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初めてのお出掛け

 身体が重い。

 何かに組み付かれ、自由を奪われているような、そんな不快な感覚が全身を支配していた。

 その不快感によって意識が半強制的に覚醒し、自然と瞼が開かれていく。

 知らないてんじょ……いや、やめておこう。


 窓を見れば、空が薄らと明るさを取り戻している。外に出ても問題なく視界を確保できるだろう。

 とりあえず起きるか。


「あ? 何故動けん……」


 昨夜、召喚に成功した俺のベッド――同一の品物であるというだけで、実家で俺が愛用していたベッドその物ではない――から這い出ようとするものの、何か束縛されているようで上手く動けなかった。


 何が起きているのか理解できない。

 嫌な予感がするが、これも違和感の正体を掴む為だ。

 思い切って毛布を捲ってみた。


 そこには、モコモコのネグリジェもどきを着用したユメがしっかりと俺の腰に腕を回して熟睡していた。

 かくいう俺は寝間着を持ち合わせておらず、かといって普段着を寝汗で浸すのも気持ちが悪いので、慣れない半裸でベッドに横になっている。

 つまりパンイチである。

 パンイチの男が年端もいかぬ少女と同じベッドで寝ているとか。ヤバイです、姉さん。事案です。いや、俺に姉などいないのだが。


 勿論、朝の生理現象もバッチリ。こんなん、どうすればええんや。


「つーか、こいつ、いつの間に俺のベッドに潜り込んだ?」

 

 まぁそれはどうでもいい。いや、本当はよくないけど、この際どうでもいい。

 俺はユメを起こさないようにそっと腕を引き剥がすと、するりとベッドから脱出した。

 一応、毛布を掛け直しておく。元の世界では夏真っ盛りだけど、こっちの世界の季節はいつ頃なのか、肌寒さが身に染みる。


 さて、朝の鍛錬でもするか。


 昨夜、ベッドに続いて召喚した本物の日本刀と汗拭き用の布を手に持ち、玄関へと向かった。

 外に出ると、家の中とは比較にならないとまでは言わないが、十分に寒いといえる気温だった。

 俺は目に見える範囲の中から、適当な広さの空間を見繕い、鞘から刀を引き抜く。

 庭もあるにはあるんだが、そこには薬草も含めた様々なハーブやら野菜やらが植えられているので、安易に足を踏み入れることはできない。


「……」


 肉体に覇気を巡らせ、脈動する心臓から吐き出される血液の流れを意識する。

 周囲の雑音を消し、目に映る景色も霞ませ、己だけが存在する世界を確立する。

 腕を持ち上げ、刀を中段に構えてから、さらに腕を持ち上げて一気に振り下ろす。

 素振りの回数などいちいち数えない。

 集中が途切れ、腕が止まった時こそ鍛錬のやめ時であり、それまでは無心に刀を振るうだけ。

 一振り一振りに全身全霊を懸けて、目に見えぬ敵を断ち斬り続けるのだ。


「………………」


 どれくらい刀を振り続けただろうか。

 全身から汗が吹き出し、無遠慮に滴り落ちる中で、ふと無意識のうちに腕がぴたりと止まる。

 朝の鍛錬はここまでだ。

 俺は刀を鞘に納め、最後に柄に手を添えて腰を少しばかり落とす。

 瞼を閉じ、吹き抜ける風が前髪を揺らす中で、身体の内側の気の高まりが最高潮を迎えた瞬間――


「――っ!!」


 一気に抜刀し、何もない空間を斬り裂いた。


 空気を切り裂く鋭い音が辺りに広がるのは無視。

 刀を下ろして、残心。

 しばらくしてから再び納刀して、今度こそ朝の鍛錬は終了だ。


 剣道着がないのでパンイチでの鍛錬となってしまったが、私服を汗まみれにはしたくなかったので致し方なし。こんな森の奥深く、どうせ誰も見てないのだし、何も気にすることなどないのだ。

