04. 風の女と俺どちらが馬鹿か『B』
その言葉と同時に風が俺の頬を撫でる。瞬間俺の前身の危険信号が鳴り出したと同時に後ろに何かの気配を感じる。しかし後ろをゆっくり確認している暇はなかった。撫でられた頬に痛みが走る。手の平で触ると生ぬるい液体でぬれていた。目視するまでもなくそれは血だ。
「千羽!」
目の前の女が言う通り俺は馬鹿だった。千羽がいない。気が付くべきだった。いつからだ? 飲み物を買いに下に降りてくるときには俺の隣にいなくなっていた。
「うふふふ。繋霊と契約者は常に一緒にいなくては駄目なんですよ? そうしないとこういうことになっちゃいますから。いいですよ殺っちゃって」
「「了解いたしました」」
とっさの判断だ。地面を蹴り職員用の玄関のほうへと転がる。声のほうを見るとそこにいたのは白髪、白髭を生やした長身細身の見たところ六十代の刀を持った男。いつからだ。いつからこいつは俺の後ろにいた……。
「頭のほうは悪いみたいですが反射神経はいいみたいですね。ただしどうですか。生身のあなたが私の繋霊に勝てると思いますか?」
ちくしょう……。千羽はどこに行った。あいつ呑気すぎるだろ。自分で言ってただろ。どちらかが死ねばどっちの命も終わるって。クソっ。俺ももう少し気を付けておくべきだった。一回目でさえ学校で襲われたんだ。こいつらは人目が関係なくどこにいたって襲ってくるだろう。この女が言う通り常に一緒に行動すべきだった。当然千羽がいなくては異常な身体能力を持ったり超能力を使うことができる繋霊を倒せるほどの力は俺にはない。
中靴のまま職員玄関を突っ切って外へ出る。向かうは駐輪場。鍵を挿しっぱなしにしておいたことがこんなところで役に立つとは。後ろを見るが奴らの姿はない。チャリにまたがり校門へとペダルを踏む。千羽と合流するまでなんとか時間を稼がなくてはならない。そもそも気が付くべきだった。校舎を間違える馬鹿がいるわけがない。しかもこのタイミングで。ありえないことが起きすぎて判断力がバグっている。
「ナっ!?」
風が体を扇いだ。その不自然に揺れる風が吹いたかと思うとそこには満面の笑みの女と無表情の長身細身のジジイがいる。なんだこいつら。繋霊には何かしらの超能力があると千羽から聞いていたがこいつは瞬間移動か?
「クソっ」
ハンドルを左に回す。そして漕ぐ漕ぐ漕ぐ。漕ぐしかねぇ。チャリのスピードには自信があるが超能力者相手にどうこうできるとは言っていないぞ。とりあえず俺が死んでいないってことは千羽も生きてるってことだ。ここで俺が死ぬわけにはいかない。
「……!?」
風だ。明らかに風の向きが変わった。向かい風だった風が追い風になった。
「どこまで逃げるのですか? 疲弊しきって死ぬなんて惨めだと思いませんか? 思うでしょう? さあ、私に殺されてください」
詳しいことは知らない。ただこいつの能力は風に由来するものだ。この異常な速さはそれを利用したものなのだろう。ただ敵の能力を知ったところでどうすることもできない。ならばどうする。……逃げるしかないだろ!
