01. 少女と密室で起こることは期待通りのことじゃないの『A』
「……ん?」
重い瞼を開けて広がる景色。ここは……高校のホール?
「これまでは三年生ゼロ学期と言っていたがそんな時期も過ぎ部活も終わりこれからは本当の三年生。受験まではもう一年を切っている」
……なにを言っているのか。夢? にしてもなぜこんな夢を見ているのか。それは大学全落ちのショックだろうが。にしても妙にリアル。そもそも夢の中で夢だと自覚することはめずらしいと聞いたことがある。確か夢だと気が付ける人は頭がいいのだと。ならばなぜ俺は受験を失敗してしまったのか。自然とため息が出てしまう。
映画館のように階段状になっておりイスと長机が固定されているホールの中では見慣れた進路課の先生が熱心に何かを言っている。名前順に座らされるこの場所の両隣は女。おかげで話し合いの時は肩身が狭くなる。右側は真面目でおとなしいタイプ。左側はいつも寝ている奴。そしてその隣は……
通路のはずなのだが誰かがいる。え、マジで誰。右の前髪をピンでとめる、肩にかからない程度の白っぽいピンク髪のその女は不機嫌そうにこちらを見ていた。一応制服は身に着けているが絶対に知らない。記憶が飛んだとかそういうのじゃなく絶対知らない。
「……」
視線が合ってしまい外すタイミングをミスった。こういうの気まずいんだよな。なんていうんだろう。声をかけるべきなのかかけないほうがいいのか。女の表情を見ればわかる。あっちも同じことを考えている。もう正解の正解が分からない。あいかわらず女は何か言いたげにこちらを見ているのでしぶしぶ声をかけようとする。しかし慌てて人差し指を唇に当てるしぐさを見せられ声を出すなと伝えられる。それからその女はホールの壁にもたれ掛かり下の方をずっと見ていた。なんだよ。せっかく声かけてやろうと思ったのに。俺の勇気を返してくれ。百倍にして返してくれ。
それにしても初めて思考停止という言葉に直面したなと思う。変に現実味があるせいで混乱が大きくなる。むしろ急に男女関係なくみんな全裸にでもなってくれるくらいぶっ飛んでいたほうが個人的には助かる。まあ、夢ってわかっている分まだましか。でもでもなぜか夢という気がしない。なんというか妙にリアルなのである。先生の喋る内容の細かさもいつもの夢のような急な場面転換もない。隣の奴のブサイクな寝顔も隣の奴の猫背もいつもと変わらない。そしてなぜ俺はここにいる。隣の女はいつもいないその女をまるで見えていないかのように自然体でいつも通り眠りについている。ここへ来る前なにがあった……。思い出せそうで思い出せない。
「じゃあ、壁側からホームルームに戻って」
いろいろ考えているうちに先生の話も終わっていた。周りの「話長い」や「まだ受験の実感がない」だの無駄話で隣の女は目を覚まし出口へと向かうがすぐそこにいるよくわからん女にはだれも見向きもしない。まるで「いない」かのような扱いである。
「おい、なにしてんだ」
みんなが捌けていくなかその女は何かを言いたげに俺のことをずっと見つめているので声をかけてやることにした。
「あ、まだ……」
「まだ」なんなのかすぐにわかった。
「なに、壁とおしゃべりですか? 受験不安すぎじゃないですかぁ」
横を見ると中学からの同級生で去年から同じクラスになった眞貴人がいた。いつものからかい口調の敬語で俺をおちょくっているのだろうがやはりおかしい。
「壁?」
「わかったわかった。ボケはいいから早く戻るぞ」
目の前の女をガン無視で眞貴人は俺を押してホールの外に出させる。後ろを見ると女は落ち着かない様子で後をついてきている。そのまま教室まで眞貴人と一緒に行き一番後ろの自分の席へと着席する。そして頼りない坊主頭の担任も教室に入り長ったらしい話が始まる。何か懐かしさを感じる。高校生活も終わりこんな長ったらしいつまらない話を聞かなくて済まないと思っていたが久しぶりに聞くとなんだか様々な思いがよぎる。ふと後ろを振り返るとついてきていた女はいなくなっていた。
「じゃ、終わります」
本当に、本当にリアルな夢である。まるで大学全落ちの方が夢のような気がしてきた。うん、あっちが夢なのだろう。……ため息が出る。
