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瑠璃色

 ユメの精霊召喚。それは、圧倒的な存在感を持って顕現した。

 燦然と輝く薄緑色の髪に、しなやかな肢体。無機質な瞳。外見でいえば女性にしか見えないが、その威容は人間のそれでは有り得ない。


「――ひぃっ」


 総毛立つような魔力の奔流にティアが喉の奥で悲鳴をあげ、さっと俺の背後に隠れる。

 明らかにおかしい。前に見たときは、ここまで暴力的な威圧感は放ってなかったはずだ。それに、こんなはっきりとした実体は伴っていなかったはず。


「これが、わしが使役している風の精霊じゃ」


 冷たい瞳で俺とティアを見据えてくる精霊とやらは、ユメに纏わりつくようにして宙に漂っている。


「なぁ、ユメ? 前に見た時と外見や雰囲気が全然違うんだが……」

「んぅ? そりゃ、前にティアに付けた精霊はこやつが呼び寄せた下位精霊じゃからの。同じなわけなかろ」


 なるほど、単に別の個体だったわけか。

 納得し、先を促す。


「まず始めに、精霊にも序列があるということを覚えておくがよかろ。下から順に微精霊、準精霊、下位精霊、中位精霊、上位精霊、高位精霊、そして最上位の精霊王がいるのじゃ。エルフの大半は準から下位の精霊と契約しておる。優秀な者で中位精霊程度か。上位や高位の精霊を使役している奴は殆どおらんじゃろ」


 淡々と説明するユメだが、そうなると目の前で浮いている風の精霊とやらの位階が気になってくる。


「で、ユメが連れてるそいつの位階は?」

「こやつか? こやつは一応、精霊王じゃ」


 おい。しれっと何言ってんの、この子。

 一応という言葉が不服なのか、風の精霊の眉尻が釣り上がる。


「精霊王って、複数いるものなのですか?」

「此奴の言を信じるなら、それぞれの属性に1匹いるだけらしいのぅ」

「……ということはつまり、ネレイス様は世界で唯一人、風の精霊王を使役しているということですか?」

「まぁ、そうなるな」


 恐る恐る尋ねるティアに対し、ユメは大したことでもないと言いたげだ。

 ティアは絶句している。

 この場に加護をくれたエリーがいたら、どんな顔をしたのだろう。


「……どうせなら加護を精霊王の方に鞍替えしたいんだが」

「こらこら、過ぎた欲は己の身を滅ぼすぞ」


 俺の呟きを耳にしたユメが目尻を釣り上げる。


「それに残念ながら、此奴とわしは正規の契約で結ばれているわけではない。故に、他者に加護を与えるといった芸当はできぬ。エルフと精霊の関係を家族に例えるなら、わしと此奴の関係は所詮ビジネスパートナーのようなものじゃからの」


 纏わり付いてくる風の精霊王を鬱陶しげに見つめたユメは、軽く腕を振った。

 それだけで、精霊は微かな燐光を残し、音も無く消えていく。


「まぁそれはさておくとして。今のが精霊術で最も多用するであろうスタンダードな術じゃな。対価は己の魔力。召喚する場所の環境によって、要求される魔力の量は異なるでの。注意が必要じゃ――って、精霊を使役するでもないのにこんな解説をしたところで無意味か……」


 軽く咳払いをしたユメは気を取り直すように言った。


「他には精霊を媒介にした攻撃的な術もある。召喚者はトリガーとなる魔力を提供するだけでよい故、消費する魔力が非常に少ないのがメリットじゃな。ただし、当然デメリットもある」

「それは?」

「精霊がどのような術を行使するか、召喚者は一切干渉することが出来ぬのじゃよ。どんな術が発動するかは精霊の気分次第なのじゃ。精霊は人間とは異なる概念で生きてるでの。人間社会における常識やら何やらが通用せんゆえ、周囲の被害など気にせず、味方すら巻き込むようなとんでもない術を使ってしまう場合もある。というわけで、あまり気軽には使えん」


 つまり、召喚者が僅かな魔力を与えるだけで、精霊が代わりに魔術を撃ってくれるが、どんな術になるかは見るまでのお楽しみ、と……。使い所は限られるが、上手く嵌ればとんでもなく強いのだろう。


