いざ、お取り寄せ!
「おかえりなさい。意外と早かったのう」
「ああ。ティア達のおかげで、呆気ないくらいすんなり終わったよ」
馬車にて家まで送ってもらった俺は、普段着に着替えながら今日の成果をユメに報告する。
ユメは既に夕飯の支度を終えていたようで、居間には胃袋をくすぐる温かい芳香が漂っていた。
あぁー……腹が鳴るぅ……。
別れる前、ティアも夕食に誘ったのだが、今日は父親から真っ直ぐに帰るように言われていたらしく、予めウチに止めてあった自前の馬に乗ってさっさと帰ってしまった。
まだ陽は落ちていないとはいえ、女の子ひとりで帰らせるのは少し心配だったのだが、そこはユメがちゃんとフォローしてくれた。
精霊術というもので、基本系統の属性に因んだ精霊を使役し、街に着くまで護衛してくれるというものだ。
初めて聞く名前だと思ったら、エルフ由来の秘術らしい。
そんなもんまで扱えるとは、恐ろしい子! なんて冗談は置いておくとして。俺も乗馬できれば、直接ティアを送迎してやれるんだが……うーむ……今度、乗馬の仕方を教わってみるか。
それはさておき。まずは飯だ、飯!
「では、食事にしようかのぅ」
夕飯の献立はトマトとベーコンのパスタ、クソデカい海老のチーズ焼き、鶏肉と野菜の煮込みスープ。
唾液を過剰分泌させる芳ばしい香りが鼻腔を擽る。
トマトとベーコンのパスタはバジルやレモン汁で、味が単調にならないように工夫されているようだ。トマト大好きっ子の俺には堪らない逸品。
さらには、マジで大きい海老のチーズ焼き……たぶんロブスターだと思う。ロブスターなんて食べるの何時振りだ? 全く思い出せねぇ……あかんっ涎が!
最後に鶏肉と野菜の煮込みスープ。こちらは実にシンプル、鶏がらの出汁と野菜の旨味が調和した王道の一品といえよう。
「いただきます!」
「ん、たーんと召し上がれ」
最初のひとくちは勿論パスタ。トマトの酸味とベーコンの塩気が合わさり、舌の上に広がっていく。さらにバジルの香りとレモンの爽やかな風味が味を引き立てる。パスタ故の食べやすさから、咀嚼のそこそこに飲み込んでしまう。皿に伸びる手が止まらない。
次は海老のチーズ焼きだ。ロブスターと思われる海老のぷりぷりとした身が、蕩けたチーズと絡まっていく様は垂涎もの。あ、そういえばロブスターって実はザリガニなんだっけ? ……どうでもいいか。
海老特有の弾力ある歯応えに、噛むごとに溢れ出す旨味。そこにクリーミーなチーズが溶け合って、頬が痛くなるほど濃厚なコクと味わいを生み出している。マジでたまらん。
最後は鶏肉と野菜の煮込みスープ。鶏がらと一緒にじっくりと煮込まれた鶏肉と野菜は、口に入れればふんわりとほぐれていき、優しく柔らかな風味で舌を包んでくれる。一口飲めば、次いで一口と続いていき、気が付けば深皿が空っぽになっていた。
「ふいー……食った食った。ご馳走様でした!」
「お粗末様でした」
スプーンを置き、手を合わせたところで、ユメがにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべてこちらを見つめていることに気付く。
もしかして、ずっと俺の食事姿を眺めてたのか?
