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推したらぜんぶうまくいく  作者: まつたきりか
6/11

6:リビングルーム

 窓の外はいつの間にか暗くなっている。

 十一月も半ばを過ぎて、めっきり日が落ちるのが早くなった。月並みだが、秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだ。

 マグカップが空になっているのに気づいて、俺は勉強の手を止め、インスタントコーヒーを淹れるために階段を下りた。

 リビングに入ると、珍しく姉がソファに座ってテレビを観ていた。

 パジャマを着て首からタオルをかけ、胡坐をかいている。

 普段ならそこは父さんの指定席で、この時間は野球中継に届かないヤジを飛ばしているのが常だったが、今夜は父と母が揃って出張中で、明日の昼まで帰ってこない。

「珍しいね、姉さんが茶の間でテレビとか」

「地上波ちゃうよ。GoCube」

 姉はリモコンを操作して、テレビの機能画面からGoCubeアプリを起動させた。

「あんたも観るでしょ、ビーちゃんの同期の」

「うん。部屋でみる予定やったけど」

 今日は十九時から、フィービーの同期になる七期生四人が、リレーで三十分づつ枠を取って、デビュー配信を行う予定だった。

 フィービーのデビューから三か月、まさに待望のデビューだ。

「せっかく茶の間空いてるんやから、大画面で観いひん?」

「テレビやから、コメント入れにくいやん。しかも今父さんのアカウントやし」

「コメントだけスマホでやったらええねん。あたしもそうするし」

 なるほど。その方法は盲点だった。

「姉さんはコーヒーいらん?」

「いらん。ジュースあるし」

 見れば彼女の目の前には、ペットボトルとスナック菓子の袋が複数用意されていた。

 俺は姉さんの背後を通過してダイニングの方に移動した。風呂上りなのか、すれ違いざま、ほんのりシャンプーの匂いがする。

 ガラス戸棚をあけてインスタントコーヒーとクリーミングパウダーの瓶を取り出し、小さじで二種類の粉末をマグカップに適量放り込む。砂糖は入れない。

「今日は自分の枠ないんやったっけ?」

 そう訊ねながら、食卓の上のポットから湯を注いで、かき混ぜながらリビングの方に戻る。

「昼に作った動画上げるだけ。さっき済ませてきた」

 姉さんはテレビの画面を見たまま答えた。

「晩御飯は?」

「部屋でパン食べた。あとエナドリ」

「たまにはまともな食事しいや」

 言いながら、俺は姉さんの隣に座ってコーヒーに口をつけた。

「あんたはどうなん?」

「さっきカップ麺食べた」

「人の事言えへんやん」

 たしかにそうだ。俺は笑ってごまかした。

 そういえば、姉さんと二人だけでこうやって会話するのは、随分ひさしぶりな気がする。ひょっとすると、三月のあの夜以来かもしれない。

 普段、朝俺が起床するころには姉さんはもう寝ているのが普通だ。バイトの入っている日は早く起きるので、たまに就寝前の姉と洗面所で会って挨拶することはあるけど、レアケースだった。

 そして予備校から帰ってくると、だいたい配信前の作業中だったりするので声をかけられない。

 夕食のときはいつもなら父さん母さんがいるし、宵の口になると俺は勉強、姉さんは配信で部屋に引きこもる。

「そういえばあんた」

 と、姉が振り返って俺の方を向いた。

「進路のことはちゃんと答え出たん?」

 世間話でもするように、そう訊ねてきた。

「うん。法学部のあるとこ目指すわ」

 俺があっさり答えてやると、姉さんは「法学部ぅ?」と驚いたような声をあげた。

「なんや意外やな。本好きやから文学部とかかと思た」

「まあ、確かに実際去年は、漠然としたイメージだけで文学部受けたけど――きっかけがあってね。いろいろ考えた」

「きっかけ?」

「こないだのGPEX大会の時、姉さんたちのこと叩く人、結構おったやん」

「そやったっけ」

 姉さんはすっとぼけたが、知らないわけがない。

 GPEXはeスポーツとしての競技シーンでも盛り上がりを見せているが、そちらの方向性(ガチ勢)しか認めないようなファンが、カジュアルになりがちなVのカスタム大会参加に対して苦言を呈したり、逆にそのような苦言に対して熱烈なVファンがヘイトを吐いたりして、チャットやコメント欄が荒れることがしばしばある。

 参加者がVに限られていた先日の大会でも、「ゲームを遊びだと思ってる奴がいる限り日本のeスポーツは発展しない」みたいなわけのわからんマウントを取ってくる連投コメントがあって、普通に推しの頑張りにエールを送るだけの俺のような視聴者は、そのたびに不愉快な思いをした。

 GPEX配信に限った話ではない。

 何が気に食わないのか知らないが、チャット欄やアーカイブのコメントに人格攻撃やいわれのない中傷を書き込んできたり、SNSや匿名掲示板でヘイトをまき散らしたりする人は慢性的に湧いてきて、嫌でも目に入ってくる。

