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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

番の鎖 ルートB

作者: HAL


2つで1つの、リンクするストーリーです。

キーワードをご確認下さい。

こちらから読むのをおすすめしますが、鬱展開があるので、心の弱い方はルートHから読むと安心できます。

辛くなったら無理せずブラウザを閉じるか、ルートHへ。


※ 感想欄は閉じませんが、ネガティブな発言は他に目をした方に不快感を与えかねないので、そういった感想は個人宛にお願いします。



「召喚は成功しました!!」


 わぁ、っと上がる歓声に囲まれる一人の少女。

 青みがかった銀色の、腰まで届く長い髪と、吸い込まれそうなほど見開かれた青い大きな瞳。陽を浴びたことの無いような白い肌に、紅を挿した薄い唇。年の頃は成人前の十八前後だろうか。白い簡素な身なりだが、上等な布で作られているのがわかる衣服を身を纏っていた。

 少女は状況が把握できず青褪めた顔で辺りを見渡している。

 美しい、とただそう思った。

 青年はそんな怯える彼女に優しく声をかけて安心させてやりたかったが、横に立つ男のせいで出来なかった。何故なら彼女は。


「ようこそ聖女―――我が(はなよめ)


 弟の為に喚ばれた彼の『番』だったから。








「何?言葉が通じないだと?」

「はい。言語通訳の術も効かず、意思疎通が難しく…」


 プラチナブロンドの如何にも王子らしい髪に翠の瞳の青年は、不機嫌さを隠そうともせずチッと舌打ちした。

 フリッツ・フォン・ロマリオ。

 ロマリオ王国の王太子である彼は、気分屋で、面倒事はすぐ他人に任せる質の人間だった。

 思い通りにならない事は我慢ならず、怒声を浴びせて責を取らせる。そんな暴君さながらの彼に進言する者がいないのは、この国が腐りかけているだけでなく、彼が唯一の『正統な』王位継承者だからに他ならない。

 本来ならこのような人間は煽てて傀儡の王に据え置き実権を握られる未来しかないのだが、フリッツには大変優秀な兄が補佐として仕えていたので、王太子の座に付いていられた。


「式まで半年ある。その間に覚えさせろ。おい、ブロード」

「はい」

「お前がやれ。出来るだろう?何せ―――お前の番(・・・・)なんだからな」

「……承知しました」



 フリッツの1才年上の兄、ブロード・エル・ロマリオ。

 金髪碧眼の美男子―――弟より整った容姿を持ち、更に聡明だと評価が高いロマリオ王国第一王子の彼は、王太子であるフリッツの命令に異を唱える事なく俯いたままそう答える。

 自分の『番』にも関わらず弟に奪われ、更に教育まで任せられても表情ひとつ変えない兄が面白くないのか、フリッツは命令だけすると執務室から出て行き、残されたブロードはドアが閉まるまで頭を下げ続けていた。




 元々、この国の王は『聖女』を妻とする慣わしがある。

 建国時の王の后が聖女だった事に習っての慣習であり、悪習でもあった。何故なら、聖女といっても本人の意思を無視して召喚された、異なる世界の人間であるのだから。紛うことなき『拉致』である。

 そんな悪習が何故続いているのかといえば、召喚された女性―――聖女といわれる彼女達が、王族の『番』だったからだ。番同士、心を通わせれば絆され、愛し合う。この悪習が廃れることなく続いていたのは、このような理由からだった。


 この国では王族の中でも特に強い魔力を持つものが王となる習わしがある。そしてその妻は異界から召喚された聖女。彼女らの魔力が高い事もあって、王族はその高い魔力を血脈に残し続け、その強大な魔力によって国を維持していた。

 それは聖女達の犠牲の上に成り立つ平和であったが、愛、という鎖に縛られた二人はそれに気付かない。この度問題になったのは、召喚された聖女が第二王子(おうたいし)の番ではなく、彼の兄、第一王子の番という悲劇(こと)だった。


 本来、聖女の番が王となるところを、王太子決定後に召喚を行った故の事なので、王太子の挿げ替えをしなければならない。しかし、フリッツは自分は兄と違い正統な(・・・)王位継承者であると譲らなかった。

 何故ならブロードは、21年前、現王が番を得る前に別の女性に産ませた子だったからだ。


 王太子―――次代の王を選定する番喚びの儀式を行う前の婚姻は禁止されている。だが、従来、性別に関係なくほぼ初子が選ばれていたので認識が甘くなっていたのだろう、第三王子だった現王は婚約者に内定していた女性を身籠らせてしまう。自分が選ばれるはずがないと思っていたのが、その後行われた選定の儀式で聖女の番となる王太子に選ばれてしまった。

 彼女を愛しているから、と、儀式前にその女性と婚姻したにも関わらず、聖女に惹かれ、かつての愛は幻のように消えてしまった。側妃となるしかなかった女性は、それでも産まれた子供を愛した。王となった彼から寵愛が失われても、恨み言を言うこともなく。

 しかし、正妃である聖女は苛烈な女だった。

 王の愛が己にしか向いていないと分かっていても、捨てられた母子をそのまま側に置くのが許せなかったのだ。陰湿な嫌がらせだけでは済まず、終にはブロードを殺そうと手を出す王妃に、王の愛を持たぬ側妃が対抗する術など無い。

 

「私の命をもって、この子に手を出す事を終わりにしていただきたい」


 側妃は鬼気迫る勢いで王妃に馬乗りとなり、自分の首を躊躇いなく掻っ切った。王妃は、吹き出し、溢れ流れる血に金切声を上げ叫んだが、身体の上にいる側妃を押しのける事も出来ず、恐怖のあまり失神した。

 現場に辿り着き、血まみれになった己の二人の妻と、無言で立ち尽くす幼い息子の姿を見て初めて王は、自分の犯した過ちを悔いた。すまなかったと膝をついて謝罪する父親に、泣くことも罵ることもなくブロードは言った。


「弔って、あげたいのです。母を」

 

