悩む幸太
「園田……入れるぞ……。」
「いいですよ先輩……、お上手です。」
写真部の部室の中には、もう何度見たことか、同じ影が2つあった。
「こういう時って、やっぱり緊張するな。」
「ふふふっ、先輩、ガチガチですよ?もっと力を抜いて?」
「ああ、そうだな……。」
「ほら先輩……よく中を見てください。あと少しで一番奥に着きますよ。」
「そうか……、じゃあ、このままゆっくり行くぞ。」
「はい……。」
幸太は、そう言って最奥部まで入れた——ほこりが一番溜まっている地点へ。
「お〜〜、これ凄いな‼︎本当に角に溜まったホコリを簡単に取れるわ‼︎」
「家で掃除を手伝っていた時に、お母さんに教えてもらったんです。」
幸太と彩女は、しばらく放っていた部室の掃除をしていた。
普段は幸太が週一のペースで掃除をしていたのだが、ここ最近は掃除をする暇がなく、久しぶりの掃除ということになっていた。
しかし、男一人の掃除は適当にやってしまって、細かいところは流してしまう。
そこで女性である彩女に手伝ってもらっていたというわけだ。
掃除する前までは散らかっていた部室も、今は綺麗に整っている部屋に変貌していた。
「すまないな園部、無理言って手伝ってもらって。」
「まあ先輩がどうしてもって言うなら、このあと一緒にご飯という形で許してあげましょう、勿論先輩のおごりで♪」
「相変わらずちゃっかりしてる後輩だな。わかったよ、連れて行ってやる。」
「やった♪」
彩女は喜びを隠さず、少しだけ飛び跳ねた。
女の子の髪にある特有のいい香りが辺りに漂い、幸太も思わず見とれてしまった。
幸太が惚けていることに気がついた彩女が、下から幸太を覗き込む。
「先輩?どうかしました?」
「お前——けっこう可愛いやつだな。」
彩女は自分が何を言われているのかを、数秒おいてから理解した。
理解したのち、赤面。
「な、ななな何言ってるんですか先輩‼︎不意打ちは卑怯者がすることですよ‼︎」
「卑怯者⁉︎待て、俺は素直な感想を言ったまでで」
「やかましいですこのタラシ‼︎……急に言われたから先輩の顔が見れないじゃないですか。」
「すまん、最後聞き取れなかったんだが……。」
「いいんです聞き取れなくて‼︎」
赤面しながら怒ってくる彩女にたじろぐ幸太、さながら痴話喧嘩するカップルのようだった。
「とにかく‼︎先輩は今の言葉を私以外の女の子に言っちゃダメですからね‼︎」
「わ、わかった。」
「ほら、荷物まとめて、ご飯行きますよ。」
聞く人が聞けば本当にカップルの痴話喧嘩になるこの会話はいったんここで終了。
幸太も彩女も、部室のロッカーに置いていた自分の荷物を取り出した。
その時、部室の扉がガラガラと開く音がした。
「ちわーっす久々に来たぞ〜。……あ、もう活動終わってた?」
「「ぶ、部長‼︎」」
「……急に大声出すなって。」
急に部室に入ってきたこくせ毛だらけの男は、写真部現部長の藤田 秀という。
幸太よりも体格は大きく、ブレザーのボタンは1つも締めていない。
気怠そうに垂れ下がった目尻は、本人の性格を物語っていた。
「藤田部長、前々から言っているように遅刻はいけないと言っているでしょう?」
「遅刻じゃねえよ、ちょっと色々あったんだ。」
「色々って?」
「あー……………………………………………………………………………………シラネ。」
「何なんですか今の間は‼︎」
適当すぎる態度に、思わず幸太は大きく突っ込んでしまう。
藤田秀とは、いつもこんな感じの適当な人間なのである。
ふと、秀の視線がこの部室の中にいる一人の女の子へ行く。
「……、名前なんだっけ?」
「園部です園部‼︎園部彩女、部活勧誘の時に話してたでしょう?」
「あ〜確かにそんな話も有ったり無かったり」
「有りましたよ‼︎じゃなきゃ入部してないでしょう‼︎」
「まあそんな話は置いといて」
「人が話しているのに流すのはよくないなぁ‼︎」
幸太から放たれるマシンガンの如きツッコミを簡単に一蹴した秀は、彩女に向かって声をかけた。
「園部ちゃん……だったかな?コイツうるせー奴だけど、面倒見てくれてサンキューな。」
「……いえ、別に……」
話しかけられた彩女は、秀と目線を合わせず、下を向いて答えた。
「ん?急に話しかけられて恥ずかしかった?」
秀が彩女の態度に疑問を持ったところで、後ろから幸太が補足をする。
「園部は極度の人見知りというか、初対面の人と話すのはできなくて。」
