願いの力
しかし、なぜか楓が動くことはなかった。
不自然に思った俺は楓に呼びかける。
『おい、どうした』
「……体が動かない」
俺の質問に楓はわずかに声を震わせながら答える。
よく見ると、俺の持つ手も小刻みに震えているのが分かる。
おそらく、恐怖で動けないのだろう。だが、決して楓が弱いわけではない。
相手が強すぎるのだ。
楓が動けないのを分かっているのか、空亡は悠長に攻撃の準備を始めた。
空亡の上部にとてつもなく強大な力が溜まっていく。
今の状態であれを食らえば、楓は十中八九、死ぬだろう。もし生き延びたとしても、戦闘の続行は不可能だ。
本当は使いたくはなかったが仕方がない、俺の奥の手――願いの力を使うとしよう。
だが、これを使うには持ち主の……楓の協力が必要不可欠だ。
俺は楓の青い瞳をじっと見つめた。
強い瞳だ。
圧倒的な恐怖を前に、瞳の奥に宿る闘志はまだ消えていない。
『……楓、この状況を打開する方法が一つだけある』
「教えて」
俺がそう言うと楓は迷うことなく、即座にそう言った。
『命を懸けることになるぞ』
俺は念のための警告を楓に送った。
「いい。ここで死ぬよりまし」
またもや即答した楓に、俺はひどく満足していた。
即答、か。
それでこそ、俺の持ち主にふさわしい。
『分かった。俺の言うことを繰り返せ』
「ん」
俺は願いの力を発動するための詠唱を始めた。
『一の願いは破滅の願い』
「一の願いは破滅の願い」
『我が障害となりし者を』
「我が障害になりし者を」
『未来永劫、蘇ることなく』
「未来永劫、蘇ることなく」
『今、果てさせよ!』
「今、果てさせよ!」
楓が言い終えると、俺の刀身に刻み込まれた魔法の文字に光が宿り、弾けた。
次の瞬間、空亡は静かに沈黙した。
そう、死んだのである。
そんな空亡を前に楓は半信半疑といった感じだ。
「本当に……死んだの?」
楓は戸惑いながら俺に問いかけてきた。
『ああ、間違いなく死んだ。俺の力からは誰も逃れられない』
例え、魔王だろうと勇者だろうと関係無い。
願いの力は絶対なのだ……本当は例外もあるがな。
「なんだかあっさり」
楓は緊張を解き、肩を落としてそう言った。
確かにあっさりかもな。自分でもそう思う。
しばらくすると、そのことを証明するかのように、空亡の亡骸は最初から何も無かったかのように消え去った。
それから少し経った後、俺たちは互いのことを話し合っていた。
「じゃあ改めて。私は楓、この聖域の守護者……今は何も無いけど」
楓はクレーターと化した周囲を見回しながら寂しげにそう言った。
『俺は魔剣ティルフィング、三度願いを叶えるがそれが終わると持ち主に死をもたらす呪いの魔剣だ。まあ、なんとでも呼んでくれ』
昔はいろんなふうに呼ばれていたからな。厄災の魔剣だったり、破滅の魔剣だったりな。
楓にはそんな風には呼ばれたくはないが、もし呼ばれたときは甘んじて受け入れるとしよう。
俺がそう自己紹介をすると楓がこんなことを聞いてきた。
「じゃあさっきのが一度目の願い?」
楓の疑問に俺は隠すことなく真実を伝える。
『そうだ。だから言っただろう、命を懸けることになると』
俺の力は破格の能力を持つが、文字通り命懸けだ、本当は俺も持ち主を殺したいわけではない。
呪いは俺の意思とは関係なく勝手に発動してしまうのだ。
今までもたくさんの願いを叶え、殺してきた。この悪夢が終わる事はないのだろうか。
本当に……憂鬱だ。
「……ありがとう。私の願いを叶えてくれて」
楓が放ったその言葉は俺にとって予想外のものだった。
『は? なんでありがとうなんだ?』
楓の言葉に、俺は思わずそう聞き返してしまった。
「私が願ったことをティルは叶えてくれた。なら、お礼を言うのは当然」
楓は、何を当たり前のこと言っているの? といった風にそう言った。
『だが、三度願いを叶えると死ぬんだぞ』
俺は夢でないことを願いながら、確認するように楓にそう言った。
「別にいい。ティルがいないとさっき死んでた」
淡々と答える楓に俺は心から驚き、そして救われた。
今まで恨みを言う奴はいたが、お礼を言う奴なんて一人もいなかった。
俺が呪いの魔剣という存在である以上、それは仕方のないことだと思っていたが、心のどこかでその言葉を求めていたのかもしれない。
こんなことで? と思われるかも知れないが俺には深く刺さる一撃だったのである。
『そうか……ならその礼、素直に受け取ろう』
「ん。それがいい」
一瞬の静寂が訪れ、俺は話をそらすようにこれからのことを問いかけた。
『それで、楓はこれからどうするんだ?』
楓は少し考えるそぶりを見せてから答えた。
「……ずっと一人でここを守って来た。けど今はそれが無い。どうすればいいか分からない」
ずっと一人で、か。
折角だし、今のこの世界を旅してみるのもいいかもな。まあ俺が今の世界を見てみたい、というのもあるが……。
そう思った俺は楓にこのことを提案してみることにした。
『それなら、俺と一緒にこの世界を見て回らないか?』
「世界を?」
不思議そうに首を傾げる楓に、俺は念押しするように続ける。
『そうだ。こんな所に閉じ籠もっていたんじゃもったいないぜ。どうせすることもなくなったんだ。どうだ?』
聖域の封印は空亡を封印すると同時に楓の存在も封印していたのかも知れない。それがなくなった今、もうここにいる理由は無い。いい加減、解放されても誰も文句は言わないだろう。
「それ、いいかも」
俺の提案に乗り気に答える楓。
『だろ。ならまずは、近くにある都市にでも行くとするか』
「おー」
楓は片腕を突き上げ、やる気を見せる。
俺はそんな楓を見ながら、これからの冒険に思いを馳せた。