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本日2人目の珍客

 絶叫をあげながら、尻を打ち付けるようにして着席した金髪紫眼の人間。

 それを歓迎するのは、俺の膝の上を陣取る外見推定年齢10歳前後の銀髪少女。


 これで屋根に2つの穴が開いたことになるな。


「……え? えっ!? ここはいったい――」


 動揺を隠せずオロオロしている目の前の人間はどうやら女らしい。身長は160センチには届いていないと思う。

 風に流れる砂金の如き長い髪を後ろでひとつに束ね、徹底的に研磨されたアメジストのように煌めく紫色の瞳には理知的な輝きが灯っている。

 衣服の上からでもわかる凹凸のハッキリした肢体も相俟って、まだ少女のあどけなさを残しつつも清純な色香を纏っていた。

 しっとりと澄んだ声音は聞く者の耳朶を甘く震わせ、蕩けるような熱で視界を揺さぶるようだ。

 ハッと意識が覚醒するような美貌を持つ少女である。


 見た目としては、意匠の凝った外套の下にはベストにシャツ、パンツに皮のブーツといった男装を着こなしている。理由はわからない。

 長剣なんて物騒なものを腰にぶら下げているあたり、どこかのお貴族様といったところだろうか。

 背負った矢筒にコンポジットボウを所持しているところを見るに、狩りの最中であったのかもしれない。

 そんな奴がなんで屋根をぶち破ってこんなところに落ちてきたのか甚だ疑問である。


「ふふふ。時間通りじゃな!」


 屋根から落ちてきた金髪の女を上機嫌に眺め、椅子を指していた人差し指を手元に戻し、顔の横でくるくる回すユメはいっそ清々しいまでのドヤ顔でその視線を俺に移してきた。

 わざわざ言葉にしなくても理解できる。表情だけで「わし、凄いじゃろ? 凄いじゃろ?」と他人に読み取らせるとは恐れ入った。


 肩を竦めてみせ、返答とする。

 ユメの中でどう解釈したのかは知らないが、とりあえずは満足したようだ。

 ふしゅーっと蒸気を吹きだすように荒い鼻息をひとつ。そのまま身体ごと金髪の女に向き直る。


「世界最高のまじゅちゅしの家へようこそなのじゃ! 歓迎するぞ、ティアリーズよ」


 噛んでる噛んでる。ここまで来ると、俺が来た時に魔術師って言えたのは奇跡だったのかと思えてくるな。


「えっと……まじゅちゅしさんの家ってどういうこと?」

「魔術師な」


 キョロキョロと困惑気味に周囲を見渡す金髪の女の名前はティアリーズというらしい。

 ユメの言葉をまともに受け取るもんだから、ついツッコみを入れてしまった。

 金髪の女が、所在無さげに彷徨わせていた視線を俺に固定する。

 訝しむように、じろじろと上から下まで観察された。

 途中で、俺の膝の上を陣取るユメに目線をやり、混乱したように眉を八の字に下げる。


「魔術師というのは、貴方のことなのかな?」

「違う。魔術師っていうのは、このチビッ子のことだ。俺は彼女の弟子といったところだな」


 傍目から見て、ただの年端のいかない少女にしか見えないのだろう。俄かには信じがたいのか、疑いの眼差しで見据えてくる。

 そんな目で見つめられても困るんだが。紛れもない事実なんだし。


「ユメ、疑われてるぞ。ここはひとつ、お前が世界最高の魔術師である証拠でも見せてやったらどうだ?」

「んぅ? わしが魔術師である証拠とな? どれ――」


 少し面倒臭そうな顔を残し、ユメは台所の方角へ手を伸ばした。掌を上に向け、親指と人差し指を残して軽く握り拳を作り、ちょいちょいと人差し指を曲げる。まるで、こっちに来いと指図しているかのようだ。


