が見えてるんだ?
『主様にはまだ見えませんか…………ですがご安心を。主様の眼ならば、いずれ全て見えるようになります』
過度な慰めをエイルが述べる。
出来損ないの主を励ます従者の図がそこにはあった。
『七つの断章』の主として実に不甲斐ない。
だが、今は落ち込んでいる場合じゃなかった。
……【人払い】。
昔、師匠が対処法を教えてくれたな。
『――【隠密行動】や【人払い】には【抵抗魔術】を使うといい。何かを隠す魔術はイメージが難しいから、綻びやすい』
そう言っておきながら、ガチガチに術式を固めた【隠密行動】で僕の【抵抗魔術】を無効化していたのを覚えている。
魔術はイメージの世界。
より強固にイメージを構築できた魔術師が勝つのだ。
「ロミア、【抵抗魔術】は使えるか?」
「もちろん。私に使えない魔術なんてありませんよ」
「大きく出たな」
「だって私には『魔術記憶庫』があるので!」
えっへん、とささやかな胸を張るロミア。
「魔術協会に捕まってた時、色んな魔導書を読まされたんです。今思えばあれも実験だったんでしょうけど、おかげでどんな魔術でも使えますよ」
そう語るロミアは自身満々だった。
思えば、前に魔導具屋のテオさんが『魔術記憶庫』は魔法だと分析していたか。
魔法とは、魔術の最奥に辿り着いた者へ贈られる神秘。
魔術の行使によって得られる結果は、人がイメージできる範囲に留まる。
だが、魔法は違う。
それは人の想像を遥かに超える結果を齎す。
あらゆる魔術を見ただけで記憶し、それを行使できる。
そんな無法も通してしまう代物が魔法だ。
「えーっと、【抵抗魔術】!」
魔術師らしく術杖を振るうロミア。
すると木々が揺れ始め、森全体が騒々しくざわめきだし――今まで隠されていた獣道が姿を現した。
「ゼーレさん、この道って……!」
「きっと、カシネ湖に続く道だな」
獣道を進んでいった先に湖はあった。
しかしながら、そこに広がっていたのは噂に聞く"楽園"ではなく、真っ赤に染まった禍々しい湖面だった。
「何だよ、これ……」
思わず声が漏れる。
隣のロミアも、その目を見開いてこの惨状を見つめている。
視線を少しずらすと、枯れ果てた草木が目に入った。
以前はここも緑で溢れていたのだろうが、魔素濃度が極端に高まったせいで枯れてしまっているようだ。
「水が赤いのって血ですかね……?」
「多分そう、だな……。魔物とか動物の血なのか……?」
「そういえば、ここに来るまで全く見かけませんでしたね。もしかしてこれが理由なんでしょうか?」
ロミアの言う通り、道中では魔物はおろか動物さえも見ていない。
この湖全体を赤く染めるには大量の血が必要だ。
どれだけの数を殺せばこんな事に……。
それは想像するだけでも恐ろしく、悍ましい。
「――何者だ?」
凛とした声が響いた。
突然聞こえた声に、二人揃って振り返る。
「……っ!」
まさかの邂逅に僕は驚いた。
立っていたのは長髪を一つに束ねた女剣士。
異国めいた服装を纏い、反りのある細身の剣――"刀"を腰に携えている。
そして何より特徴的なのが額から伸びる二本の角。
昔、師匠の本棚にあった種族図鑑で見た事がある。
大陸の東側に位置するヒデリと呼ばれる島国に住み、独自の文化を築いているという種族――"鬼人族"。
エルフやドワーフと同じ亜人族に分類されてはいるが、大陸の人間領においては珍しい存在だ。
そんな鬼人族がどうしてこんな森の奥に?
「ここへ至る道はウィル爺が隠していたはず。どうやってここまで……、まさかあの女の仲間か?」
鬼人の少女がキッ、とこちらを睨みつける。
「何か、勘違いされてません……?」
「あの! 僕達はギルドから来た冒険者で、カシネ湖の調査に来ただけなんですけど……」
「冒険者? なら、やはり仲間か……!」
「え、いや――」
ゆらり、鬼人の身体が揺れて。
少女は問答無用で斬りかかってきた。
普通の人間なら認識できない程の移動速度。かろうじて反応できたのは、きっと自律人形との訓練があったからだろう。
ロミアを抱え、倒れ込むようにして回避する。
そしてすぐに態勢を整え、『七つの断章』を起動。
湖の乙女の投影によって出現した剣を握り、構えた。
「我が名はナナセ! 一宿一飯の恩義に報いるべく、悪滅を執行する……!」
刀の切先をこちらに向け、少女は名乗りを上げた。
話を聞かないくせに自語りはする。
これが鬼人族の作法なのか……?
そんな事を考えつつも、相手への警戒は怠らない。
「……僕が前に出る。ロミアは後ろから支援を頼む」
「了解です……!」
互いの間に緊張が走り、空気が張り詰める。
一触即発となったその瞬間――。
「グオオオオォォォ!!」
新たな乱入者の声を聞いた。
いや、声というよりもこれは絶叫じみた咆哮だ。
大気がビリビリと震える。
「ゼーレさん、あれ!」
「おいおい……今度は何だよ!?」
激しい水音。
赤い湖から怪物が這い出てきた。
血と骨だけで出来上がったその体躯は、前に戦ったゴブリンキングの大きさを優に超えている。
「斯様な化物まで用意していたとはな。一体、何の恨みがあってこんな事を……!」
ナナセが僕達に向かって怒りを露わにする。
「今はそんな事言ってる場合じゃ――」
僕が言い終わるより先にナナセの姿が消えた。
怪物がその前足で彼女を弾き飛ばした――そう理解するのに数秒かかった。
巨躯に見合わない俊敏さ。
――もはや言うまでもない。
僕達は間に合わなかった。
生まれてしまったんだ、新たな魔物が。
生態系を崩壊させる怪物が今、目を覚ました。




