悪役令嬢は不治の病を患っている
連載版を初めました。そちらもよろしくお願いします。
転んで頭を打ったら、前世の記憶を思い出しました。
しかも乙女ゲームの悪役令嬢、第一王子の婚約者(予定)
どこかのネット小説のテンプレ通りで笑いも起こらない。
「本当に笑えない!!」
バンッと鏡台を叩き、立ち上がる。
「お嬢様、いきなり立たれてはお髪を整えられません」
「あ、ああ、そうね。ごめんなさい」
優秀な専属メイドのエメは私の奇声にも顔色を変えず、淡々と業務をこなしている。
「今日はどのようにいたしましょう。今日のドレスでしたらハーフアップが良いかと、髪にドレスと同じ色の生花を差しましょうか?」
「そうね…」
視線を鏡に向けると顔色の悪い幼い令嬢が映っている。シェリル・オルブライト、12歳、公爵家の令嬢だ。プラチナブロンドにきつめのグリーンの瞳、顔立ちは非常に整っており、まだ悪役令嬢の高笑いしそうな顔つきにはなってないと思いたい。
「お嬢様?」
「えっ?ああ髪型よね、エメに任せます」
「どうしたのですか?あんなに今日の王宮でのお茶会を楽しみにされていたのに。何か心配事でも?」
楽しみ…
前世の記憶が戻るまではな。なんてそんなこと言えない……
「緊張してるのかな?ハハハッ」
「……そうですか」
誤魔化すような笑いに特に追求もせず作業に戻るエメ、実に優秀だ。
私の前世は日本で暮らすアラサーのOLだった。男性とお付き合いしたこともなく、乙女ゲームと漫画とネット小説をこよなく愛する女子だった。現実世界で恋愛など皆無だったため、ゲームの世界でヒロインになり恋愛を楽しんでいた。
そのなかでも私がどはまりした乙女ゲームがあった。
『インヴァース 二つの世界で愛を囁く』
言葉通り裏表をキーワードに進めていく王宮ものの乙女ゲームだった。攻略対象7人。二人ずつルート分けされており、兄弟・親友・師弟・隠しキャラルートがあるのが特徴だ。例えば兄弟なら、兄との恋愛ルートに入ったら弟が悪役になり、弟ルートなら兄が悪役となる。少しダークな部分のある乙女ゲームだった。
五人の攻略対象の中でも私の推しは弟、アルベール・トリスタン・エヴァリスト第二王子。兄は人を惹きつける王道の王子様タイプなら、アルベールは隠れた才能を持つ天才、やや冷酷な一面を持ち目的のためになら非道にもなれるタイプなのである。私は典型的な王子様よりも、影のあるクールなタイプが好みだった。
シェリル・オルブライトが登場するのは兄弟ルートで、第一王子の婚約者という設定だ。ヒロインが兄ルートに入ると嫉妬に狂ったシェリルは、王座とヒロインを奪おうとする弟に唆されて、いいように使われて殺されてしまうのだ。弟ルートも同じ、結局殺される。どうあがいても殺されるのだ。断罪とか追放なんてない。可哀想なシェリル、第一王子の愛をただ望んだだけなのに。ゲーム中は憎むべきキャラだが今なら愛おしいと思える。
これがヒロインならいいけれど私は今世その悪役令嬢だからね。
王宮からの招待という名の、王子達の婚約者決定のためのお茶会が催されると聞いてから、本気で死刑宣告が来たと思った。私は婚約=死が直結するキャラなんだから、顔色も悪くなるし元気もなくなる。私の未来がかかってるんだから。
死ぬうんぬん以前に私には王子の婚約者にはなれない大きな問題を抱えていた。それは前世から引き継がれたもののようで、ある病に侵されているのだ。もはや呪いと言ってもいいかもしれない。前世でもだいぶ苦労させられたし、これからも病と付き合っていくにあたって王子に迷惑をかけるのは必至だ。
とりあえずお茶会はさぼれないから出席だけして、目立たないように無難に過ごし婚約者に選ばれないようにすることを決めた。地位や名誉なんて関係ない延命が第一優先と決め、お婆ちゃんになるまで生き抜くことを目標に決めた。
当初は真っ赤な特注ドレスで行く予定だったが、淡い色で他の令嬢に紛れることにした。むしろベージュにしようとしたら、エメに激しく止められた。裸に見えるからと、解せない…
「ぐっ!苦しい!コルセットってこんなに苦しいものなの?エメもう少し緩められない?」
「この日のために特注で頼んだのはお嬢様じゃないですか。きつく締めなかったら意味ないですよ」
「そ、そうよね…、どんだけ張りきってるのよ私」
「何か言いました?」
「いいえ、気にしないで…」
娘可愛い、うちの子最強、両親から王太子妃はシェリルしかあり得ないとおだてられ、王宮で一度見た王子様に憧れてる女の子が張り切らないわけないか…、まあ親からの期待に応えたいっていうのもあるんだろうけど。
メイド数人がかりでコルセットをしめ、淡い水色のドレスが着せられていく。お腹が苦しくて死にそうだ。
