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お気に入りの印

「ただいまー」

「只今戻りました」


 街の散策を楽しんだ後、ティアと共に馬車で帰宅。

 ティアはウチに自分の馬を停めてから、俺と共に馬車に乗ってセレトレノまで向かう為、帰りも一緒なのだ。


「おや? まだ昼を少し過ぎた程度だというのに、もう帰ってきおったのか? 今日は随分と早いのぅ」

「ん、雇い主の意向でな。今日の仕事は休みになったんだ」


 キョトンとした表情をみせるユメに事情を説明する。


「ふむ、そういうことか。なら、おかえりなさい、なのじゃ」


 ふにゃっと嬉しそうに笑うユメに俺も笑いかける。

 ここ最近は、仕事のせいでユメと触れ合う時間が少なくなってるからな。少し寂しい思いをさせてしまっていたのかもしれない。


「お昼ご飯はどうした?」

「向こうで済ませてきたから大丈夫」

「ならばいいのじゃ。どれ、茶でも淹れてやろう――んん?」


 椅子からパッと飛び降りたユメが怪訝な目付きで俺とティアをじっと見つめてくる。


「……そなたら、エルフから精霊の加護を貰い受けたな? それにこれは……。ユキト、ちょっとこっちに来るのじゃ」


 ユメが俺を手招きで呼び寄せる。言われるがまま、ユメの元へ行くと、


「ん、抱っこせよ」


 と、両腕を上げて抱っこをせがんできた。

 普段ならこの唐突な行動に文句のひとつでも吐き出すところだが、俺を見つめる蒼銀の瞳に冗談の色は一切ない。

 黙って、ユメを抱きかかえる。


「……」


 ユメはぐいっと無遠慮に俺の首に顔を近付け、すんすんと鼻を鳴らす。

 ふわりと漂う甘いフローラルの香りに、少しだけ胸が高鳴ったのも束の間、俺の首に回されていたユメの腕に力が込められた。

 険しい……というよりは、不機嫌そうな面持ちである。滅多にみない彼女の表情に、僅かな不安が募る。


「ユメ……?」

「……」


 ユメは答えない。そして、身を乗り出すようにして、ぺろりと俺の首筋を舐めた。官能的な衝撃が首筋から背筋を通して全身へと伝わっていく。

 そこは、奇しくもエリーに舐められたところと同じ箇所だ。


「やはり、か……。どこのエルフかは知らんが、わしのユキトによくも……やってくれるのじゃ……」

「な、なんだ? 俺の身に何が起こってるんだ」


 ゴゴゴッという文字を幻視しそうな程に凄まじい気迫を滾らせるユメ。

 ここまで猛烈な激情を燻らせている姿など今まで見たことがなかったが故に、つい弱気になってしまう。

 ユメはふんっと荒い鼻息を吐くと、そっぽを向いた。


「安心せよ。別にそなたの身に危険が及ぶとか、そういう話ではない」

「じゃあ、何だっていうんだよ」

「……唾を付けられておる」


 ユメはぶすっと頰を膨らませて、低い声音を絞り出す。


「唾……? あぁ、エルフに舐められたからな。そりゃ唾も付くだろ」

「アホか! そういう意味ではないわっ!! わしが言っておるのは、ユキトがどこぞのエルフの"お気に入り"にされたということじゃ!」


 ぷんすか! といった感じに両腕を振り上げて怒られた。

 しかしなんだ、俺がエルフのお気に入り?


「……エルフが他者の首筋を舐めるというのはな、対象への好意の表れじゃ。同時に『これは自分のものだから手を出すな』という同族への示威行為も含まれておる。舌を使って、相手の首筋から自分の魔力を送り込むことで、マーキングを済ませるのじゃ」


 マーキングってあれか。動物が尿を引っ掛けて匂いを残すやつ……えっ?