 絞り出すような少年の声に『あ、ああ』と何とかそう言った王は周囲へ丁寧な指示を出す。


 側妃の件は表向きには病死とされた。

 だが、嫉妬に狂い、側妃に手を出した王妃は、人と接する事がトラウマとなり、公務も出来ず子供すら寄せ付けずに部屋に籠もりきりの生活となる。


 愚鈍な王と愚かな聖女。

 王と王妃はこの時よりそう評価される。

 しかし、王はここでもまた判断を誤った。

 この事件を第二王子に伝えなかったのだ。

 こうして王と王妃の正しく(・・・)第一子である自分が王となる事を疑わない傲慢な王子(フリッツ)が出来上がる。

 その後周囲の反対を押し切り、王太子となったフリッツは慣例通りに聖女を召喚した。不安に怯える彼女に優しく、優しく言い聞かせる(・・・・・・)。お前は自分の花嫁になる為にここへ呼ばれたのだと。その幸運に感謝し、自分に尽くせ、と。

 だが、少女は己に伸ばされるフリッツの手を払い除け、その場から逃走を図ろうとする。すぐ捕縛されたが、プライドを傷付けられ激怒したフリッツは、あろうことか、抜刀した剣を彼女に向けた。だがそこに立ち塞がったのは。


「…っ、お前…っ」

「フリッツ様、聖女を傷付けてはなりません。貴方の伴侶となるお方なのですよ」


 少女を庇い、ブロードが前に立つ。

 フリッツとて、本気で彼女を斬りつけるつもりは無かった。   

 しかし、母に似た苛烈な性格と、溺愛されねじ曲がった性根からすぐに癇癪を起こす彼は、伴侶となる女に拒絶された上に兄に行動を諭された事でプライドが傷付いたのだろう、『煩いっ!』と吐き捨てるように叫ぶと、その場を去った。

 ブロードは残された者達に適切な指示を出すと、床に座り込む少女の前に膝を付き、胸に手を当てて騎士の礼を取る。


「私の言葉がわかりますか?」

「ーーーっ、ーー?」


 必要以上に近付いて来ないブロードに警戒心が緩んだのか、少女は短い単語をポツリポツリと話し出す。だが、彼女が発する言葉はこの世界では意味を成さなかった。

 試しに異種族との交渉で用いられる対話の魔術を使ってみるが効果はなく、少女の瞳に不安の色が濃くなる。


「大丈夫ですよ。私の名は、ブロード―――騎士です」


 指を自身に向け、ゆっくりと一言ずつ名を教える。


「ぶ、ろ…お……ど……ぶろ、ど」

「はい、姫様」

「ぶろーど。……へるしゃ」


 ブロードを指し、そして己に指を向けて少女は言った。

 名を教えてくれたのだろう。突然異世界へと召喚され、言葉も通じない中で剣を向けられ恐ろしい目にあったというのに。礼を尽くせば彼女も礼で返してくれたはずを、あの王太子ときたら、と心の中で愚痴る。


「貴女の名前は『ヘルシャ』と言うのですか?」

「へるしゃ!ぶろーど!」


 少女は自分とブロードを交互に指差し、ニコリと笑う。

 

 息が、止まるかと思った。

 王が母を捨て、聖女を愛した理由が分かる気がした。

 これほどまでに強く、本能を揺さぶられるのか。

 恐ろしかった。

 自分が自分でなくなるような、そんな強い感情。これでは。


「ブロード、こちらの聖女様は『お前の番』だな?」

「―――はい」


 王兄であるガルディン公は、おや、と意外そうに眉を動かす。

 ガルディン公は元々王位継承されると思われていた第一王子、ブロードにとって伯父にあたる人物で、母亡き後、実質的に育ててくれた人物だった。


「てっきり誤魔化すか、答えないと思ったが」

「私が隠したところで、フリッツが気付くでしょう。恋慕の情は見えませんでしたし」


 番を目の前にしてあんな行動を取れる訳がない。

 自分は今も彼女に愛を請いたくて苦しいのを理性で押さえつけているというのに、フリッツの瞳からは打算と欲しか感じられなかったから。


「だが、召喚した聖女の夫は王太子でなければなりません」

「……そのような目で聖女を見ている癖に?」

「ぐっ…それは」

「ハハハ、お前もまだまだ自分を律しきれてないようだ。だがまぁ、そもそも『番』相手では無理もない」

「……」

「―――手を貸そう」


 王兄が手を貸す。それは即ち、謀反を起こす意。

 確かに今のフリッツでは王となり、正しい治世が出来るのか、その資質を疑問視する声も多い。フリッツもまだ若い。今後パートナーを得て精神が安定し、良き方向に成長出来ればと希望もある。

 たが結局、現れた聖女はフリッツの『番』ではなく、兄である第一王子の唯一。不満の溜まっている層が知れば内乱が起きる可能性が高い。現に、ここにいる公爵もその一人だ。いや、彼がその旗印になりかねない。

 最も大義名分が立つ平和的な解決方法は、現王を退位させ、聖女という番を得たブロードを新王として即位させる事。


「―――お前の母に良い報告が出来そうだ」


 ガルディン公の瞳は、澄んだ青ではなく、仄暗い、真冬の湖のように冷え冷えとした、底の見えない深さを浮かべていた。



 ガルディン公は誰よりも強い恨みを王と王妃に抱いている人物。

 現王が王太子となり子を得ると、他の兄弟は王位継承権を失う。そうして公爵位を叙爵したのがガルディン公だ。

 元々、第一王子であったガルディン公とブロードの母は、その血の為に結ばれる事が出来ない悲劇の恋人であった。それでも二人は僅かな可能性にかけ、聖女の番から外れる希望を捨てずに時を待っていた。

 しかし、ブロードの母に横恋慕した当時第三王子だった現王は彼女を凌辱する。騙し、薬を使うという、非道で下劣な手段で。どうせ兄は聖女と番うのだから、と反省すらしなかった。

 王家は醜聞を隠す為、第三王子とブロードの母を結婚させたが、皮肉にも、聖女召喚によって番に選ばれたのは第三王子。

 番を得たにも関わらず、王太子となった第三王子がブロードの母と離縁しなかったのは、出来の良い兄への醜い妬みからで、それがあの惨劇を引き起こした原因だと、国の中枢に務める者は皆知っていた。