先生の話も終わったし本来ならここから部活か。夢の中でも走って筋トレするってどんだけストイックなんだよって気もするが。連絡事項や時間割が書かれているホワイトボードを見ると大きな字で六月五日水曜日と主張されていた。そうか、もう六月になっているのか。すでに部活は引退しているな。じゃあ暇だ。仮にも受験期の六月に暇といえるほどの強者ではないむしろ真逆なのだが。眞貴人のほうへ視線を移すと真面目に参考書片手に机と向き合っていた。なんだかんだでまじめな奴だ。そうだ、思えばこいつは難関大学と言われるところに合格していたな。このころから寸暇を惜しんで地道にやっていたんだな。とりあえずこれからどうするか考えることにする。考えたところで答えはすでに決まっている。あの女を探しに行かなくてはならない。それにしてもまれに夢の中に出てくる人物を目覚めたら思い出せなくなるのはなぜなのだろう。そうだこの女は思い出せるように顔を覚えておこう。もしかしたら髪色が変わっていて気が付かなかっただけで小学校の同級生とかかもしれない。昔仲良かった人とかしばらく会っていないが夢に出てきた後目が覚めるとむなしくなるあの現象なんて言うんだ。軽い賢者タイムに入っているよあれは。なんか考えすぎているな。小便済ませていったん落ち着こう。イスを引き教室の後ろ扉をスライドさせて廊下に出ると目の前にあの女が立っているではありませんか。
「うわ!」
白っぽいピンクのショートヘアー。間違いない。女も俺のことを探していたみたいで俺に気が付いた瞬間早足でこちらへと近づいてくる。幽霊を見たかのような俺の「うわ」に機嫌を損ねたのか表情はさっきよりも不機嫌そう。
「ちょっと」
女はそう言うと俺の腕を引っ張って人気のない教室へと連れていく。非常に悪くないシチュエーションである。そして改めて顔を見たが知らない。なんだこれ。見知らぬ女に引っ張られていくこの状況。これが好きな人だったらきっと蒸発していたのだろうがこいつは一切知らない女である。誰。教室へ入ると女はピンでとめた前髪を少しいじると俺に目線を合わせる。
「どこまで知ってんの……」
「え、なにが。そもそもお前誰だよ」
つい言葉遣いが悪くなってしまった。だって急にため口で意味が分からないこと聞いてくるんだもん。質問に質問で返しちゃうくらい変な質問だったもん。なんなんだよこいつ。
「え、うち? ……だれって、ええっと、名前は明雨千羽」
なんだよ。意外としっかりしている一面もあるではないか。いやまだ一面の億分の一くらいしか知らないけど。女は答えるとお前は言わないのかよという視線を送ってくるので俺も名乗ることにする。
「えっと、台桜雪彦」
改めて思った。やはりこれは夢だ。こんな女知らないし女にこんな教室で二人きりになるようなことも俺も学校生活で一度も、もっと言えば一瞬もあったことは無い。夢っていうのは突然わけもわからないことが起きるからな。今回は夢で夢と気が付いているから違和感があるだけだ。
「うん、わかった……。それでどこまで知ってんの」
そして最初の質問に戻る。どこまで知っているかと聞かれても何も知らない。この女、自分のことについて聞いているのか。ならば本当に何も知らない。正真正銘初対面である。
「前に会ったことあったか?」
もしかしたらどこかで会ったことがあるのかもしれない。高校生になるころには昔の記憶なんて本当にわずかなものだろう。人間の脳ってどこまで記憶することができるのだろうか。どのように忘れていい記憶と覚えておく記憶を分別しているのだろうか。いやー、すごいな人間って。人間っていいな。おいしおやつにホカホカごはん。子どものかえりをまっ……。この辺でやめておこう。
「べつに…… ないけど」
ないのかよ。てゆうか制服着ていて俺が知らないってことは後輩ってことだよな。なにこいつタメ口聞いてんだよ。気にしないけど。
「ンン……。じゃあここに来る前、なんかあった?」
ここに来る前? 俺は家のベッドで寝ながらこんな変な夢を見ているだけじゃないっけか。ここに来る前……
「あ!」
思い出した。もやもやが吹き飛んだ。眞貴人と遊びに行く途中に眼鏡の男になにかされたのだ。そしてそのまま夢の中へ、というかあの男に会ったこと自体が夢だったんじゃないか。