「でもさっき、お前とはすげぇ仲良さそうに話してたじゃん。」
幸太と彩女しか知らないだろう事実をすっぱ抜かれ、幸太は少し動揺した。
しかし、それよりも少し気になるところがあった。
「あの先輩、どうしてさっきのことを知ってるんですか?」
「こそっと扉から覗いてた。」
「趣味悪っ‼︎どこからですか⁉︎」
「『園部……入れるぞ……。』あたりから。」
「ほぼ最初から居たんじゃないですか‼︎」
「まぁまぁ気にせずに。」
「気にしますよ‼︎ほら、園部だって顔真っ赤じゃないですか‼︎」
先ほどのやり取りが見られていたという事実を知ったからなのか、彩女は両手で顔を覆ってしまった。
この状況を見て、秀は一言。
「わかった、この話も置いとこう。」
「本当に何しに来たんですか⁉︎」
話をこれまたどこかに置いた秀は、目の前のあるものに目をやる。
「お前ら、今日はこれ書いたのか?」
秀がひらひらと見せてきたのは、部日誌だった。
「そういえばまだ書いてないです。」
「ダメだぞ〜こういうのはちゃんと書いて提出しないと、部費の削減対象になるからな。」
「今日久しぶりに来た人が何言っているんですか。」
「よし、しょうがないから今日は俺が書いておいてやろう。」
「えぇ⁉︎」
予想外の一言に、幸太は思わず、声を上げて驚いた。
そばにいる彩女も、声を出しはしないが驚きの表情を見せた。
「んだよ〜その反応。たまには俺も部に出たぜってことを証明しないとだなぁ」
「まさか……出席日数を稼ごうとしてません?」
「さ、何のことだか。」
秀はななめ上を向き口笛を吹いた。
「くっ……わざとらしい。」
部日誌を書くことを決めた秀は、リュックからボールペンを取り出した。
「じゃあお前ら、書き終わるまで待ってろよ。」
「え?何でですかぼくらもう帰りますよ。」
「先輩を置いてく気?つれないね〜相変わらず。どうせ飯屋行くんだろ?俺も連れてって。」
「……………………ハァァァァァァァァァァァァァァァァァ⁉︎」
「当然、幸太のおごりね♪」
男からもらっても嬉しくない♪(音符)をもらったところで、幸太はしぶしぶ財布の中身を確認するのであった。
宮代学園の敷地内には、ファミリーレストランやコンビニが立ち並ぶ箇所が存在する。
ファミレスやコンビニを学園内に建てる企業は、学園からの優秀な人材の事前確保を目的としている。
逆に学園は、生徒の就職斡旋という面で企業との関係を強固なものにしようとしている。
このように、相互利益の関係が立っているのである。
部活終わりの流れで夕食をおごる羽目になった幸太と他二人は、ファミレスが立ち並ぶ道を歩いていた。
「園部の分はわかるが、どうして部長の分まで……。」
「まだ言ってんのかよ往生際が悪いなぁ。」
「だって先輩たまに顔出しているだけじゃないですか。今日の掃除を手伝ってくれたならまだ僕も夕食代払うのを理解できますけど」
「今日俺働いたよ?部活来たし。」
「違いますよ‼︎部活来るだけが仕事って何なんですか⁉︎園部も何か言ってやってくれよ。」
「私はどの道おごってもらえるの確定なので、どうでもいいです。」
「味方してくれよ〜‼︎」
綺麗の舗装された道路の上を歩く三人。
すぐに目的の店にたどり着いた。
店内に入り、一番角の席に案内されると、幸太の隣に彩女が、机をはさんで秀がそれぞれ座った。
各々は食べたいものを注文し終え、一段落したところで、秀が話を進める。
「ふぃ〜満腹満腹、他人の金で食う飯は最高だね。」
「ごちになります先輩♪」
「はぁ……。」
注文された夕食代を気にしてなのか、幸太の財布の凝視具合がハンパない。
「そういえばお前、また変なことに首を突っ込んだんだってな。」
「だって校則違反を働いていたんですから当然ですよ。」
「相変わらず、その性格だけはどうにもならないんだな。」
「自分の特徴の1つですよ、そう簡単に変えられませんて。」
「はいはい、そうだな。」
「ドリンクバー行ってこよ〜」と秀は席を立つ。
その間、幸太と彩女は二人きりとなった。
彩女はあまり話さない人物が去ったので、ここぞとばかりに幸太に話しかけてくる。
「ねぇ先輩?」
「ん、どうした?」
「先輩は、どうして自ら危険な場所に飛び込んでいくんですか?」
「……。」
「言えませんか?」
ずいっと横に座る幸太の顔に体を近づけて聞いてくる。
宮代学園に入学してから一ヶ月半の彩女には、入学する前までの幸太のことを全く知らなかった。
だから、思わず聞いてしまったのである。