「精霊術については大体こんなもんでよかろ。他にもあるにはあるが、それはまたの機会じゃな」


 喋り疲れたのか、ユメはハーブティーで喉を潤す。


「言い忘れておったが、そなたらに贈られた加護は高位精霊のもの。言うまでも無く、相当に希少な恩恵じゃ。何せ、精霊王に次ぐ力を持つ精霊の加護だからの。道を極めんとする魔術師共からすれば、喉から手だけでなく目玉や肝に足すら出るほど欲しがろうて。話が漏れれば厄介な事態も引き起こしかねんゆえ、ふひちゅよう……不必要に口外せんようにな」

「いま噛ん「やかましいのじゃ」――すんまそん」


 おっと。ユメの攻撃、『警告の光を湛えた冷たい流し目』だ。俺は咄嗟に視線を逸らした。


「コホンッ――とはいえ、加護の有無なんぞ、それこそ精霊持ちでもなければ感知のしようもないしの。変に気張る必要はないぞい」


 ティアが安堵したように吐息を漏らす。


「それよりも、じゃ。加護を得たことで、そなたらは以前よりも格段に魔術を上手く扱えるようになっているはず。それに胡座をかいて修行を疎かにしたり、調子に乗って変な真似をしたら許さんでな。覚悟しておくがよい」

「はい!」


 元気良く返事するティア。それに満足したユメが、こちらにジトッとした視線を向けてくる。

 魔術に関しては言い訳のしようもない前科があるので、ここは素直に頷いておくしかない。


「うっ……わかりました、師匠」

「ん。分かればよろしい」


 ふんすっと荒く鼻息を鳴らし、鷹揚に頷くユメ。


「さてと……では早速、精霊の加護を実感してみるといいのじゃ。表に出るぞ」


 意気揚々と家の外へ向かうユメについて行く形で、俺とティアも席を立つ。

 そのまま少しばかり歩き、以前、俺が魔術を暴走させた例の湖畔へ辿り着いた。

 あの時の光景がフラッシュバックし、気まずさから、何となく背中を丸めてしまう。


「よっこいせ」


 ユメは適当な切り株に腰掛けると、これまた例の如く地面から唐突に生えてきた木が木人を形作る。


「よし。では、ティアよ。火でも水でもいいから、あの標的を魔術で攻撃してみるのじゃ」

「はい」


 ユメの言う事に素直に応じるティアは、掌に魔力を練り上げる。


「わっ……」


 突然、ティアが驚くような声をあげた。それと同時に、掌に集まった魔力が霧散する。

 俺はティアが何をしているのか理解できず、思わず首を傾げるが、ユメは「まぁ驚くのも無理はないの」といった感じで納得していた。


 ティアは何かを確認するように、じっと瞼を閉じている。そして、ゆっくりと目を見開くと、掌を木人に向けた。

 次の瞬間、水で構成された弾が目にも留まらぬ速さで射出され、標的が穿たれる。

 魔力を練り上げてから、水の弾が放たれるまで、恐らくは1秒前後といったところか。以前は木人の股間が軽く抉れ、ささくれ立つ程度の威力だったそれは、木人の上半身を粉々に吹き飛ばしてみせた。

 開いた口が塞がらないとはこの事だろう。

 術を構成する速度といい、威力といい、前回とは比較にならないくらいに向上している。


「これが精霊の加護……」


 呆然と、ティアが呟く。

 俺も衝撃のあまり、上手く言葉が出てこない。

 ティアは確かに正規の魔術師として認められているが、実力としては俺より頭ひとつ抜けている程度であり、まだまだヒヨっ子の域を出ていなかった。それがなんとまぁ……これぞ劇的ビフォーアフター。


「うーむ……流石に高位精霊の加護じゃの。正直、想像以上なのじゃ」


 ティアの実力をよく把握しているユメも僅かに動揺したようで、眉根を寄せて困ったように頬を掻いている。


「ティア、おぬしの全力を見せてみよ」


 そう言いつけたユメは、再度木人を作製する。ただし、今度は倍以上の体格を持つ大型の木人だ。

 比較するとすれば、サイクロプスやトロールに近い大きさだ。


 命じられたティアはひとつ頷くと、魔力を練り上げていく。漏れ出る魔力量は、先程の水弾の比ではない。

 そこから5秒程度だろうか。両の掌を木人に向けたティアが、イメージを固定する為か、猛々しく吼える。


「――爆ぜろっ! フレイムピラー!」


 爆炎と轟音。

 天まで届けと言わんばかりに灼熱の火柱が立ち、紅蓮の炎が吹き荒れた。

 木人とはかなり距離をとっていたにも関わらず、その余りの熱量に思わず顔を腕で覆ってしまった。とんでもない威力だ。

 見れば、巨大な木人が一部を爆砕され、破損部分を完全に炭化させつつ、轟々と燃えていた。

 水分を豊富に含んだ生木が燃え盛る様は圧巻で、あの一瞬で一体どれだけの火力を浴びせられたのかと鳥肌が立つ思いである。


「魔術師協会の戦術級"公式魔術"か。申し分ない威力じゃ。これなら二等ないし一等に位置付けられようが……しかし、公式故にイメージがカチカチに固定されてしまっておるのぅ。……まぁ、仕方なし、か」


