稽古
「あ~ん?」
薄い包みを剥いて、露になった濃茶のチョコレートを、オレは一口に頬張ろう大口を開けて噛み付いたが、それは敢えなく空を噛むことになった。
何の味もしない空気を食べたところで、美味くもなければ腹も膨れない。
食う直前になってチョコレートのお預けを食らい、オレの手からチョコを取り上げた人物を睨み付ける。
白髪を頭の後ろで結んだ、年齢のよく分からない男が、オレから取り上げたチョコを、オレの目の前で食らい尽くし嚥下する。
「な、な、何すんだてめえ!!」
椅子に座っていたオレは、勢い良く立ち上がり、その男を怒鳴り付けるが、男はどこ吹く風と、チョコを食べ終わった指を舐めている。
「オレのチョコだぞ!!」
「はっ。お前にチョコなんて千年早ぇよ」
やっと口をきいたと思ったら、出てきた言葉は憎まれ口だ。
「てめえ!!」
オレはプチンと頭の中で何かが切れる音を合図に、男に殴り掛かったが、次の瞬間にはオレは床に組み伏せられていた。
「てめえ離せよ! どういう了見だコラア!!」
男の下でジタバタするが、まるで岩にでものし掛かられたように身動きが取れない。
「今日の戦い、遠目から観察させてもらった。何だあの戦い? 同じ刀使いとして恥ずかしい限りだったよ」
「はあ!?」
言われて無理矢理首を動かして男を観察すれば、その左手にはODカラーとTANカラー(薄茶色)の軍刀を握っていた。
「オジー、そのくらいにしなよ」
ベーアがそう言うと、オジーと呼ばれた男がオレの拘束を緩める。その隙にオレはオジーの拘束から抜け出し壁まで這っていくと、立ち上がってもう一度オジーと対面する。
改めて見てみれば、オジーはその立ち姿にどことなく強者の雰囲気が見てとれた。それもかなりの強者と思しきものだ。
最底辺で暮らしてきたオレは、この辺の見極めをいつもなら絶対に間違わない。何故なら間違えば即、死に繋がるからだ。
それがお菓子と言う甘美な誘惑に負けて、中々ヤバイ奴に喧嘩を吹っ掛けてしまったようだ。
だが、だからと言ってここで引き下がったらいけないことも分かっている。それは相手に足元を見られることに繋がるからだ。
ここで多少なり抵抗をみせられない奴は、自由になれず、強者の靴を舐めて生きることを余儀無くされる。
「でもオジー、フロッシュはボス機を二機撃墜してるんだよ? それだけでもう十分だと思うけど?」
ベーアの意見に、アッフェもファルケも首肯してくれる。
「確かにその事実はオレも認めている」
「だったら……」
「オレが話しているのは過程の問題だ」
オジーにそう言われても、オレたち四人の頭に浮かぶのは「?」だ。
「どういうことだ?」
オレが思いきって尋ねると、オジーに嘆息されてしまった。
「主義の話をしているんだ。フロッシュと言ったか? お前はあれだけ見事な大太刀を持っていながら、何故、短機関銃を使った?」
は?
「敵のボス機を仕留めた時もそうだ。お前はあの大太刀を放り捨て、ナイフでトドメを刺したな。何故だ? お前には刀使いとしての矜持は無いのか!?」
「…………つまりお前は、不利な戦いだろうと関係無く、刀使いは刀だけを振るい、他の武器を併用するくらいなら死を選べとでも言うのか?」
「そうだ!」
馬鹿だこいつ。普通に考えて優先順位は矜持より生存確率だろ?
「ふざけんなよ!?」
「ふざけてなどいない!」
オジーの目があまりに真剣なので、アッフェたちに視線で助けを乞うと、三人とも何だか申し訳なさそうにしている。きっとオジーは普段からこうなのだろう。
「ふざけんなよ」
「だからふざけてなどいない!」
「オレに死ねって言うのか!?」
「死にたくなければ強くなれば良い!」
「…………どうしろって言うんだよ?」
するとオジーはオレの前に手に持った二本の軍刀を差し出した。
「好きな方を選べ。オレが今から稽古をつけてやる」
チョー嫌なんですけど。でもこれやらなきゃいけない雰囲気だよね。何かオレ、雰囲気的にも物理的にも出口無いよね。あいつ調理場の入口に立ってるし。
「…………ハァー。分かったよ。ただしオレが勝ったら金輪際つきまとうなよ? それとチョコ返せ」
「ふっ、良かろう」
オジーから是の返答を受けて、オレはTANカラーの軍刀を受け取った。
まさか調理場で軍刀を振り回す訳にもいかない。オレたちは陸上艦の外に足を運んだ。
「何をやってんだいあの馬鹿どもは」
メアリーの婆さんが遠巻きに毒づいているが、オレも同じ気持ちだ。何なら、止めてくれんじゃないか? と淡い気持ちもあって婆さんがいる前まで来たと言うのに、止める気配は一向にない。
それだけでなく、続々と話を聞き付けたジャックストームのクルーが何処からか現れて、賭けまでし始めやがった。
そうしていつの間にか、対峙するオレとオジーの周りは野次と野次馬に埋められていた。
「さぁ、いつでもかかってくるんだ!」
腰に差したODカラーの軍刀を抜いたオジーは、まるで周りに野次馬なんていないかのように、軍刀を正面に構えると、オレに声を掛けてくる。
オレも仕方がないと覚悟を決め、手に持った軍刀を抜き、鞘を捨てる。
「ふっ、フロッシュ敗れたり」
「何だそりゃ?」
まだ戦う前だと言うのに、もう決着はついているらしい。
オレは気を取り直し、体を半身にして軍刀の切っ先がオジーに向くように構える。
オレたちが構えたことで場が一瞬静寂に包まれ、砂風が舞う。
それが収まったのを見計らい、オレは真っ直ぐにオジーへと駆け出し、突きの一撃を刺し込むが、軽く刀でオジーにいなされてしまった。
その後も二度三度と、オジーに刀を叩き込むが、まるで空気を相手にしているかのように、オレの攻撃はオジーの刀によって受け流される。
地力が違い過ぎる。当然だ。片や恐らくは四六時中刀のことばかりに専念してきた男と、片や底辺で靴を舐めて生きてきて、たまたま刀を手にした男とでは、その実力差はまさに天と地程の違いだろう。
だからと言ってオレもここで降参するつもりはない。
オレは踵を返し、オジーに背を向けると、集まっている野次馬たちの中に突っ込んでいった。
「な!? どういうつもりだ!?」
慌ててオレを追ってくるオジー。
刀を持った二人が、人混みの中を走り回るのだから、当然その場は軽くパニックになり始めた。
そしてオレは頃合いを見定めると、オジーに振り返り、オレが振り返ったことで急停止したオジーの顔面に向かって、足下の砂を蹴りつけてやったのだ。
「くそっ! 卑怯だぞ!」
突然の事態に対処に遅れ、目に砂を被ってしまったオジーの喉首に、オレは刀を突き付けたのだった。
「これでオレの勝ちだな」
「ま、待て! 今のは無しだ!」
慌ててオジーは勝敗を取り消そうとゴネる。そこに賭けをしていた野次馬たちも加わり、またもや場が騒然となったところに、
「今のはフロッシュの勝ちだ。いいね!」
とメアリー婆さんから鶴の一声が出れば、その場はピシャリと収まったのだった。
まあ、後から聞いた話では、メアリーの婆さんがたまたまオレに賭けていただけらしいが。