ちょっと照れるな……。
「大変美味しゅうございました」
「それはよかったのじゃ」
食文化が未発達なこの世界で、美味しい食事を提供することがどれだけ大変なことか。ユメには感謝してもしきれない。
ハーブティーで喉を潤しつつ、内心でそんな事を思ったり思わなくもなかったり。
そんなこんなで互いに食事を済ませ、一息ついていたところ――
「――ところで、ユキトや。外はどうだったかの?」
「ん? んー……どうと言われてもなー……」
「せっかくじゃ、今日一日、どんな事を経験したのか聞かせてくれんか?」
「そりゃ構わないけど……今から?」
「今から!」
今日一日の体験談を聞かせてほしいとユメにせがまれた。
腕時計を見る限り、現在の時刻は6時過ぎ。照明が発達していないこの世界では、そろそろ眠りにつく時間だ。
正直、今日一日動き回った疲労感に加えて、満腹の心地良さも相俟って凄く眠い。
「あー……なら、時間も時間だし、ベッドで横になりながら話そうか」
「うむ、それでよい! むふふ、どんな話を聞かせてくれるのか楽しみなのじゃ」
「期待してくれてるとこ悪いが、大した話じゃないからな?」
「別に構わぬ。おぬしの口から、おぬしの見た世界を聞かせてほしいだけじゃて」
「さいですか」
というわけで、さっさとチュースティックで歯を磨き、寝間着に着替えて、ベッドに潜る。
てか、この世界にはちゃんとした歯磨きがないから、いずれ召喚したい。いや、必ず召喚する。歯磨き粉もセットで。今のところ、日々の食事に砂糖が使われることは滅多にないからいいんだけど、それでも稀に御菓子とか果物を食べるからな。
俺はともかく、ユメの真っ白で綺麗な歯に虫歯ができるなど決して許されざることだ。
とはいえ、仮に虫歯が出来ても、光魔術でどうにでもなっちゃうのがこの世界なんだけどさ。
ただ、治療法がエグいので、なるべくお世話にはなりたくない……。
「ぬーん」
ベッドでぬくぬく寛いでいたら、変な掛け声と共に毛布が捲られ、何やらもぞもぞと蠢く物体が侵入してきた。
これが誰だかなんて言うまでもない。
俺がいくら言い聞かせてもやめようとしなかったので、今ではもう諦めてユメの好きにさせている。
「ふあぁぁ……あたたかいのじゃぁ……」
ぬもっと毛布から頭を出したユメが、蕩けたような顔を晒す。
まぁ、この土地の夜は冷えるからね。仕方ないね。
俺の上半身に身体を密着させては、少し離れるを繰り返し、己にとってのベストポジションを模索するユメ。
やがて、しっくりくる場所を見つけたのか、最後にリラックスしたような深い鼻息を漏らし、大人しくなった。
「では、聞かせておくれ」
「ああ」
俺は今日起こった出来事を語って聞かせる。
自意識過剰な有力貴族の嫡子のこと。ジェムトの素材を売ったら、大層驚かれたこと。冒険者ギルドの依頼を受け、コボルト退治に出向いたら、サイクロプスと出くわしたことetc。
それらを楽しそうに聞いているユメを無意識のうちに抱き寄せながら、徐々に睡魔の勢いが増していく。
眠気のあまり、とうとう瞼が開かなくなったところで、額に何か柔らかいものが一瞬だけ触れたような気がしたが、それが何か確認する気力もなく、俺は電源が落ちるように深い眠りについた。
んで、翌朝。
いつも通りの時間に目が覚めた。
「あ゛ー……やわあったけー……」
早朝は特に冷える。
腕の中にすっぽり納まっている天然柔らか湯たんぽ抱き枕もといユメの抱き心地の良さを堪能した後、それを手放したくない欲求を意志の力で無理矢理捻じ曲げ、彼女を起こさないように起床する。
剣道着代わりに買った動きやすい服装に着替えてから、刀を持って外へ出る。
ちなみに、俺はロリコンではない。重要な事なので繰り返すが、俺はロリコンではない。
朝の鍛錬をこなし、井戸水で汗を流したところで、ユメが起き出すのがいつものパターンだ。
今日もその例に漏れず、大欠伸をかましながらユメが井戸まで出てきた。
「ぉぁょ……」
「おはよう」
顔を洗おうとフラフラ歩くユメと入れ違いに屋内へと戻り、普段着へ着替える。
それから、水汲みやら何やら朝の仕事をこなした後、朝食を頂くのだ。
今日の朝食はプレーンオムレツに腸詰肉、昨夜のスープの残り物にパン。パンといっても、異世界で定番の黒パンなのだが。
家に備え付けてある窯で焼き上げたばかりなので、そこまで硬くないし、味も悪くない。でも、俺はそろそろお米が食べたいよ。
お米は日本人の魂だ。お米なしに日本人は名乗れない。幸いにして、中学校時代に学校の課題の一環で、お米を稲から育てた経験がある。絶対に召喚して、栽培してやるからな!