 解放感は抜群である。


 事前に教えてもらっていた井戸に向かい、桶に水を入れて、用意した布で汗を拭う。おあー冷たい。


 空気の冷たさに身震いしながら家の中に戻り、ちょうど私服に着替え終わったところで、ごそごそと俺の毛布が蠢き始めた。そして止まる。

 少しの間、次のアクションがないか見守っていると、もそっとユメの顔が出てきた。


「あぅ……おぁよ……」

「おはよう。早速だが、ひとつ答えてもらいたいことがある。いいか?」

「いくない……」

「いくないじゃない。お前、なんで俺のベッドに潜り込んでるんだよ。自分のベッドがあるだろ」


 瞼を擦りながらふらふらとベッドから這い出てくるユメを見やり、溜め息を吐き出す。

 

「わしは知らぬ。気付いたらおぬしのベッドで寝ていたのじゃ。幼気な少女を自分のベッドに引きずり込むなんて、ユキトはとんだ変態さんなのじゃ」

「ほう……?」


 こやつ、のたまいおるわ。

 悲劇は避けたかったのだが、謂れなき侮辱を受けては止むを得まい。

 罪には罰を。これよりお仕置きを執行する。

 俺は中指だけ少しばかり尖らせた握り拳を作り、ユメの頭頂部のツボと思しき部分へ添えてグリグリと刺激してやった。

 この技は脳天グリグリと命名しよう。


「あっ!? 痛い痛い痛いっ!! ごめっごめんなさい! 調子に乗って悪かったのじゃっ! だから許してぇ!」

「許そう。次からはちゃんと自分のベッドで寝ろよ?」

「あぅぅ……」


 十二分に手加減はしたつもりだが、それでも涙目で自分の頭を抑えるユメ。

 ちょっとばかしやり過ぎたか。 

 少し可哀想に思えたので、頭を擦ってやった。

 途端に機嫌が良くなるユメを眺めて、漏れてしまった苦笑には気付かなかったことにする。


 てこてこと玄関へ向かっていったユメだが、外に繋がる扉の取っ手に手を掛けたところで、何故か俺の方に振り返る。


「どうした?」

「うむ。わしはこれから身を清めに行くわけじゃが、覗いたりしちゃいかんぞい?」


 バチコーンと力強くウィンクしようとして思いっ切り両目を瞑るユメに対し、俺はにこやかな笑顔と一緒に脳天グリグリの拳を掲げてみせる。


 それを見たユメは一目散に逃げるようにして外へ飛び出していった。


――その後、朝食の準備を終えたユメに呼ばれ、共にテーブルを囲んでいた時。


「今日は都市に出るのじゃ」


 ソーセージに齧り付き、スープに浸して柔らかくした黒パンを口にもきゅもきゅと詰め込みながら、ユメが唐突にそんなことを言い出した。


 今朝の朝食は目玉焼きに大きなソーセージ、野菜スープに黒パンといった献立だ。普通に美味いが、やはり少々味気ない。こればかりはユメのせいではないので、仕方ないのだが。寧ろ、ハーブで上手く風味を引き立てている分、上等だといえるだろう。

 せめて目玉焼きにかける醤油だけでも欲しいところだな。早く召喚できるように頑張らねばなるまい。


「都市に出てどうするんだ?」

「最優先事項はおぬしの衣服の調達じゃな。あとは所用を少々といったところかの」

「やっぱこの恰好じゃダメか?」

「ダメとまでは言わんがの。おぬしの世界の服はデザインがこっちの風潮と合わんし、何より仕立てが良すぎるでのぅ。流石に目立ち過ぎる」


 俺がこっちの世界に飛ばされた時に着ていた服は、ポケットが沢山ついたオリーブ色のサマーベストに白いカットソーシャツ、ベージュのカーゴパンツに茶色いブーツといった組み合わせだ。


