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ひねくれ王子の婚約者

作者: 柚みつ

 初めは、ただの時間潰し。ただそれだけだった。


「レスター」

「兄上、おはようございます」


 廊下の暗がりから足音を立てずに姿を見せたのは、軽装に身を包んだ二番目の兄。まだ夜と言っても差し支えないこの時間、日課のように向かう場所があるのを、知っている。


「お前がこの時間にここを歩いているということは、またやったな」

「何のことでしょうか」

「とぼけるな。図書室の蔵書が素晴らしいのは俺も分かっているが、度を過ぎると体を壊すぞ」


 また、そう窘められるほどこの時間に顔を合わせたことはないはずだったが。どうやら、そう思っているのは自分だけだったようだ。灯りを落としたなかでも、兄が渋面を作っているのが見えた。


「大丈夫ですよ、昨日はしっかり寝ましたから」


 しっかりと睡眠時間を取ったからこそ、今日は途中で眠気に邪魔される事なく読書を楽しめていたのだが、そんな返答も兄のお気に召すものではなかったらしい。


「どうせ仮眠程度なのだろう? すまないな、弟が迷惑をかける」

「もったいないお言葉でございます」

「ほら、兄上は早く行かないと。他の人に気付かれますよ」

「おっと、それはいかん。お前はちゃんとにベッドに行くんだぞ」

「分かっていますよ」


 自分の後ろに控える護衛にもう一度謝罪のように頭を下げた兄は、今度こそ廊下の暗がりに消えていった。その姿を見送ってから、自室に向かうべく動かそうとした足が、少しだけ重いと感じた。


「……言われなくても、迷惑かけてるって分かってるよ」

「何か、仰いましたか?」

「何も。さっさと部屋に戻るよ」

「かしこまりました」


 どんな時間にどこへ行くと告げても、嫌な顔一つ見せない護衛。それが仕事なのだと言われればそれまでだが、付き合わせて申し訳ないと思う気持ちは確かにある。

 飢えも凍えも知らず、この時間に本を読むという贅沢が出来るのはこの立場あってこそだとは分かっているが、自分がこの立場にいなければ彼は華やかな部署にいたのではないか。そんな想像をしてしまうくらいには。


「おや、レスター。おはよう」

「おはようございます。兄上」

「ちょうど良かった。聞きたいことがあってね」


 あまり出会いたくなかったから思わず舌打ちが出そうになったのを、どうにか飲み込んでから挨拶をする。視線の動きから察するに、気づかれただろうけれどなかった事にはしてくれるようだ。そのまま会話を始めようとする一番上の兄の視線から逃れたくて、少しだけ首を傾げた。


「兄上が分からない事を、私が分かるとも思いませんが」

「なに、簡単だと思うよ。本の虫に、お気に入りのサンドイッチを届けたいんだ。何かいい手段を知らないかい?」


 これが、自分を指していないと思えるほど鈍感ではないつもりだ。兄の後ろ、すました顔を取り繕っているが笑いをこらえている側近には気付いているんだと示すように、目線を送ってみた。

 慌てたように姿勢を正した様子が面白かったから、兄の言葉で笑っていたのは帳消しにしてやろうと思う。まあ、兄も気づいているから後で多少の小言はあるだろうが。

 そんな自分の側近の事を気にもせず、ただ答えを待っている兄に、ふうと小さく息を吐いてから答えを告げた。


「……日が高くなる頃には、食堂に向かうと思いますよ」

「ならば、出来立てを食べてもらえるように準備しよう。ありがとう。おかげで解決したよ」

「お役に立てて良かったです。では、私は自室に戻りますので」


 苦手ではない、嫌いでもない。ただ、今は話したい気分ではない。だからこそ会話が終わったタイミングでこれ以上何かを言われる前に切り上げたのに。

 兄の横を通り抜けようとしたときにかけられた声には、先ほどまでとは違う硬さがあった。


「レスター」


 この声は、無視していいものではない。ぎゅっと目を瞑ってから隣にいる兄の顔を見た。


「兄は、どんな弟でも大切なものだよ。剣技を磨くのも、知識を蓄えるのも見守ろうと思えるほどにはね」


 声の調子から判断した表情ではなく、ただ幼い頃からよく見ていた『兄』の顔がそこにあった。兄の名が王太子候補に挙がってから、この表情を見せるのは久しぶりだ。自分だって気の抜けない生活を送っているはずなのに、末の弟の事を見守るだなんて。