 言い返すと余計に荒れるから、一般視聴者としては、そういうのは見つける都度ブロックしたりフィルタリングするしか防衛手段がない。

「それで調べたんやけど、今ネット上の誹謗中傷て、えらい社会問題になってて、裁判起こしてる人もいるねん。けど、バーチャルの人てまだ適切な法的保護が受けられるかどうか微妙なゾーンがあって、それがこれから法整備を進めるうえでの課題の一つやと思うんや」

「あーそれ、フルダイブ(うちとこ)の法務も言うてたな。自己防衛せえよ、って」

「そやから、法学部で専門的な考え方を身につけて、司法試験受けて、法曹界から姉さんやフィービーを守れるようになれたらええなあ、って。仕事と推し活一緒くたにしたらあかんかもしれへんけど、理想を言えばね」

「弟のくせに生意気ぃ――まあ三月の時の情けない答えより、だいぶ成長したね」

 えらいえらい、と、姉はあの夜と同様、俺の頭に手をやって、嬉しそうに褒めてくれた。

 テレビの画面では、七期生リレーの最初の枠が始まろうとしている。

「スマホ取ってくるわ」

 俺は真っ赤に照れた顔を観られないようにしながら、立ち上がって速歩はやあしでリビングを出た。


***


 考えてみれば、年の離れた姉と弟、というのは、他にはなかなか無い関係性なんじゃないだろうか。

 母親とも違う、同年代の女の子とも違う。たぶん、年の近い姉とも違う。

 もちろん同性の先輩や友人たちとも違う。

 あえて例えるなら、教育テレビで自分よりも高い学年向けの番組に出ている女性子役タレントが身近にいるような感覚……も、なんか違うか。

 とにかく、俺と姉さんは唯一無二の関係性なのだとしか言えない。

 物心ついた時から、姉さんは俺の憧れの存在であり、庇護者であり、教導者だった。ヒーローで、ヒロインだった。


 小さい頃、戦隊シリーズのごっこ遊びをすると、どうしても女性メンバーが欠けてしまう問題に突き当たる、という経験のある人は多いんじゃないかと思うけど、そんな時、俺の姉さんは進んでその役を買って出てくれて、俺や男の子の友達に交じって暴れまわっていた。

 興味の対象が広く、一般的には「男の子向け」と言われるようなジャンルの趣味にも手を出した。

 日曜日の朝には女児向けアニメと特撮ものをボーダーレスで観ていたし、すぐやめてしまったけど空手道の教室に通ったり、BMX用の自転車を買ってもらって競技用のコースに出てみたり、メカアニメのプラモデルを作ってみたりと、インドアアウトドア問わず思いつくままジェンダーレスで突撃するのが幼少期の姉さんのライフスタイルだった。

 それでいて、その頃の姉さんが一番心惹かれていたのは宝塚の公演だった。

 生の舞台を俺が一緒に観に行ったのは、たぶん一度か二度ぐらいだったと思うけど、帰り道の電車の中でひとしきりその日の公演の内容を反芻して語り、また役者の卵としての目線で、あそこの表情が、あの場面のセリフが、と偉そうに評価を下したり、好きな役者さんの推し語りをしているうちに、いつの間にか家に着く、というほどの入れ込みようだった。

 中学校を卒業したあと、劇団を離れて音楽学校に入ることも本気で検討していたようだ。

 思えば、今やってるバーチャルアイドルというのも、その志向の延長線上にあるのかもしれない。引退するまで舞台裏の顔を見せられないところもちょっと似通っている。


 姉さんが俺に対して過保護だというのは、事あるごとに他人から指摘されたし、なんなら両親からも言われたし、俺も多少は自覚している。

 今年の三月の件の事だけではなく、思い返せば、人間関係やら勉強やらの悩み相談に嫌な顔もせずに乗ってくれたこともあったし、高校受験の時の進学先で両親と意見が分かれた時に、味方をしてくれたりもした。

 ただ、それでも俺にとって姉さんは「自分で自分の道をどんどん切り開いていく孤高の人」で、俺を顧みて保護してくれるというより、俺の方が姉さんの背中を見上げて、そのあとにくっついて、置いていかれないように、見捨てられないようにしないと、という感覚が強かった。

 姉さんが過保護というより、俺の方が姉さん依存症だったと思う。

 それは背の高さを追い越しても変わらなかった。

 けれど――

 今や、姉さんには姉さんだけの、輝ける世界がある。

 ユカイナノと、つぎのはじめと、フィービー・シルエットとともにある、次元の向こうの世界。

 それを俺が追いかけることはできない。


 いいかげん、姉離れしないとなあ……


 姉さんがいまだに実家住まいなのは、うぬぼれかもしれないけど、多分、俺がまだ頼りないせいだ。

 部屋に戻り、机の上からスマホを取って、明かりを消し、また階下のリビングに降りる。

 姉さんはテレビの画面を見たまま、「もうはじまるよ」と告げた。

 遠くない未来、いつか姉さんの背中が見えなくなってしまうだろうことを予感しながら、俺はすこし間をあけて隣に座った。

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