「……伯父上、私は王にはなりません」

「そうか。だが、選ばれたのはお前だ。それは報告せねばならん。後は皆がどう判断するか、だ」


 フリッツは勿論、王も王妃も認めないだろう。

 このままでは国は荒れる。

 いつだって巻き込まれ、最も被害を受けるのは民だ。

 この悪習はきっと、表沙汰にされていないだけで過去にも色々と問題があったのではないか。しかし、美談に置き換えられ、都合のいいように伝承されてきた。

 だが、王太子ではない自分が王に選定された今、この悪習を断つ良い機会ではないだろうか。


「フリッツに相談してみます。聖女を還せば、そのまま彼が王となっても問題ありません」

「聖女を還す、だと?」


 ガルディン公は訝しげな表情で問う。


「ええ。聖女の番が王となるならば、その聖女がいなければ誰が王となっても良いはずです」

「だが―――」

「―――私は|正しく王の子ではありません《・・・・・・・・・・・・・》」


 説得しようとする声に被せるようにブロードが告げると、ガルディン公は分かりやすく瞠目した。


「………知って…いた、のか?」


 ブロードはその問いに答えず、ふ、と寂しげな微笑みを一瞬だけ見せた。まるでそれが答えであるかのように。


「だから良いのです。私は補佐としてこの国を支えていく。そして―――」


 民のため、未来を託す。


「腐った膿を出し切ります。そしてあの悪習を断つ」

「だが、番の喪失に耐えられるのか?今までの王と王妃は、どちらが先に死んでも、後を追うように衰弱してすぐ亡くなっていたのだぞ?無理に還さずとも、元より代役を立て、側におけばいいではないか」


 番の歪な関係は、互いの執着が強すぎるのか純粋な愛故か、消失感が強すぎて、一方の死亡後一月もしないうちに例外なく残された者も亡くなっていた。中には自害した者もいる。それほどの感情を抱く番を還して、果たして正気を保てるのか。


「……貴方だって母を失った後も、こうして立っているではないですか」


 だから大丈夫です、と、会話を打ち切ると、背を向け、話の内容が分からず戸惑うヘルシャに向き直る。


「姫様、お待たせしてすみません。さ、行きましょう」

「??」


 ブロードはヘルシャの手を優しく取り、ゆっくりと立ち上がらせると、そのままガルディン公の横を通り過ぎて部屋を出て行く。

 ヘルシャは戸惑いながらも軽い会釈をし、手を引かれるまま後に続いた。

 一人残されたガルディン公は深い溜息を吐くと、眉間に皺を寄せたまま、ブロードの母―――今なお最愛のその人を想った。




 ブロードはヘルシャを用意していた聖女の部屋に案内し、言葉は通じなくても不便が無いよう、水回りの使用法など一通りやって見せた。そうこうするうちに、部屋に魔道士や神官が呼ばれ、代わる代わる言語の通訳を試みたが結果は惨敗。


「親和性が低いのか、同調できないようです」


 自分だけでなく、そちらの能力が高い者でも、ヘルシャの言葉をこちらの(・・・・)言語にする事は出来なかった。


「…フリッツ様に報告しよう。一緒に来てくれ」

「はい。了解しました」


 不安げに揺れる瞳に締め付けられる胸を抑え、ブロードは第一指とニ指を使い『少し』というジェスチャーをヘルシャに向ける。そして第二指を一本だけ立てると、その指を下へ向けて二度、ゆっくり振った。


少し(・・)ここ(・・)で」


 待つように、と伝える。

 何となく雰囲気で伝わったのか、ヘルシャが頷く。その反応を見てブロードはホッとすると、軽く手を振り、魔道士達を連れ部屋を出た。念の為に扉を魔法で施錠する。


「私が戻るまで誰一人通すな。例え王妃であっても、だ」


 見張りの騎士にそう告げ、王太子であるフリッツの元へ急ぐ。聖女の件だと面会の旨を伝えると、すぐ執務室に通された。

 時間を置いた為か先程の激昂した様子は見られなかったが、不機嫌さは変わり無いようで、ブロードを見ると忌々しそうに顔をしかめる。


「それで?」


 まともに聞くつもりがないのか、フリッツは視線を書類に戻すと、さも興味がないかのように問う。


「フリッツ様、先程の聖女なのですが」

「何だ、『番は自分だから王太子を代われ』とでも言いに来たか?」

「!」


 皮肉るようにそう言うと、フリッツは鼻で笑った。


「誰が番だろうと、王太子は俺だ。建国祭に式が出来るよう準備しろ。どこの田舎者か知らんが、まともに(・・・・)なるよう教育しておけ」


 ブロードが番であると知っても、聖女と婚姻するのは自分なのだ、と。その座を譲るつもりは無い、とブロードを睨みつけるフリッツ。


「しかしフリッツ様、言葉の通じぬ聖女様にどうやって教育を施せば…」

「何?言葉が通じないだと?」


 そもそも建国祭まであと半年程度しかない。

 聖女に行うのは王妃教育だ。

 自国の高位貴族ならともかく、異世界から来た人間への教育など、どの位期間が必要か会話もままならない現状で目処が立たない。

 結局、お前の番なのだから、と教育を押し付けられたブロードは、一先ずヘルシャの待つ部屋へ戻る事にした。


(名すら聞かないとは。心を通わせる気もないのだな)


 それでも父親と違って(・・・・・・)色欲に溺れる事がなかった事は唯一の救いだろう。いや、本当の番に出会ったらどうなるかは分からないが、元の世界へ還す予定のヘルシャに手を出されては困るので、ブロードは彼女の部屋に護りの魔法をしっかり掛けた。扉前の護衛騎士達が引くほどに。




 

 召喚された翌日から、ヘルシャの教育が始まった。

 彼女は聡明な娘だった。

 片言ではあるが、簡単な会話なら一月もかからず出来るようになり、文字も子供の絵本程度のものは読みこなし、周囲を驚かせた。三ヶ月後には会話も所作も、貴族令嬢と遜色無くなっていた。

