不審者との遭遇
ロゥハンに討伐作戦への参加を打診され、結局その日は「依頼受けてる場合じゃねえ!」と解散となった。
ロイズは一刻も早く父親を説得するべく、自前の無駄に豪華な馬車で颯爽と屋敷へ帰っていった。
しかしまぁ、お貴族様の道楽に付き合うだけの簡単なお仕事だと思っていたのに、随分と面倒な事に巻き込まれてしまったものだ。
実際のところ、冒険者稼業における簡単な仕事なんて一つもなかったが。
新人冒険者御用達の薬草採取依頼も、実際に受けてみると思いの外大変だったし。
俺の場合は、ユメの仕事を手伝う関係で薬草に対する知識を深めていたり、アクィナス大森林の魔物駆除で森歩きにも大分慣れたのもあって、どうにか薬草を採取できたが、それでも大分難しかったというか、慣れてる人から見れば非効率的だったのは間違いないだろう。
俺ですら厳しい思いをしたのに、ギルドで薬草の実物と大まかな生息地を教えてもらっただけのロイズとティアが、数多の雑草に紛れた一本の薬草を発見することなど不可能であるのは明白であり、事実、俺がいなければ詰んでいたと疲れた顔をしてポツリと零したのは記憶に新しい。
それに、魔物の襲撃を警戒しながらの採取は、想像以上に神経を擦り減らす作業だった。
魔物の討伐にしたって、広範囲な生息域から特定の魔物を見つけ出して排除するというのは、とても面倒なものだ。
RPGゲームのように、適当にその辺を歩き回ってれば、ポンと遭遇するという都合の良い展開などあるはずもない。
何時間も探し回って、やっとこさ見つけた挙げ句、対象が知恵の回る魔物の場合だと、三十六計逃げるに如かずと一目散に逃げられてしまうことも珍しくないのだ。
その時の徒労感といったら、その場に崩れ落ちてしまいそうになる程だったりする。
いやぁホント、冒険者って辛いね。
閑話休題。
「さて、どうしようか?」
とりあえずギルドの外に出ると、手持ち無沙汰を誤魔化すように後ろ手を組んだティアが尋ねてくる。
いきなり暇になってしまうのも困ったもので、何をするべきかさっぱり思いつかない。
特に用もないし、このままさっさと帰ってしまうのも手だが……。
「ティアはどうしたい? このまま帰るのも少し勿体無いし、何かあるなら付き合うけど」
どうせならと、ティアの意見を聞いてみることにした。
こういう時は人任せに限る。
「え、ボク? うーん……」
話を振られたティアは、しばらく視線を宙に彷徨わせた後、少しだけ躊躇う素ぶりをみせた。
「えっと、なら、少し街を散策してみたいんだけど……いいかな?」
「オーケー。じゃあ、早速いくか」
「――! うん!」
嬉しそうに微笑むティアに、自然に手を引かれて歩き出す。
思わずギョッとした。初心なチェリーボーイにはちょっと刺激が強い。
「今の今まで、ちゃんとこの街を見て回ったことってなかったからね。一度でいいから、こうして気ままに散策してみたかったんだ」
「日帰りで済む依頼しか受けてないからな。おかげで、帰ってくる頃にはいつも日暮れ間近だ」
最初のコボルト討伐でサイクロプスと遭遇するというアクシデントがあったせいか、あれ以来、肝を冷やしたギルド側がロイズの為に気を回しているらしい。
掲示板に張り付けられる前の、条件が良い依頼をいくつか見繕って直接提示されるようになったのだ。
まぁ、妥当な判断といえる。これなら、ロイズが掲示板から無茶な依頼を引っぺがしてくることもない。
おかげで、俺達は常に美味しい依頼を受けられている。勿論、周りの冒険者達には秘密だ。バレたらやっかみだけじゃ済まないかもしれないからな。
ここ最近の俺の貯蓄も、人様に自慢できる程度には貯まってきた。活動経費は全て魔術師ギルドが賄ってくれるので、俺の懐は温まっていく一方である。
ちょっと狡い気もするが、こういうのは気にしたら負けだろう。
「色んなお店があるね」
街の景観を眺めるティアが、感嘆の声をあげる。
俺達が向かった先は商業区。出店を含めた様々な店舗が雑多に建ち並んでいる区域だ。街としての規模の大きさではルグルフケレスには敵わないが、ここで生活している人々の気力、溢れる活気は決して劣っていない。良い街だ。
「ユキト、なんだか美味しそうな匂いがするよ」
ティアは鼻をひくひくと鳴らし、匂いに釣られて歩き出す。
まるで餌の匂いを嗅ぎ分ける犬のようだが、言ったら怒られそうなので黙っておく。
彼女の向かう先を視線で追えば、小さな出店が見えた。
どうやら、一口大に切り分けて焼いた肉を串に刺して売っている店らしい。
肉質からして、少なくとも鳥ではなさそうだ。
この世界の肉は地球でいう牛、豚、鳥やら羊に鹿といったものから、得体の知れない魔物の肉まで食用として重宝されている。ちなみに、食用とされる魔物の肉はいずれも高級品で、味もメジャーな家畜のそれを上回っているらしい。一度食べてみたいもんだ。
出店では、分厚く切り分けられた肉が炭火で炙られて、じゅうじゅうと油を滴らせている。いかん、涎が……。
「確かに美味そうだな。せっかくだし、何本か買ってくか。奢るぜ」
「えっ!? そんなの悪いよ!」
