目標は家電召喚
アクィナス大森林の中に建てられた一軒のボロ家。
そこから目と鼻の先にある、小さな湖畔に俺とユメは佇んでいた。
森のそこらで小鳥が絶え間なく囀り、木々の隙間から差し込む陽光が、湖を神秘的に彩っている。
ファンタジーの理想ともいうべき幻想的な景観を前にして、心を奪われない人間はいないだろう。
こほん、それはさておき。
魔術師協会にユメの魔術従士として登録してから、既に一週間が経っている。
その間に二度ほどティアが遊びに来ていたのは一先ず置いておくとして、俺は今日から本格的に魔術の修行に挑むことになった。
……実を言えば、都市から帰ってきた翌日には魔術の修行を始めていたりする。
ところがどっこい。初歩の初歩の初歩『己の魔力を感じ取る』という、子供ですら簡単に出来ることがなかなか達成できず、思いの外時間を取られてしまったのだ。
ユメの推察では、俺の世界の大気に魔力が存在しなかったことによる弊害ではないかとの事だったが、何れにせよどうにかこうにか自分の中にある魔力というものを感じ取ることができたので、満を持して次の段階へ進むことになったのである。
ユメに俺の体内の魔力を刺激してもらって、内に猛る魔力の胎動を感じ取る日々……言い換えれば、ユメを抱きかかえて、ただひたすらじっとしているだけの日々もようやく終わると思うと、中々に感慨深いものがある。
「さて、ユキトよ。今日は内にある魔力を掌に集中させる鍛錬を行うぞい」
「わかった」
とは言ったものの。
体内で沈静化し、見失った状態にある己の魔力を探り当てるというのは、正直かなり難しい。
例えるなら、大きめの水槽――この場合は俺の身体というプール――の中で死んだようにじっとしている魚を目隠しされた状態で、手探りで探すような感覚に近い。
見つけるところから人並み以上の苦労を強いられているのが、今の俺の現状だ。
こんなんで召喚魔法を単独起動とかできるようになるのだろうか。不安は尽きない。
「ふぃー……やっと見つけた! 会いたかったぜ、俺の魔力ちゃん!」
「うぅむ。掛かった時間は約5分といったところか。……遅い、遅すぎるのじゃ! 内にある魔力を感じ取るだけの簡単なお仕事なのに、どうやったらここまで時間を浪費できるの? ユメ、わかんない!」
ぷんぷんと頬を膨らませながら、変な口調を交えて皮肉をぶつけてくるユメ。
そんなこと言われても。
俺だって努力してるんですが。
「まぁよい。川底に沈殿した砂を掬い上げるイメージで、魔力を掌に集めてみよ」
「……こう、か?」
意識を研ぎ澄まし、掌に集まり出す魔力を纏めて強引に抑え込むが、どうにも難しい。
油断すると、暴れる魔力が掌から逃げようとするのだ。まるで活きの良い魚を素手で掴んでいるみたいに。
「むっずいな、これ!」
形を与えていない魔力は目に見えにくい無色透明の『何か』に過ぎず、俺はそれを必死に制御する。
拳大の陽炎が掌の上で揺らめいている光景を連想してくれると丁度いい感じかもしれない。
「ほう、初めてにしては上出来じゃのぅ。じゃが、まだまだ荒い。どれ、ひとつ手本を見せてやろうかの!」
一連の様子を観察していたユメが、魔力を集中させている俺の右手をその小さな両手で包み込む。
途端に、無秩序に暴れ回っていた魔力が大人しくなった。
……分かってはいたが、ユメと俺とではこうまで技量が違うのか。
幼い見た目に反して、やはりユメは凄い。
「魔力は握り潰すように力尽くで纏めるのではなく、粘土を捏ねるように柔らかく形を保つと良いぞ」
「……なるほどな」
ユメの手がそっと離れていくと、掌の魔力が再び暴れだす。
だがしかし。
彼女の手を通して、魔力の扱い方のコツは掴んだ。
まだ完璧とはいえないものの、最初に比べれば随分と御しやすくなったみたいだ。
「うむうむ。やはりユキトは筋が良い。この分なら、明日にでも次の段階に進めそうじゃ」
俺の掌の上で踊る魔力を眺めながら、ユメは満足そうに頷いた――にも関わらず、次の瞬間には困ったように首を傾げる。
「しかし、あれよのぅ……魔力を感じ取るまでに時間が掛かりすぎることをどうにかせんと、魔術師として大成は見込めぬぞい」
「筋が良いのか悪いのか、どっちなんだよ」
「うーん……どっちじゃろ? 己の師匠をこうも悩ますとは、ユキトはとんだ困ったさんなのじゃ」
魔力を捉えて活性化できれば、しばらくの間は魔力の存在を楽に掴めるようになるんだけどな。沈静化してしまうと、再び捉えるまでが大変なのだ。
ユメに言わせれば、この世界の住人達にとって己の魔力とは自分の胴体に腕や脚が付いているのと同じくらい当たり前に認識できるものらしい。
俺からすれば、その感覚が理解できねぇんだよ!