 元の世界では極々普通の恰好だが、やはりというべきか、こっちの世界ではそうはいかないらしい。

 この恰好で外を出歩くのは、悪目立ちするようだ。


「とはいえ、こちらの服飾技術もそれなりに進んでおる。そう悪いようにはならんはずじゃから、安心するがよい」

「そっか」


 兎にも角にも、都市に出向くのはありがたい。

 せっかく来た異世界だ。森の中に引き篭もってばかりいるのは勿体無いからな。


 そういうわけで、俺は少女に連れられて、こっちの世界では初めてとなる買い物に赴くこととなった。


◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆


「ユキトや。刀を持っていくなら、これを使うといい」


 都市への外出する為の準備中、ユメに呼ばれて振り返ると、剣帯を放って寄越された。

 放られた剣帯を反射的に受け取るものの、俺は武器を携帯していくことなど考えていなかったので戸惑ってしまう。

 そんな俺の表情を読み取ったのだろう。ユメは珍しく少し諌めるような顔つきで言った。


「ユキト、はっきり言っておこう。ここはおぬしの世界と違って、外は危険に満ちておる。身を護る武器もなしに出歩くのは精神を病んだ者か、余程の愚か者かのどちらかじゃ。当然、銃刀法なんてものも存在せぬ。分かったら、ちゃんと武器は持っていくのじゃぞ? 何なら短剣でも貸そうか?」

「……いや、こいつを持っていくからいい」


 俺は刀を取り、握る手に力を込めた。

 外は危険に満ちている、か。俄かには信じがたいものがあるけど、それを言ったら地球も同じだ。日本は特に治安が良いだけで、護身用の武器の携帯を許可している国も普通に存在する。


「いざとなれば、わしがおぬしを守ってやるでの。そう気負う必要はないが、それでも心構えだけはしっかりしておいておくれ」

「留意しとく」


 そうだ、ここは日本じゃない。

 少しずつでも意識を変えていかないと、いずれ酷く後悔することになるかもしれない。気を付けよう。


 ユメの忠告に従い、早速カーゴパンツの上から剣帯を装着する。

 刀を腰から吊るすというのも不思議な感覚だ。


「これなら大丈夫そうだな」


 刀を差してみたが特に違和感もなく、すんなりと受け入れられた。

 ユメの方を見てみれば、彼女も剣帯に短剣を差している。それに加え、杖も持ち歩くようだ。魔術師なので、やはり杖は必須なのだろう。


 ユメは薄い紫色のワイシャツの上から薄手の青いローブを着込んでいる。

 ローブといっても普段着ているようなダボッとしたものではない。袖部分は若干の余裕を持たせてあるものの、縁取りは黒と白のツートン。全体的に銀糸の装飾が施されている洗練されたデザインで、ピシッと身が引き締まるイメージは現代日本人的な感覚だと、ローブというよりもコートといったほうがしっくりくるかもしれない。