っと、それは一先ず置いといて。
「今日は待ちに待った地球の物品お取り寄せ感謝デー! この日の為に積んできた訓練の成果を余さず発揮してやるぜ!」
「いつになくやる気じゃのぅ」
ユメがからからと笑うが、こっちとしては真剣そのもの。
「あったりまえだろ! この召喚こそ、俺の異世界生活を充実させる為の切り札なんだからな!」
魔導書片手に拳を握る。
この日をどれだけ待ち侘びたことか!
地球から取り寄せたいものは腐るほどあるのだ。
「魔導書での召喚はあくまで自分の世界に帰る為の予行演習……まぁよい。言ってくれれば、いつでも手伝ってやったのに」
「いや。気持ちは有難いが、他人に甘えてばかりじゃ俺自身の成長に繋がらないからな。それじゃ意味がない」
それに一度甘えだすと際限が無くなりそうだし。
「うむ、殊勝な心掛けじゃ。ならば、存分に己が力量を試すとよいぞ」
「ああ、遠慮なくいかせてもらうぜ」
気合も気力も十分。
ユメが黙して見守る中で、俺は魔導書の装丁に手を乗せて、魔力を集中させた。
途端に、意識が暗闇の世界へ飛ばされる。
世界の境界線、物体の陰影が曖昧なモノトーンの世界だ。
地面は真っ黒で凹凸が分かりにくい。ただ、大きな水溜りの上に立っているような、不思議な波紋が足元から広がっている。
自分の肉体さえ闇に飲まれてしまいそうな暗澹とした空間の中で、俺は召喚したい物を強くイメージし、闇の中で釣り糸を垂らす感覚で魔力を練り上げる。
とぷん、と世界の境界に魔力の釣り針が沈んでいく。
そこから、狙った獲物の反応を逃がさないように、神経を尖らせて魔力を維持し続ける。
そして――
「きた!!」
くんっと力強く魔力の糸が引っ張られる。
ここからが本番だ。
糸が切れないように、慎重に手繰り寄せていく。
ユメからのアドバイスで、あまり大きな物はやめておいた方がいいと言われていた。俺の技術では、まだベッドのような大物の召喚は難しいそうだ。
だから、狙うのは……。
「やった! 醤油だぁぁぁ!!」
確かな手応えを感じて、カッと目を見開いた先には、1.8リットルのペットボトルに入った醤油――を含む、様々な調味料が納められた箱がポツンと置かれていた。
中身は醤油の他に料理酒、生生姜のたれ、てりやきのたれ、かつおぶしといった、所謂お中元セットである。
「ユメ!? ユメーッ! やった! やったぞ!! 成し遂げたぜ!」
「そう叫ばんでも、ちゃんと聞こえておるよ。無事に成功して良かったのぅ――で、その黒い液体が例の……」
「醤油だよ醤油!! 俺の国の調味料だ! ひゃっほう!! 今度からこれ使って飯作ってくれ!!」
「ず、随分と興奮しておるな……ふむ、これが醤油とな? どれ……むぅ、随分としょっぱい、が……ふむ、ほう、いやはや実に奥深い味じゃ」
俺がボトルのキャップを外してやると、ユメが指の先を少しだけ浸した。そのまま指に付着した醤油の滴を舐めとると、目を丸くする。
これさえあれば、今までの味気ない食事ともおさらばだぜ。……いや、ユメの腕もあって、料理は普通以上に美味かったんだけどね?
