5:彼女の戦い
「……ほんま大丈夫?」
最高に幸せそうな顔のまま椅子ごと卒倒した俺に駆け寄って、増山さんは本気で心配した表情で言った。
いやいやいやいや。
まだ死ねない。明日もフィービーの夜歌枠があるんや。
俺はがばりと跳ねるように起き上がった。
「具合悪いなら医務室行く?」
「いえ、大丈夫です」
起き上がったところで、怪訝な顔で守衛さんが廊下から自習室を覗き込み、懐中電灯を向けてきた。
椅子が倒れるときに大きな音がしたので、確認しに来たのだろう。
「何してるの? 十九時までだよ」
「あ、すんません」
増山さんがぺこりと謝る。
「ちょっと自習が長引きました」
「頑張るのはいいけどねえ……」
と、やや嗜める様な口調でそれだけ言って、守衛さんは立ち去った。
「……場所変えよか」
「ですね」
俺たちはそこで近所のファミレスに移動して、隅のボックス席に陣取り、お腹もすいていたので軽めの食事も注文してから、再びスマホに見入った。
他のお客さんもいるので、音声についてはイヤホンを片耳づつシェアすることにした。
機材トラブルは解消したようで、ちょうど最終ランドのカウントダウンが始まる所だった。
ゲームが開始され、指定された場所に降下するとすぐに武器探しが始まる。いい装備が整うといいけど、探すのにもたついていると他の部隊に出遅れてしまう。
切りのいいところで、リーダーの姉さんが向かう場所を指示した。
安全地帯収束前の、部隊が分散した状況で、すみやかに各個撃破していきたいところだ。二部隊間の戦闘が長引くと、消耗したところで第三の部隊が奇襲して来て、漁夫の利を持っていかれるのが常だから。
これまでのラウンドではそれがおおよそ上手くいっていたようで、今回もムーブを変える気はないようだ。
しかし、ここに来て様子が違うことに明智さんが気づいた。
「部隊の減り、早くね?」
画面上には様々なパラメータが表示されているのだが、残存部隊数の表示は全体の戦況を把握するのに最も重要な要素だ。開始時の六十人・二十部隊から、わずか二分でニパーティが全滅し、残り五十三人という表示になっている。
フィービーたちの部隊も、隣接するランドマークに降りていた部隊を目前に捉えて、襲い掛かろうとしているところだったが、それよりも早く他部隊を狩りに来ている部隊があるということになる。
これまでは生存優先で不必要な戦闘を避けていた他の部隊も、最終ラウンドということで、積極攻勢に切り替えてきたのだ。
時計が進み、フィービーたちが最初の戦闘に勝って一部隊を壊滅させた時点では、残り十五部隊の表示まで減っていた。
チームに緊張が走る。
「キルムーブしてるねえ、他の部隊も」
「キルポ上限無くなった途端これかい。――負けられへんなあこっちも」
「……がんばりましょう!」
指示や報告だけではなく、声の掛け合いも良くできている。
ほどなく、安全地帯の収束が始まる。
安全地帯は時間経過に伴い五段階に分けて収束していく。安全地帯外にいても即死するわけではないが、一定のダメージを常時喰らい続けるので、回復の操作をしつつ、急いで安全地帯内に駆けこまないと、体力が削り切られてゲームオーバーになる。
「うわ、えっぐ」
隣で見ていた増山さんが、思わず声をあげた。
次の安全地帯への移動を余儀なくされたフィービーたちの前に、突如現れた敵部隊――
「リャマリャマさんのチームやん」
「ええ!」
リャマリャマさんは個人勢のV配信者で、毛糸の帽子をかぶったほんわかした感じの外見の方だが、FPS実況配信を主なコンテンツにしていて、そのスキルは数々の公式大会でプロと張り合うほどの、ゴリッゴリの猛者だった。
しかも場所が悪い。
射線を遮る障害物が少ない平坦な坂で、リャマリャマさんの方が高所を占めていた。救いがあるとすれば、味方の明智さんが使っているヒーロー(キャラクター)の特技で周囲に毒ガスを撒いて、敵の体力をジワジワ削りながら戦えることだけど、オープンな地形なのでそれも効果は薄い。
「あたしがヘイト取るわ。ビーちゃん裏とれる?」
姉さんが少ない言葉で的確にオーダーを出す。
「やってみます!」
「らんちゃんはとにかくガス撒いて」
「おー」
リャマリャマさんの部隊は、パワーバランス調整のためリーダー以外は二人とも経験の浅い、ほぼ初心者の人だったはず。
姉さんの挑発で、その初心者さんをおびき寄せてリャマリャマさんを巧みに孤立させたところに、ヒーロー特技の『バックドア』を使って高速移動したフィービーが急襲をしかけた!