なぜ、厄介ごとを好むのかを。
「園部は、『ルール』をどう思う?」
普通よりも静かなトーンで聞いてくる幸太。
「『ルール』ですか?う〜んそうですねぇ……。守らないとダメなもの、という感じでしょうか。」
「そうだ、『ルール』は守られてこそようやく存在できる。人の自由を縛るものだ。けどこの束縛は、人同士が安全に過ごすために必要なものであって、安易に破られてはいけない。言い換えるなら『自由の番人』ってところだな。」
「『自由の番人』……。」
「人を危険から守るもの、それこそが『ルール』のあり方だと俺は思ってる。……けど、なんでか人はルールを無視したり捻じ曲げたりするだろう?」
「ルール自体を知らなかったっていうこともあるんじゃないですか?先輩じゃないですけど、ルール全てを把握しようとする人なんて、そんなに居ないですよ。」
「そう、それだ。」
幸太は彩女の話したことに同意する。
「人は『ルール』を覚えない、だから罪とかにも気づかない。むしろ『ルール』という存在を知らなかったということを理由に平然と捻じ曲げていく……それが俺は嫌なんだ。」
話していて険しい表情に変わっていった幸太は、コップの中に入っているもう少ないジュースをストローで勢いよく吸い込んでいった。
「でも先輩、ルールを捻じ曲げられるって言ってますけど、具体的にはどういうことしたら、先輩の言う捻じ曲がるってことになるんですか?」
「人はよく、身内だから、友達だからって単純な理由で、違反を見なかったことにしたり、なかったことにするだろう。それが、俺の言う捻じ曲げられたっていうことだよ。みんなで違反をやれば怖くないっていう精神が、俺は嫌いなんだ。」
「……どうしてですか?」
「やってはいけないことを明確に定めているのが『ルール』のはずなのに、そういった精神が蔓延ってしまったら、それはみんなが平等じゃないと思うんだ。」
「……」
「機械になりたいんだ、俺は。」
「機械……?」
「この世のすべてのルールを把握できる、従順たる機械に。実現できれば、俺はこの世界が不平等じゃなくなると思うんだ。」
「先輩は、この世界が平等じゃないっていうんですか……。」
「現に平等じゃないだろう?先日あった盗難事件だって、もとは貧富の差が原因で起こった事件だった。」
ある程度話したところで、彩女があることに気づく。
「もしかして先輩、巡査長さんに言われたことが気になってるんですか?」
幸太は、巡査長に言われたことを心の中で思い出す。
——君の言う通り、犯罪は良くない、それは幼稚園児でも知っていることだ。……だけどね、人はどうしてもルールや法律を破ってまでやらなければいけないことだってあるんだよ。
「俺にとっては、『ルール』があるからこそ平等が実現できているというのに、あの人はルールを破ってまでやらなければならないことがあると言っていた。」
「何を言いたいのか、俺には全くわからないんだ。あの姉妹は犯罪を働いた、それは世間から見ても変わりようがない。……でも、俺にはそれをやらなければならないこととして捉えた巡査長の言葉が、理解できないんだ。」
「先輩……。」
店の中にいた生徒たちは、いつの間にか誰もいなくなっており、今は幸太たち三人のみになっていた。
それに気づいた幸太は、話を変える。
「すまない、こんな話に付き合ってもらって。楽しい雰囲気を台無しにしてしまったな。」
「いやいや……私が最初に聞いたことですし……。」
「部長を呼び戻して、もう帰ろう。辺りもすっかり真っ暗だからな。」
「先輩‼︎」
幸太が席を立とうとしたところで、彩女は少し声を大きくして幸太に呼びかけた。
「私は……先輩の味方ですからね、何かあったら一緒に悩んであげます。」
その表情には、幸太に寄り添おうと考える強い意志と、少しの母性を兼ね備えていた。
その優しい眼差しに、幸太は一瞬目を奪われた。
「ああ、ありがとう。」
見つめ合って数秒、幸太が暗い表情から少し脱出した瞬間だった。
また、ドリンクバーから戻っており、柱の陰にずっと隠れて話を聞いていたどこかの部長も、少し嬉しさも含めた笑みを浮かべ、ごくごくとコップのジュースを飲み干して行ったのだった。
【宮代学園 写真部 活動記録】
5月16日(木) 晴天
参加者 3年 藤田秀
2年 山本幸太
1年 園田彩女
活動報告
部室の掃除、後輩がよく使うから俺が掃除してやったZE
やっぱり部長が付いていないとまだまだ部活をやりきれてないな。
藤田秀