 すると、台所からティーカップとソーサーがふわふわと宙を漂いながらこちらへ向かってきたではないか。何じゃこりゃ。

 ティーカップのセットは、驚愕して言葉を無くす金髪女の前に静止すると、僅かな擦過音をたててテーブルに降り立った。


 未だに俺の膝の上に留まるユメは同じようにポッドを手繰り寄せ、手も触れないまま蓋を外して中身を確認する。


「うむ、まだ残っておるな」

「おい、それを出すつもりか? 流石にもう冷めてるだろ」

「ククッまぁ見ておれ」


 俺の反応を面白がるようにクツクツと笑う様は、まるで悪戯を仕掛ける前の子供といった様相だ。

 何をするのかと思いきや、ユメは宙に浮かぶポッドに向けて、軽く指を払う。

 そして、目の前で起こった現象を目の当たりにして、俺は「あぁ、やっぱユメって魔術師なんだな」と、認めざるを得なかった。


 コポコポとポッドの底から、失われていたハーブティーが増え始め、次いで湯気を立てる。

 まるで、逆再生された記録映像を見ているような気分だ。


「ハーブティーなのじゃ。温かいうちに飲むがよかろ」


 ユメは指先一つでポッドを操り、中身を金髪女の前に置かれたティーカップへと注ぐ。

 なみなみと注がれたカップを見やると、そっとポッドをテーブルの上に戻した。

 そのまま俺の方へ振り返り、何かを期待するような眼差しを向けてくる。


 俺は彼女の期待に応えるべく、その頭を撫でてやった。


「いや、これは凄いな。素直に感服したよ。流石は俺のお師匠様だ」

「そうじゃろそうじゃろ! もっとわしを褒めて、崇めて、奉ってもいいんじゃよ?」


 擽ったそうに目を細めながらも、ユメは尊大な態度を崩さない。


 ふと金髪女に目を向ければ、彼女は心底驚愕した様子で顎を落としていた。


「し、信じられない……何だ今のは? 魔力そのものを凝縮した? いや、それだけじゃ魔力が物理的干渉を果たす理由にはならない。そもそも、どうイメージすればこんな事が可能になるんだ? 位階付きの宮廷魔術師どころか先生にだって不可能だ……いや、それ以上にポッドの中身が増えるなんてありえない! あんなものは既に魔術の領域を逸脱している!」


 金髪女が頭を抱えて何やら喚いている。随分と大きい独り言だ。ちょっと怖い。

 ユメに至っては、相手に自分の凄さをまざまざと実感させることが叶って大満足といった感じだ。若干ながら錯乱気味の金髪女をフォローしようともしない。


 仕方ないので、俺が彼女を現実に引き戻すことにした。


「おい、お嬢さん。とりあえず戻って来い。1人で考え込むくらいなら、当の本人に直接聞けばいいだろ」

「――そうか! それもそうだね!」


 俺の言葉に即座に反応した金髪女が、ガバッと勢いよく顔を上げる。

 今にもにユメに質問攻めを敢行しようと口を開くが、俺はそれを掌を向けることで制する。


「落ち着け。お嬢さんの名前は既にユメが口走ってるけど、そもそも俺達は自分の名前すら満足に名乗ってないんだ。まずは自己紹介でもして、互いの存在を認知し合うところから始めるべきじゃないか?」