前世を思い出してから、どちらかというとゲームの悪役令嬢シェリルより、乙女ゲーム大好きアラサー女子の性格のほうが前面に出ているため、公爵令嬢という名の苦行を受けてるんじゃないかと錯覚してしまう。何かに目覚めそう。
これは画面越しで経験するのが一番だと悟りを開いた。
「お嬢様、朝から何も召し上がっていませんよね。お出掛けになる前に、宜しければ軽食でも準備しますか?今日は暑いですから冷たい飲み物も用意しましょうか?」
着替え終わって息絶え絶えになりながら、一休憩取っていると気配りのメイド、エメはとんでもないことを言ってくる。
「冷たい飲み物なんてとんでもない!食べ物もいらない!」
「はっ!? あっいえ、コホン。お嬢様、最近どうされたのですか?体調でもお悪いのですか?」
「えっ!そんなことはないわ。そうね、そうよね…、こういう時は、えーと温かい飲み物でももらおうかしら」
私の挙動不審な態度にメイド達は首をひねっている。エメにいたっては、もはや表情を隠しもせず訝しげに私を観察してる。いかなる時も主人に不都合を与えないように先回りし準備を怠らない、その精神と観察力、尊敬するけど結構迷惑…
温かい紅茶を出してもらい、一口飲むとボロが出ないように早々に王宮へと向かった。
王宮の中庭、剪定された薔薇に囲まれ、王子達の婚約者候補のご令嬢達が集められていた。薔薇は正妃の好きな花で、様々な色の薔薇が中庭に迷路のように植えられている。でも乱雑ではなく計算されて植えられているため、溜め息が出るほど美しい。開花時期を考えながら、庭園が常にバラで咲き誇っているように見せるため植えられているというから王宮の庭師は匠だ。
よくゲームでも王子達とミニゲームで追いかけっこしたな。実際に見るととてつもなく広くて本当に巨大迷路と言っても過言ではない。
実際に追いかけっこなんてしたら迷子になって遭難する規模だ。
ただ…、ハンカチで口と鼻を押さえる。良い香りなんだけど、今日は体調が優れないせいか少し気分が悪くなってくる。コルセットも苦しいし、食事もお茶会のために控えたせいか、空腹により胃がキリキリと痛くなってくる。それに私の死の原因になる王子達と会わなければならないという緊張でストレスが半端ない。
まわりの令嬢達は楽しそうに、歓談している。まだ見ぬ王子様に夢を馳せ、本当にキラキラしていて可愛い。そんな無邪気さが素直にうらやましい。すでに社会の荒波に揉まれ現実の厳しさを知った、汚れちまったアラサーには眩しいぜ。
少しどこかに座って落ち着こうとしたときに、令嬢達のどよめきとともに、中庭の空気が変わる。王子達が現れたのだ。第一王子のイライアス・アナトル・エヴァリストを先頭に第二王子アルベール・トリスタン・エヴァリストが現れる。イライアス殿下は金髪碧眼、優しげな目元に微笑みをたやさない理想の王子様、アルベール殿下は黒髪に深い青の瞳、無表情で怖い印象だが恐ろしいほど顔が整っている。
胸を鷲掴みされるように鼓動が早くなる。王子方から視線が外せず無理矢理、心を持っていかれるような感覚に陥り、突き動かされる衝動に抗えなくなる。
なーんてことはなく、心配していた強制力で無理矢理、悪役令嬢になってしまうということはなかった。奥さん、この人達私を殺す気満々なんですよ、とは口が裂けても言わないでおく。
うん、オッケー。私は冷静だ。
これぞ乙女ゲームの攻略対象…… 子供でもとんでもない存在感と色気を放っている。
イライアス殿下は13歳、アルベール殿下は12歳だったかな。完成され過ぎてて怖い、王族って恐ろしい……
アルベール殿下にいたっては、私の推しであったため神かと思うほど神々しく、感動の余りとっさに拝んでしまった。生きてて良かった。南無南無。
ああ私の推し……、本当に尊い。子供ではあるが、実物に会えるなんてきっとファンの子達に袋叩きにあう案件だ。感動しすぎて自然と一筋涙がこぼれる。
これは汚れちまったアラサー令嬢が侵していいものではない。もはや神域。というかこの二人に殺されるのも悪くないなんて思ってしまった自分が恐ろしくて、令嬢達が一人一人挨拶するなか少しずつ後ずさる。このまま二人に挨拶せず薔薇の庭園に隠れて過ごすのもありだ。安易だが関わらなければ婚約者にならなくて済む。私は前世から何事も保守派なのである。
ばれなきゃいいだろうと思った瞬間、アルベール殿下の青の瞳と視線がぶつかる。
何もかも見透かすような深い深い深海の青の瞳に捕らえられる。
美しい…って、ヤバい!私涙流してるよ。
慌てて涙を拭うと、緊張と興奮がピークに達し冷や汗と共に限界だった胃がキリキリと強く痛みだしたのだ。
これは、発作がきた!