「まぁまぁ。ティアには普段から何かと世話になってるからな。恩返しなんて厚かましいことを言うつもりはないが、少しはいい格好させてくれ」
今の俺の懐は温かい。串焼きをご馳走する程度、なんて事はない。
ティアには魔術の暴走の件で迷惑を掛けた前科があるうえに、こんな仕事にまで付き合ってもらってるのだ。
ここはひとつ、男として甲斐性を見せないと。
「世話だなんて、そんな大それたことしてないんだけどな……でも、ユキトがそこまで言うなら……」
「おっし、決まり。おっちゃん、串焼き6本おくれ」
「そんなに食べるの!? これ一本だけでも、かなり食べ応えあると思うんだけど……」
串焼き屋のおっちゃんの景気の良い声と、ティアの驚くような声が重なる。
ティアの言う通り、串焼きのボリュームは中々のものだ。しかし、食べ盛りの成人男子の胃袋を舐めてはいけない。
手早く肉を焼き上げたおっちゃんが、紙袋に串焼きを包んでくれる。ついでに、どこか食べるのに丁度良い場所がないか尋ねたところ、ここから目と鼻の先にちょっとした憩いの広場というか、公園があるそうだ。
なるほど。それを見越して、ここで出店なんてやってたらしい。
「いいね、食欲が唆られる良い香りだ。早く公園で食べよう」
「た、食べ切れるかなぁ……」
「大丈夫だろ、たぶん。さ、行くぞ」
せっかくの焼きたてが冷めてしまっては、あまりにも勿体ない。
さっさと公園に向かい、空いているベンチを見つけて、隣り合って腰掛ける。
紙袋を開封して、真ん中に置いてから、熱々の串焼きを手に取った。
「いただきまーす」
「いただきます」
遠慮なく肉にかぶり付けば、舌の上に肉汁が溢れた。食感としては、牛肉に限りなく近い。ていうか、普通に牛肉なのかも。
味付けは塩と香辛料のみだが、外で食べるという環境も相俟って、十分に満足できる味わいだ。
「美味しいね」
上品な仕草で串焼きを口に運ぶティアが、花開くような笑みを覗かせる。もきゅもきゅと咀嚼する様は小動物のように可愛らしい。
不覚にも、一瞬、見惚れてしまった。
そんな時——
ごぎゅるるるるぅぅ。
「えっ」
「え……?」
ティアがいる方角から、獣の咆哮……否、腹の虫の凄まじい抗議が聞こえた。
思わず絶句し、彼女を凝視してしまった俺を責めることなど、誰にもできまい。
「そんなに腹が減ってたなんて……。串焼き、もっと買ってこようか?」
「ちょっ……聞き捨てならないな! 言っておくけど、ていうか、言うまでもないけど、今のはボクじゃないからね!」
おっと。
自分に注がれる視線の意味を察したティアが、その端整な顔を真っ赤に染めて怒る。
ただのジョークだったのだが、どうやら本気で不服のようだ。
「もうっ、ユキトはデリカシーがなさ過ぎる! 女の子に言う台詞じゃないよ!」
「ごめんごめん、悪かった。でも、凄い音だったな。いったい何処のどいつが——」
気になって、犯人を探そうと視線を巡らせてしまったのがいけなかったのだろう。
ふと、目が合ってしまったのだ。
ティアがいる先、隣のベンチに力無く寝そべりながら、こちらをじっと見つめ、滂沱の如く涎を垂れ流している不審者を。
「……」
すっ……と極自然に視線を逸らしてみるが、既に手遅れなのは判り切っている。
俺の目線を追ったティアも、一瞬固まってから顔を背けるが、その瞳にハイライトはない。
俺達を……より正確に言うなら、俺達の手元にある串焼きに熱過ぎる視線を注いでくる美女――色素の薄い金髪が、貴金属のような美しい光沢を放っている――は、切なげに瞳を潤めたまま、捨てられた子犬のような雰囲気を醸し出して、俺達に声無きメッセージを送ってくる。
しかし、こんなのにいちいち構っていられない。
……そんな目をしたって、串焼きはやらんぞ。欲しければ、自分の金で買うがいい。
気にせずに串焼きを食べようと大口を開けたところで、不審者も同じように大口を開けていることに気付いた。
串焼きを離して口を閉じると、不審者の口も閉じる。再度、串焼きを食べようと口を開ければ、不審者の口も開く。
……なんだこれ。
不気味過ぎて、ちょっと怖くなってきた。こんなんじゃ、せっかくの串焼きの味もわからなくなってしまう。色々と台無しにされた気分だ。
恐怖を紛らわすべく、思い切り肉に齧り付いてやったら、
「あ゛ー!?」
なんて悲鳴が聞こえてきた。
……。
チラッとティアを見やれば、戸惑いつつも、目線が紙袋の串焼きと不審者を行ったり来たりしている。
そして、最後に上目遣いで俺を見つめてきた。
……まったくもって、お人好しな女の子だ。
仕方ない。
漏れ出た苦笑はそのままに、串焼きを一本手に取ると、徐に不審者へと近付いた。
俺の行動の意味を理解したティアの表情がぱあっと明るくなる。
「どうぞ」
「……!」
一生懸命アピールしていた割には、どうやら本当に貰えるとは思っていなかったらしい。
目の前に差し出された肉を凝視した後、おずおずと串を手に取る不審者。それを見届けた俺は、踵を返そうとしたところで、
「あ、あのっ!」
「ん?」
「できれば、もう一本貰えないかしら!」
「図々しいな、お前っ!?」
串焼きを与えたことを激しく後悔した。
――その不審者は、細く尖った長い耳をぴこぴこと揺らしていた。