「た、確かに。見苦しいところをお見せした。申し訳ない……」


 金髪女は恥ずかしそうに頬を赤く染めると、こほんと小さく咳払いしてから左手を胸に当てて、小さく頭を下げた。


「ボクの名前はティアリーズ。ティアリーズ・ド・ベクター。この地を治めるドルク・レ・ベクター卿の養子として、貴族の末席に身を置いている」

「おれは――」

「わしの名前はユメリア・トルティエ・ヴァルデクト。世界最高のまじゅちゅっ……魔術師じゃ。で、こやつの名はユキト。わしの唯一無二の弟子である」

「――ッ!? 貴方がかの有名な『永銀の天威(てんせい)』ネレイス様であらせられるのですか!?」


 本名長いな。つか、誰だよネレイスって。中二病どっぷりな二つ名までついてるとか、救いようがねぇなおい。


「そうじゃよ。わしとこうして会話できるぬしは実に運がよいのじゃ」


 そう言って、何故か偉そうに無い胸を張るユメ。

 いきなり科白被せてきやがったと思ったら、勝手に人の名前をバラすとか。まぁいいけど。

 俺の時は普通に名乗ってくれたのに。……いや、あの時は俺が精神的に追い詰められていたから、気を使ってくれたのかもしれないな。


「かの有名な御仁のついでに覚えていってくれ。俺は名がユキトで、姓はサイガだ」

「っと、これは失礼。サイガ殿だね。お二方との出会いに感謝を」


 手を差し出されたので、まずはユメを抱き上げてティアリーズに近づけた。

 ユメは躊躇なく彼女の手を取って「くるしゅうない」などとのたまい、上から目線で握手に応じる。


 どうやら、普通に握手でいいみたいだな。

 ここで異世界独特の礼儀を持ち出されて、「人の手を気安く取るとは何事か! 無礼者め、斬り捨ててやる!」なんて展開も御免だ。

 ユメを人身御供にしたのは申し訳ないと思うけど、こっちに飛ばされて早々にくだらないヘマをやらかすわけにもいかない。ここは勘弁してくれな。


 次に俺に向けて差し出される手を取り、握手に応じる。ティアリーズはどこか嬉しそうに唇の端を持ち上げた。

 たかだか握手のひとつで、随分と気にかかる反応をする奴だな。


「で、ティアリーズのことは女扱いでいいのか? それとも男扱いすればいいか?」

「どうしてそんなことを聞くんだい?」

「そりゃアンタが男装して、一人称にボクを使ってるからだよ。普通なら迷うだろ」

「ふふっ……随分とはっきり物を言うんだね。どちらでも構わないよ。君のお好きなようにどうぞ?」


 へぇ、どっちでもいいのか。男の恰好してる女って、大体自分の性別にコンプレックスを持ってるもんだと思ってたけど、こいつの場合はちょっと事情が違うのかもしれない。


「ところで、ティアリーズってちょっと長いだろう? 良ければボクのことはテアルかティアって呼んでくれると嬉しい」

「そうか、そいつは有難い。なら、俺のこともユキトって呼び捨ててくれて構わないぜ。よろしくな、ティア」

「――! あぁ、こちらこそよろしく。ユキト」


 俺が女扱いを選んだことが意外だったのか、僅かに目を開いた後、彼女は相好を崩した。


「さて、互いの自己紹介も済んだことだし、そろそろ話を進めるか」


 俺は膝の上でいつの間にかハーブティーのお替りを飲んでいたユメを見やる。

 視線に気付き、ユメが不思議そうに首を傾げた。

 こいつ、話の流れを理解してねぇな。


 俺がティアをここに招いた理由を尋ねようと口を開きかけるが、それよりも早く、ティアが身を乗り出すようにして言った。


「ネレイス様は先程のような凄い魔術をボクに授けてくださる為に、この家へ招いてくれたのですか!?」

「んぅ? ぬしは何を言っておる? わしはぬしをここに招いていやせんし、魔術を教えるつもりもないが?」

「「え?」」


 バッサリとした物言いに、思わず呆気にとられた俺とティアの声が重なる。


「わしはぬしがどこの誰で、今日、この時間にわしの家にやってくると事前に知っていただけじゃて。だから、ぬしを客人として持て成しはするが、それ以外のことをしてやるつもりはないぞい」


 あらまぁ。

 態度こそ穏やかなものの、言葉には確かな拒絶の意思が練り込まれている。俺ですら、まるで取り付く島もないと直感で察してしまったほどだ。


「そう、ですか……。それは残念です」

「それにぬしには既に師事している魔術師がおろう。己が師に相談もせず、勝手に師事する先を変えるのはマナー違反じゃぞ」

「……仰る通りです。先走った無礼をお許しください」


 ティアもユメの頑なな態度を見て、食い下がっても無意味だと悟ったようだ。微かに項垂れ、諦めたように口を噤む。

 ユメの奴、俺とは妙に態度が違うな。彼女を嫌っているというわけじゃなさそうだが……。

 俺は微妙に重くなってしまった場の空気を変えるべく、ティアに話を向けた。


「その反応から察するに、ティアもユメと同じように魔術師なのか?」

「あ、あぁ。ネレイス様のように魔術師を名乗れるほど大層な人間ではないけどね。非才の身ながら、少なからず魔術を齧っているよ」

「さっき、ユメが使った魔術に随分と驚いていたようだけど、普通の魔術師っていうのはどういった魔術を使うんだ?」

「それはえっと……」


 ティアは戸惑うようにチラッとユメを見つめるが、ユメは我関せずの態度でハーブティーを飲んでいる。


「こいつのことは気にしなくていい。それより教えてくれ」

「……う、うん。世間一般で認知されている魔術師は、己の適性に合った属性の魔術を行使するよ」


 躊躇いながらも、ティアは素直にこの世界の魔術について解説し始めてくれた。


「その属性ってのは?」

「基本系統の火、水、土、風。特殊系統の氷、雷、光、闇の8つだね。これらのうち、適正があると判断された属性を中心に鍛錬を積むのさ。例えば、火だったら火を灯したり、水だったら水を出したりといった具合にね。各々の属性に合った初歩の魔術をひたすら練習して、徐々に火球を作って飛ばしたり、水球を作ってその場に留めたりといった具合に、出来ることを少しずつ増やしていくんだよ」


