自由なエルフ
椅子の背凭れに体重を預け、ぽっこりと膨らんだお腹を擦るエルフの女が、苦しげに、されど幸せそうに呻いた。
「もう食べられないのぉ……」
「いくら何でも頼み過ぎだっつーの。少しは遠慮しろや」
大討伐作戦に参加したいと我が儘を通したお詫びとして、昼食はロイズが奢ってくれることになり、ひょこひょこ付いてきたエリーエルも相伴に預かる形となったわけだが……。
この駄エルフ、食えもしないのに、ここぞとばかりに大量の料理を注文しやがった。奢りとはいえ、ここまで無遠慮に注文できる奴なんざ初めて見たぞ。金欠にしたって、もう少し良識というものを持ち合わせてほしいところだ。
しかも、頼むだけ頼んで残すとか失礼過ぎる……。ロイズは別に気にしていないようだが。
「勿体無い事しやがってからに」
黒パン、蒸し鶏、煮魚、子豚の丸焼き、牛肉の煮付け、野菜スープ、チーズとベーコンのオムレツ、揚げたジャガイモ、フルーツ盛り合わせ等々。俺はテーブルの上に残された様々な料理を次々と口に運び、その全てを平らげていく。
「これだけの量を平気で食べ尽せるユキトって何気に凄いよね……」
「まだまだ余裕ですが、何か?」
「いえ、何も……」
ティアが引き攣った顔をしているが、俺は気にせずに空いた皿を重ねていく。
残飯処理マシーンとは俺のことです。
男の胃袋、舐めんなよ?
でもまぁ、ここだけの話、量はともかく質の方はイマイチだな。味付けが基本的に塩のみっていうのもあるけど、調味料に関しては同じ条件ながら、創意工夫を凝らしたユメの手料理に慣れてしまった俺からすると、最早、目の前の料理に舌鼓を打つことはできない。
昨今では、日本から召喚した調味料達が活躍しているので、尚更だ。
「腹も膨れたことだし、少し話でもするか」
木のコップを満たしていた水を飲み干し、ロイズが言う。
夕焼けを閉じ込めたような彼女の瞳が、エリーに向けられた。
俺は残った料理を黙々と口の中に運んでいく。
「改めて、オレはロイズ・バークレイ。ここセレトレノを含めた一帯を治めるバークレイ伯爵家の跡継ぎだ」
「おおっ、伯爵家! 貴族様に食事を御馳走してもらえたなんて、光栄だわ」
割と本気で驚いているらしい。エリーは丁寧に頭を下げてお礼を述べる。
「では、わたしも改めまして。エルフのエリーエルです。お気軽にエリーと呼んでいただければ。フルネームは特別な相手にしか教えてはいけない仕来りがあり、名乗りはファーストネームのみとなりますが、どうかご容赦の程を」
優雅に微笑むエリーに見惚れたのか、一瞬だけロイズが黙るが、すぐに誤魔化すように軽く咳払いした。
「うむ。それなら、オレのこともロイズと呼んでくれて構わぬ。冒険者稼業は期限を設けられているゆえ、貴殿とは短い付き合いになるとは思うが、よろしく頼む」
ロイズとエリーは互いに握手を交わす。それを見て、そういえば俺だけ自己紹介の時にロイズと握手していないことを思い出した。
「ん」
「……この手はなんだ?」
この機に俺も軽く握手をと思い、手を伸ばしてみたのだが、ロイズは胡乱げな目付きで見てくるだけだ。
「俺とも握手」
「な、何を唐突にっ! どうしてオレがお前のような愚民と握手などしなければいかんのだ!?」
ロイズは慌てたように手を引っ込め、腕を組んでそっぽを向いてしまった。
やはり、ロイズからすれば、俺はあくまで仕事のみの関係なのだろう。最近は名前を呼んでくれるようになったものの、愚民扱いは依然変わりないらしい。
幾つかの冒険を経て少しは仲良くなれたと思っていたが、どうやら気のせいだったようだ。……少しだけ悲しいな。
「ふむん……」
目的を果たせなくなってしまった右手を引っ込めようとしたところで、ガッと乱暴に掌を掴まれた。
見れば、ロイズが左手で俺の右手を握っていた。指と指が絡み合う、貝殻つなぎというやつである。
「オレは貴族、お前はネレイス様の弟子とはいえ平民。握手に応じる理由などひとつもないし、そもそも貴族が……それも伯爵という地位を戴く者が平民と言葉を交わすこと自体、本来なら有り得ぬことだと知れ」
きゅっと優しく手に力を込めてくるロイズは、真顔で言う。僅かに頬が赤く染まっているように見えるが、気のせいだろうか。
「だが、契約とはいえ、ユキトはオレの我が儘にもよく付き合ってくれるからな……。こ、これでも感謝しているのだ。だから、その、こんなもので勘弁しろ……」
すっとロイズの細い指から力が抜け、左手が離れていく。掌から温かみが失せて、何となく惜しいと思ってしまった。
「ふーん」
「……何か?」
意味深に唇の端を吊り上げるエリーに、若干居心地悪そうにロイズが身じろぎする。
「いえいえ、何も。どうぞお気になさらず」
「……」
ふいっと視線を逸らしてエリーを視界から外すロイズ。ティアは我関せずの態度で静かに葡萄酒を飲んでいる。
昼間からお酒とは如何なものかと思わないでもないが、飲食物の保存技術及び運送手段が未熟なこの世界では、常温でも長期の保存が利くアルコール類は水よりも親しまれていることが多い。特に、飲酒に年齢制限などを課す法令が存在しないことも手伝って、そこらの子供ですら朝からお酒を嗜んでいる場合もあるのだ。
言うまでもないが、異世界には異世界なりの常識があって、そこに俺如き余所者が口を挟める道理はない。
まぁ何れにせよ、俺は飲まないけど。日本人なら、お酒は二十歳になってから、だ。海外じゃ知らん。