 顎を撫でつつ、ティアの魔術の分析を行ったユメは、少しだけ残念そうな顔をした。


「ユメ、公式魔術って?」

「んぅ? 教えておらんかったか? 魔術師協会が定めた、名称付きの魔術じゃ。つまるところ、想像力に乏しいヒヨッコ魔術師へ向けた見本用の魔術じゃな」


 ユメ曰く、帝国の軍用攻威魔術の概念をまるっと模倣しただけだというが、魔術師協会自体が帝国独自の養成機関なのだから、それも許されるのだろう。

 話を聞く限り、銅征魔術師以下、その大半は自分の属性に適した公式魔術に頼ることがほとんどだとか。


 何故かと言えば――


「ユキトにも分かり易く述べるとするなら、経験豊富なプロの料理人なら即興で創作料理を作り上げることもできようが、素人に毛の生えた程度の料理人では、既存のレシピに則った料理を無難に仕上げる方が楽だし確実だということじゃな」


 ちなみに、この公式魔術は戦術級までしか用意されていないらしい。


「ティアよ。もう少し規模を大きくすることができれば、破城級にも届こうぞ。精進するように!」


 ユメは笑いながらティアの腰を叩いている。

 一方のティアは、自分が放った魔術の威力が信じられないのか、唖然とした表情で沈黙していた。

 この様子を見る限り、再起動まではしばらく時間が掛かりそうだ。


「ぬ、ティアはダメか? ふむぅ、これはしばらく放っておくかの」


 にべもなくそう言い放ったユメは、俺に視線を向けてくる。

 その瞳は、知的好奇心に満ち溢れるかのように輝いていた。


「次はユキトの番じゃ。そなたの力、わしに見せてみよ」

「……おう」


 正直、ティアが放った魔術と同レベルのものを期待されても困るのだが、まずはやるだけやってみよう。

 ユメが新しい木人を用意してくれる。

 さて、どうしようか。

 今のところ、集中的に訓練しているのは雷属性だ。闇属性は全くとはいわないが、ほとんど触れていない。

 となると、必然的に繰り出す魔術は雷属性ということになるが、今の今まで本格的な攻撃系の魔術は撃ったことがないんだよな。


「まぁ、いいか」


 まずは実践あるのみ。ティアがそうしたように、前回と同様の簡単な魔術でいこう。

 脳内でイメージを描きつつ、掌に魔力を集中させる。魔術を発動させる為に必要な手順を順に踏んだところで、


「――んん!?」


 ようやく、ティアが驚いた理由が理解できた。

 なるほど、これは声も出るってものだろう。魔力を自分の意のままに操れるようになっている。

 例えるなら、これまで魔術を発動するというのは、マジックハンドの先端で中身のない鶉の卵を摘むような繊細で困難な作業だった。それが、精霊の加護を得た途端に、自分の手で直接ソフトボールを掴むような、至極簡単な作業に成り下がっているのだ。

 魔力が本当の意味で自分の肉体の一部になったような、得も言われぬ全能感。

 これなら――


 掌から紫電が伸びる。

 鼓膜を劈く破裂音と網膜を焼く閃光。光の速度で標的に到達した雷の鎖が、木人に絡みつく。

 次の瞬間、木人が豪快に弾け飛んだ。


「こいつは……」


 俺が魔術を撃とうと意識して、魔力を練り始めてから凡そ1秒か。標的を見定めてから、ほぼノータイムだ。恐らく、もう少しタイムは縮められると思う。

 ティアの水魔術もそうだが、俺の雷魔術も格段に性能が向上している。前回と同じ構成の魔術を行使したからこそ、その違いが如実に表れたといえよう。


「ほう、良い威力じゃ。構成速度、コストパフォーマンス共に申し分ない。これなら余程の無茶をしない限りは、魔力が枯渇する心配もなさそうじゃの」


 うんうんとひとり満足そうに頷いているユメ。

 ユメの言う通り、今の一撃で自分の魔力が減ったという感覚はない。元々、俺が膨大な魔力量を持っているというのもあれば、コスパに優れているというのも間違いではないのだろう。