 百聞は一見に如かずとばかりにティアは掌に水球を作り出し、すぐに霧散させる。

 作り出すまでに約5秒。それなりに集中力を要する作業のようだ。


「付け加えると、ほとんどの魔術師が基本系統の適正しか持たない。特殊系統に適正がある人は極めて稀なんだ」


 特殊系統はレアなのか。これってどういう理屈なんだろう。

 知ったところでどうにもならないんだろうけど。


「そういうことが出来るようになれば、魔術師として認められるってことか」

「ううん。ただ魔術が使えるだけじゃ駄目なんだ。正式に魔術師として認めてもらうには、魔術師協会の試験に合格して資格を得なきゃいけないんだよ」


 俺の賞賛に照れたように微笑みながら、ティアは解説を続けてくれる。

 つまり免許制ってことか? 思ったより面倒臭いんだな。


「なるほど。ところで、さっきユメが見せてくれた魔術も何かしらの属性に類するやつなのか?」

「……それは違う、と思う」

「はっきりしないな」

「わからないんだよ。ネレイス様が先程お見せになられた魔術は、ボク達が知る既存の魔術のどれにも当て嵌まらないんだ」


 畏敬の念を込めてユメをじっと見つめるティアの表情は硬い。

 わからないなら、本人に直接聞けばいいか。


「おい、ユメ。さっきのはこの世界の魔術じゃないのか?」

「違うぞい。先程見せたのは、この世界には存在しない概念から生み出されたものじゃ。わし以外に扱える人間などおらんよ。いたら逆にビックリじゃて」


 正面を向いていた身体を横向きに直し、手に持っていたティーカップをテーブルに置きながらユメは答える。

 あ、頭を胸に預けてきた。おい、寝る態勢に入るな。


「あの……ネレイス様……? この世界に存在しない概念とはどういう……?」

「秘密じゃ。魔術師の知識はそれ一つが門外不出の財産であると、ぬしも師に教わっておろう」

「うっ……そうですね……申し訳ありません」

「強いて言うなら、かような魔術を扱えるからこそ、わしには永銀の天威という二つ名とは別の呼び名があるのじゃよ――魔法使い、というのう」


 つまらなそうに言い切り、腰をもぞもぞさせて尻にフィットするベストポジションを探るユメ。駄目だこいつ、完全に寝る気だ。


「さり気なく寝ようとするな。つーか、いい加減に膝から降りろ」

「や」

「やじゃない」

「いやじゃいやじゃ! 弟子なら師匠を労わるのが当然であろ!? わしはここを動かぬからな!」


 がっしりと腰に手を回され、梃子でも動かぬと徹底抗戦の構えを見せるユメに思わず溜め息が漏れる。

 こんなくだらないことで師匠の威厳を持ち出されるとは。

 一連の様子を眺めていたティアは思わずといった感じでくすりと笑うと、その笑みを維持したまま俺に視線を投げ掛けてきた。


「ところで、ユキトはネレイス様の弟子なのだろう? 今教えたのは基礎中の基礎、そのまた基礎の知識だ。魔術師の弟子を名乗るなら、これくらいちゃんと覚えてなきゃダメだよ?」

「と、言われてもな……。俺もユメの弟子になったのはつい三十分くらい前の話だし。それまでは魔術とはとんと縁がない生活をしてたもんだから、覚えるも何もないんだよ。そもそも、こいつと初めて出会ってから、まだ一時間くらいしか経ってないしな」

