3:アルバイトとコラボ配信
俺はフィービーに出会った七月の末から、「勉学に集中するための精神安定に必要な投資=推し活」のために、短期アルバイトを始めることにした。 最推しができた以上は、今までと違い、「目に見える形での応援」をしたくなったのだ。
配信に対しては投げ銭チャットを送り、公式グッズの売り上げに貢献し、リアルライブを観……にいく余裕はないが、要するに、お金が要る。
浪人生の経済力は、たいていの場合親からの小遣い銭に依存している。
予備校の学費やら模擬試験の費用やらをすでに負担させてしまっている以上、定期の小遣い以外で金銭をせびるのは気が引ける。勉学に集中する、という建前上、アルバイトを始める、とも言いだしづらい。
また、バイトを許されたとしても、特に夏休み期間は浪人生にとっては山場で、夏期講習などとの兼ね合いも考えなくてはならない。
両親はあまりいい顔をしなかったが、姉さんが「絶対人生経験になるから」と賛成してくれて、一緒に説得してくれた。
ただし、
「本分を疎かにするようやったら速攻で辞めさすからね」
と釘を刺されもした。
仕事の内容は駅前のネットカフェの店員で、学生だと入るのが難しい早朝シフトに入れてもらえることになった。時給もそんなに悪くない。
そしてバイト初日。
「まあ、お客さんもあんまり出入りの無い時間帯やからね。一つ一つ丁寧に仕事覚えていけばいいよ」
と、このバイト先を紹介してくれた予備校の先輩……というのだろうか、京大に入るために二浪している増山さんが激励してくれた。
増山さんとは予備校で知り合った仲だ。
俺が昼休み、ロビーのソファー席でフィービーの歌動画を見返しているとき、「ビーちゃん好きなん?」と背後から声をかけられたのがきっかけだった。
そこから、彼女もまたフィービーの歌声に魅了された一人だということが判明して会話が弾み、たちまち意気投合したのだ。
ショートカットで、ボーイッシュな装いを好む増山さんは、背が低いこともあって、初見だと小学生男子にしか思えないが、今年で二十歳になる立派な大人の女性だ。
性別についても年齢についても、第一印象で誤認されることについて、増山さんは慣れっこのようだった。
むしろそういう誤解をされることを面白がっている節すらある。
一度だけ、サプライズのようにフェミニンなデザインの薄手の白ワンピースを着てきたことがあり、その時に、なんというかその、女性らしい体つきであることは確かめることができたのだが、普段とのギャップに驚く俺をニヤニヤしながら観察されていた気がする。
増山さんは、バイトの時間を確保できる夏期講習の効率のいい取り方なども教えてくれて、浪人の先輩として頼りになる存在でもあった。
二浪もしていればどんどん精神が追い詰められていきそうな気もするけど、増山さんの言動は常にどこかに諦観があって、無駄な気負いが無く自然体な感じがした。
そして何より彼女は、推し活の先輩でもある。
フルダイブについて、V配信者界隈についての知識は俺以上だ。愛も深い。
「浪人やと推し活にお金使いづらいの、ほんまようわかるわー」
増山さんはその点でも俺に共感してくれた。
「それでも、Vのグッズ関係はいろんな価格帯のもんがあるから、手の届くものは買いたくなるもんなあ」
「ボイスは出る都度ほしくなります」
「そやんなあ。あとアクスタとかタペとか、現物で置いとけるもんを、なんか一つくらいは欲しなるなあ――君はビーちゃん単推し?」
「今はそうですね。彼女のデビュー前は箱推しでしたけど」
「絞ったんやね。他のフルメンとか、『ごじげん』とか個人勢の方とかは見いひんの?」
「切り抜きがお勧めに上がってきたら観る、って感じですかね。元動画観るんは……すわてぃぐらいかな」
「すわてぃもええよなあ、関西弁で陽キャやしゲーム上手いしな。うちはフルは三期生の『マイスト』コラボから入ったから、つゆちゃんとか蘭世ちゃんとかも好きで――」
予備校では受けているコースが違うので、授業中に増山さん会うことはほとんどない。が、バイトではシフトが重なる日が多く、お客さんが来ない合間の時間に、推しの情報や、配信の感想を共有できるのが、素直に楽しかった。