ヤバいと思った瞬間、急いで薔薇の庭園へと走り出す。アルベール殿下には気づかれたが、令嬢達は王子達に夢中だし、侍従やメイド達は令嬢達の世話に追われていた。きっと大丈夫、一人くらい、いなくなったって気づかれない。
追いかけっこのミニゲームをやりつくしたせいか、庭園の中が手に取るようにわかる。確か中ほどに東屋があるはずだ、そこに行って少し休憩して戻れば大丈夫だ。大惨事には至らないはず。
それよりもこのドレス足に絡みついて走りにくい。そもそも走るために作られてないから当たり前か。ミニゲームのヒロインすげーな、なんて現実逃避をしてみても胃の痛みは誤魔化せない。
もう少しで東屋というところで体調不良が限界に達し足がもつれ、汗で張りついたドレスが絡みつき転んでしまう。
「ぶっ! 痛っ!! ぺっぺっ、土食べちゃったよ」
運の悪いことに、エメが張りきってハーフアップの髪をストレートから華やかにコテで巻いたため、薔薇のトゲに髪が一部絡まってしまう。急いで取ろうとするが、どんどん絡まり被害が甚大になっていく。
土だらけのドレスで動けなくなってる令嬢なんて見つかったら大騒ぎになって、逃げ出したことがばれてしまう。
お父様にシェリルに何があったのだと泣かれてしまう。最悪、シェリルが虐められたと王宮にのりこんでしまうかもしれない。あの両親は娘が悪いことをするって思ってないから恐ろしい。悪役令嬢製造機なのだ。
焦れば焦るほど冷や汗が垂れていく。焦ってるだけではなく体調がどんどん悪くなっていくのを感じる。お腹をさすってみたり、うずくまってみたり、背中を反ってみてたり、楽な体勢を探すが良くなる気配はない。
このままでは…! 誰か助けて!!
絶望的な状況に涙目になりながら無理矢理、薔薇の枝を折ろうとしたところで、横の通路から人影が現れる。
助かったと顔を上げると目の前にいたのはアルベール殿下だった。私の姿を一瞥すると、微かに形の良い眉を寄せる。
言いたいことがわかるよ。公爵令嬢が土まみれで倒れてるなんて経験したことないよね。
人が現れたことで気をぬいた瞬間、更に強い吐き気と胃痛に襲われる。とっさにこみ上げてくる感覚に、もう殺されるから関わるのは嫌だとは言ってられない!
「うっ、アルベール殿下!お助けください!!」
精一杯、声を張り上げ、アルベール殿下に手を伸ばす。私よりもひんやりとした大きい手に包まれたところで、私は意識を失った。
「緊張性の急性胃腸炎ですね」
「は?」
「アルベール殿下申し訳ありません……」
宮廷医は、あっさり診断名を告げると薬を取りに部屋を出ていってしまう。ああ、行かないで……
私が倒れたあと急いで人が集められ、近いということで第二王子の宮の客室に運ばれ、宮廷医に診てもらうこととなったそうだ。私は今、ベッドに寝かされ恥ずかしさのあまり布団で顔半分を隠している。
「急性胃腸炎…、しかし倒れたあとに持病がと呟いていましたが?」
理解できないという顔で疑問を投げかけてくる。
そうだよね、アルベール殿下に死にそうな勢いで助けを求めたもんね私。
私の顔は茹でダコになっていると思う。イチゴなんてかわいい表現じゃなく茹でダコだ。頬が熱い。でもこれは、アルベール殿下に恋をしているからとかそんなことではなく、単純に恥ずかしくて真っ赤になっているのだ。
そう、私の前世からの呪いとは過度の緊張により起こる急性胃腸炎だ。この病気で前世では受験、就職、人間関係と幾度となく失敗を繰り返してきた。どうやら、今世でもしっかり、それだけは受け継いでしまったようだった。
もともと極度の緊張しいで、体が震えるだけならまだしも、胃腸にくるのだから質が悪い。何度、病院に運び込まれたことか。だから、私には王子の婚約者なんて務まらない。公式行事なんかに出られるわけがないのだ。まだ子供だからいいが、近い将来そんなことも言ってられなくなる。迷惑をかけるのがおちだ。
アルベール殿下の先を促すような視線に観念し、ベッドから起き上がり居ずまいを正す。
「その通りなのですアルベール殿下。持病とは緊張とストレスにより起こる急性胃腸炎のことなのです。殿下方にお会いするということとお茶会に場慣れしていないため、極度に緊張してしまい起こったと思われます。対策は練っておりました。食事をとらず、冷たいものを飲まず、腹巻き…じゃなくてコルセットでお腹を守り、ただ良かれと思って行った行動が全て仇となってしまって……」
「っ、ならどうして逃げた?あの場にいれば助けも呼べただろうに」
「それは経験者にしかわからないのですが、あのままだと見目麗しい殿下方や汚れを知らない純粋な令嬢方に、とんでもないものをお見せすることになってしまうので。オルブライト公爵家の威信にも関わりますし、末代までの恥として語られることがどうしても耐えられず……」
「ぶっ!!」
「なので、えっ!」
ベッドの横に座るアルベール殿下を見ると、片手で顔を覆い肩をふるふると震わせている。
あれ? もしかして笑ってる? ゲームのアルベールは、シナリオの後半にならないと笑わないのに、しかもヒロインだけに見せるのに。こんな悪役令嬢に大盤振る舞いしてもいいの?