「――えっ! それ本当なの!? その割には凄く仲良くみえるけど……」


 再び驚愕の表情を浮かべるティアに対し、肩を竦めて答える。


 正直にいえば、俺もここまで懐かれるとは思っていなかったさ。まぁこれはこれで悪い気分じゃないし、別にいいんだけどな。

 繰り返すが、俺はロリコンじゃない。


「こっちにも色々と事情があるんだよ。それより、ひとつ聞いていいか?」

「ん? なんだい?」

「ティアはこんな森の奥に入り込んで何をしていたんだ?」

「あぁ、そのことか。今日は気晴らしに森で狩りをしていたんだよ」


 苦笑するティアは、頬を掻きながら目線を逸らす。


「それで、獲物を見つけて弓を構えたまではいいんだけどね。いざ放とうとしたときに顔に虫が止まってさ。驚いて明後日の方向に矢を飛ばしちゃって。で、勿体無いから矢を探しにきたら、木の枝に突き刺さってたのを見つけたんだ。何とか回収しようと手頃な木に登って、枝伝いに近づこうとしたら……ね?」


 後は言わなくても分かるだろう? と、言葉を切る。


「あぁ、なるほどな。んで、足場にしていた枝が折れて、無様に落ちてきたってワケだ」

「無様って……本当のことだけど、ユキトって容赦ないよね……」


 そう言って、彼女は拗ねたように唇を尖らせる。恥ずかしいのか、その顔は赤かった。

 それにしても、コンポジットボウなんて所持してるから、もしかしたらとは思っていたが、予想は見事に的中していたらしい。


「しかし、養子とはいえ立派な貴族なんだろ? 1人で森を出歩くのは、あまり良くないんじゃないか」


 ノーロープバンジーを敢行中、ほんの少し垣間見た程度だが、この家は周囲一面を森に囲まれていた。

 野生の獣とかに遭遇しても1人でどうにかしないといけない事を考えると、少々不用心なレベルだ。


 すると、ティアは苦笑から一転、寂しそうな表情を浮かべる。


「ボクはあくまで養子だからね。ドルク様は優しいけど、他の兄弟からはあまりいい顔をされてないんだ」

「あ?」


 あー……ティアの遠回しな台詞に若干目尻が吊り上がりそうになるが、要するにアレか。

 養子故に兄弟から疎まれていて、そいつらの嫌がらせで護衛の1人も満足に付させてもらえないってことだろ。


「そのドルク様って人は優しいんだろ? なら直談判すりゃいいじゃないか」

「私事であまり心配を掛けたくないんだよ。ボクひとりが我慢すれば、それで丸く収まるんだからね」

「そのうち、嫌がらせじゃ済まなくなるかもしれないぜ」

「その時はその時さ」


 あぁ、こいつ。ひとりで全部抱え込むタイプか。

 何もかも身の内に隠して、それを誰にも打ち明けることなく、勝手に潰れちまう感じ。

 ティアを大切に想っている人が潰れてしまった彼女の姿を見て、どれほどの悔恨の情を抱くかも考えずに。

 とはいえ、俺には関係のない話か……。


「そっか。お前がそれでいいんなら、もう何も言わねぇよ。俺も所詮は部外者だしな」

「……うん」


 ティアは力無く微笑む。

 嫌な顔だ。

 なまじ整った容姿をしているだけに、人の神経を逆撫でる効果も抜群といえよう。


 はぁ……仕方ねぇな……。


「だがしかし、そんな部外者でも愚痴くらいは聞いてやれないこともないんだな、これが」

「ユキト?」

「まぁあれだ。どんな些細な事でもいいから、吐き出したくなったら遠慮なく吐き出してくれて構わないってことだよ。ひとりで抱え込んで潰れちまう前に、な」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかったのだろう。ティアは呆けた表情を晒し、それから少しずつその端整な顔に喜色を滲ませていった。