 講師達は彼女の能力に大変感心したが、ヘルシャが学習に協力的だったのは他でもない、ブロードの存在があったから。


 ブロードはヘルシャが召喚されたその日に約束したのだ。

 彼女を元の世界へ還す事を。

 

 言葉で伝える事は出来なかったので、脳内に直接伝える『以心』という術を使った。

 以心は共感性の強い相手で無ければ使えないが、二人の『番』という繋がりが上手く働いたのだろう、ブロードはヘルシャの通訳として最も適した人物になる。

 ヘルシャが元の世界へ還る為にはこの世界の言葉を知る必要があったが、以心のおかげで講師や世話係に意思を伝えられ、過度のストレスを感じず健やかに過ごせた事も、学習結果に大いに結びついたのだろう。


 彼女には自分達が『番』である事を伝えてはいない。

 元の世界へ還るヘルシャには不要な情報である事と、知られることで手放せなくなる不安があったから。

 現に、以心で心を通わせた事で、日に日に離れたがくなっている自分がいた。気をつけて関わっていたはずなのに、と、自問自答したところで、答えなど決まっている。番なのだから、触れあえばそれだけ愛しさが増すなど当然の事。


(彼女が笑う世界で幸せになって欲しい。罪人(・・)の私にはそれを願う事しかできない)


(早く、早く)


(私が君の手を離せるうちに)


 自分からは離せない癖に、と、ブロードは自虐的な笑みを浮かべる。

 そこまて考えてハッとした。

 彼女に自分を選べなど、浅ましいにも程がある。

 見知らぬ世界で、頼るすべもない彼女に何を求めるというのだ。

 まるで呪いだ。

 そのうちに息もできない位、絡み付いて動けなくなる『鎖』のように。

 少しずつ狂っていく自分に気付いてしまったブロードは、もはや建国祭を待つ猶予など残されていないと悟った。







「国境付近で隣国がきな臭い動きを見せていると情報があった。ブロード、お前、第2騎士団を連れてあの虫共を駆除してこい」


 フリッツの執務室に呼び出されたブロードに命じられたのは、隣国パラストロの国境砦を守る軍の壊滅であった。


「しかし、国境を超えていない相手に手を出すわけには」

「ハッ、威嚇してやれば乗って来るさ。どうせ奴等は最初から攻め込むつもりだ。聖女の、母上の結界が弱まっているからと舐めたマネを…!」


 本来、聖女はそこに存在するだけで国の守護となる力を発し、結界を作るという。だが、現王妃が引きこもるようになったせいか、年々その力は弱まっていた。フリッツが聖女召喚をしたのも、結界の修復を目的とした国の護りを強化する為のもので、はなから聖女と心を通わせるつもりなど無かったのだ。


仲良く(・・・)やっているそうじゃないか。あの女を連れて結界を張ってこい。『番の(ちから)』でパラストロを消せ」

「……戦争を始めるつもりか?」


 ブロードの問いには答えず、ニヤリと口の端だけ上げて笑うフリッツ。


「三ヶ月後に予定通り式を行う。初物(・・)は面倒だ、お前が済ませておけ。番との『ハジメテ』位はくれてやるさ―――冥土の土産にな」


 それを聞いたブロードに怒りの感情は湧かなかった。

 この場でフリッツに斬りかかるほどの熱意(・・)もないブロードの瞳に浮かぶのは虚無。

 聖女(ヘルシャ)と身体を繋げ、絆を深めて国の結界を張り直した後、ブロードには敵地で殉職させ、残された聖女を自分(フリッツ)が娶る、というシナリオ。

 国へ捧げる忠誠心も何もかもごっそり抜け落ちたブロードは、『三日後に出発します』とそれだけ返し、執務室を後にした。

 

「ブロード、おかえりなさい」


 ヘルシャの部屋へ向かうと、穏やかな笑顔で出迎えてくれる。出会った頃のブロードを呼ぶ拙い声とは違い、今では以心で会話する必要のない位、こちらの言葉を流暢に話すヘルシャ。

 いつもなら同じく笑顔で挨拶を返すブロードだが、今日の彼の様子がおかしいと気付いたヘルシャは、そっと彼の手を取る。


「ブロード、大丈夫?何かあった…?」


 見上げてくる自分を心配する瞳に、ブロードはくしゃりと顔を(しか)める。


 話せる訳がない。

 人の尊厳を踏みにじるような命令だった。

 血の繋がりの情さえ欠片も残らない程、非情な。

 

 ブロードはゆっくりと、ただ触れるだけのような軽い力でヘルシャを抱きしめると、以心を使う。


『―――君を還す時が来た』

『え……?』

『長く待たせてすまなかった。三日後、国境に出陣する事が決まった。その有事に乗じて君を送還しよう』

『出陣、って……戦争するの?貴方が戦うの?!』


 ヘルシャはブロードの胸倉を掴む勢いで彼に迫った。


『……国境の結界を調べに行くだけだよ。戦争にはならないさ』

『わたしはまだ待てるよ?落ち着いてからでも……』

『それは出来ない。弟が―――王太子が三ヶ月後に君を自分の花嫁にするつもりだ』

『!!』


 ヘルシャの瞳は驚愕に見開かれ、そして初対面でのフリッツの暴挙を思い出し、その身を震わせる。


『式まで君に手を出さないとも限らない。君の安全を考えたら一刻も早い方がいい……絶対に、私がいる限り君に手出しはさせない』


 少しだけ抱きしめる力が強くなった腕に安心したのか、ヘルシャの身を包む緊張が解け、震えが止まる。


「大丈夫、約束は必ず果たす―――」


 ブロードの胸に閉じ込められているヘルシャには、彼がどんな表情でそう告げたのか見ることは敵わなかった。






 出陣までの間にブロードは全ての準備を終えていた。

 最初の召喚に関わった上位の魔道士や神官に協力させる為、彼らの家族を人質に取るなど非人道的な方法だったが、もはや守るべき矜持もない。元々彼女を別世界から拉致したのだから、共に責任を負わせるだけの事。