片手では堪えきれなかったのか、お腹を抱えて笑いだしている。
キャラ崩壊もいいところだった。
顔どころか、自分の全身が茹でダコになっていくのを感じる。イケメンだからって調子に乗るなよ!
「アルベール殿下酷いです!乙女が恥を忍んで告白しているのに笑うなんて!!」
もう王族だとか不敬だとか考えていられなかった。両手でバシバシとアルベール殿下の肩を叩く。
「わ、悪い。悪気はないんだ。くっ、死にそうな勢いだったから拍子抜けしてしまって。あの時の格好といったら」
「もー、もー、笑うのはやめてください!すごく、すごく悩んでいるんですからね!」
「わ、わかったから。謝るから、君も叩くのをやめて」
アルベール殿下が私の両手首を掴んで、叩くのを抑える。
自然と間近で殿下の青の瞳と視線が絡まる。
さすが乙女ゲーム、悪役令嬢でも、こんなご褒美があるのね。
あっ睫毛が長い。右側に泣き黒子があるんだ… スチルに泣き黒子なんてあったかな?
恥ずかしくて、すぐにでも視線を逸らしたいのに、アルベール殿下の瞳があまりにも澄んでいて、ずっと見ていたいと思ってしまった。そこにはゲームでの野心も邪悪さも偽りもなかった。
何秒見つめあっていただろうか?
――コンコンコンコン
ノックの音で二人で一斉に離れる。
「…ごめんなさい」
「…いや」
その後、宮廷医に薬を頂きお腹の調子も戻ったため帰ることとなった。お茶会はとっくに終了していた。
ドレスは土だらけになってしまったため、アルベール殿下が新しいドレスを準備してくれた。アルベール殿下の、瞳と同じ深い青色のドレスだった。
「アルベール殿下、ありがとうございました。大変ご迷惑をおかけしましたわ」
淑女の礼をとって馬車に乗り込もうとすると、とっさに手を掴まれる。
「あっ、すまない…」
「いえ…」
謝罪しながら殿下は手を離さず、下を向き俯いている。何を考えているのか表情は見えない。
「殿下?」
「アル…と」
「へっ?」
「アルと呼んでくれ!」
意を決したように顔をあげ、真剣な眼差しで何を言うかと思えば、ヒロインにしか許さない呼び名で呼んでくれと言ってくる。
頬がカーッと熱くなる。この子は私を何度茹でダコにしたら気がすむのだろうか?いやもうタコにする気じゃないだろうか。
「良いのでしょうか?」
「ああ!」
「あ、あ…、アル………様」
「様はいらないんだがな」
様をつけることに不服そうだったが、アル様の満足そうな笑顔に絆されてしまう。
なんだ、この可愛い生き物。
本当にこの子が私を騙して、邪魔者だと殺してしまうんだろうか。
馬車に乗って窓から外を見ると、アル様が見えなくなるまで私の乗る馬車を見送ってくれていた。
付き添いのエメが訳知り顔で視線を送ってくる。
「……なに?」
「いいえ、何も。お嬢様、お茶会は楽しかったですか?」
「ええ、とっても」
「良かったですね」
恥ずかしくて、くすぐったい感情に俯きながら無言で頷いた。
軋む胸とお腹の痛みを抱えながら、無事に公爵邸へと戻ることができた。
後日、王宮から書状が届き公爵令嬢シェリル・オルブライトと第二王子アルベール・トリスタン・エヴァリストの婚約が内定した。
私はこれからも不治の病に悩まされそうだ。