〈バックドアひいたぁ!〉
〈1on1や! あっつ!〉
〈がんばれ~!〉
チャット欄も大盛り上がりだ。
襲われたリャマリャマさんのキャラクターコントロールは練達の極みを見せて、ダメージを最小限に抑えつつも的確に間合いを詰め、ショットガンに持ちかえて大きなダメージを与えてくる。
フィービーは致命的なヘッドショットこそ躱していたけれど、ダメージレースでは後れを取っていた。さすがに分が悪い。
姉さんは初心者さんのうち一人を倒したところでフィービーの支援に向かったが、背後を取ろうとしたところでリャマリャマさんの振り返りざまの一発を食らってノックダウン。
明智さんはガスを撒きまくっていたが、窮地をみて一人残った初心者さんの牽制にまわる。
フィービーを守っていたシールドが割れる。
「ノック使って隠れて!」
近くにいた姉さんのダウン体が、体を引きずってフィービーの盾になる位置に動いた。ノックダウン後もとどめを刺されるまでは正面向きのシールドが張られるので、遮蔽に使えるのだ。
なまじ集弾率のいいショットガンだったので、リャマリャマさんのとどめの一撃はすべて姉さんに吸われた。リロードのモーションに入り、大きな隙ができる。
「チャンスや!」
増山さんが叫ぶ。
姉さんに守られつつ放ったフィービーの一撃が、クリティカルヒットでリャマリャマさんのシールドを割った。
「おっしゃ!」
「やりー!」
俺も増山さんも思わず大きな声をあげてしまい、慌てて手で口をふさぐ。
これで条件は互角。次の一瞬の攻防ですべてが決まる。
リャマリャマさんが素早く後退。
付近の小岩で遮蔽を取ろうとしたところで、フィービーはタイミングよく特技を発動し、全速で間合いを詰める。
死角に入り込んだ彼女のハンドガンが一閃――ヘッドショット一撃で、緊迫の決闘に幕を引いた。
「うおおおおおお!」
周囲に迷惑にならない程度の歓喜の雄たけびを上げつつ、俺はお祭り状態のチャット欄に「ナイス! ナイス!」と称賛を書き込んだ。
「あのリャマリャマさんに……ワン・オン・ワンで勝った……!」
「すごかったな今のん! ビーちゃんこないだまでブロンズやってんで?」
「ジャイアントキリングですよまさに。あっつう!」
「これ名勝負ちゃう? 切り抜き必須やん」
増山さんも興奮して声が裏返っている。
残っていた初心者さんも明智さんに撃沈され、リャマリャマさんの部隊は全滅した。
「これで六キルですよ! え、一桁あるんちゃうかなこれ。ねえ?」
興奮冷めやらぬままに増山さんに同意を求めたが、彼女はそこで表情をこわばらせた。
「いや待って。――漁夫きた」
「マジですか?」
先ほどの一戦の回復もままならないうちに、別の部隊が機を見て襲い掛かっていたのだ。
姉さんはダウン体で戦闘不能、フィービーもシールドが尽きて体力ゲージはミリ。明智さんもシールド割れギリギリなうえに弾薬が尽きている。
さすがになすすべもなく、フィービーたちの最終ラウンドは終わった。
画面に「部隊全滅」の赤い文字が表示される。
ラウンド順位は十三位。キルは六で止まった。
***
頼んでいたコーヒー軽食セットが配膳され終わるまで、俺はお通夜のような顔のまま無言で落ち込んでいた。
増山さんは向いの席に移動して、コーヒーに砂糖とクリームを入れ、かきまぜていた。
「……追加で何か頼む?」
「いえ」
俺はブラックのまま、苦いコーヒーをすすった。
「すんません、付き合わせてしもて」
「ええよ。明日バイト休みやし」
「ほんま、すんません」
気持ちの整理をつけるのが想像以上に難しかった。
「惜しかったもんなあ」
「ええ」
うなずいて、今大会の視聴者によりSNS上に上げられた、試合総合結果のスクショをもう一度確認した。