警察のところいくか。無駄だろう。俺がただの変人に思われる。もしくは犠牲者が増えるだけだろう。昨日のあの戦いを見ればわかる。生身の人間がどうにかできるというレベルを超えている。俺の足もそろそろ限界だ。学校に戻ってどうにか千羽を見つけるか。ここから学校にこのスピードを維持して戻れる自信はない。それに戻って他人を巻き込むのは御免だ。つまりどういうことかというと詰んでいる。
「どうする……」
その時俺の目に一つの建物が目に入る。神社。繋霊というくらいなのだ。少しくらいの希望はあるか? 体力的にも精神的にも入るという選択肢以外俺にはなかった。最後の体力を振り絞り神社への坂を上り凹凸が多くなったところでチャリを捨てそのまま御社殿の中へと全力ダッシュする。
「あれぇ? お客さん? 珍しいねぇ」
声のほうを見ると明らかに神主と思われる格好をしているロン毛でオールバック、薄いひげを生やした彫が深く渋い男がほうきを持って立っていた。不幸中の幸いか、神主らしき人間と出会うことができた。
「あ、ああ」
誰かに会えた安堵で言葉がうまく出ないがうまく話すことができてもこの状況をどうやって説明すればいいのだろう。繋霊っていう変な霊とその契約者に追われていますってそんなこと言っていいのか……
「なに、なんかあったなら言ってみればいいさ。その顔、ただ事じゃなさそうだ。俺がどうにかできることならしてやるさ」
神主の話を聞いている暇はなかった。またあの風が俺の頬を撫でたのだ。
「おっさん、後ろ!」
煙草を取り出し火をつけ始めた神主の後ろに奴らの体がまるで元からそこにあったかのように表れたのだ。
「うふふふ。こんなところまで逃げちゃって。関係ない人は殺りたくないけれど仕方ないでしょう。この場にいたことを後悔してもらいましょう。いいですよ殺っちゃって」
「了解いたしました」
長身細身のジジイはそう言うと女に言われるがまま手に握った刀を振り下ろす。
俺が下を向き視線をそらしたその時人間を切り裂く音とは思えない予想外の音が周りに響き渡る。
「あれぇ。お嬢ちゃん、いつからそんなところにいたの。おじちゃんびっくりするよ」
神主は俺のほうを向いたまま後ろから向けられた刃にどこから取り出したかもわからない刀で抑えそう言うと振り向きざまにジジイを蹴り飛ばす。
「な……!」
女は驚きを隠せていない。そりゃそうだ。よく知らない普通の人間がありえない態勢で繋霊の刀を抑え、反撃したのだ。俺だって驚いている。
「さてと。どうするんだい。この子、俺に助けてほしいらしいんだよ。久しぶりにお仕事しちゃおうかな。それともあんたさんら、逃げるかい?」
助けを求めておいてあれだがなんなんだこの男。このおっさん自体が繋霊なのか? いや、違う。千羽も含めて三人の繋霊と出会ったが繋霊と呼ばれている奴らは何かが違うことはわかった。初めのうちはわからなかったが会っていくうちに直観的なものだが自然と繋霊と人間の違いは分かるくらいにはなっていた。
「何者か知りませんがいい気にならないでもらいたいものです。繋霊を見られてしまって逃げるという選択肢はありません。まずはそこの神主さんに死んでもらいましょう。今度は全力の殺る気でお願いしますよ」
「了解いたしました。今度こそは殺し損ねないようにします」
長身細身のジジイは刀を構えて態勢を整えると立っている部分だけに不自然に静かに風が吹き始める。数秒もたたないうちにジジイの姿が風の音とともに消えた。これがあのジジイの能力。なるほどこれで俺のことを追いかけてきた訳か。強すぎるだろ。俺、よくあの能力から逃げてたな。
「消えちゃったなぁ。どこにいるのさ。とっとと出てきてくれないと時間が無駄になっちゃうよ。俺も暇人というわけじゃないんだよ」
神主が話し終わらないうちにジジイは背後に現れ背中に切りかかる。神主はまた後ろを見ることなく刀で受け止める。神主が後ろに顔を向ける直前、再度ジジイは風に紛れる。なんていう身体能力だ。あの能力に一瞬で対応してジジイの刀を片手でしかもおかしな態勢で余裕の表情で抑えている。しかしあの神主、刀を受け止めるだけで刀での反撃をしない。なにを考えているんだ。
「⁉」
反射的に避けた。だがなんなんだ? なにかが俺の腕の皮膚を切り裂いた……
「見とれていたらだめですよ?」
あの女がいつの間にか俺の背後にたたずんでいるではないか。この女、いつの間に俺の後ろに移動していたんだ……。痛い。腕まくりをした腕から真っ赤な血液が地面へと垂れ流れている。止血をする暇はない。手に持っているあの刀。ジジイが使っているものと同じものか。
「あのジジイがいないと何もできないと思っていたが違かったか?」
