動揺
キルフェルニア帝国、帝都。
帝都の中央を占める巨大な帝城から東に離れた位置に、キルフェルニア魔術師協会の本部は存在する。
全6階層の黒い塔が正六角形の形で6棟連なっており、その6棟を柱にするようにして、三階と六階には各塔を繋げる広間が設けられている。
帝国魔術省の本部を兼ねたこの建物は魔術士を管理育成する組織の大元だけあって、帝城には一歩譲るものの、その威容は初めて足を運んだ人間の大半を圧倒せしめる奇抜な外観を誇っていた。
そんな本部の最上階、全6棟を繋げる最後の広間にて、会合が開かれていた。
中心には六角形の卓があり、それを囲うように幾つもの椅子が並んでいる。
床は灰色に近い大理石が敷き詰められ、天井は見上げるほどに高い。
互いの顔色を窺わせないようにするのが目的なのか、室内は最低限の光源がちらつくのみ。
隣に座る人間の表情さえ判別できない暗闇の中で、妙齢と思われる柔らかい女性の声が木霊した。
「――『ネレイス』がルグルフケレス支部を訪れたようです」
空気に緊張が奔る。
誰も声ひとつ漏らさないものの、動揺する気配はしっかりと周囲に伝染していた。
それだけに無言の闇が蠢いているように見えて、傍から見れば不気味極まりない。
「……彼奴は何をしに?」
しわがれたと言ってもいい、老齢と思われる男の声が疑問を呈する。
彼の声はそこはかとなく震えており、恐怖の情が入り混じっていた。
その理由をこの場で知らない者はいない。
「弟子の登録だとか。情報によれば、かなり可愛がっているようですよ?」
「で、弟子だと!?」
慄くような彼の叫びを皮切りに、今度こそ抑え切れない動揺が確かな騒めきとなって静寂を突き破った。
「あ、あの化け物が弟子をとるなど有り得ないっ!!」
「事実です。既にルグルフケレス支部は彼女の弟子を魔術従士として正式に登録しています」
「何故止めなかったのだ!?」
「止める? それこそ何故? 彼女は魔術師としてこの場にいる――いえ、この世の誰よりも優秀です。その弟子となれば、如何程の魔術師に成長するのか……個人的には興味が尽きませんわ」
明らかな焦燥を滲ませて主張する男の声とは反対に、女の声は実に楽しそうな音色を奏でている。
お互いの顔は見えないが、声音でそれを悟った男は激高し、テーブルに掌を叩き付けて怒鳴った。
「不穏分子は早々に始末するべきだ!」
「あらあら、穏やかではありませんわね?」
女の態度は涼しげだ。男の激情を飄々と受け流し、全く取り合わない。
「たった一人で国を落とすような化け物が見出した弟子なんだぞ!?」
「だから?」
ここで、誰も気付かない程度に女の声が硬くなる。
「ここしばらくの間、一切の動きを見せなかったネレイスが何の前触れもなく弟子をとったのだ! これを不穏と言わずして何と言う!?」
「優秀な魔術師が弟子をとった、ただそれだけの話ではありませんか。私からすれば、何をもって不穏とするのか甚だ理解できません」
どこまでも冷ややかな空気を言葉に乗せる女は、ここで一呼吸置いてからあからさまな猫撫で声で言った。
「そんなことより、あまり興奮しては御身体に障りますよ。もう老い先短いんですからね……"おじいちゃん"?」
「だ、黙れっ!! この阿婆擦れがぁ!!」
老齢の男から漂う怒気が殺気に変貌していく。それを敏感に感じ取った女は暗闇の中で酷薄に笑った。
「そこまでだ」
これまでとは打って変わった低い声が、室内に響く。
有無を言わせぬ圧力を伴ったその声は、万人を従わせる力がある。無様に興奮する男とは、それこそ格が違うというべきか。
逆らうだけの気概は元からないのだろう。老齢の男は昂ぶっていた感情を渋々落ち着かせる。
対する女は大した反応をみせず、相手を小馬鹿にするように軽く鼻息を鳴らす程度だった。
「ここで議論するべきは奴の弟子の処遇ではない」
「……申し訳ない」
しわがれた声が謝罪を口にするも、女からは何の言葉もない。それがまた老齢の男を苛立たせるが、努めて無視した。
その態度に満足したのか、低い声をした男は再び口を開く。
「ネレイスが動いたことで、他国がどのような反応を示すのか。これが最も深刻な問題だ」
「……他国の動向もそうですが、自国の内情も気にするべきだと思いますけどね」
低い男の声に、別の男の声が重なる。
「現在の不安定な情勢の中で、どこにも唾を付けられていない『力』が誕生した。国内の愚かな貴族共が目を付けないはずがありません」
「……」
貴族の前に『王侯』と付け加えたかった男ではあるが、流石にそれは己の命に関わるので口にしなかった。
不安定な自国情勢。彼の言葉に一同から疲労感のような空気が漏れ始める。
「いずれにせよ、何かしらの対応は打たねばなるまい」
「……適当な理由を付けて、協会に軟禁しますか?」
言葉こそ穏当に聞こえるが、彼が言っているのは要するに拉致監禁だ。
手段を問わずに、対象を強引にでも協会の手元に置こうと主張しているのである。
この場の中心人物ともいえる男はその考えを正確に読み取り、冷酷な眼差しを向けた。
「そうしたいならすればいい。止めはせん。ただし、ネレイスはお前が責任を持って対処するように」
「いやいや、冗談に決まってるじゃないですか!? 真に受けないでくださいよ。ネレイスを敵に回すくらいなら、王国相手に一人で戦争した方がまだマシです」
低い声の男は、暗に「そんなことをすればお前を切り捨てる」と言っているのだ。
あのネレイスが"可愛がっている"弟子をこちらの勝手な都合で拉致監禁するなど論外である。事が露見した場合、我が身がどうなるかはわざわざ思考を巡らせるまでもない。
怯えたような気配が男から漂う。それだけ、ネレイスという存在は魔術師にとって畏怖の対象だった。
「兎にも角にもこの件は我らの手に余る。ここは陛下に上申して判断を仰ぐべきだろう」
「……それが最良かと」
「異議のある者は?」
男の声に反応する者はいない。
誰しもがネレイスと関わることを避けている証だった。
「では、解散とする」
その言葉と同時に男の気配がその場から消失する。
それに続くように、広間から人の気配が次々と消えていった。
最後に残った妙齢の女性は呆れたように吐息を零し、
「いちいち大袈裟に騒いで、馬鹿みたい……」
その瞳に憂うような色を滲ませて、霞むようにその場から姿を消した。