「ぐぬぅっ……そなた、余程気に入られたようじゃな……っ。丹念に魔力を練り込まれておる……ええいっ、忌々しいっ!」


 本気で苛立ったように言葉を荒げるユメはガシガシと乱暴に頭を掻き毟る。


「ユキトはわしの……ッ! わしのものなのじゃっ!! かような淫売な魔力なぞ、わしが全て刮ぎ取ってくれるわっ! ……はぷっ」


 いきり立ったユメは怒鳴るように叫ぶと、興奮した吸血鬼のように俺の首筋へ唇をぶちゅっと押し付けてきた。

 俺はお前のものではない、と抗議する暇さえない。

 牙を突き立てられないだけマシ……なんて馬鹿な事を考えている場合じゃないな。

 まるでエリーの時の焼き増し――いや、違う。それを遥かに上回る執着を伴った、執拗な舌遣いだ。

 俺の所有者が誰であるのかを誇示するように、ユメは唾液を絡めた淫猥な音を室内へ反響させる。

 紅潮した頬、荒い息遣い、潤んだ瞳、口の端から零れる唾液……今のユメはその幼い外見にまるで見合わない"女"の顔をしていた。


「……ぷあっ。ど、どうじゃっ。余さずわしの魔力で染めてやったぞ」


 薄らと汗ばみながらも、「成し遂げたぜ!」と言わんばかりに唇を舐める。

 爛々と瞳の奥を光らせ、まるで餓えた獣のような、いっそ獰猛と言ってもいい妖しげな雰囲気を纏い、俺の首元に絡める腕の力を強めてきた。


「エルフならぬエロフ風情が、わしからユキトを奪おうなぞ千年早い。フ、フフフッ……」


 やだ、この子怖い。

 いったい何がユメをここまで突き動かすのか。

 だがまぁ、独占欲を抱いてくれる相手がユメならば、悪い気はしないから別にいいのだが。

 とりあえず、暴走気味なユメを宥める為に、その小さな頭を撫でておく。


「ふにゃ……」


 発した言葉通り、ふにゃっと表情を崩し、ゴロゴロと喉を鳴らさんばかりにリラックスしたユメを見る限り、効果はあったようだ。

 しかし、俺はそこで恐ろしい事実に気が付いてしまう。


「つーか、そのマーキングって、俺だけじゃなくてティアも……」


 つまり……。


「……」


 ティアが顔を蒼くする。俺は押し黙る。

 痛ましい空気が漂う中で、俺に抱っこされたままのユメがあっけらかんと言う。


「エルフ共は無駄に長寿ゆえ、子孫を残すことにそこまで拘らぬからのぅ。種族柄、ほとんどの者がとぼけた性格をしているのも相俟って、性に関しては恐ろしく寛容じゃ。同性同士の"絡み合い"なぞ珍しくもない」


 エルフは何百年、下手をすれば千年単位という長大な寿命を持つ種族であるらしい。だからか、自然に関する事柄を除き、細かい事を気にしない大らかな、悪く言えばのんびりとして大雑把な性格をした者が非常に多いのだという。

 確かに、人間のように多くのストレスを抱えながら、日々を追われるように何百年も生きていくなんて、まず無理だよな。俺だったら、途中で心が折れるかもしれない。


「せっかくじゃ、ティアのマーキングも上書きしてやろう」

「い、いえ……それには及びません」


 ユメがニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。ティアはそれを見て、慌てて首を横に振った。その際、ちらりと視線を向けられたが、理由はよくわからない。


「いいから、さっさと近う寄れ」

「は、はい……」


 世界最高の魔術師に強く命令されてしまっては、ティアも逆らえない。恐る恐る近付いてくる彼女に対し、ユメは人差し指と中指をティアの首筋に当てる。そのまま数秒経過した後に離した。


