06. 繋霊を創った者と霊の力を宿す者
辺りは暗く静まっている。ただ一つ薄暗い明かりが漏れている建物があった。
「神よ。またヒトの命を奪うことになりそうだ。私に加護をそして許しを」
短い白髪のその男は両手を合わせ目をつむりながら小さな声で十字架に祈りを捧げる。
“キイィィ”
大きなその部屋に入口の扉が開かれる音が不気味に響く。
「こんな夜中に礼拝とは大変ですね、グロルバー神父」
眼鏡をかけスーツに身を纏ったその男はゆっくりと革靴特有のカツカツという足音を立てゆっくりと近づく。
「保橋朝宏。貴様がここに来ることはわかっていた。一人で来ることも。なぜだ? なぜ一人で来たのだ」
十字架のほうに体を向けたまま白髪の男は口を開く。
「君の仲間が二人ほど僕のところへ来たよ。殺してもよかった。だけど今君たちを感情的にさせるのはよくないと思ったんだ。僕なりの慈悲として受け取ってもらいたいな」
保橋朝宏と呼ばれた男はそう言うと音を鳴らすのをやめ十字架に視線を移す。
「大きな十字架だ。それに手を合わせると幸せになるのかい。僕も手を合わせておいたほうがいいかな」
「……」
聖堂全体に広がる無音の空気の中白髪の男は音を立てず合わせる手を解き顔を上げ眼鏡の男のほうへ体の向きを変える。
「貴様のような者が祈りを捧げたところで何の意味もない。ましてや幸せを手にすることもできない。これまでも、これからも」
眼鏡の男の口角が上がる。
「そうかもしれない。僕は自分の日常や生活に満足したことはないよ。ただ、僕だけではないはずだ。誰しもどこかで満足できていない。似たような毎日、変わらない日々。それに変化を求め行動する人たちは美しい。そして行動して初めてヒトは幸せを感じる。だから、祈る必要はないよ」
そう言うと眼鏡の男は何もない空間から刀を創りだし、止めた足を動かす。
「ずいぶんと不用心だな。一つ忠告しておくが祈るつもりがないならば祭壇に近づくものではないぞ」
その言葉と同時に白髪の男が手を合わせた瞬間、眼鏡の男の背後に身長の二倍ほどの十字架が現れる。そして振り向く間もなく磁石のように十字架に吸われ磔にされる。
「十錠法奧。ここがどこだかわかっているか、保橋朝宏。神が私に力を与えるのに最も適した場所だ。分かったうえでこの場所へ来たのだろう。貴様がそれぐらいのことも考えていないような者ではないことは知っている。だが、結果がその姿だ。体感しているだろうがその十字架にはりつけられた人間は身動きができず死ぬのを待つだけだ。これが神の意志なのだ」
はりつけられたままの眼鏡の男はまたもや薄らと笑みを浮かべる。
「僕はね、子供のころから神はいないと思っている。科学者だからではないよ。いると仮定したら面白くないだろう? どんなに努力したとしてもどんなに自分を鍛えたとしてもどんなに世間が驚くような発明をしたとしても神はまるで採点ミスで点数が上がるのを喜ぶ子供を見るような目で僕のことを見ていると、そう考えてしまうんだ。だから自分で努力するのではなく神に祈り助けを求める君の姿を見ていると非常に滑稽に思えてくる」
白髪の男は目を細める。
「貴様のその口を一生喋れなくしたほうがよさそうだ。それに貴様は一つ勘違いしている。私は神が存在するかしないかなどどちらでもいいのだ。重要なのはそこではない。信じるかどうかだ。信じる者は救われるのだ。信じることで精神は安定を取り戻す。信じることで頼れる場所ができる。信じる者に力は宿るのだ。信じることが力になるのだ」
白髪の男は人差し指と中指でつかむような形を作ると隙間に真っ白な矢が出現する。
「痛みに耐えれるか、保橋朝宏」
そのとき、黙っていた眼鏡の男は口を開いた。
「それじゃあ、これも神の意志なのかな」
眼鏡の男はなにもしていない。体の動きで見ればなにもしていない。しかし、はりつける十字架にひびが入り崩れ落ち、男はなにもなかったかのようにその場に立っている。
「図に乗るな。その程度では驚く必要もない。私からアクションを起こさなければ貴様は手の内を明かさないだろう。もう一度言う。ここは聖堂。神が私に力を与えるのに最も適した場所だ。どんな手を使おうと私を殺すことはできない」
眼鏡の男は地面に落ちた刀を拾い上げると切っ先を白髪の男へと向ける。
「殺すだなんて物騒なことを言うね。僕は君を殺すつもりでここへ来たわけじゃないよ。だけどいい具合に僕の考えは実現してきていることだし一人くらい殺してもいいんじゃないかって思えてきてしまった」
白髪の男もそれに応えるように剣を創り出す。
「私はもともとそのつもりだ。そのためにイギリスからわざわざここへ来させられたのだ。私だってこんなことをしている暇があるわけではないのにわざわざ貴様のためだけに」
創りだした剣を地面に向ける。
「変わった構えだね。どうやって僕を殺すのか見ものだね」
その言葉に動じることはないが白髪の男の目には殺意が滲み出ていた。
「十錠法奧分岐三転」
その言葉の直後、白髪の男の背後に三つの十字架が地面から生えるかのように現れる。どれも色、形は銀色で統一されているが大きさには多少の違いがある。中心のものが大きく、右、左と続く。
「また十字架かい? 無駄だということはもう証明したと思ったんだけどね」
返事はない。ただその代わりとなる答えを返す。
「十錠法奧分の三 憎しみの種」