バーチャル配信者のコンテンツを本格的に見始めたのが浪人になってからなので、これまで同好の士に出会える機会なんて皆無だった。そういう意味でもこのバイトを始めたのはいい決断だったと思う。
バイト先から予備校は目と鼻の先なので、シフトが明けたらすぐに授業に向かえる。デメリットは午後の授業でちょっと眠くなることくらいだった。
帰宅すると、食事、風呂、自宅学習、と手短にこなしたうえで、フィービーの歌枠がある日はそれを聴きながら就寝する。(寝落ちして最後まで聴けなかった部分は後日休講日などにまとめて視聴する。)
最初の給料で俺が購入したのは、フィービーの季節ボイス二種類と、クリアファイル(使用用と保存用の二枚)、チェキ風ラミカード、ラバーストラップ、それに他のフルメンとセットになっている缶バッジだった。
アクリルスタンドはまだフィービーのものが無く、姉さんのを買おうかとも一瞬迷ったけどやめた。
オリジナルデザインTシャツとかのアパレル関係は全体に価格設定が高くて手が出ない。ポストカードセットは無理すれば買えないことは無かったけど、優先順位が低く、期間限定でもないので今回は購入を見送った。
業界経済まわしたった、というシニカルな感慨もあるにはあったが、それ以上に、どのグッズも今の俺にとっては値段以上の価値があるもので、企画を出し商品化してくれた運営さんには感謝しかない。
机の上の目に留まる所にクリアファイルを立て飾り、壁のコルクボードにラミカードを張り、カバンにラバストを提げ、缶バッジをつけ、スマホにボイスをダウンロードし終えると、自然に気持ちが高揚してくる。
バイトの早起きシフトも、予備校の授業も、フィービーのご加護があれば乗り切れるような気がした。
フィービーを推しはじめてから、世界の見え方が変わった気さえしたのだ。
***
二人以上の配信者が、通話を繋いで、あるいは同じ場所に集まって、同じ時間帯に同じ内容を配信するのがコラボ配信だ。
別の場所で通話を繋いでやり取りするのが「オン(ライン)コラボ」。
スタジオなど同じ場所に実際に集まってやり取りするのが「オフ(ライン)コラボ」。
コラボ配信は、参加者のうち一人しか視聴していないリスナーにとって、他の配信者を知るきっかけになることは、前に実体験をもって述べたとおりだ。
デビューしたての新人にとって、先輩との初コラボはひとつの通過儀礼のようなものだ。
いつ頃なのか、誰となのか、注目度が高い新人ほど、その期待や不安は大きくなっていく。
衝撃のデビューからひと月以上が経ち、フィービーの初コラボの相手は誰になるのか、九月初頭のSNS上でのファン予想では、コミュ力が高くOP映像も製作した姉さん――諏訪原千織か、昼枠のゲスト対談「露子の部屋」で人気の三期生、小河内未露さんが有力視されていた。
ところが、実際の初のコラボ枠は、まさかのゼロ期生「つぎのはじめ」さんだった。
しかもスタジオでのオフコラボ。さらに言うなら二人コラボ。
金曜の夜、デュエットでボカロ曲縛りの歌枠をやるらしい。
公式のスケジュール表でそれを確認したファンたちのどよめきは尋常なものではなかった。
〈初コラボがはじめちゃんは大型新人すぎる〉
〈伝説と、新たな伝説の邂逅〉
SNS上には、驚愕、コラボ相手への敬意、そしてフィービーの才能への期待がこもった応援コメントが多数あがった。
つぎのはじめ――フルダイブ最初のバーチャルタレントである。
というか、もともとフルダイブは、次世代バーチャルアイドル「つぎのはじめ」を世に送り出すための、
「つぎのはじめフルダイブプロジェクションライブ」
という名前で始動した企画なのだ。
当初は「ユカイナノ」や「アスノヒカリ」の流れをうけた正統派バーチャルヒロインをプロデュースする、という触れ込みだったが、
それが界隈のシーンの変化とか紆余曲折あって、他の同様のバーチャルタレントのプロジェクトと合流し、現在のアイドルグループ、総合タレント事務所としての「フルダイブ」が始まった。
――「つぎのはじめ」とはすなわち、フルダイブの原点にして頂点。
すべての後輩たちの尊崇と憧憬を集めるパイオニアなのだ。
……と、ここまでほぼ増山さんの受け売り。
そんな偉大すぎる先輩とのコラボに、フィービーは緊張していないだろうか。粗相して熱烈な「はじとも」原理主義者に嫌われて炎上したりしないだろうか。