 さらにその上から、金糸で煌めきを再現した純白のショールを纏っている。形としては二等辺三角形に近く、向こう側が透けて見えるほどに薄いデザインだ。

 下半身は膝の皿が隠れるか隠れないか程度の白いプリーツスカートに黒のニーハイソックス、焦げ茶色のロングブーツといった出で立ちだった。


 なんだこれ、滅茶苦茶お金掛かってそうな衣装なんですけど。


「え、お前外出するときって普段からそんな気合い入れてんの?」

「んぅ? そんなことないぞい。今日はおぬしが同行するでな。わしもちょっとだけおめかししたのじゃよ――っと、そうじゃそうじゃ、忘れるところであった。ほれ」


 何もない空間から現れた茶色い布が頭から被さり、いきなり視野が狭まってビックリした。


「何だこれ?」

「外套じゃよ。おぬしの髪は黒いでの。無粋な視線に晒されたくないのであれば、ちゃんとフードを被るよーに!」

「なんだ、こっちには黒髪っていないのか?」

「わしの知る限りでは見たことないのぅ――うむ、これで良いじゃろ」


 何故か外套の紐を結んでくれるユメ。

 それくらい自分で結べるんだがな。まぁ楽しそうだし、別にいいか。

 外套纏うなら、ベストの前はある程度閉めておいたほうがいいかもしれない。


「準備は整ったな? では、行くとしようぞ」

「おう」


 互いに準備を終えて、いざ外の世界へ。

 家の外へと足を踏み出し、森の景観を視界いっぱいに収める。


「都市までは歩いていくのか?」

「乗り物を使わないという意味ではそうなるのぅ。でも、流石にそのまま歩いて向かうわけではないぞい」


 ユメの言っている意味がわからず、首を傾げる。

 そんな俺を見やりながら、ユメは杖を軽く振る。

 すると、俺の身体が突然白く輝き出し、すぐに終息した。


「何かしたのか?」

「重力制御の魔術。お主の体重を百分の一にまで減少させたのじゃよ。さ、わしを抱き上げておくれ」

「あ? 嫌だよ面倒臭い」


 これから都市に歩いて向かわにゃならんのに、いらんことで体力使ってられるか。


「むぅぅぅ! 何故そこで拒否するのじゃ! いいから早う抱っこ! 抱っこー!!」

「あぁぁうっせうっせ! ちっ……仕方ねぇなあもう……」


 じたばたと駄々を捏ねるユメにうんざりしながら、俺は大人しく彼女を抱っこしてやることにした。

 なんだかんだあってお姫様抱っこの形になってしまったが、これが一番ユメの服装を乱さずに済むので妥協しておいた。本当なら脇に抱えてやりたかったのだが、それをやろうとすると瞳に涙を溜めてじっとこちらを見つめてくるという新手の抗議を始めるので、始末に負えない。


