「スターメイカー」への幻想
これはオラフ・ステープルドンの小説「スターメイカー」を読んで感想文のような気持ちで書いた小説です。
「宇宙の中で知的生命の存在することの悩み」について自分なりの今現在の回答を盛っています。
私は目を覚ました。
目を開けると満天の星空が広がっている。
草地に横たわる私をつぶれたウマゴヤシの匂いが包んでいた。
人間の肉体と精神の感覚を徐々に取り戻した。
私は限定された視点にとまどい虚脱状態だった。
私は壮大なヴィジョンを得た。
それは宇宙を進む精神のめくるめくような旅だった。
さまざまな形態の知的生命とその運命を見た。
また宇宙そのものの行く末さえ視野に入れたのである。
そして私は完全に打ちひしがれた。
あの壮大な精神の旅の行き着く果てで待っていたのは超越者スターメイカーの冷たい拒絶だったからである。
私はこの地球の緑の丘から空間と時間を越えて宇宙を進んだ精神の旅を振り返った。
*****
職場と家庭の間にある丘の上に腰を降ろして私は星を眺めていた。
戦乱の予感と縮小しつつある自由世界の暗い見通しに怯えた。
権威の破壊と自由放縦がもたらす人間の動物化を恐れた。
人類の歴史が結局このような悲惨な人間性に行きつく事が悲しかった。
そして壮麗に冷徹に輝く星々はあまりにも遠く、人間は宇宙において無意味な孤立無援の存在であるように思われた。
それでも私は宇宙の存在を感じていたのである。
気がつくと私は宇宙空間を意識だけの存在として漂っていた。
地球は視野の中にはなく絶望的に遠くあるものと思われた。
私は精神の集中により知的生命の存在する近くの星へ私の意識を移動させることができた。
その星の知的生命は人類とは違う進化と形態を持っていたが、それでも二足歩行で腕が一対あり人類に比較的似ていると言えないこともなかった。
知的生命体の頭脳に憑依するようなやり方で私は彼らを観察した。
彼らは人類と違ったように優しく残酷で独特の社会と科学を築き上げていた。
私は彼らの中のとりわけ優れた知性を持った個体と知り合いコミュニケーションを取って友達になった。
やがて新たに得た友達と私はその星を離れ違う星へと旅をした。
私たちが廻った様々な星の知的生命体は驚くほど多様だった。
彼ら知的生命には興味と愛情が尽きないのであるがここではその詳細を省く。
彼らの中のいくつかとは意思の疎通を図ることができ仲間にさえなるものもいた。
我々は精神の集合体として宇宙を移動していった。
空間と時間の両方について信じがたいスケールの活動であった。
そして最後にスターメイカーにたどりついたのである。
激しく混乱した印象しか残っていないのだが、それは我々を大きく超越するものだった。
理解を絶するもの、冷ややかな拒絶、完全な傍観。
そんな宇宙の創造者に私は絶望したのである。
*****
しかし、ここでめまいのような視野のゆらめき、空間がねじれるような奇妙な感覚を覚えた。
それは東洋の知者が「悟り」と言うだろう言語や論理を超越した飛躍であった。
言語化しようとすると零れ落ちてしまう概念。
混乱した不正確なものにしかならないだろうが、とりあえず説明を試みる。
あれは未来ではなく過去に起きた事だったのだ。
宇宙の終わりではなく新しい宇宙の創成であり、あの超越者は宇宙を旅してきた精神集合体そのものだったのである。
そして新しく生まれた宇宙の最初の意識の萌芽が見たのがその精神集合体「我々」だったのである。
あまりにも拙い認識力は「我々」を理解を絶したものと感じ取った。
あまりに巨大すぎて無関心な拒絶としか認識できなかったのである。
そして新しい宇宙の精神は様々な星、様々な生命を進化させた。
地球人類もひとつの到達点であった。
言うなれば私の意識は二周目。
あの宇宙の旅のカタストロフを越えた未来にあるのである。
振り出しに戻ったのではなく、振り出しとあまりにも良く似た別のマスに進んだのである。
らせん状に山をのぼっていく山岳鉄道があるが、同じところに戻ったように見えて実はより高いところに上っているのである。
宇宙の意識、知性は進化し新しい宇宙を生み出し未来へとつないでいく。
複数の宇宙の構造はあまりに巨大であり、その進んでいく目的や方向性についてうまく説明することはできない。
あるいはこれも始めも終わりもない複雑によじれ絡み合う一本の糸なのかも知れない。
直線的な進化と合目的運動とはまったく違った動きであり構造であるのかも知れなかった。
ともあれ宇宙の歴史は多くの宇宙の長い長い連関だったのだ。
多細胞生物が卵や胚として子孫を残すように。
生物が新しい生物を生んで生命を繋いでいくように。
ひとつの個体の死が種全体の死を意味しないように、ひとつの宇宙の死もまた宇宙が複合して成す存在の終わりを意味していないのだろう。
「宇宙を支配するものは恐怖か愛か」その命題が旅の中で重要なものだったが、それは愛でしかあり得ない。
我々、知性をもつもの、認識するものは、孤立し見捨てられたあだ花ではない。
すべてが繋がっている。
いかに貧しく小さなものであってもそれは全体をなすものの部分であり、宇宙進化の道程の一部なのである。
うまく言葉にできない。
混乱した言葉の羅列にしかならないが、全体的なイメージをできるだけまとめてみたつもりだ。
いや、一瞬垣間見たヴィジョンをもう失いかけているのだろう。
そもそもまったくの間違った理解だったのかもしれない。
結局はすべて手前勝手な混乱した夢だったのかも知れないのである。
しかし「宇宙を支配するのは愛である」「われわれは孤児ではない」その直感は忘れないでいようと思った。
それはあの宇宙を突き進み真理を求めた宇宙の精神共同体の仲間とともに求めて止まなかった問題の端的な回答だったからである。
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私は立ち上がり家路につく。
あの小さな暖かな家の灯りへ帰ろう。
人間の中に戻って行かなければ、そう思った。
そして新たに得た直感は、冷笑的な破壊者がいかに強大であろうと、我々には戦って守るに足る価値があることをも示していた。
たとえ虚無的な権力が我々を支配し破壊しようとしても、その支配と破壊の瞬間においてさえ、我々の本質的な存在の意味を奪うことはできないのだ。
私の歩みは小さく遅々としていたが確かだった。
過去と未来を通じた宇宙の連関の中で私は存在している。
この宇宙を宇宙たらしめるために私は存在している。
私の頭上に煌めく星々はもう決して恐怖ではなかったのである。
(終)
オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」は壮大なビジョンの書として中学生の頃から憧れでした。
大学生になってから浜口稔先生の邦訳を読みましたが面白いところもあったものの難解でした。
特に超越者スターメイカーについては神の錯綜した概念のように思われ酷く混乱したまま読み終わりました。
何年もかけて何度か繰り返し読んで、ようやく文章化できたのがこの小説です。
まったくの誤読かもしれないしステープルドンの意図と違う物理学と哲学の概念を無理やりねじ込んでいるのかも知れません。
しかし2020年代にあってステープルドンの「スターメイカー」を読む意味を自分なりに考えた結果です。