せめて、活性化した魔力をそのまま維持する方法があればいいんだが……。
「……そうだ、いい事思い付いた」
「んぅ? どうしたユキト」
掌に集まっていた魔力を霧散させると、何かあったのかとユメが顔を覗き込んできた。
「ん、ちょっと試したいことができた。少し時間をくれるか?」
「む? まぁ構わぬが、あまり無茶はせんようにのぅ」
「了解、師匠」
師匠と呼ばれて嬉しそうに頬を緩めるユメに苦笑しつつ、地面に胡坐をかき、掌を上に向けるようにして重ねてからへその前に持ってきた。所謂、座禅だ。
ユメの許可も得たので、思い付いた事を早速実行する。
深く、深く、深呼吸。
意識を己の内側へ向ける。
体内で胎動する魔力を意識し、心臓部分に魔力を集中させ、血液に溶け込ませていく。
勘違いしないでほしいのだが、本当に魔力を血に混ぜ込んでいるわけではない。あくまでそういうイメージを持って臨んでいるという話だ。
以前、ユメが血判を押した際に、血にも魔力が宿っていると言っていたのを思い出し、その言葉をヒントに自分なりの解釈を加えて、停滞する魔力を"流動"させてみようという試みである。
「すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」
血と一体化した魔力が全身を循環し、肺を通して再び心臓に戻ってくる感触を得る。
魔力という魚を広大な水槽の中で無為に揺蕩わせると、魚の存在感が徐々に希薄になっていき、やがては見失ってしまう。
それならば、ちゃんとした流れに沿って常に遊泳させることで、その存在をより明確に効率よく捉えられるようにすれば良いのではないかと思い至ったのだ。
どうやら、その試みは上手くいきそうである。
「――よしっ」
俺の体内を活発に流れる魔力の波動をしっかりと感じ取れる。気付けば、肉体の底から力が湧き上がるような、心地良い全能感が意識を支配していた。
だが、同時に困惑も覚えた。
何だか妙に視界が開けたような、視野が果てしなく広がったような不思議な知覚が全身の神経を圧迫しているのだ。
空間に漂う極小の魔力の粒子、その微細な振動すら肌で感じ取れるようになっている。触れる空気が熱くも冷たくも感じて、度を超えた鋭敏過ぎる感覚は無意識的な震えを肉体に齎した。
ただ、恐らくはその鋭敏な感覚のおかげだろう。俺は全方位――死角にある物体ですら、視覚で認識にすることなく把握できるようになっていた。
やばい、なんだこれ。凄く気持ち悪い。
「――驚いた。ここまで驚いたのは何時振りか思い出せぬくらいに久々なのじゃ。わしが魔術を教える前に、自己流で『魔流甲冑』を物にするとは予想だにせなんだ」
「魔流甲冑? なんだそれ」
「今まさにおぬしがやっている"その技"じゃよ。体内に魔力を循環させ、肉体の強度、身体能力、五感を飛躍的に高める技じゃ。己の肉体そのものを一つの魔力と成すことで、空間に漂う微細な魔力も敏感に捉えられるようになる」
「お、おう……」
「魔力が常に全身を巡っている故、通常のプロセスとは異なる形で魔術を行使することも可能となる。魔術師にとっての一つの極致じゃ。本来は鍛錬に鍛錬を重ね、己の魔力を意のままに操れるようになった達人が、その人生を賭してやっと身に着ける奥義ともいえる技なのじゃぞ?」
おいおい、ウソだろ。
まさか、魔力を見失わないように考えた苦肉の策がいきなり奥義にぶち当たるとは。
流石の俺も苦笑い。
「ユキトがすんなり魔流甲冑を物に出来たのは、幼少の頃から積んできた精神修練の賜物じゃろうなぁ」
あとは血液循環の知識があるかどうかで、大分難易度が変わるんじゃねぇかな。
しみじみと呟くユメに対し、俺は内心でそう付け加えた。
「兎にも角にも、今のおぬしは過敏とすらいえる精度で魔力の存在を感じ取っているはずじゃ」
「ああ。空気中に漂う薄い魔力すらきっちり把握できる」
「ふむふむ。ならば、修行の一環として命ずる。常に魔流甲冑を維持せよ。なるべくなら、就寝時にも維持を心掛けるよーに!」
ない胸を張って、偉そうに仰け反るユメ。師匠の威厳を示そうと精一杯頑張っているようだ。
微笑ましい努力である。
「わかったが、そりゃまたどうしてだ?」
「そうしておれば、肉体の方が勝手に魔力の波動を覚えるからじゃよ。身体の内側を巡る魔力の循環に慣れてしまえば、後は簡単じゃ。刺激され続けて成長した感覚が、沈静化した魔力を勝手に捉えるようになるじゃろうて」
「よくわからないけど、へぇ」
つまり、魔流甲冑を維持し続けることは、魔力を感じ取る器官を鍛えることに繋がるってことかね。
「さ、鍛錬を続けるぞい」
「ん」
まぁこれで一歩前進だな。
全てはこの家に家電を召喚し、異世界で文明の利器ウハウハライフを送る為に……いや違う。
全ては無事に元の世界に帰る為に。
とりあえず頑張ろう。
……まずは発電機とガソリン、冷蔵庫と電子レンジあたりを召喚したいな。いや、カセットコンロも捨て難いか。