「え、じゃあここどこ……」
もうわからない。急に不安が波のように襲う。ここは現実なのか。そもそもあの出来事自体が現実で起こったことなのか。……考えれば考えるほどわからなくなる。
「まてまてまて。一回落ち着け。わかってる落ち着くのは俺だ。ええっと、つまりはどういうことだ。ずいぶん長い夢を見てるってことでオーケイ?」
「え、違う。アイツは存在する。だけどうちも今どうなってるのかなんなのかわからない。ここは現実。アイツに九ヵ月前にタイムスリップさせられた」
タイムスリップ? これは夢ではなく俺が過去に飛ばされただけ? どうやって。あの眼鏡の男に。そんなことができる訳がない。そんなことできた日にはネットニュースの一覧が埋め尽くされるに決まっている。そんな日には毎朝欠かさずネットニュースを見ている俺の目にも止まるに決まっているのだ。
「は?訳がわからん。じゃあもとの時間にいる俺はどうなっているんだ」
千羽は唇を触りながら考える仕草をみせている。タイムスリップなんて青狸の特権だぞ。そこら辺の一般人ができてたまるか。
「詳しいことはうちもわかんない。けど間違えなくここは現実……だと思う」
なんでこいつまで不安になっているのだ。そもそもタイムスリップってなんだよ。考えるほど意味わからなくなるぞ。ゲシュタルト崩壊っていうのがあるがあれみたいな気分だ。
「なんでここが夢じゃなく現実だと言えんだ?」
「あいつがそれぐらいのことはできるってことは知ってるから」
意味が分からなさすぎてもうなんでもありに思えてきた。確かにあの眼鏡の男はこれまでに会ったことのないタイプだった。というか変人だった。なんか千羽も詳しいことは分からないらしいし。ていうか
「千羽だっけ。お前は誰だよ」
ここが夢か現実化という問題と同じくらいの疑問である。なぜこいつは眼鏡の男のことを知っていてさらには他の人間に見えないのか。しかもなぜ俺に話しかけてきたのか。べ、べつに変な期待しているわけじゃないからな。
「ぅうん……。もっと混乱しちゃうと思うけど。うちは幽霊」
ああ。本当にもっと混乱しちゃった。タイムスリップの次は幽霊ですか。こんなの俺じゃなくてもっとオカルト好きを巻き込んでくれよ。奇妙ってレベルじゃねぇぞ。
「話についていけねぇ……」
千羽は顔を上に向けて小さなうめき声を発する。
「うちもほとんど台桜と同じことしかわからない。ただちょっとは知ってる……」
「いや、お前が幽霊って時点でかなり違うだろ。そもそもなんだ幽霊って。なんでお前と俺が九か月前に飛ばされてんだよ。俺霊感とかないぞ。おい、分からないことが多すぎるって……」
やはり千羽もそこの変のことはよくわからないらしく顔を下に向ける。まずい。質問飛ばし過ぎてドン引かれてるかもしれない。こんなこと考えれるなんて意外と冷静なのかも。
「……まあ、お前もよく分かっていないらしいから……」
“ガラッ”
喋り出した瞬間教室の扉が開く。顔を向けるとそこに立っていたのは見覚えがあるようなないような一つ下の学年の男。何度か見たことがあるが話をしたことは一度もない。つまりめっちゃ気まずい。だって今話しているところ見られたんでしょ。非常に気まずい。
「おー。見失ったと思った。こんにちは。台桜先輩」
え、教室じゃなくて俺に用事があるの。
「あ、ああ。俺?」
思わず変な声を出してしまった。にしてもなんだこいつ。なんの用だよ。
「よかったです。人違いだったらどうしようかと思ってましたよ。女の繋霊がいるからほぼ確信ですが」
そう聞こえたと思うと男の後ろの扉からもう一人、背の高い長い髪にハット帽をかぶった男が現れる。こいつは誰だ。身長は軽く百九十を超えているだろう。何日も動かしていないような表情。言えるのは学校にいてはいけないタイプの人間だということ。そしてそんなことはどうでもいいと思わせるものがその手にあるのだ。禍々しく緑色に光る球体、それはこれまでに見たことのないほど奇妙で神秘的なものだ。
「避けて!」
横から声が聞こえたと思うとそこからはコンマの世界。千羽は俺に飛びつき俺は地面に横たわり結果千羽が俺に覆いかぶさる。