 さらにいえば、実際に魔術を発動させたことで、今現在の自分の限界というのも漠然とだが感じ取れた。


「今度はそなたの全力を試してみるのじゃ」


 そう言うや否や、ユメは巨大な木人を一瞬で作り上げる。

 見上げるようなこのサイズを見事に爆砕せしめたティアに恥じないよう、俺も気合を入れた。

 洗練された現代のテレビゲームやアニメで鍛えられた日本男児の想像力は無限大だ。イメージが肝要といわれるこの世界の魔術において、これ以上のアドバンテージはない。


「よし、やるか」


 意識を集中させ、脳内に理想のイメージを描き、掌へ浸透させるように魔力を練り上げる。

 そして、たっぷりと10秒以上掛けて――それでも、加護を得る前に比べたら格段に早いが――魔術が完成した。


「雷鎚!」


 お気に入りのRPGゲームのキャラクターが、物語中盤に覚える汎用魔法をリスペクト……いや、言葉を飾るのはやめよう。名前から効果までまるパクリした結果――

 雲一つない天空から、一筋の歪な閃光が木人に降り注ぐ。

 轟音に、内臓の芯まで揺さぶるような衝撃。

 気付けば、見上げるような木人の上半身が消し飛び、残された下半身が真っ二つに引き裂かれていた。木人の足元は溶けてガラス状になっている。

 あまりにも現実離れし過ぎて、この惨状を俺自身が引き起こしたという実感が沸かない。それが逆に言い知れぬ怖気を誘う。


「おぉ……これは破城級にも届きうる威力じゃな。今の段階では恐らく三等止まりじゃが、これだけのものをあの短時間で放てるなら、経験はともかく技量でいえば黒銀征魔術師にも引けを取るまいて」


 雷槌の効果を見届けたユメが驚いたように口を開いた。


「紛う事無きズルだけどな」


 地道な鍛錬で黒銀にまで至った魔術師達からすれば、巫山戯るなと罵られること必至だろう。決して誇れることではない。


「それを理解しているのなら、わしから言うことはないのじゃ」


 結果を見届けたユメがかなり離れた場所に、何故か再び木人を作り出した。それも、先程の巨大な木人を遥かに上回る巨体を。

 目算で30メートルは下るまい。見上げる首が痛くなるほどの大きさだった。

 それに構わず、ユメは話を続ける。


「加護は確かに便利じゃが、それに胡座をかけば、いずれ必ず足元を掬われる。鍛錬中は加護の使用を一切禁ずるから、そのつもりでの」

「胡座をかいているのに足元を掬われるとは、これ如何に――って冗談だから、そう睨むなって。つーか、加護の使用を禁じるっていうけど、どうやって加護の効果を取り消せばいいんだ?」