瞬間、左の十字架が粉々に崩れ落ちる。
「証明した? 何か勘違いしているようだな。さっきのはこの聖堂に宿る力を引き出すための霊力を消費しながら放ったものだ。そしてこれは、なんだと思う?」
眼鏡の男は視線を動かしている。そしてすぐに変化が起きているのは自分自身だということに気が付く。右手の甲にはわずかに光を反射する銀色の十字架が刻まれていた。
「なんだいこれは。いつの間にこんなもの……! アァアア!」
教会全体に悲鳴が響き渡る。眼鏡の男は右手を抑えながら地面にうずくまる。
「痛いだろう。体には何ひとつ傷がないのに。それなのに痛みが貴様を襲う。なぜだかわかるか? 私の憎しみが痛みを強くするからだ。意識を保てているだけでも褒めてやろう。だが、これで終わりだと思うな」
下に向けていた刀を横向きに返る。
「十錠法奧分の二 裁きの手」
今度は右に存在する十字架が粉々に崩れ落ちる。すると白髪の男の左手の甲に十字架が現れる。そして絶鳴する眼鏡の男のもとへ足を進める。
「何ひとつ傷がないのにも関わらず激痛に襲われるなんて不気味なことだと思うだろう。だから私がこの手で内面を壊してやろう」
絶命する男の前まで歩くと十字架が刻まれた左手で十字架が刻まれた右手へと触れる。
“グキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグキグ……”
鈍い音が連続する。眼鏡の男の右手の指先から骨が文字通り粉々に粉砕される。ゆっくりとゆっくりとそれは体の骨を粉々にしながら指先から手の甲へ手の甲から手首にまで到達するが止まる気配はない。まるでゴム手袋なのではないかと思わせるその手だった皮膚には外傷はない。ただ中身だけが壊されていく。
「アアァアァァ!」
悲鳴が聖堂の中に響き渡る。そして白髪の男は剣先を上へと向ける。
「まだ叫ぶことができるか。意識を保つことができる点は評価してやる。だが、そこだけだ。貴様は判断能力が乏しい。これで最後だ」
『十錠法奧終 罪の意識』
最後の十字架が崩れ落ちる。同時に響いていた悲鳴が止む。
「貴様は強い。しかしその力を手に入れるまでにどれほどの犠牲を払った? どれほどの人間を利用した? その罪悪感、後悔が貴様の精神を狂わせる。自らの罪の意識で死ね」
眼鏡の男は膝を地面につき顔を天井に向けた状態で動かなくなる。
「ア……ァ……ァァア……………………アッ……アッ…ハッ……はっ……あははははは」
骨の粉砕は二の腕付近にまで侵略していた。しかし聖堂には彼の笑い声が響く。
「なぜだ……。なぜ笑っていられる? なぜ意識があるのだ。なぜ死なないのだ!」
笑い声が止む。同時に保橋は何事もなかったように立ち上がる。
「どうだったかな。僕の叫び声は心地よかったかい? だけど聖堂の力を利用してこれか。想像よりも恩恵は受けられないということだね。ああ。こういうことだよ」
直後、男の体から真っ黒い頭の無い鎧が出現し男の体と分離する。そして頭の無い鎧は刀を創り自分の肩に突き刺すと体からその腕を切り落す。
「そういうことか。これが繋霊か……」
切り落とされた腕の鈍い音が止んだ。
「ご名答だよ。黒瑕疵の媛。彼女は僕の身代わりさ。彼女がいる限り僕が傷や痛みを負うことはない。そして黒瑕疵の媛は痛みを感じない。言葉を交わすことはできないが自分が死なないようにすること、僕を守ること、そして命令を聴くことはできる」
白髪の男は目を細める。
「痛みが効かない奴はこれまでにだって見たことはある。だが罪の意識は貴様に芽生えるもの。そいつに反映されず貴様を襲うはずだ。それなのになぜ貴様は平気なのだ……」
眼鏡の男の顔は笑っていない。
「罪の意識? なぜ僕がそんなものをもっていると思ったんだい」
外で大きな風が吹き、窓ガラスをガタガタと揺らす。
「人はだれしも後悔や罪悪感をもって生きている。他人が見てどんなに人生がうまく進んでいるように見えたとしてもそこには負の感情が必ずある。それにその繋霊、もとは人間なのだろう? そんな姿にして何も思わないのか!」
眼鏡の男は、はっはっはっと大きな笑い声をあげる。
「僕が人間だからさ。なぜ後悔や罪悪感を感じる必要がある? 僕はただ楽しんでいるだけなんだ。彼女だってそうさ。僕は彼女を繋霊にして感情というものを奪った。だけどなぜそこに罪悪感を感じるんだい? 繋霊にし、感情を奪い、人間のような外見はないがそこには強さ、そして僕に必要とされる存在意義がある。悪というのは見方を変えれば善にもなるんだよ。君は、僕から見れば悪さ」
「その考え方が悪だと言っているのだ!」
白髪の男は剣を振るうが黒い鎧の繋霊に残った左手で受け止められる。
「どうしたんだい? もしかするとさっきので霊力が底を尽きたのかな。残念だ。もう少し君の実力を見てみたかったんだけどな。どのみち、目的は果たせた。あとは、君をどうするかだけなんだけど」
白髪の男は後ろへと下がる。
「偽物ごときが。調子に乗るなよ。所詮貴様は我々がもつ霊の力を真似ているだけだ!」
眼鏡の男の口元が動く。
「その通りだよ。だけど偽物なんて言い方はひどいな。僕は君たちと別の方向の進化を遂げようとしているだけだよ。ほら、口が悪いから」
窓が強く揺れ数秒もたたないうちにガラスは割れ、壁が崩れてゆく。
「クソが……」