ファーストコンタクト
インターホンを押して少し待つと、ガチャリと音を立て勢いよく扉が開きます。
中から出てきたのは黒髪黒目の男の人でした。ありふれた髪色に瞳の色ですが、不純物のないような綺麗な目をしていると思います。
ぼそりと何かを呟いたような気がしましたが、小声だったのでよく聞こえません。
「すいません。ここが五宮さんのお宅ですよね?」
そう問いかけると、男の人は頷きます。そして納得したような顔になりました。
「ああ。君が——.....、何でもない。上がってくれ」
「お邪魔します」
駅から引きずってきたトランクを持ち上げ、五宮さんの家へと運び込みます。入っているのはほとんど服なので、そこまで重くはありませんでした。
「大きい荷物は玄関付近に置いてもらって構わない。奥がリビングだ」
「分かりました」
私が荷物を置いている間に、五宮さんは鍵を閉めました。奥がリビングと言っていましたが、先に行っていいのでしょうか。
「どうした?先に行ってくれ」
悩んでいる内に、五宮さんが真後ろに来ていました。人二人分ギリギリの横幅なので、私が行かなければ五宮さんが通れなさそうです。
足早に向かったリビングは机と椅子、それにテレビとソファが置かれたシンプルな部屋です。
椅子に座るように勧められ、五宮さんと対面する形になりました。
「えーっと...名前は?」
「雪代天音です」
「そうか....」
とてつもなく気不味いです。初対面の人、それも異性とこうして向き合う機会なんてありませんでしたから。
それに、樹さんに言われただけなので友達の友達状態。これ以上ないくらいに苦しい沈黙が場を支配しています。
心無しか、彼も居心地が悪そうにしているように見えました。
「取り敢えず....改めて自己紹介から始めようか」
「いいですね。そうしましょう」
幸いなことにあちらの方から提案があったので、それに乗っかります。冷静になってみると、私はまだ彼の名前すら聞いていないのですから妥当な話でしょう。
樹さんから教えて貰ってはいますが、彼の口からは一度も聞いたことがありません。
「俺は五宮夏樹。親父からの情報が正しければ、雪代の義理の兄ってことになる」
「雪代天音といいます。樹さんから言われて来ました」
私だけ2回も自己紹介をした気がしますがまあいいでしょう。
五宮夏樹。樹さんから聞いていた名前と合致します。正真正銘、彼は私の義理の兄になる人のようです。そして私は彼の義理の妹、ということに。
「それで、雪代はなんで俺の義妹に?」
感慨に耽っていると、五宮さんから新たな質問が飛びます。
やはり、それは聞かれますよね。自分の妹になる人間が得体の知れない者となれば、疑うのも必然。私でもそうするでしょう。
身構えていたとはいえ、答えるのに少し罪悪感を感じます。
「......私は貴方の親戚にあたる家の人間です。とはいっても血縁上はかなり遠い親戚ですが」
そう言うと、五宮さんは驚いたような顔になります。それも一瞬で、次には元に戻っていました。
「そこからは....すいません。樹さんからも話すなと言われているので言えません」
「親父が?」
「はい。樹さんから貴方に話すと」
樹さんから口止めされていることを伝えると、五宮さんは黙り込んでしまいます。真剣そのもの、といった様子で、私は話しかけることもせずにそれを見守っていました。
彼に考える時間が必要なことは理解できていたから。視線をやることもなく、辺りを見回します。
引っ越したばかりなのか、基本的な家具以外は無い殺風景なリビング。その床に薄っすらと段ボールのような跡があります。
私が来ると知って片付けてくれたのでしょうか。
「分かった。それで雪代はこの家に滞在するのか?」
考えることは終わったようで、五宮さんは再び会話を始めます。
「樹さんからそうしろと言われて来たのですが....」
これに関しては、樹さんの感性を疑わざるを得ません。
義理の兄がいると聞いた時から嫌な予感はしていましたが、ほぼ同い年の男女を同じ家に住まわせるなんてどうかしています。
そもそも、五宮さんが断固として拒否するかもしれませんし。
「すまん。ちょっと待っててくれるか?」
「?分かりました」
頭に疑問符を浮かべながらも、五宮さんが部屋を出て行くのを見送ります。
そして待つこと約5分。
戻ってきた五宮さんは、先程の怪訝な表情とは違いすっきりしたような顔をしていました。
「話を遮って済まなかった。一応部屋を案内するから着いて来てくれないか?」
どうやら私はこの家で暮らすことに決定したようです。
五宮さんと樹さんの間でどんな話がされたかは分かりません。声は聞こえましたが、詳細までは聞こえなかったからです。
その中で、彼は私がここに居候することに納得したのでしょう。まさか承諾されるとは思いませんでした。
しかし、今更私がそれを突っぱねるわけにもいかず。なすすべもなく、私は五宮さんに着いていくのでした。
「この部屋を使ってくれ。そこそこ広いしスペースには困らないと思う」
私にあてがわれたのは、リビングに近い一室です。部屋は決して狭くはなく、快適に暮らせる広さでした。
こんなに広い部屋を私が使ってもいいのでしょうか。そう逡巡しますが、五宮さんがここを使えと言うのですから間違いはありません。
「分かりました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げます。家族になる相手に対して大袈裟かもしれません。ですが、私達の関係なら妥当と言えます。
「礼を言うような事じゃないだろ。当然の権利だよ」
言えませんでした。
五宮さんからすれば、私は食客のようなもの。掻い摘んで言うなら赤の他人です。
まあ.....私がずっとリビングにいるというのも五宮さんに取っては迷惑他ならないですからね。
案内された後は、荷物を整理するように言われました。
「整理が終わったらリビングに来てくれ」
パタリと扉が小さな音を立てて閉じました。
ふう。やっと一人になれました。
やはり知らない人と二人でいるのは疲れます。五宮さんが悪いというわけではなく、これは私の問題なのですが.....それでも疲れることに変わりはありません。
目立った汚れもなく、白い壁を見回します。
これからこの部屋で、この家で、一緒に暮らしていくという実感が湧きません。心の準備は出来ていると思っていましたが、そうでもなかったようです。
どんな風に五宮さんに接すればいいのか。
五宮さんは私が居ることをどう考えているのか。
思考に浮かぶのは彼のことばかりです。
異性と一つ屋根の下で暮らすとなればこの反応も仕方のないことでしょう。......ですよね?
考えて分かったのは、考えても仕方がないということだけでした。
そうと分かればやることは一つです。
私は近くに置かれたスーツケースを開き、中に入っている荷物の整理を始めました。
天音視点はあと一話です。