余裕そうな笑顔を見せるこの女本当に気に食わない。こいつのせいでこの手の女はもとから嫌いだったのがトラウマ級になりそうだ。
「あなたがそれを言いますか? さっきから逃げてばかりじゃないですか。逃げなければ楽に殺してあげるのに。ね?」
驚いた。目の前のきもちの悪い女の周りに不自然な風が吹き始めたかと思うと次の瞬間女の姿は俺には見えなくなっていた。
「おいおい。こんなのありかよ。お前も繋霊の能力を使えるのかよ!」
見えない敵の行動を読めるほどのスペックを俺は持っていない。女は俺を殺す気だ。ならば俺も殺すつもりでいくしかない……。どこからだ。どこから現れる。後ろか。横か。それとも……
「正解は、う・え!」
こんな早く千羽に渡されたこれを使う時が来るなんてな。ポケットに手を突っ込み刃渡り六センチメートルほどのナイフで女の刀をなんとか受け止めることに成功する。
「私が繋霊の霊力を分けてもらっていることに驚いていたのにあなたも使ってるじゃないですか。もっと楽に殺れると思ってたのに残念です」
またもや女は刀を振りかざし俺めがけて襲い掛かるその目を見ればわかる。ガチな奴。ガチで殺しにかかる目つきだ。きっと瞳孔が開いている。しかしなんだ、千羽に渡されたこのナイフがあって助かった。なければ未練たらたらで死んでいたところだった。
「お前が俺を本気で殺そうとしてるのはわかった。ただ、それならば俺もその気でいくぞクソ女」
今度はこちらから女に向かい切っ先を向けて助走をつけて切りかかるが簡単に刀ではじかれてしまう。
「うふふふ。なんですかその構えは、その刀は。まるで素人ではないですか。ここまで生き残ってきたとは思えない。その程度で私を殺すなんてあなた、本当に馬鹿です!」
まずい! 避けきれない。女の刃は俺の首元から左の脇腹にかけて切り裂く。痛い。痛すぎる。中学の頃に喧嘩した時の顔面パンチなんて優しいと思えるくらいだ。血が宙を舞い汚い音を立てて地面に吸われていく。
「クソが……」
案外傷は浅かったのかもしれない。中から液体以外のものが出てくる気配はないが血は音もなく真っ白い制服に吸われていく。
「話になりません。あなた、ヒトを殺したことがないのでしょう? 目を見ればわかりますよ。私に切りかかるときも目は怯えていましたからね。なんてかわいいんでしょうか。そんな覚悟で私を殺そうとしているのですか?このおバカさんは!」
勝手に言ってろ。そもそも地球上で人を殺したことがある人の割合のほうが圧倒的に少ないに決まっている。まあそれは普通の人間ならばの話だが。繋霊使いの間ではこんな常識はないらしい。俺はつい昨日まで普通の人間だ。人にナイフを向けて全力で襲い掛かるなんてことはできないしナイフを握る手は緩くなってしまう。昨日の出来事、そして今起こっている出来事を見てこんなこと言っている場合ではないことぐらいわかっている。しかし頭のどこかで全身にリミッターをかけてしまう。本気で切りかかることができない。
「だったらなんだ、お前は大量殺人犯なのかよ!」
とりあえず話を続けて場を誤魔化すがこんなことをやったところで意味がないのは間違いないことだ。後手に回り防御していたって勝負に勝利することなどできない。そして女の刀を受け止めるたびに手の平が痛み、それだけではなく切り付けられた腕の傷、胸当たりの傷から血がドロドロと流れるのを感じ取ることができる。明らかに受け止めることも難しくなってきてしまっている。
「なに言ってるんですか。私だってまだ一桁ですよ。契約者はまだ二人しか殺していませんけどね。目撃者を二、三人殺しましたが。あとは個人的に殺してやりたいやつとか……。うふふふ。あなたにはわからないと思いますよ、この優越感、そして快感!」
狂ってやがる。話をすればするほど狂ってやがる。体がもたない。神主は何しているんだ……。顔を向けると神主は攻撃をせずに防御に徹している。クソっ。
女の攻撃が速くなってきているような気がする。気がするだけだ。俺の反応速度が格段に落ちている。こんなところで死ぬのかよ。過去に戻ってからやりたいこと何もできてねぇよ。
「お別れです」
もう諦めていた。勝てない。激痛。さっきのとは比べ物にならない痛み。力は入らない。中に刃が入っていた。普通なら気を失ってしまうほどだ。もう失っているのかもしれない。なんてこったよ。せっかく千羽から力までわけてもらったのに。俺は何もできなかった。あいつはうまくやっていけるかな。あいつは強い。俺が死んでもあいつなら…………あ、俺が死んだらあいつも死ぬのか。他人巻き込んで死ぬのかよ。
そんなの、そんなんは、
「俺が許さねぇよ……」