フィービーのチームの順位点とキルポイント、およびスペシャルステージでのボーナスを加味した総合成績は十位。
キルポイントランキングでフィービーは惜しくも三位。
リャマリャマさんのようなプロ級のプレイヤーが居並ぶ中でのこの成績は立派なものだった。けど――
我知らず、涙が頬をつたう。
「悔しいね」
増山さんはため息をついて、自分のコーヒーに口をつけた。
外見は子供っぽいのに、こういう時の所作はさすがに大人のお姉さん、て感じだ。
「自分が大学落ちた時より悔しいです……」
三月のあの夜、姉さんの前で泣いたのは、自分が悔しがるほど本気で受験に取り組んでいなかったんじゃないか、と自己嫌悪に陥ったからだった。
今自分が落ち込んでいるのは――感情移入しすぎて、本気で悔しいからだ。
「フィービーが頑張ってるの、ずっと観てたから、いつのまにか自分を重ねてて……全力でやり切ったのに、あっけなく終わって……」
「うんうん」
「……俺が今日の模試、頑張れたのも、フィービーが一緒に頑張ってるからって思ったからで――でもそれで俺が運を吸っちゃったのかなとか、フィービーが負けたの俺のせいかなとか」
「それは絶対ちゃうよ」
増山さんはそこで口調を厳しくして、俺の話を止めた。
カップを置くと、増山さんはテーブル越しに右手を伸ばし、俺の左ほほをつまみあげた。
「ま、まふやまふぁん?」
「シャンとしなさい。もし結果が逆やったら、君はビーちゃんのせいで成績落ちたて言い訳するんか?」
増山さんは、まっすぐ俺の目を見て訊いた。一瞬、姉さんに叱られているような気持になる。
「ビーちゃんは堂々と戦って負けた。結果は結果や。君はどうなん?」
そうか、と俺は増山さんの言いたいことを理解した。
俺には俺の戦いがあり、フィービーにはフィービーの戦場があった。
俺の勝利は俺だけのもので、フィービーの敗北は彼女だけのものだ。
重ね合わせて自分を奮い立たせるのも、彼女の悔しさに共感するのも俺の勝手だからいいけど、彼女が俺のせいで負けたなんて言うのは、むしろフィービー自身の努力に対する冒涜じゃないか。
そこまでいったら、もはや共感でも何でもない。気持ちの捏造だ。
「ふいまふぇん。ほえ、はんひはいひへまひは(すいません、俺、勘違いしてました)」
「なんて?」
「……ほろほろほべたふまむんやめへもはえまふ?(そろそろ頬べたつまむんやめてもらえます?)」
「ああ、ごめん」
増山さんが指を放してくれたところで、気を取り直して俺は言い直した。
「俺、勘違いしてました。フィービーに自分の気持ちを押し付けるとこでした」
「うん、わかったならええねん」
増山さんは「つねってごめんな」と軽く言い添えて、照れ隠しのようにサンドイッチにかぶりついた。
「それでも俺、今日の悔しさは……忘れたくないです」
俺はぽつりともらした。
「フィービーと一緒に熱くなって、悔しがれたこと、忘れたくないです」
増山さんは口の中のサンドイッチをコーヒーで流し込んでから、うなずいて言った。
「うちらもまだ、頑張らんとあかんもんな」
フィービーの枠に戻ると、大会終了から時間が経っているにもかかわらず、まだ閉じられていなかった。大量に送られた投げ銭コメントを読む時間がもう三十分以上続いているようだった。
俺の本当の決戦の日――当面は大学入試共通テストの日まで、正味三か月。
その日を迎える前に、知らなかった本当の悔しさの味を教えてくれたフィービーに、なにか一言伝えたくなった。
感謝も、共感も、感動も、勘違いもすべてひっくるめて。
なにより彼女自身のがんばりに対して、かけられる言葉は――
考えた末、結局俺が書き込んだのはただ一行。
〈お疲れ様。かっこよかったよ!〉
本当に、彼女はカッコよかったんだ。