俺が日本人である以上、やはり醤油なしには生きられないのだよ。悲しいね、バ○ージ。
「よーし、次はさしすせそセットだ!」
「まだやるのか? あまり、無茶してはいかんぞ」
「無茶など気合で押し通す! ガンガンいくぜッ!!」
「あ、こらっ! おぬし、この間の反省はどこにいったのじゃ!?」
再び集中。コツは掴んだので、最初よりもスムーズに同じ工程を繰り返す。
そして、今度は砂糖、塩、酢、しょう油、味噌に加えてソースとめんつゆが含まれたセットを召喚する。これも同じくお中元セットだ。醤油が被ってるけど、こっちの方はかつお醤油なので問題なし。地味に高級品なのだ。
「っしゃ! きた! これでしばらく調味料は召喚しなくてもいいだろ」
「まったく……。ユキトも存外、調子に乗りやすい子じゃのぅ」
呆れたように溜め息を吐くユメ。
すまぬ。だが、男には譲れぬものがあるのだ。
「しかしまぁ、彩豊かになったものじゃ。しばらくは料理にも熱が入りそうじゃな」
様々な調味料をしげしげと眺めつつ、ユメが顔を綻ばせる。
むふふ、これからも存分に腕を振るってくれたまえよ――っと。流石に魔力の減少が顕著になってきた。少し意識がぼんやりしてくる。
だが、まだまだいけるぞ。
日本人の魂、お米30kg1袋(新米)。
さらに、これがなきゃ始まらな……くもないけど、お手軽に食べたいから一家に一台炊飯器。
冷えたスープを温める為に、いちいち釜土に薪をくべるのは勿体ない! というわけで、家庭のヒーロー電子レンジ。
そして、これら家電製品を稼働させるためのホ○ダ製インバーダー発電機&ガソリン。
これらを怒涛の勢いで召喚したところで、とうとうユメからストップが入った。
「これこれ、ユキトや。逸る気持ちは分かるが、召喚魔法は魔力の消費が凄まじいでな。今日はもう駄目じゃ。また次の機会にするがよかろ」
「えぇー……」
まだ召喚したい物が沢山あるのに。
ていうか今更だけど、この家電製品、ティアが見たらビックリするよな。どうやって誤魔化そう……上から布でも被せとけばいいか。
「不満そうな顔しても駄目なものは駄目なのじゃ」
腰に手を当て、眉の端を吊り上げてぴしゃりと言い放つユメ。この顔を見る限り、駄々を捏ねたところで無駄かもしれない。
ちぇー。
……。
……。
チラッ。
「だめ」
……。
……。
チラッ。
「ダメったらダ――」
「だが断るッ」
再び、魔導書に魔力を注ぎ込む。
「あぁっ!? このおバカ!!」
ユメの怒鳴り声が聞こえるが、敢えて無視する。
最後に召喚する物は既に決めてある。
俺達は今日までチュースティックと呼ばれる原始的な歯ブラシもどきで歯を磨いてきた。
しかし、先程、大量の調味料に加えて砂糖まで召喚した今、これまでのチュースティックによる歯磨きだけでは虫歯を防げないだろう。
ということで、大正義、歯ブラシと歯磨き粉に登場していただく。
快適な異世界ライフを満喫する為にも、口腔ケアは大切なのだ。
「召喚成功、これでユメの歯は護られる……って――」
唐突に襲い来る倦怠感と猛烈な眩暈。
一瞬で平衡感覚が失われ、視界がぐるんと回転する。
「あうぅん……」
「言わんこっちゃないっ」
ぶっ倒れる寸前で、ユメが支えてくれた。
YOU ARE DEAD……いやいや、死んでない死んでない。
「軽度の魔力欠乏症じゃ。このアホたれ」
こつん、と額を軽く叩かれた。
すんまそん。
「あれだけ召喚を繰り返せば、ユキトの膨大な魔力量でも簡単に底をつくじゃろうて――まったくもう、この子は……。普段はクールぶってるクセに、時折とんでもないおバカになるのぅ……」
「反省はしている、後悔はしていない」
今日の昼食と夕食が、あれら調味料で洗練されると思えば、何の事はないのだ。
「……今日のご飯抜き」
俺は死んだ。