 いや、彼女だけでない、これまで犠牲になった聖女と呼ばれる女性達への責めを負うのだ。この国は。何も知らず恩恵にあやかっていた民も。


「さあ、終わりの始まりだ」


 伯父宛の蝋印した手紙を側近へ託す。

 側近とはいえ、幼い頃より友のように育った関係の親友。


「―――()を頼む」


 晴れやかな表情は、これから死地へ向かう男のものではなく、全ての(しがらみ)を解かれ、すっきりとした顔で。

 どんな説得も無用と思われる決意の籠もった瞳に、親友である男がかけるべき言葉はもうなかった。

 それが今生の別れだと分かっていても。


 友の頷きを確認すると、ブロードは踵を返し、指揮官を待つ軍の元へ向かう。もはや家族の元へは戻れないであろう騎士や兵士を見ても何の感情も浮かばなかった。

 番を、ヘルシャを手放すと決めた時から壊れつつある自分に、もう少しだと奮起する。


 きっともうすぐ、彼女の本当の笑顔が見られる。

 元の世界へ戻るその時、きっと彼女は花が綻ぶように笑うだろう。本来の笑顔。それを見る為に自分は生き永らえてきたのだ。


 生まれてきて良かったと思えた事はあったろうか。

 無関心な王と横暴な王妃。

 自分が生まれたせいで母は死なねばならなかった。

 腹違いの弟からは疎まれ、殺されようとしている。

 そして、自分が生まれていなければ、番として彼女がここへ召喚される事もなかった。


「姫様、お待たせしました……行きましょう」


 出陣を待つ軍の中、護衛騎士に守られるようにいたヘルシャに声をかける。流石に聖女を守るための布陣はしっかりしており、すぐに抜け出したりは出来なそうだ。

 魔道士や神官達は目隠しと口布で抑え、簡易な幌馬車に押し込んでいる。服もボロ布に変えさせ、まるで奴隷か罪人のような身なりにした。結界の儀式に使うのだと説明すれば疑うものなどいない。

 返還の術は召喚のように文献に残されてはいなかった。

 そもそも還す必要など無いからだ。

 だが、無いからといって不可能ではない。

 反転を術式に組み込めばいい。

 ヘルシャをすぐ還せなかったのは、術の施行でこちらの言語が必要となる為、彼女自身が理解し、実行しなければならなかったから。


(召喚の儀式に必要な文献は全て処分した。もう二度と彼女達が利用される事がないように、方法を知る者は全てここで消す―――私を含め)


(これで、全て終わる)


 焦燥感に駆られると思っていたが、傍らにいるヘルシャの存在のおかげだろうか、意外にも凪いだ気持ちのまま国境へと辿り着く。

 調査は翌日からと説明し、砦へは伝令の早馬だけ送って森の手前で野営させ、待機とした。深い森ではないが、そこを越えると開けた地が広がり、国境前の高い塀と砦がある。


「では聖女様、参りましょう」

「……はい」


 元々、結界の修復目的で聖女に同行してもらったと皆に説明していたので、特に疑問を抱かれる事もなく、ヘルシャを天幕から連れ出せた。魔術師達は『結界の修復に使う(・・)奴隷だ』と説明していたので、こちらも問題なく幌馬車に乗せたまま森へと共に入った。

 事前の調査で湖が有る事が分かっていたので、そこへ向かい、開けた場所にでてから馬車を止める。

 ブロードは瓶を取り出すと、中の白く、キラキラ光る粉で地面に魔法陣を描いた。両手を広げた位の幅の円陣の中に、複雑な模様と古代文字を書き綴っていく。

 緊張しているのか、硬い表情でブロードを見守るヘルシャ。

 やがて陣が完成すると、ブロードはヘルシャの手を取り、魔法陣の中へ彼女を引き入れた。


「私の後に続いて呪を唱えて。祝詞のようなものだから。君達の信じる神へと祈るように、願って。『帰りたい』と」

「………」

「?どうしたの、姫。大丈夫、私の言う通りに言えば失敗は」


 俯いたまま顔を上げないヘルシャに、ブロードは焦る。

 旅の途中、彼女の様子がおかしい事に気付いてはいた。が、あえて触れないようにしていた。確かめればこの計画が駄目になってしまう、と、そう思っていたから。


「ブロードはわたしの『運命の番』だって聞いた。どうして隠してたの?わたしが番だと迷惑?わたしが嫌い?」


 俯いたままのヘルシャの視線の先にある地面が濡れる。

 そこだけ雨が降るかのように、ぽた、ぽたと。


「……迷惑でもないし、嫌ってもない。君が大事だから、大切だから、君の大切なものを捨てさせたくないんだ」

 

 知られた事で動揺はしなかった。

 逆にこれでちゃんと別れの言葉が言える、と、ブロードは安堵する。


「君を愛する人達、君が今まで培ってきたもの、君の努力も全て、我々の事情で奪ってはいけないんだ。だから君に還す。君の愛するものを「ブロード!!」…!」


 ガバっと勢いよく顔を上げ、ヘルシャは彼の名を叫ぶ。


「…わたしが、わたしが愛するものの中には、貴方もいるのよ…?その気持ちはどうなるの…っ!置いていけというの!?」

 

 はらはらと溢れ、止まらない涙。

 真っ直ぐ自分を見つめるヘルシャは美しかった。

 見惚れてしまう程に。


「……貴女の手を取り、逃げ出そうと思った事もある。でも、それではきっと君の本当の笑顔(・・・・・)は失われてしまう。だから、この世界では駄目だ」

「じゃあ、わたしと一緒にいて!一緒に向こうへ…」

「異界への扉が開いたままでは危険なんだ。閉じなければ、君の世界にこの世界の人間が雪崩込んでしまう。だから、君が渡ったら私が扉を閉じなくては。それが私の運命(さだめ)だから。君を安全に送り届ける為に、きっと私は生まれた」