「ふむん……」
俺は再びフォークと黒パンを手に取り、残飯処理に勤しむ。ロイズから悪く思われていないこと知り、食事が少しだけ美味しくなったように感じられた。
「――それにしても、エリーは冒険者だったんだね。練武場で再会した時は驚いたよ」
何気なく、ティアがエリーに話を振る。その話題は俺も興味があったので、子豚の丸焼きを口の中に頬張りながら、首を縦に振ってアピールしておいた。
「まぁね。わたしって一所に留まらない根無し草だから、どこに行ってもお金を稼げる職業って冒険者くらいしかなかったんだー」
エリーは恥ずかしそうに頬を掻く。
「今回の討伐依頼を受諾できたってことは、ランクはエメラルド以上ってことだよね?」
「そっ。ギルドから、ルビーへの昇格試験を勧められてるエメラルドって感じ」
エメラルドランクといえば、多くの冒険者が最終的に行き着く限界として挙げられているランクだったか。
依頼の達成率やこなした数は当然の判断基準として、ある程度の教養を持ち、性格に問題はないとギルドから判断された誠実な冒険者しかなれないと聞く。
エメラルドに認定されれば、冒険者としては『成功』したも同然で、周囲から置かれる信頼も1ランク下のガーネットとは天と地ほどの差があるとか。
話を聞いていたロイズが瞳を輝かせた。
「ルビーの昇格試験を受けられるって、凄いじゃないか! それはもう、ギルドからルビーランクの冒険者と同格の実力があるって認められているようなものだぞ。ギルドから受けられる支援の質だって大きく変わるだろうに、どうして受けないのだ?」
――エメラルドとルビーの間には越えられない壁があると言われている。
言わば、エメラルドが凡人に辿り着ける最高峰だとすれば、ルビーから上のランクは冒険者としての才能と幸運に恵まれた一部の『選ばれし者』しか到達できないとされていた。
現代地球でも、音楽や芸術、スポーツの世界では馴染みのある話だろう。
当然、ギルドが冒険者に施す援助の質も、エメラルドランクの冒険者が諦観の苦笑を浮かべる程度には上がるらしい。
冒険者を引退した後の生活も、エメラルドが不遇とは決していえないが、それなりの差があるようだ。
同じ冒険者として思うところがあるのか、興奮したように捲し立てる。
それに対し、エリーは少しだけ困ったような顔をみせた。
「確かに、ルビーになれば、まぁ……旅の途中で困った事になっても喜んで助けてくれるくらいには重宝されるんだろうけど……」
俺はエリーが言いたい事を察し、然もありなんと言葉を発する代わりに、牛肉を口の中に詰め込んだ。……固い。
「その分、ギルドに貢献しなきゃいけなくなるのよねー。権力者からの指名依頼とか、実質拒否不可の強制依頼とかを回されるのもルビーからだし」
水を一口飲んで喉を潤したエリーは、どこか疲れたようにテーブルに頬杖をついた。
「ルビーになるメリットは確かに魅力的だけど、わたしにとってはデメリットの方が大きいかな……」
ギルドから余程しつこく昇級を勧められているのか、うんざりしたような気配を漂わせる。彼女には彼女にしかわからない苦労があるのだろう。
「なるほど。いつだったか、似たような話を聞いた覚えがある。やはり、同じ冒険者といっても色々いるのだな」
ロイズとしても、エリーと似たような理由で昇級を拒む冒険者の話を耳に挟んだことがあるらしい。
ロイズ自身も、冒険者として活動する動機は、一般の冒険者が胸に抱いているものとは大分異なる。己の冒険者としての地位や名誉自体に思うところはない類の人間だ。そんなものかと、納得したように頷いている。
「とはいえ、エリーの実力が確かなものであるというのは疑いない。いち冒険者として、明日はよろしく頼む」
「こちらこそ。何かあったら、遠慮なく頼ってね。なるべく助けるから」
貴族らしからぬ度量の広さを秘めるロイズに好感を抱いたのだろう。エリーは含みのない笑みを浮かべて応えた。必ず助けると言わないあたりは、彼女なりの誠意なのだと思うことにする。
「ところで、エルフといえば精霊術の他に弓術が得意だと聞いたのだが、傍らに置いてあるのは長弓か?」
ふと、布に包まれた細長い棒状の物体に視線を送るロイズ。
「弓にしては反りがないし、やけに長過ぎるような」
ティアとしても気になっていたらしい。
確かに、弓にしては布越しにも反りがないと分かるほど真っ直ぐな形をしている。俺の見立てでは、槍か棍の類じゃないかと考えているのだが、果たして。
「これは槍よ」
エリーは布に包まれた槍の柄部分をそっと撫でる。
「弓も悪くないんだけどね。ただ、矢って嵩張るし、質にもよるけど、補充するとなると値が張って、かなりの出費になっちゃうのよねー。何より、そこそこ重くなるのが痛いわ」
「あー、それは確かに……」
狩り等でコンポジットボウを扱うこともあるティアが、納得したように頷いた。
馬車とは言わずとも、馬やロバの一頭でも連れていれば話は違ったのだろうが、女の身ひとつとなると、嵩張る荷物を背負っての旅路は辛いものがあるのは想像に難くない。
加えて、矢が消耗品であることを考えれば、主要な武器の候補から外す理由にも納得がいく。
「ま、なんにせよ。せっかく同じ部隊になれたんだし、明日は仲良くやりましょ!」
朗らかな笑みでそう締め括ったエリーは、さくらんぼらしき果物をひとつ口の中に放り込むと、コロコロと舌の上で転がし始めるのだった。