「ふんっ。そんなもん、加護を使わないように意識すればいいだけじゃ」


 つーんといった感じに、ユメはぶっきらぼうに答える。俺が余計な茶々を入れたせいで、拗ねてしまったらしい。

 酷く漠然とした物言いだが、ユメがそう言うなら、それ以上でも以下でもないのだろう。

 ユメの言う通り、便利な力に頼り過ぎるのは危険だ。それが降って湧いた幸運により齎されたものならば、尚更。

 もしかしたら、唐突に加護を得たように、唐突に加護が消失してしまう可能性だってあるわけだし。

 そうなった時に取り乱さないよう、精々、鍛錬に励むとしようか。


 ティアが自分の掌を真剣な表情でじっと見つめているのを横目で確認しつつ、俺はどこか浮き足立っていた自分の心を諌めた。


――で、こんな規格外な木人を生み出して、どうするつもりなのか。


 そろそろ答えを聞こうと思い立ったところで、ユメが俺達に顔を向けた。


「では、そろそろ"締め"といこうかの!」


 気を取り直したユメがその言葉を発した途端、彼女の纏う雰囲気がガラリと変わる。


「魔術とは、それ即ち己の心象の具現化に他ならぬ。魔力の有無は、あくまで二の次じゃ」

「え……」


 普段のユメとは異なる冷たい瞳と冷徹な口調に、周囲の澄んだ空気すら冷気を帯びたような錯覚に襲われる。全身を妙な寒気が苛んだ。

 これが、ユメの小さな体から溢れ出した魔力の胎動だと気付くのに、しばしの時間を要した。

 遅れて、周囲一帯から一斉に生き物の気配が遠ざかっていく。

 木の葉を大きく揺らし、鳥達が我先にと飛び去っていく様を、俺はただ眺め続けた。


「今からひとつの手本を見せる――しかと脳裏に刻んでおけ」


 俺達の前に一歩踏み出たユメの後姿へと目を向ける。


――そして、世界から陽の光が消えた。


 地上から空へ向けて、轟然と渦巻く蒼い炎柱が聳え立つ。

 それはティアが放ったフレイムピラーに似通っているが……その規模は比較にするのも馬鹿馬鹿しい。

 かなりの距離を置いていても尚、凄烈な暴風が肌を炙っていく。

 数十秒か、数分か。時間の感覚すら狂わされるほどに圧倒的な暴威を耐え凌いだ後には、何も残っていなかった。

 あれだけ巨大な木人が塵ひとつ残さず、跡形も無く消え去った"結果"だけが残されていた。

 陽の光が戻り、荒れ狂う風も止んだというのに、音は戻らない。

 静寂が支配する湖畔にて、ともすれば、震えそうになる脚を必死の思いで抑える。


「これこそ、ティアの放った『フレイムピラー』の模倣元の魔術『イグナイトフレア』……の、"オリジナル"じゃ。名を『瑠璃色の裁焔』という」


 ゆっくりとこちらに振り返ったユメが、殊更柔らかな笑みを浮かべながら言った。

 そのまま、真っ青な顔色を晒して細かく震えているティアに近付いていく。

 ビクッと一際激しくティアが身体を震わせた。


「眼福じゃぞ? 滅多に見る機会のない"特等"破城級の魔術じゃて。ティアも火属性に適正がある身なのじゃから、これくらいの魔術を撃てるような魔術師を志すように!」

「…………っ。……はい」


 掠れた声を絞り出すティアに微笑みかけたユメは、笑顔はそのままに少しだけ寂しげな色を瞳に浮かべる。

 それが何だか、胸を掻き毟りたくなるくらいに嫌で、俺は思わず声を張り上げた。


「おいこら、ユメッ!! 危うく髪の毛がチリチリになるところだったじゃねぇか、ふざけんな! 少しは加減しろやっ!」

「え、ええぇぇええッ!? いや、確かに、ちょっと張り切り過ぎたのは認めるが……」

「罰として、帰ったら梅干し1個食べろ」

「!?」


 梅干し。納豆と並ぶ、俺のソウルフードのひとつ。折を見て、召喚しておいたこいつの名前を出した瞬間、ユメが逃走を図る。


――ユメは にげだした!

――しかし まわりこまれてしまった!


 残念。逃がさない。


「おい……梅干しの名前を出した途端に逃げるとはいい度胸じゃねぇか……お前、俺のソウルフード馬鹿にしてんの?」

「い、嫌じゃ嫌じゃっ! あのしょっぱくて酸っぱいゲテモノは嫌じゃあ!!」

「はぁ? 言うに事欠いて、ゲテモノだと? ユメ、お前、絶対に許されない言葉を口にしたな……梅干し2個」

「ひいいぃぃ!? ゆっ、許して! ユキト、許して!!」


 泣き叫ぶユメを荷物のように小脇に抱えて、俺は愛しのボロ家へと足を向ける。


「ティア、いつまで呆けてんだよ。帰るぞ」

「えっ!? あっ、待って!」


 振り返りもせず、さっさと歩き出したところで、ティアが慌てて追いかけてきた。

 じたばたと暴れていたユメは、やがて諦めたのか、だらりと全身の力を抜いて運搬されるがままになっている。ちらりと顔を覗いてみれば、死んだ魚の目をしていた。

 そこまで嫌なのか、梅干し。失礼な奴だ。


「ティアも食べるか? 梅干し」

「……その梅干しというのが何なのかは知らないけど、ネレイス様の様子を見る限り、遠慮しておきたいというか――」

「わかった。ティアも食べるんだな」

「そんなこと一言も言ってないよね!?」


 動揺するティアに構わず、俺は決定事項を伝える。


――その日、ティアとユメは梅干しを食べた。泣くほど美味しかったらしく、瞳に涙を浮かべて、唇をきゅっと窄めていた。


 帰宅する頃には、ティアの顔に怯えの色は無くなっていた。


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