「むふふっしっかりわしに掴まっておるのじゃよ? あと、驚き過ぎて粗相せんようにな」

「おい、何をするつもりだ」


 何やら不吉なことを言い出すユメに嫌な予感を覚えながらも、俺は彼女を抱き締める手に力を込めた。

 ユメの腕が俺の首に回された瞬間、ふわりと足が地面から離れる。


「――なっ!? なんだと!?」

「それ! 一気に行くぞ!」


 実に楽しそうなユメの掛け声が耳朶を叩いたと思いきや、気付けば物凄い勢いで俺の身体は空を飛んでいた。

 周囲の景色が弾丸のように流れていき、あっという間に眼下へ小さく収束していく。

 荒れ狂う風圧が鼓膜を震わせ、手を伸ばせば届くのではないかと錯覚するくらいに雲が近くに見えた。

 地平線の果てまで続く空の青さが、重力の枷から解き放たれた俺とユメを諸手を挙げて歓迎してくれている。

 照り付ける陽光が光の翼となり、地上の何もかもを無限遠の彼方に置き去りにして、俺とユメは天空を我が物顔で闊歩する。

 今、俺達を妨げるモノは何一つ存在しない。この大空の支配者は俺達だ――そんな気分にさせられる程に、圧倒的な光景だった。


「すげぇ……」

「ふふっどうじゃ? 空を飛ぶのは気持ち良かろう?」

「ああ。とんでもなく気持ちいい。最高の気分だ!」

「そうじゃろそうじゃろ! 風系統専門のまじゅちゅしでも、空を飛べるのは世界で数人しかおらぬからな! おぬしは今、この世界で一番ラッキーな男なのじゃぞ?」


 本当にとんでもない。己の身体で青空を切り裂くことが、これほどの快感になり得るなどとは夢にも思わなかった。

 ハングライダーに魅せられた人の気持ちがわかる。


「おぬしと一緒にこの景色を観られて、わしも嬉しいのじゃ」

「ああ、俺も嬉しいよ。ありがとな、ユメ」

「むふふっお礼はホッペにチューを所望するのじゃ――って、ふぇ……?」


 これまでにないドヤ顔で報酬を要求してくるユメに対し、俺は躊躇うことなく最大限の感謝をもって、その柔らかな頬にキスを落とした。

 こんな素晴らしい世界を体感させてくれた彼女のささやかな願いを突っ撥ねることなど、今の俺には到底不可能だ。


「こんなもんしか返してやれなくて、ごめんな」

「あ、あ、あぅ……あぅ……」


 ユメは頬どころか首元まで紅く染めながら言葉にならない声を漏らしているが、そんな彼女の様子を気にする以上に、俺はこの透き通るような空の青さに目を奪われていた。

 様々な汚染物質で薄汚れた日本の空とは違い、一切の穢れを知らぬこの世界の空は魂を吸い込まれそうになるほど美しい。


 これ以上ない感慨にしばらく無言で浸っていると、徐々にその高度が落ちていく。

 何事かと下を向けば、眼下には人工物と思われる建物が無数に乱立された景観が広がっていた。

 なるほど。どうやら都市に着いてしまったようだ。

 少々名残惜しいが、帰りもまた同じ方法で帰るだろう。焦る必要はない。

 しかし、この景観もまた素晴らしいものだ。

 いつか、元の世界でも気軽に空を飛べる時代が来てほしいと切に思う。


「と、到着なのじゃ……」


 ぐるりと周囲を分厚い壁に囲まれた都市の三方向には大きな門のようなものがあり、その門の前では馬車やら荷車を率いる人々が所狭しとごった返していた。

 真っ直ぐ二列に整列していることから、どうやら都市に入る手続きの為に順番待ちしているらしい。

 都市からの出立専用らしい小さな門から出てくる人影もそれなりにいることから、物流が活発なようだ。


 突然、空から舞い降りた俺達に周囲の人々がギョッとした顔で慄くが、反応としては当然の部類だろう。今のリアクションで、ユメの規格外の度合いが少し分かったくらいだ。


「で、俺達は左右の列のどっちに並べばいいんだ?」

「わ、わしらは徒歩じゃから左側に並ぶのじゃ……」

「――? どうした、顔真っ赤だぞ。別に俺の服なんて今すぐ必要ってわけでもないし、具合が悪いなら無理すんなよ?」

「こ、これは具合が悪いわけではないのじゃ! あぅぅ……誰のせいでこうなったと――って、わしのせいか? 解せぬ」


 何やらブツブツと呟くユメの様子を見る限り、体調を崩してはいないらしい。

 いやまぁ、彼女が変調をきたした理由なんてとっくに察してるんだけどな。あの時はテンション上がり過ぎて、色々と自制が効かなかったんだよ。

 思い返すと恥ずかしくなると同時に死にたくなるから、俺はしれっとした態度を崩さずにいようと思う。

 すまんな、ユメ。黒歴史は封印するに限るのだ。


 心の中で謝っていたら、ユメが俺の首の後ろのフードに手を回して被せてくれた。


「人目が多いでの。そろそろ隠しておくのじゃ」

「さんきゅ、すっかり忘れてた。ところで、そろそろ降ろしていいか?」

「や」

「おい」


 ぷいっとそっぽを向くユメは俺に掛けた重力制御の魔法だけ解除すると、杖を抱え込むようにして腕を組み、俺に抱えられた状態で踏ん反り返るという小器用な真似をしくさりやがった。


「いやいや。いくらお前が小柄とはいえ、流石にそろそろ腕が辛いんだよ。勘弁してくれ」

「なら、これでよかろ」


 ユメは自分に重力制御の魔法を使ったようだ。彼女の身体が文字通り羽のように軽くなり、強張っていた腕の筋肉が楽になる。

 ここまで軽くなると、今度は逆に不安になってくるな。唐突な突風に吹き飛ばされやしないかと、ハラハラしてきた。

 知らず知らず、彼女を抱える腕に力が篭る。


「ユキトは大胆なのじゃ。そんなに強く抱き締めなくても、わしはどこにも行ったりせぬぞ?」

「お前が風に撒かれて吹っ飛ばされないか心配なんだよ!」

「あっ……その可能性は考慮してなかったのじゃ」

「嘘だろ?」


 こいつ、アホの子なの?

 魔術師ってもっと賢いイメージがあったんだけどな……。

 何はともあれ、若干重みを増したユメを抱えながら待つことおよそ15分程だろうか。

 ようやく都市に入る為の手続きを行える順番が回ってきた。


 薄い木の板に羊皮紙らしい紙を挟み、羽ペンを携えた衛兵らしき人物が近寄ってくる。


「ルグルフケレスへようこそ。この都市の市民ならば身分証の提示を。そうでないなら通行税を払ってください」

「ん」


 俺にお姫様抱っこされたまま、ユメは気怠そうに胸元からペンダントを取り出して衛兵に見せつける。

 白金色に輝くペンダントの先には大きなコイン程の大きさの丸い飾りが付いていて、円を描くようにそれぞれ赤色、青色、茶色、緑色、水色、黄色、白色、黒色の宝石が、中央には――何かの見間違いだと思いたいが――ダイアモンドらしき宝石が埋め込まれ、綺麗な八角形を象っていた。