「はい、おしまい」

「えっ? おしまいですか?」

「当たり前であろ。おぬしは何を期待しておったのじゃ?」

「き、期待なんてしていませんっ!」

「冗談じゃよ」


 頬を紅く染めて抗議するティアに対し、ユメはカラカラと笑う。


「相手の体内に自分の魔力を送る程度なら、指先ひとつでどうとでもなる。いちいち舌を使う必要もない――ユキトや、降ろしておくれ」


 しれっと言い放ったユメを床に降ろす。それなら、俺の時もそうしてくれれば良かったのに。

 ユメは俺の物申す視線を受けて、不敵に微笑んだ。


「わしなりの意地なのじゃ。堪忍せい」


 そう言って、台所へと消えていく。今度こそお茶を淹れてくれるのだろう。


「はぁ、何だか疲れたよ……エルフは変わってるって聞いてたけど、まさかこんな……」


 椅子に座り込むティアがべちゃっとテーブルに突っ伏す。久々の垂れティアだ。


 その後、予想通りお茶を淹れてユメが戻ってきたので、軽く茶菓子を摘みつつ、喉を潤しておいた。


 ◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆


「ユキトはつくづく奇縁に恵まれておるのぅ」


 セレトレノの街にてエルフの女性と出会った経緯を説明した俺に、ユメが苦笑を向けてくる。


「エルフとは、ハニバルト大陸の南端から、バーゼナム海峡を挟んだ先にあるエキシア大陸に国を構える種族じゃ。国としては、元老院が国を纏める共和制だったか。天耀樹という古代の大樹を中心に据えて、国家を形成しておるのが特徴じゃな」


 ハニバルト大陸とは、このアクィナス大森林を含む、帝国やその他の大国が犇めている大陸で、かなりの面積を誇るそうだ。

 お茶で舌を湿らせたユメは、記憶の底に仕舞われた知識を掬い出すように、ゆっくりと話を続ける。


「不老長寿、整った容姿に加え、大らかで陽気、人懐っこい性格をしている者が大半なのじゃ。ただ、彼らは生まれ育った土地から出ることを嫌う傾向にある故、エキシア大陸以外で見掛けることはほぼないといえよう。つまり、其方らが出会ったエリーとやらは国から追放された罪人か、自ら外の世界に旅立った変人のどちらかというわけじゃな」


 俺が見た印象では、罪人という雰囲気は感じなかった。恐らくは後者なのだろう。

 しかし、変人か。容赦ない評価だが、エリーとの邂逅を思い返すと、妙に納得できてしまう。


「ちなみに、エキシア大陸にはエルフの他に、ダークエルフと呼ばれる者達もおる」

「ダークエルフ……ですか?」


 ティアが不思議そうな顔をする。聞いたことがないといった反応だ。


「うむ。ダークエルフはエルフと違って、他国との交易を完全に絶っておるからの。極度の引き篭もり体質な彼奴等の存在を知る者は少なかろ」


 ダークエルフ……エルフと対を成すファンタジーのお約束的な種族だな。


「やっぱ肌の色は褐色なのかな……」

「いいや? ダークエルフの肌はエルフよりも白いぞ。ついでにいえば、髪の毛は深い灰色じゃな」


 俺のイメージとは真逆でござったか。


「ダークエルフは仄暗き大湖を生活圏とする特異な種族でな。湖の中には天を覆うような巨木が無数に生えておるのじゃ。ダークエルフはそれら巨木をくり貫き、自らの住居としておる。必然的に水上生活となる故、移動手段は小舟。仄暗き大湖の独特な雰囲気も相俟って、とても神秘的な土地……らしいのじゃ」


 ユメ自身も赴いたことはないようで、最後の方は断言を避けていたが、興味はあるのだろう。言葉の端々から、憧憬にも似た響きを感じる。

 かくいう俺も、かなり興味を唆られた。機会があれば一度訪ねて、彼の地の景色を実際に拝んでみたいもんだ。その時は、ユメも一緒に連れていこう。


「――っと、脱線した。話を戻そうかの。エルフは自然との調和と共存を第一に考える種族。成人を迎えた者は『精霊の舞祷』という儀式を経て、精霊と契約を交わす。そこでようやく、精霊術と呼ばれる秘術を扱えるようになるのじゃ」


 ユメがエルフの話を再開する。ダークエルフの話ももう少し聞きたかったが、まぁ、それはまた別の機会でいいか。

 精霊術といえば、ユメも少し前に使ってみせたやつだ。エルフの秘術を何故に他種族のユメが使えるのか……。気にはなるが、こいつの規格外は今に始まったことではない。また話が逸れそうだし、ここはスルーしておこう。


「精霊術って、例えばどんなものがあるのですか?」

「そうじゃのぅ、最も多用されているのは、やはり精霊召喚じゃな。これはそなたらも見たじゃろ」


 以前、ティアが夜道を帰ることになったときに、護衛として連れて行かせた奴だな。確か、基本系統の属性に因んだ精霊を使役するんだったか。


「そうじゃな、精霊術は話すと長くなるし、今回は精霊について簡単に教えておこうかのぅ」


 ユメはそう言うが早いか、俺達の目の前に精霊を呼び出してみせた。


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