「ユキト……」

「ティアはこっちに来てから2人目の知り合いだからな。俺としては、まだ特別扱いできる枠に余裕がある。だから、遠慮すんな」

「――ありがとう、ユキト。でも、どうせならそこは知り合いじゃなくて友人って言ってほしいかな?」

「じゃあ友人だ」

「うふふっ! そう言ってくれて凄く嬉しいよ。ユキトは優しいんだね」


 ちょっと押し付けがましかったかもしれないが、ティアはとびきりの笑顔で頷いてくれた。暗かった雰囲気もようやく元の明るいものへと戻った気がする。

 やれやれ。

 あんまり言ってて恥ずかしくなるような台詞を言わせないで欲しいものだ。


「んぅ……ティアリーズや、そろそろ帰らないと家の者に心配されてしまうぞい……」

「ユメッ! お前やっぱり寝てやがったのか!」


 どうにも反応が薄いと思ったら、こいつ、いつの間にか寝てやがった。

 あれだけ寝るなと言ったのに。

 お前の持て成す発言はどこにいったんだよ。


「うわっマズイ! もう夕方になってる! ネレイス様の言う通りだ、早く帰らないと」


 窓から差し込む夕日が室内を赤く照らす中で、外の日の陰り具合にようやく気付いたティアがドタドタ慌ただしく弓と矢筒を背負いながら玄関へと向かう。

 そのまま勢いよく飛び出していくかと思いきや、彼女は唐突に足を止めて振り返った。


「……あの、ネレイス様」

「くぁぁ……なんじゃ?」

「その……えっと……」


 どこか遠慮するように言葉を詰まらせるティアだったが、やがて意を決したように、だらしなく大欠伸するユメを真っ直ぐに見つめた。


「また、遊びに来てもよろしいでしょうか?」


 彼女は表情を硬くし、怯える子供のように沙汰を待つ。

 それを蒼銀の瞳で見据えながら、ユメはゆっくりと唇を開き――


「いつでも好きな時に来るがよいぞ。歓迎しよう」


 眠たげな眼のまま、ふにゃりと相好を崩して言った。


「ありがとうございます! 近いうちに、また顔を出しに来ますね!」

「うむうむ。こっちに来たばかりのユキトには友達もおらんでな、これから仲良くしてやっておくれ」


 思わず「やかましい!」と吠えかけたが、グッと堪える。

 癇に障るものの、ユメは間違ったことは何一つ言っていない。何より、せっかくいい雰囲気なのに、それを俺の罵声で台無しにするのも気が引けた。


 口の隙間から漏れかけた溜め息を噛み殺しつつ、苦笑をもって見送る。


「まぁそういうことだ。手土産のひとつでも持って、また来てくれ。出来れば、甘くないやつで頼む。燻製物なら尚良し」

「ふふっユキトは注文が多いね。まぁ考えておくよ。それじゃ、また!」

「おう、またな」

「気を付けて帰るんじゃぞー」


 玄関の外まで付いていき、遠ざかっていく背中を見送るユメ。

 ぱっと見た限りでは、一応ながら細い獣道のようなものが通っていた。これなら迷うこともないだろう。


 それにしても、今日こっちの世界に迷い込んだばかりの人間が誰かを見送るっていうこの状況、実はかなり可笑しな話なのではなかろうか。

 何ていうか、俺も異世界に放り出された現実を妙にすんなり受け入れてしまっている気がする。まぁこの場合はユメが一緒にいてくれるっていう事実も大きいのだろうが。

 もしかしたら魔導書は、こういう慣れない環境にもすぐに順応できるかどうかの資質も含めて、異世界に飛ばす人間を選定しているのかもしれない。


「考えたところで無駄か」

「んぅ? どうした、ユキト」

「いや、なんでもない」

「そうか、ならばよい。そろそろ夕飯の支度をするのじゃ。今夜は腕によりをかけてご馳走を作るとするかのぅ」

「そりゃ楽しみだ」


 ティアの背中が森の影に埋もれて見えなくなったあたりで、俺達も家の中に戻る。

 さて、異世界の飯か。どんなもんが出てくるのか楽しみだな。


◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆


 ユメが作った飯は普通に美味かった。ただ、調味料が基本的に塩とハーブしかないので、洗練された現代人の味覚を持つ俺としては少々物足りなかった。

 時にユメは家庭的な作業を好ましくこなせる性質であるらしい。料理も好きだということなので、いつか向こうの調味料をプレゼントしてあげたいところだ。


 というわけで、早速その野望を果たす為の実験を開始することにする。


 実験の内容は、俺の世界から物を召喚することだ。

 魔導書に蓄積された情報と俺が直接触れて現物を知り得ている物品の情報が一致すれば、魔導書の召喚魔法を介して、こっちに呼び寄せることができるらしい。

 例えば、魔導書が俺の世界の剣なるものを情報として得ているとして、俺が直接この手で触れたことがあるものなら、剣の定義に当て嵌まるものは何でもこっちに召喚できるというわけだ。