 それをまざまざと観察した衛兵は、日に焼けて健康そうな肌を一瞬で青白く変色させ、大量の冷や汗を垂らしながら土下座するような勢いで頭を下げた。


「た、大変失礼致しましたっ!!」 

「うおっっ!?」


 俺は予想だにせぬ衛兵の奇行に驚き、反射的にユメを隠すようにして一歩後ずさってしまった。この俺としたことが、何たる屈辱。


「うむ。お役目ご苦労。こやつはわしの弟子なので、税金は払わなくともよいな?」

「はっ! 問題ございません。どうぞお通りください!」


 ビシッと背筋を伸ばして敬礼のようなポーズをとる衛兵にひとつ頷き、ユメは俺に都市へ入るように顎で促す。

 衛兵の大声が聞こえていたのだろう。周囲の訝しむような視線が鬱陶しいので、さっさとその場を後にすることにした。


 防壁の厚さ故に短いトンネルのような門を抜けると、開けた視界に都市の景観が飛び込んでくる。

 四角い建物の上に正三角形を置いたような外観をした、尖った屋根の家屋が立ち並ぶ街並だ。

 中世ヨーロッパ然とした雰囲気は異国の情緒があり、日本から出たことがなかった俺の好奇心をこの上なく擽ってくる。

 街の端にある大きな城っぽい建物を中心として、そこからなだらかな傾斜が形成されているようだ。

 ふむ、あの一番高い場所にある城こそ、この都市を運営する人物の住まいであると仮定しても問題なさそうだな。

 しかし、都市といわれるだけあって広い。上空から見渡した限りでも、人口2万は下らないんじゃないかと推察できるほどに広大な土地面積だった。

 活気があるのも頷ける。


「ユキト、そろそろ降ろしておくれ」

「この駄々っ子め、やっと俺の両腕を解放する気になったか」

「そう言われると、このまま素直に降ろされるのも癪に思えてくるのじゃ」

「ご利用ありがとうございましたー」


 有無を言わせず、強引且つ素早くユメを地面に降ろす。

 俺を半眼で睨み据えて、ぷぅっと頬を膨らませるユメだったが、すぐに気を取り直して周囲を見渡し始める。


「さて、手頃な馬車を借り受けるとするかの」

「おいおい、買い物に来ただけなのに随分と乱費するんだな。少しは歩こうぜ」

「おぬしもこの都市の広さをその目で観たであろう? さして土地勘もない場所を徒歩で歩き回ろうものなら、日が暮れても目的を果たせぬぞ」

「なんだ、ユメはこの街には詳しくないのか?」

「わしはあまりあの森から出ないからの!」


 何を考えているのか、ユメは「えっへん!」と偉そうに胸を張る。

 自分の引き篭もり具合をここまで堂々且つ自慢げに告白する奴って初めてみたわ。


「ルグルフケレスには何度か訪れたこともあるが、寄り道などしたことないからのぅ。王都ならまだしも、ここの地理は全然わからぬ。じゃから、ここは大人しく馬車を借りて目的地までのスムーズな道行きを確保するのじゃ!」

「まぁお前がそれでいいんなら、文句はないけど。金は大丈夫なのか?」

「その辺は心配するでない。簡潔に言って、簡単には使い切れぬ程度には持ち合わせておる」

「マジかよ」


 こいつ、それだけの財産がありながら、何であんな辺鄙なところに住んでるんだ?

 ……いや、これは余計な詮索だな。


「ほれ何をしておる! 早く行くぞい! グズグズするでない!」

「へえへえ」


 丁度良さそうな馬車を見つけたのか、俺の手を握り、力強く引っ張ってくるユメ。

 随分とご機嫌な彼女の手を離さないように握り返しながら、俺は異世界初の都市散策を満喫することにしたのだった。


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