 優しく、幼子にするように頭を撫でられる。

 浮かべる微笑みは限りなく優しいが、断固とした意思を持っていて。きっと何を言われても曲げることはない強い意思を感じ、ヘルシャは彼を説得する術を失った。

 嗚咽を漏らす彼女が落ち着くのをゆっくりと待ち、そうして決心に顔を上げたヘルシャを見て、ブロードは始める。

 彼女を元の世界へと還す『送還術』を。


「では、私の後に続いて」


『―――我、運命の扉を開く者。我の道を照らせ、綴れ。繋がりし彼の地へ続く道を示し給え』


 ブロードの言葉を追ってヘルシャが唱えると、魔法陣の上に扉が浮かぶ。


「さ、開けてごらん」

「う、うん」


 ノブを回して扉を開く。

 扉の向こうには懐かしい景色が、空が広がっていた。

 煌めく星空と、その下にあるテラス。

 数ヶ月前、誰かに呼ばれた気がして部屋からテラスに出て、そしてこちらの世界に召喚されてしまった、その場所。

 ドアノブから手を離し、一歩、一歩中へと歩き始める。


(そのまま振り向かず、真っ直ぐ進むんだ)


 祈るような気持ちで離れていく背中を見つめた。

 だが、ヘルシャは途中で足を止めてしまう。


「……ね、ブロード。一つだけ、お願いがあるの」


 そう言って振り向いたヘルシャの声と肩は震えていて。

 泣き出す手前の表情が痛々しかった。


「…私が叶えられるものなら」


 そう言われ、ヘルシャはホッと息をつく。


「……あのね、ブロードがわたしの事、ずっと『姫』とか『聖女』って呼んでたの、それって、情が移らないようにするため、でしょ?」

「…っ」


 知っていて知らないフリを通してくれたヘルシャの優しさが胸に刺さる。彼女もまた、情を移さないように気を付けていたのかも知れない。


「だから、ね。最後だから。最後くらい、名前で呼んでほしいの。駄目、かな…?」


(そうだ。これで最後、なんだ)


「―――ああ、そうだな。呼ぼう、君の名を」


(私の最愛の人の、名を呼ぶのは)


「……あのね。ブロードだけに言うけど、私の本当のなまえ『ハルシェ』っていうの」


 真名(まな)を知られる事でこの世界に縛られる、という危険性を心配して訂正しなかった、とすまなさそうに言うハルシェ。


「そうか、君の名はハルシェ、というんだな」

「……うん……」

「ハルシェ」

「……っ、うん…!」

「ハルシェ、君に逢えて良かった」

「…わた、しも、ブロードに逢えて良かった。いっぱい、いっぱい優しくしてくれてありがとう…!!…っ、大好きよ、ブロード!!」


 泣くのをギリギリの所で我慢して微笑んで見せるハルシェ。

 感謝の言葉と好意を伝える彼女に今すぐ追い縋り、その身を腕に閉じ込めてしまいたかった。だが、ここに二人の幸せは、安住の地はない。いや、ハルシェさえいればいい自分と違って、彼女にとって奪われるだけのこの世界で幸せは無いだろう。

 それならば、身を焦がすような想いを抱えて生きていく事を選択する。


「―――世界の番人よ、異界を繋ぐ扉を秩序を以ってその力で閉ざし給え」


 ブロードがそう唱える声に反応し、グズグズと啜り泣きながら、ハルシェはようやく前を向いて歩き出す。



(ハルシェ…)


(ハルシェ…もう、会えないのか)


(君の声も、顔も、全部……) 


(ハルシェ…私の最愛の人…)



「〜〜〜っ、ハルシェ…っ!!」


 だが、遠ざかる背中に堪えきれず声を発したのはブロードの方だった。


「?!ブロード?」



「―――愛してる、ハルシェ」



「!!」



「初めて会った日からずっと、君を―――君だけが、私の愛。私の希望。どうか、どうか幸せに」

 


 それはまるで―――遺言のようで。

 真っ青になったハルシェは慌てて走り戻って来るが、既に扉は消えかかり互いの姿が薄れていく。


「っ、いやっ!やだっ!!ブロー、ドっ!わたし、ここに残る…!やっ、おねがい…!!神様、ねえ、いやだ!つれていかないで、ブロード、しんじゃだめ!!だめ、やめて!かみさま!かみさま!!たすけて!いやああああ…っ!!!」


 必死にこちらに手を伸ばして叫ぶハルシェ。

 彼女に向けて伸ばすブロードの手が触れようとした瞬間、光が弾けるように消え、ハルシェはこの世界から居なくなった。


「あ、ああアア嗚呼あああアあ―――っっ!!」


 張り裂けるような胸の痛みと喪失感に、膝をつき、耐え切れずブロードは獣のように叫ぶ。だが、夜の闇と静寂は、何もなかったかのように彼の悲痛な声を飲み込んだ。







 それから四半刻程過ぎた頃だろうか。

 失意のブロードを正気に戻したのは一本の矢だった。


「!?」


 幌馬車に向けて射られたその矢は、どうやら油を染み込ませた特殊なものだったようで、あっという間に馬車は炎を上げて燃え盛った。幌の中には魔道士や神官がいたのだが、手足を拘束され、口布で押さえられている彼らが助かる術もなく。

 炎の中から呻くような声が上がっていたが、敵の位置が把握できていないブロードにはどうする事も出来なかった。


(囲まれている、のか?)


 周囲に気をやって調べると、そう多くはないが人の気配がする。数人に囲まれているような、そんな気配。


「殿下!ご無事ですか!!」


 だが、火事の煙に気付いた兵達がこちらに押し寄せた為、相手も状況不利と判断したのか、彼らの気配が無くなった。

 

「ああ、私は何とか。だが、聖女様が……」


 そう言って、燃え盛る幌馬車の方に視線を向ける。

 騎士達は、そんな、と青褪めた顔で呆然とその光景を見つめた。聖女が焼かれてしまった、と。ブロードは誤解をそのままにし、騎士や兵士達の志気を煽るように叫ぶ。


「皆、よく聞け!我が国を守護しに来て下さっていた聖女様が隣国の手により身罷られた!我々はこれから国境を越え、彼の国に抗議という戦いを挑む!断じて侵略戦争ではない!聖女を弔う為の『聖戦』である!!」

 