杞憂民のような心持ちで、配信の開始を待つ。
OPが明けて、はじめさんとフィービーが画面の真ん中で並んでいる画面が映る。
定番の挨拶のあと、フィービーの自己紹介、はじめさんの自己紹介が続き、小ネタを挟んだオープニングトークでツカミは上々。
最初の一曲のイントロが流れると、チャット欄が騒然となる。
かつてはじめさんがカバーしてMVを出し、フルダイブの動画初の百万再生を記録した、ボカロの名曲だった。
コラボ用リアレンジで、二人の歌声が交互に掛け合い、時に響き合い、サビでハモるように構成されている。
ボカロ曲特有の人間離れした超高音域でも、二人の声がヘタることなく伸びて、しかも綺麗にハモるのは鳥肌ものだった。
あかん、おもわず勉強の手を止めて、聴きいってしまう。
それにしても――フィービーの歌唱力モンスターっぷりよ。
はじめさんも、フルメンの中では歌も声もトップクラスにいい評価を得ている方だと思うのだけど、コーラスも掛け合いも完全にフィービーがリードしている感じなのだ。
続けざまに三曲歌いきったところで、中休み的なMCが入る。
はじめさんが一口水を含む音がマイクに入り、
「いやー、すんごい新人さんが入ってきましたねえ!」
と、やや息を切らしながら言った。ふんわかした口調のトークもはじめさんの人気の一因だ。
「七期生って、今んとこビーちゃんだけだけど、ほかの同期さんの話とか、何かきいてる?」
「あ、いえ。でもいま運営さまが一生懸命準備してるみたいです」
「じゃあ、ゼロ期生じゃないんだね。ちょっと残念。同期の人はみんなビーちゃんみたいに歌上手いのかな?」
「分からないですけど、同期でもこんな風に、一緒に歌えるといいですねー……んー」
フィービーはそこで少し言葉を詰まらせてから、「いくちゅ!」と可愛いくしゃみをした。
チャット欄は早速、
〈くしゃみたすかる〉
のコメントで埋め尽くされる。
これはV配信のミームのようなものだ。
本来なら配信者側がくしゃみしたり鼻をすすったりする時、音が配信に載らないようにマイクをミュートして調整するのだが、それを忘れたり、今回のようなスタジオ撮りで調整できない場合、
――くしゃみもかわいいよ
とか、
――気にしなくていいよ
という意味を込めて
〈くしゃみたすかる〉
とコメントする。英語のBless you! みたいなものだ。
はじめさんが、
「助かってる人おおいねえ」
と笑った。
「ところでぇ、定番の質問なんだけど、……ビーちゃんが一番好きなフルメンの先輩って誰?」
「え?」
MCの流れなどは事前に打ち合わせがあったと思うのだけど、この質問は本当に知らされていなかったものらしく、フィービーの表情に困惑の色が浮かんだ。
「そんなの決められないですよぉ!」
「じゃあ、逆に一番きらいなフルメンは?」
「もっとムリ~!」
反応がいちいちかわいい。
はじめさんもキャッキャと笑い転げている。言い方がツボに入ったらしい。フィービーはちょっとむくれた表情で、
「もうー! そしたら、一番好きなのも嫌いなのもはじめさん、てことにしときますからっ!」
とキレ気味だ。
怒った声までかわいい。
「はーい、じゃあ『好き』の方だけもらっといて、次の曲いきまーす……次の曲、いけるかな、口角あがりっぱで歌えないかも」
さすがにMC回しははじめさん主導になる。だがこれは歴の差。
フィービーのトークも、百点満点ではないかもしれないけど、スネたりキレたりする時のリアクションがかわいくて面白い。はじめさんもいじり甲斐があるだろう。磨けばもっとうまくなるに違いない。
チャンネル登録者数も順調に増加している。
デビュー配信を観た時の予感と期待が、どんどん現実になっていく愉悦。
俺はこの日の配信で、些少ではあるが、人生で初めての投げ銭を送った。
フィービーとはじめさんは一時間半で十曲を歌い、最後に二人の「歌みた」動画が直後の時間枠でプレミア公開されることが予告されて、好評のうちに配信は閉じられた。
スマホが鳴り、増山さんからSNSのトークメッセージが届く。
〈うちらの推し、すごいやん〉
そして直後に「震えた!」という文言の入ったスタンプが続く。
俺は「完全に同意」のスタンプを送り返した。