 むずむずとした気持ちがこみ上げて来て、気を抜いたら衝動のままに何かを口走ってしまいそうで怖くなって。咄嗟に、頭を下げる事しか出来なかった。


「失礼します」

「レスター、明日の朝は兄と共にしよう。お前も予定があるだろう?」


 背中にかけられた声に返事がなくとも、それ以上兄は何も言わなかった。いつもよりも早い足取りで辿り着いた自室、その勢いのままベッドに倒れ込む。

 ぼんやりと天井を眺めながら思うのは、先ほど兄が告げた明日の予定。忘れているとは思わないが、一応確認だけはしておこうと上半身を起こしてから護衛に言葉を投げた。


「明日の予定は」

「婚約者候補の令嬢と、顔合わせですね」


 ああ、やはり自分の記憶に違いはなかったようだ。兄二人には当然、婚約者がいる。自分だけが候補、になっているのは顔合わせだけで話がなかった事になるからだ。


「婚約者候補、ねえ。これで何人目だったか」

「私の記憶違いでなければ、五人目かと」

「父上は、そうまでして俺の事を繋ぎとめておきたいのか」


 一番上の兄は、間違いなくこのまま王太子として指名されるだろうし、二番目の兄だってそれを望んでいるはずだ。だからこそ、王子の位を隠して騎士団に入団したのだから。

 まあ、それもどうしてバレないと思ったのかは知らないが。案の定入団テストの日に速攻で身分が知れ渡っていたのに、あの性格であっという間に騎士団に溶け込んでいった。もちろん、それに見合う為の努力は欠かしていない。さっき会ったのだって、早朝、誰にも見られることのない時間に自主練をしているからだ。前まではもっと遅い時間から始めていたというのに、ここ最近の熱の入りようがすごい。

 王太子の指名時期が近付いているからだろうか。二番目の兄だったら自分が指名されようものなら断固拒否するだろうに。

 そんな上二人の優秀な王子がいるのだから、自分を王家に置いておこうとする父の考えが分からない。

 金髪碧眼、王子としての見目はいいと自負はある。兄二人に比べたら、少々性格に難があるとも分かっている。けれど、顔合わせの時にはちゃんとに王子のような振る舞いをしていたというのに。いくら退屈な時間つぶしだと言っても、城にやって来た令嬢が毎回断りを入れて来るのにだって、もう飽きてしまった。


「婚約者はいなくてもいいが、泣かれるのはごめんだな……」


 護衛が苦笑いしているのが見えたけれど、そのままベッドに潜り込んだ。明日の本を読む時間が減ってしまうのが残念でしょうがない。



「レスター、後で話を聞かせて欲しいな」

「分かりました。行ってらっしゃいませ、ライオネル兄上」

「ああ。行ってくるよ」


 次の日、朝を共にしようと言った兄の言葉通りに、自室に迎えがやって来た。図書室に行って帰り道に見つかってしまうのならば、自室に本を運んでしまえばいい。そう考えてあの後、護衛と共に運んだ本が面白くて、ついつい読みふけってしまった。

 用意して待っていたのだと思ったのか、兄の側近がしきりに婚約者がいる事は良いことだと話しかけて来ていたけれど、残念ながらいて良かったと思えるようにはならないだろう。

 そのまま兄と軽めの朝食を済ませから、お互い違う方向へと向かうために別れた。もしかして、すっぽかすとでも思われていたのだろうか。考えたことがないと言えば嘘になるけれど、実際にやったら後が面倒そうなので実行はしていないのに。