 夜間にも関わらず、歓声が湧き上がる。

 夜が明ける前に、彼らは国境を越え、隣国の砦の軍を攻め滅ぼした。どのみち彼らから仕掛けてきた戦いだったので相手からの抗議は無いだろう。


 砦を拠点とし、進軍していったブロード達の軍隊は、二月後、最終的に王都まで攻め込んでいた。この快進撃はひとえに自己を顧みない指揮官の特攻―――ブロードの力によるもので。その日も王座に縋り付き、『殺さないでくれ!』と怯える王の首を取ったが、ブロードには何の感慨も無かった。


 ここに来るまで、左腕と右目を失った。

 もういいだろう、と。

 ここで終わらせて欲しいと願った。

 この無意味な生を。

 

 部屋に広がる血の海と、倒れている屍の山は全てブロードの仕業だったが、彼もその身体の至る所に刀傷を受けており、流れる血は止まらなかった。

 もはや身体も支え切れず、床に崩れ落ちる。徐々に薄れゆく意識の中、浮かぶのは最愛の少女の姿。


「……ハル、シェ……」


 笑えているだろうか。

 幸せでいるだろうか。

 この生を終えたら、魂は彼女の元へ行っても許されるだろうか。

 いや、許されずともひっそりと、彼女を見守れればそれでいい。側にさえ、いられたら。


「ハルシェ…?」


 目も霞み、周りの景色が白ばんでいく。

 その光の海の中、愛しい番の姿が見えた。

 

「……良かっ、た、最期に、君を、思いだ、せて」

「……、―――、―――」

「……すま、ない。もうよく、聞こえない、んだ。ほら、泣かないで、…最期に、見る、のは、笑った、顔が……」


 微笑むハルシェに抱かれ目を閉じたブロードの顔は、春の陽射しのように穏やかだった。










「―――こちらがパラストロ王の首と、ブロード殿下の遺品、です」


 王と王弟、そしてフリッツの前に差し出されたのは隣国の王の頭部が納められた箱と、ブロードの左腕だった。


「殿下は単身で王宮に乗り込み、全て、そこにいる者全てを討ち取っておられました。ですが、我々が駆け付けた時には……」

「……そうか、ご苦労であった。下がるが良い」

「はっ!」


 王の言葉に謁見室から騎士が退室すると、ガルディン公はフラフラと前に進み出て、ブロードの腕と言われたそれを手に取った。


「何故…ブロード、お前がこんな……」


 膝を落とし、腕を抱え、嗚咽を漏らすガルディン公。

 その尋常ではない気落ちした様子に、王はオロオロと、兄に慰めの言葉をかけようとした。


「兄上、ブロードは第一王子として立派に務めを果たしたのです。誇らし―――ぐああぁあああっっ!!」

「……!なっ、父上!?」 


 胸から大量の血を流すのは、王。

 立ち上がったガルディン公が、腰の剣を抜き、弟であり現国王の胸を貫いたのだ。


「…貴様がブロードを語るな」

「な、に…を」

「何、だと?……お前は私からメリッサだけでなく、息子(ブロード)までも奪ったというのに…!!」

「伯父上、気でも触れましたか!何を仰って…」


 ガルディン公は王の胸から剣を引き抜くと、王を足で蹴り飛ばした。振り向いた公爵の瞳は濁っていて、フリッツは全身の毛穴から汗が吹き出るような感覚に戦慄する。


「―――フリッツ、お前は本当に箱入りだな」


 口の端だけ上げた嘲笑を浮かべているガルディン公だが、その目は全く笑っていない。


「何の、お話ですか」

「そこにいるお前の父親が何をしたのか、何をして王となったのか教えてやろう。その男は、私の恋人であったメリッサを強姦し、無理矢理娶った。そして聖女に番として選ばれた後も、私への下らぬ嫉妬で彼女を側妃に留め置いた。そのせいで彼女は嫉妬に狂ったお前の母から嫌がらせを受け、ブロードは殺されそうになったのだ」

「え、…父上が…?だって、母上と愛しあっ、母上は聖女で…」

「お前の母が息子の顔もろくに見れないのはな」

「そん、」

「メリッサがあの女に伸し掛かり、自らの首を斬り息子(ブロード)を守ったからだ。人との接触がトラウマになったらしいな…本人の方が余程残忍な癖に」

「!!」

「……ブロードは私と彼女の息子だ。私との子を守る為、彼女は死を以って誓わせた」


 メリッサは第三王子に辱められた後、すぐに堕胎薬を服用した。しかし、彼により根回しされ、婚姻させられる道しかなかった彼女は、せめて愛する男の子供を身籠りたい、と、恋人である第一王子に頼んで二人は関係を持った。皮肉にもその行為が、第三王子を王太子とする、聖女に選ばれる原因となるとも知らず。


「聖女の番に選ばれる条件は、長子である事と、子の存在だ。私はメリッサとの間にブロードが、第二王子にも現在妃となっている女性との子がいたのだ。フリッツ、お前も身に覚えがあるのではないか?」

「―――っ!」


 フリッツは悔しさに唇を噛む。

 そんな条件があるなんて知らなかった。

 戯れに、性欲処理で抱いた女などいちいち覚えていない。

 確かに『子が出来たから責任を取れ』と迫って来た令嬢はいたが、王家の影に内密に処理(・・)させたはず。だが過去を清算して聖女を召喚したにも関わらず、兄が選ばれた。

 いや、こうなると正確には兄ではなく、従兄弟なのだが。


「お前達のような血は、絶やした方が世の為だ。愚王よ、貴様の命でその罪を償うがいい!!」

「や、やめ、兄上、ごふっ、ぐあああ―――っ!」

「メリッサを返せ!!ブロードを、っ、私達の息子を返せ!!お前が、お前さえいなければ…!」


 ガルディン公が弟である王を何度も何度も滅多刺しにするその光景。その鬼気迫る様子に恐れを成したフリッツは、父を助ける訳でなく、その隙を使って逃げようと後退る。


(冗談じゃない、こんな所で殺されてたまるか!ブロードに命令を下したのは僕だ。父上の次に殺されるのは僕…!イヤダイヤダイヤダ!死にたくない!)


