六話 ニケラの日常
グラニス王国、王城。ニケラ・ファダルは毎日の仕事を果たすため、一つの部屋へ向かっていた。
扉をノックし、部屋の者を呼ぶ。茶髪を後頭部で丸くまとめ、ふわふわとした印象のメイドが対応する。
「アイトラ様に」
メイドにアイトラを呼ぶように頼み、数秒かかったのち部屋の扉が開かれた。
「アイトラ様が許可なされました。お入り下さい」
扉をくぐると、座っていたアイトラが、手に持った懐中時計を見ながら反応する。
「今日も時間ちょうど、良い心がけだ二ケラ」
「はっ!」
二ケラに感心していたアイトラはメイドを呼ぶ。
「今日の私の予定は何かな?」
「一時間後に会議があります。その後、魔法兵士達の講義、魔導機関の視察です」
「そうか。では行こうか」
アイトラはおもむろに立ち上がり、廊下を歩いて行った。
会議の間の円卓の席は既に殆どが埋まっていた。空いているのは右端と左中央、そして出入り口に近い、一段高い王の椅子だ。
「君たちは外で待機」
それだけ言い残すとアイトラは扉を閉めてしまった。
ニケラは扉の横で待機するようにした。
しばらくして、一人の女性が現れた。帯剣はしていないようだが、メイド長以外のメイドがここに来れる筈がない。尤も、一兵士であるニケラがこの場に来ていることが奇跡である。すなわち、銀色の髪をたなびかせ、剣のような雰囲気を纏うこの人こそ、グラニス王国の『賢者』アイトラと対をなす人物であり、王国軍総隊長メーサ・ナルイドである。
ニケラは自分にとって雲の上の存在であるメーサに最敬礼をした。メーサはニケラを一瞥したのち会議の間に入って行った。
メーサが来た数分後、空気が変わった。通路に三人の影、左右にメイド長と王妃。空気を変えたのは中央の人物。圧倒的な覇気を纏い、それ間近で感じたニケラは自然と最敬礼をしていた。
黄金に輝く短髪、容姿端麗、その佇まいすらも神々しく見える。王、その肩書きが彼を象徴する。ラバナール・バルト・グラニス。それが彼の名である。
ラバナールは扉の前で止まり。ニケラを見ると、笑いかけた。
「アイトラの護衛だね、頑張りたまえ」
「はっ、はい!」
国王に激励され上ずった声になるニケラ。国王はそのまま会議の間へ入って行った。扉が開いた瞬間会議の間に居たもの達が、一斉に立ち上がり王を迎えた。
「良い」
ラバナールが言葉を発すると皆一斉に座った。
会議が終わり、ラバナールが退出した。その後アイトラ等の貴族達が出てきた。
アイトラは待機していたニケラに話しかける。
「どうだった?門番」
「とても緊張しました」
「そうかそうか、まぁ、これだけ大物がいたら君は疲れる」
「ええ」
「次は、魔兵のところだったね、早く行くよ二ケラ」
アイトラに促されるままニケラは魔法兵士の訓練所に向かった。
魔法兵士は、軍の中で弓矢隊と共に遠距離からの魔法攻撃を担当する攻撃部隊。王都などの都市や拠点での結界や防御を担当する防衛部隊。戦場などで回復や補助を行う支援部隊に分かれている。
アイトラは三つの部隊の全員を集めて大きな教室で講義を行うことになっている。
ニケラは教室の前方でアイトラの講義を聴くよう言われていた。
アイトラが壇上に立つと教室全体が期待の眼差しを向ける。全ての属性を扱える希少な人物であるアイトラの、その秘密を拾おうと、真剣に聞いている。
「それではざっと魔法について分かることを復習しよう。魔法とは、魔力を何らかの形で変化させ、様々な事象を発生させるものである。魔法には適性があり、通常一種類の属性に偏る。魔力保有量は個人差があり、魔法の効果は注いだ魔力に比例する。ここまではいいね。では次に魔法の重ね合わせを説明する」
アイトラは右手に炎を、左手には氷を出現させた。二つの属性の魔法を容易く出現させたことで、改めてその技量に驚く教室。
「完成した魔法は重ねようとしても両方とも弾いて消滅する」
言いながら両手の魔法を近づけると重なった瞬間弾かれ霧散した。
「しかし、同時に両方の魔法を併せて発動すると」
アイトラの手の平に赤と白のの光が渦巻く。
「ゆっくりやるよ」
光の渦が小さくまとまり、魔法が形成される。薄青に揺らめく炎、そのなかで唯一赤熱し輝く氷。属性を併せるという高度な技術、その神秘的な魔法に皆一様に息を呑んだ。
「これが、二重魔法式、属性炎氷、性質反転高度攻魔法だ。魔法名は【氷炎の悪魔】」
アイトラは魔法を掻き消した。
「同じ属性の魔法を二重、三重と併せると威力が増したり変化したりする。その分難しくなる。だが、極めれば切り札になり得るものだ」
言い放ったアイトラとニケラは目が合った。「きみは出来るよな?」と言われているようだった。もちろんニケラは得意な炎属性の三重魔法が放てる。アイトラを間近で観察し、その技術を吸収できた成果である。アイトラの護衛をする以前は兵士のなかでも群を抜いて戦闘のセンスがあり、王国精鋭部隊の王旗隊に選ばれるほどであった。それをアイトラが護衛に抜擢して、今に至る。
「それでは、次に魔力の使い方に……」
講義は二時間ほど終了した。実りあるものだったようで皆先程の講義の内容を話し合いながら自分の部隊に戻って行った。ニケラはアイトラの使った器具を片付けている。それと魔力の操作を並行して行ってたいる。
(離れたところで魔法を形成出来ないかな?)