「恨みたくなるくらい雲がないな」


 本当だったら室内でお茶を共に、とのことだったのに、こんないい天気なのだからと急遽場所が変更されたらしい。今までの令嬢との顔合わせがずっと室内だったから、場所を変えれば少しでも俺の接し方が変わるのではないかとの期待も込められているのだろう。場所がどこであれ、令嬢に対しての接し方など変えはしないのに。

 令嬢は、中庭にあるガゼボに案内したそうだ。この日差しの中、待たせるのは女性にとっては嬉しくないだろう。これはもしかしたらさっさと顔合わせが終えられるかもしれない。

 そうしたら、昨日持ち出したあの本の続きが読める。令嬢に会う事よりも、そっちの方が有意義な時間を過ごせそうだ。


「本日は、お招きいただきましてありがとうございます」

「待たせてしまって申し訳ありません。どうか、楽にしてください」

「お言葉に甘えさせていただきますわ。失礼いたします」


 ガゼボで待っていたのは、水色の瞳が印象的な令嬢。婚約者候補なのだから恐らく同じ歳だろうが、腰まで伸びた菫色の髪と、すっと前を見ている瞳から落ち着いた雰囲気が感じ取れる。

 綺麗な礼を見せてくれた彼女が腰を下ろしたので、自分も座ろうと椅子に手をかけたら、一瞬だったのに眩しい光が目に焼き付いた。

 あ、これはまずい。最近ずっと外には出ていないし、暗いところで本を読むのに慣れてしまったから目が眩む。

 倒れ込む事だけはしないよう、椅子の背もたれにかけた手に力を込めた。


「殿下!」


 出会って間もないのに、そんな必死そうな声を出せるのか。どこか違う事を考えながらも、やって来るだろう痛みに身を構えていたのに、いつまで経っても体のどこからもそんな訴えはない。とっさの判断だったが、どうやら足元をふらつかせただけで堪えられたようだ。背もたれを持っている自分の腕には、確かな感触があった。


「これは、お見苦しいところを」

「いえ、そのような。お助けできず、申し訳ありません」

「そのようなこと、お気になさらず。と言っても、この体たらくの後では気になってしまいますね」


 自分の力だけで堪えられたと思いきや、護衛がさっと腹に手を回してくれていた。おかげでテーブルや令嬢も無事だった。礼は後にするとして、今は目線だけで感謝を伝える。すぐに伝わったのか、少しだけ嬉しそうに表情を崩していた。

 だけど、これはいい機会だ。このまま少し時間を過ごしたらさっさとお開きにしよう。とりあえず自分の気持ちがどうであれ、この立場にいる以上は義務を果たさなければ。


「改めまして、フォンダニエ王国第三王子、レスター・フォンダニエと申します」

「ライフィ侯爵家長女、シンシアと申します。レスター殿下とお会い出来ましたこと、とても嬉しく思います」


 形式通りの挨拶、上辺だけの会話。腹の探り合いがないだけまだ楽だな。そんな事を思いながら、シンシア、と名を告げた令嬢の様子を伺っていると、何やら意を決した表情を見せた。


「あの、不躾を承知でお聞きしても、よろしいでしょうか」

「構いませんよ。私が答えられる事であれば」


 今までの令嬢にはなかったパターンだな。だいたいこの辺りで自分に興味が向いてないと気づいて、あからさまに話を逸らしにかかるか、自分を売り込んでくるかどちらかしか経験したことがない。

 ここまでの会話で、この令嬢に対して何か思ったことは何もない。つまり、王家として礼儀を厳しく叩き込まれている自分が不快に思うような言動を、彼女はしていない。

 さて、この一線を越えようとする質問は、どういう結果をもたらしてくれるのだろうか。


「レスター殿下は、お目に何かを患っておいででしょうか?」

「……」


 そうきたか。さっき陽の眩しさにふらついたのも、目の前に座っているのに令嬢と視線を合わせようとしないのも、目が悪くて良く見えないから。そう思ったとしても、この場で聞いてくるのはなかなか勇気のある令嬢だ。どう答えようかと少しだけ思案していたら、沈黙を肯定と取ったのか、令嬢が言葉を続けていく。