 しかし逃げ出そうにも恐怖で腰を抜かしたフリッツには、情けない事に、這いつくばり、腹這いで逃げるしか方法がなかった。そうしてやっとの思いで辿り着いた扉に手をかけたその時、扉が向こうから引かれ、隙間から一人の女性が入り込む。

 質の良いデイドレスを身に纏ってはいるが、目は落ち窪み、髪も艶がなく結われてもいない。だがその顔には覚えがあった。幼き頃よく見た、美しい王妃(はは)の面影が。


「―――あなた?何処へ行こうというの?………またあの女の所?」


 眉間に皺を寄せ、まるで汚物でも見るかのように顔を歪める。


「…母上…」

「行かせないわ…そうだわ、足よ。足がなければ、何処へも行けない…!」

「な―――」


 何を、と問う間もなく、フリッツの足目掛けて王妃の握る斧が振り下ろされる。


「ぐああああああああ!!いたいいたいいたいいたい!!!」


 非力な女性が持ち上げられる斧などたかが知れているが、それでも人の足を傷付けるには十分な代物であった。

 刃が潰されているのか切れ味は悪かったが、それが幸いして肉が裂ける程度で済んだ。

 

「さあ、次は左足よ。ふふ、大丈夫、痛いのは一瞬だから。さあ!!!」


 痛みなど気にしていられなかった。

 殺される、と、フリッツは血が流れるのも構わす右足を引き摺りながら王妃から逃れるために賢明に距離をとる。だが濡れた床に滑って倒れた拍子に、ガツ、っと背後から左足に何か(・・)を引っ掛かけて激しく横転してしまう。


「っあぁ!」


 慌てて身体を起こすフリッツだが、自分が何に(・・)躓いたのか気付き、動けなくなった。

 掌を見ればヌルリと広がる赤い血。

 それは先程まで息をしていた(・・・・・・)であろう男のもので。

 物言わぬ躯になった(ちち)の姿に、鉄錆の臭いに、喉元まで込み上がる嘔気は止まらない。フリッツは堪らず胃の中の物を大量に吐き出した。


「ぐっ、おえっ、がはっ、……!」


 胃の中が空っぽになり、胃液すら吐き出してもまだ治まらずに嘔吐(えず)くフリッツ。そんな彼に近付き、生理的に滲む涙をそっと拭うと、王妃は優しく背を擦る。


「…フィリップ、可哀想に…」


 しかし、その瞳に浮かぶのは母としての情ではなく『女』としての熱。愉悦に浸るその表情は、色を伴った女の欲。


「大丈夫よ。私と交わえばすぐに元気になるわ…!」

「母上!違う!わた、しは…!父上ではない!貴女の息子だ!」


 フリッツが叫ぼうとも女は聞いていないのか、服を脱がしていく。


「やめてくれっ…!は、はうえ…!!」


 引き剥がそうにも力の入らぬ体では、この細い母の腕さえ払い除けられなかった。

 首筋から鎖骨、そして胸へと伸ばされる舌。

 官能などというものではない。生理的に反応してしまう自分の身体に絶望し、激しい嫌悪感に震える。

 かつて自分が犯してきた女達も震えていた。

 感じているのを隠す為だと思っていたが、もしや、恐怖と嫌悪から来ていたものだったのだろうか。同じ目に遭い初めて己がした愚かさを知る。


「おね、が、いだ、あっ、ははうえ、やめて…っ!」


 下履きに手をかけられ、フリッツは叫ぶ。

 

「は……え?」


 だが、恐れていたものがやってこなかった代わりに、ゴトリ、と大きな音を立てて、かつて母だった(・・・・)人の頭が転がっていた。


「一番の罪人を忘れていたな。苦しめてからと思ったが、もう壊れているなら意味もない」

「うわああああ―――!母上!!き、さまよくも!」


 頭から返り血を浴び、赤黒く染まった死神のような男。

 復讐鬼、と呼ぶに相応しいその男は、転がる王妃の髪を無造作に掴むと、フリッツの方へと放る。突然のことに、咄嗟に払い除けてしまったフリッツは、母の頭部だったと気付いてバツが悪そうに目を逸らす。


「母親すら愛せないとは…哀れだな。まぁこんなクズ共に育てられ、まともに育つ訳もないか。ある意味自業自得か…さて、()王太子よ。貴様も親に負けず劣らずの屑っぷりよな。なぁに、斬首などと楽に死なせるものか。息子が味わった屈辱も全て味わってから死んでもらおう」

 

 愉しみだ、とガルディン公は高らかに笑った。


 一体どこで間違えたのだろう。

 兄を蔑み、駒としていいように使った事か。

 それとも気に入った女達を意向も確認せず召し上げた事か。

 聖女を蔑ろにしたバチなのか。

 いや、そもそも初めから、自分がこの世に生まれたのが間違いだったのか。

 フリッツの心が絶望に染まったその時。


「何だ…!?」


 目が眩むほどの強い光が辺りを照らし、息を呑む。

 ゆらりと空気が歪むような感覚に、フリッツは世界が変わったような気がした。感じる違和感に、ゾクリと肌が粟立つ。

 堪らず閉ざした瞼が光が収まったのを感じ、恐る恐る目を開く。


 そこには自分をぐるりと囲んで覗き込む無数の目があった。

 皆、2メートルはゆうに超える身長と、自分の倍はありそうな逞しい腕。そんな彼らの中でも一際体の大きい、金の燃えるような瞳をした男が、動けないフリッツの身体を抱き上げて、言った。



「―――ようこそ、『我ら(・・)(はなよめ)』よ。お前を歓迎する。我らに、生涯その身を尽くせ』


「あ……う、あぁ…」



 フリッツの絶望は終わらなかった。

 それまでの自分の行いを思い出し、そして、今からそれを償わなければならないのだ、と。

 それこそが正しい贖罪。


 フリッツはこれから訪れるであろう絶望を想像し、声を無くす。



 それは、終わりのない悪夢のはじまりだった。





・・・BAD END ルート



こちらはブロードルートではなく、バッドエンドルートです。ルートHが解答編、という感じでしょうか。

こちらだけだと悲恋で終わってしまうので、ルートHも合わせてご覧ください。




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