 制限付きではあるものの、それでも何たるチート。だがそれがいい。


 ただし、生き物は何であれ召喚は不可能であるとのこと。

 生き物の転移は、魔導書がこちらの世界へ帰還するか、異なる世界へ赴く過程において初めて可能になるのだと。

 少しばかり残念だ。

 人間を呼び寄せるつもりは毛頭ないが、家畜を呼び寄せて食肉の自給自足とかはちょっと試してみたかったからな。


 さて、今夜の実験に関して、魔力のサポート等は全てユメ任せである。

 俺はただ召喚したいものをイメージとして頭の中に思い浮かべ、魔導書に蓄えられた情報のすり合わせを行うだけでいいらしい。

 ただ後々の話だが、この作業はいずれ全て俺単独で行えるようにするのが理想のようだ。そうでなければ、元の世界に帰るのは絶望的なのだと。

 とはいえ、そこまで深刻な話でもない。少なくとも魔術の才能は、魔導書に選定された時点で保証されているのだし、努力すれば何も問題はないのだ。


「では、そろそろ始めるのじゃ」

「ああ」


 場所は寝床。物を片付けて、ある程度のスペースを確保したところで、俺は床に直接胡坐をかいている。

 ユメは胡坐をかいた俺の足の間にすっぽり収まって、ぴったりと密着しながら背を預けてきた。

 互いの肉体が触れ合っていたほうが魔力の通りが良くなるらしい。魔術のことに関しては素人なので、玄人の意見には逆らわないでおいた。


「呼び寄せたい物を強くイメージせよ」

「……」


 意識を集中して、俺の記憶にある物を頭の中に思い描いた刹那。

 熱いとも冷たいとも判別が付かない得体の知れない"何か"が胸と腹を通して身の内を浸食し始め、じんわりと全身を巡っていく。


 そうか、これが魔力ってやつか。何とも不思議な感覚だ。 

 だが、とても心地良い。まるで深い海の底を穏やかに揺蕩っているような、柔らかい毛布に包まれて優しくあやされているような……。

 これがユメの魔力の本質なんだってことは、本能で理解できた。

 ちとヤバイな。こんなん知っちまったら、彼女を手放したくなくなる。こんなまともとは言えない思考、全くもって俺らしくない。俺はロリコンじゃないのに。


 っと、それより集中だ集中。この世界での安眠は偏にこの召喚に掛かっているんだからな。


 身体中を巡る魔力の奔流を意識しながら、ひたすた召喚したいものを頭の中でイメージする。


 そして遂に――


「っしゃあああ! 成し遂げたぜ!!」 

「おお? これがおぬしが欲した物か、どれどれ」


 室内を吹き荒れていた緑色の粒子が収束し、ひとつに纏まってとある物を形作る。

 それこそは、俺が元の世界で愛用していた高級ベッドだった。

 高校入学のお祝いに買ってもらった、毎日の安らかな睡眠をサポートする俺の第三の魂。


「ほあぁあ……これがユキトの世界のベッドか……色々と洗練されているのじゃ」


 枕と毛布もセットでくっ付いているようだ。下手したら召喚できるのはベッドだけで、他はまた後日ってことも考えていただけに嬉しい誤算だ。


「どうだ? ユメ。これが俺の世界に存在するベッドだ。ふっかふかで気持ちいいんだぜ?」

「べっ別に、うやらましっ……羨ましくなんかないんじゃからな! 勘違いするんじゃないぞい! わしには長年愛用し続けた、この相棒がおるんじゃ! おぬしのベッドなんぞ、片手で捻り潰してくれるわ!」


 科白を噛みつつ、何やら悔しげに地団太を踏むユメをせせら笑いながら、俺は背中からベッドに飛び込んだ。衝撃がマットレスのスプリングに殺され、柔らかい毛布がふんわりと肉体を包み込んでくれる。

 うおあー……これだよ、これ。このベッドさえあれば、俺は生きていける……。

 気分が良くなった俺はドヤ顔をユメに向けてみた。


「むきぃぃいい!!」


 ムキになったユメが奇声を発し、真似して背中から自分のベッドへ倒れ込む。

 次の瞬間、ズドンッと重い音がして、ユメリアが苦しそうに身を屈めた。

 余程痛かったのだろう。そのうち、えふっえふっと咽び泣き始めたので、慌てて抱き起して背中を擦ってやった。


 何はともあれ、実験は成功だ。

 このまま、元の世界の物をどんどんこっちに持ってくるとしよう。


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