「お労しい、と思う事すら失礼なのかもしれませんが……

 どうぞ、お気をしっかりお持ちくださいませ。私でよろしければ、力になりたく存じます」

「ありがとうございます。その機会があるようでしたら、よろしくお願いいたします」


 それから、探り合いのような会話をすることもなく、ただ一杯のお茶を楽しんだだけで解散となった。

 今までの令嬢、誰とも違う接し方をされたことに少しだけ興味を引かれた。そして、周りも、令嬢が不機嫌な顔で帰らなかったことから、今回は何かが違うと感じたらしい。恐らく、俺の気が変わる前にと思ったのだろう。来ないと思って告げた機会は、すぐにやってきた。


「パーティーに、ですか?」

「ええ。二番目の兄が今回、副団長となることが決まりまして。内輪だけのささやかな席なのですが、兄からぜひとも連れて来いとせがまれてしまいましてね」

「二番目のお兄様、とはルバート殿下ですわね。この度は、おめでとうございます」

「ありがとうございます。それで、シンシア嬢のご都合はいかがでしょうか」


 早朝の稽古に加えて、訓練時間も全力だった兄が認められたことは、素直に嬉しい。婚約者候補の令嬢と今回は上手くいっているようだという話を聞きつけた兄は、自分の副団長就任の祝いに、小さな席を設けて欲しいだなんて遠回しな理由を考えられる人だ。騎士団にありがちな、脳筋と呼ばれる無茶な行動をして周りの人達を困らせるような真似をすることはないだろう。


「私が、レスター殿下とご一緒してよろしければ、ぜひ」

「それでは、後ほど詳細をお伝えしますね。ご一緒出来て嬉しいです」


 ふわりと微笑んだシンシア嬢は、それは嬉しそうだった。まさか、自分が招待したことでこれほどまで喜んでもらえるとは思ってもいなかったから、その笑顔は予想外もいいところだ。

 するりと嬉しいと口から出たが、社交辞令もなしにそのような事を言えるようになるなんてこれも自分にとって予想外。



「そう言えば、シンシア嬢はいつも花の香りがしますね」


 ドレスに香りを移したというよりも、香りが降ってくるような気がする。菫色の髪はいつも違う編み方をしているが、花を飾ったりはしていない。

 一体どこから漂って来るのかと不思議に思って相手に質問しよう、そう思えるような自分は少しだけ変わったのだろう。


「これならば、他の誰がいても私に気づいてくださるでしょう?」

「……そうですか。お気遣い、ありがたくちょうだいしますね」


 あれから何度か会ったのに、まだ目が見えてないと勘違いしているのだろうか。そもそも王子の目が見えないという事実はないけれど、噂すら立っていない。上手く使えばそれなりに役立つ情報だというのに、こういう場で態度にも言葉にも出さないのだから、彼女に利用する気はないのだろう。

 けれど、そんな些細な気遣いが気持ちを浮上させているなんて、シンシア嬢は気付いていない。


「それでは、シンシア嬢。お手をどうぞ?」

「ありがとうございます、レスター殿下」


 果たして、一体いつになったら気がついてくれるだろうか。

 シンシア嬢は自分が手を引いていると思っているだろうが、こちらだってこの手を逃すつもりはないのだと。

 兄の思惑に乗ったようになったのは、少しだけ悔しいけれど、せっかくの機会。他の誰かに目をつけられる前に、しっかりと紹介しなければ。


「ああ、兄上たち。ちょうど良かった。紹介します、私の()()()です」


 触れあった手から伝わる温度が、感情を教えてくれる。まるで花束のなかにいるように満ちる香りが、何よりの答えだった。



お読みいただき、ありがとうございます。

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