自分の魔力器官から魔力を少量取り出し、体から離していく。五メートル近く離れると魔力が拡散した。何度行っても結果は変わらず、やはり五メートルほどで拡散した。
その様子を見ていたアイトラは、また魔力が拡散したときに話しかけた。
「器具を戻したら自由にして良いよ。もうすぐ昼食の時間だ、宿舎に戻るといい」
「はい、ありがとうございます」
ニケラは器具を持って教室を出た。
「リン」
「ここに」
アイトラが名前を呼ぶと一人、音も無く現れる。アイトラの部屋にいたメイドだ。
「やはり、気配の断ち方が上手い」
「諜報部隊の基本ですので。隊長からもお墨付きをいただいています」
「では、このまま私の護衛を続けてください。彼は午前までです」
「はい」
「貴女も私の教え子なので、しっかり学んで、私の代わりを務めるんだ」
「かしこまりました」
リンは再び気配を消した。
ニケラは宿舎に戻ると食事を済ませた後、宿舎近くの訓練所で兵士の訓練中、隣で剣の素振りを始めた。
研ぎ澄ませ、剣の音を聴きながら、一撃、もう一撃と繰り返す。それが終わると、三回を基準にした型を繰り返す。次に魔法を織り交ぜながらまた型を繰り返す。玉のような汗をかき、再び振るう。
腕が動かなくなって、ようやくベンチで休む。その間にも魔力の操作を行う。そうしていると声が掛かる。
「よ!ニケ!こんな所でサボりか?」
「サボりはお前だろソル」
ソルは軽口を言いニケラに水筒を投げ渡す。ソルグネジニが本名だ。長いので愛称で呼んでいる。剣術ではニケラ以上の強さを持つ。
「アイトラ様に見捨てられたのか?だらしねーなぁ。オマエが足踏みしてる間に俺は千騎章を貰ったぞ!」
誇るように胸の勲章を見せびらかす。
「勲章貰っても意地の悪さは変わんねぇな……ったく」
「ま、それが俺ですから。で、一丁模擬戦しないか?訓練は退屈で退屈で」
「ああ、俺もしたいと思ってた。どこまで強くなったか試してやる!」
「ヘヘッ、オマエがどれだけ弱くなったか見てやんよ!」
場所を変え、訓練所の闘技場へ。離れて向かい合う。模擬戦なので木剣を使用する。
合図は無く、無音で始まった。
ニケラが踏み込み、上段から振り下ろす。ソルそれを難なく避けて横薙ぎを繰り出す。それを察知したニケラは、木剣を構え防ぎ、剣先を振り上げ突き出すが、ソルは体を反らし躱す。それから何度も剣撃の応酬が続く。
木剣が弾かれ手から離れ、心臓に剣先が向けられる。ソルの勝ちだ。
「やっぱ強いわ、オマエ」
「勝った奴に言われたくないね」
ソルは肩で息をしながら賞賛を送る。
同じく息も絶え絶えに、木剣を拾い上げ、埃を払うニケラ。そして剣の感覚を確かめる。
「もう一戦だ、今度は負けない」
「ああ、何度やっても結果は同じだ!」
再び交わる剣戟の嵐。それは闘技場の壁を傷付け、夕暮れまで続いた勝負、勝利したのはソルであった。そのあと教官に、二人ともこっぴどく叱られた。
王都郊外、西の森。幼子の泣き声が響く。
「うぅ……っひく…………ママぁ……」
擦り過ぎではあり得ないほど真っ赤に腫れた右目、反対側には複数の目が別々に蠢く。
「怖いよぉ……ママぁ……」
彼女の母親は冷たく、彼女に覆い被さっている。
動物は彼女を見るや否や恐れ、逃げ出した。周りにいるものは腐肉でできた魔物ばかり。
ゆっくりと、森を抜けるために歩き続ける。その後ろには、大量の肉片や金属片が四散していた。