あっさり
燃え盛る炎に酸素を送り込み、その火力を強めるというロイズの的確なフォローによって、サイクロプスは顔面に大火傷を負った。
大きな眼球は無惨に焼かれ、視力は完全に喪失したようだ。苦しそうに胸を押さえている様子からして、肺も焼け爛れたに違いない。灼熱の空気を無遠慮に吸い込めば、誰だってそうなる。
斬撃の傷すら一瞬で完治させる程の驚異的な再生能力は、どうやら重度の火傷に対しては効果を発揮しないらしい。
なるほど、知らずに弱点を突いたのか。
肉の焼け焦げる異臭が辺り一帯を蹂躙していくなかで、サイクロプスの巨体が力を失ったように崩れ落ちていく。
だが、まだ死んではいない。その生命力の高さには感心するが、とはいえ、まさしく虫の息。
「魔術は得意ではないが……それでも、この程度の援護くらいはできる」
ロイズの口から、ぽつりと呟かれた言葉。
まだ蒼褪めた顔をしているものの、瞳の奥に迸る眼光は力強い。
冷静に、今の自分に出来る事を模索し、実践してのけた胆力は驚嘆に値する。これが初めての実戦だというのだから、尚更だ。
「やるじゃないか」
思わず、そんな台詞を口走ってしまう程に。
「風属性魔術を用いて、火属性魔術の効果を増幅させる……咄嗟によく思い付いたね。魔術に関しての造詣が深くないと出来ない芸当だよ」
ティアも手放しに賞賛する。本職の魔術師に褒められるとは、なかなかのものじゃないか?
「……ふ、ふんっ! オレの非凡な才能をもってすれば、これくらい当然だ! さぁ、サイクロプスにトドメを刺すぞっ」
ぐるんとそっぽを向いて、足早にサイクロプスのもとへ向かっていくロイズ。
貴族の嫡子という立場に加えて、あの性格だ。他人から純粋な賞賛を受けた経験がないのかもしれない。耳まで赤くなっているのは、指摘しないでおいてやろう。
振り返ることなく、ずんずん歩いていく彼女の少し後ろをついていく。
そして、俯けに倒れ伏すサイクロプスの前に立ったロイズが、ここでようやく俺達に顔を向けた。
「オレが殺る……お前達はそこで見ていろ」
キリッとした表情で腰に吊るした長剣を鞘から抜き放ったロイズは、瞼を瞑って空を仰ぐ。
自分に酔っているのが傍目から見て丸分かりなんだが。ホントにナルシストな奴だな。
「――貴様に恨みはないが、ここで死んでもらう。恨むなら、人里近くまで降りてきた己の浅慮を恨むがいい」
当然ながら、返事はない。耳に届くのは、死にかけている巨人の荒い呼吸のみ。ただ、サイクロプスは何のつもりか、少しばかり顔を上げた。
焼き尽くされた眼球は既に光を映していないだろうに、それでも尚、瞳孔はロイズに向けられている。その行為にどんな意味があるのか、俺には分からない。
剣を天に翳すように掲げたロイズは、カッと目を見開くと、剣を握る手に力を込めた。
ギリギリと革手袋が擦れる音が、こっちの耳にまで聞こえてくる。
「さらばだ……」
何やら勿体ぶった口調で別れの挨拶を口にした彼女の剣が、とうとう振り下ろされる……。
「……」
振り下ろされる……。
「……」
振り下ろされ……。
「……」
「おい」
「う、うるさい気が散る! ちょっと黙っていろっ」
「黙るのはいいが、なるべく手早く頼むぜ」
なかなか振り下ろされない剣に焦れてきたので声を掛けてみれば、先程までの勢いは何処へやら。冷や汗を浮かべ、余裕を失ったように声を荒げるロイズ。
訳が分からず、思わずティアと互いに顔を見合わせてしまう。
その後もしばらく様子を見るが、一向にロイズは動かない。じっとサイクロプスを見つめたまま、何やら逡巡しているようだった。
そのまま、どれだけの時間が過ぎたのか。剣を持つ腕がその重みに耐え切れず、プルプルと震え始めた頃。
チラッとロイズが俺に視線を寄越してきた。
「喜べ愚民、オレの代わりにサイクロプスにトドメを刺す権利をやろう。これは大変栄誉な――」
「だが断る」
ロイズの言葉を遮って、腕でバッテンを作った。
「なっ! な、何故断るのだ!?」
「お前がトドメを刺すって言ったんだぜ。仮にも貴族を名乗るなら、自分の言葉には責任を持てよ」
というのは建前で、本音をいえば彼女の態度が気に入らない。
「ぐっ……うぅ……」
そんな俺の内心に気付けるはずもなく、ロイズは痛いところを突かれたと言わんばかりに呻き声を漏らす。
「き、今日は調子が悪いのだ! 剣を上手く振るえる自信がない。一撃で屠れるか分からん。そんな無様を他人に見せられるか!」
「なら、魔術でやればいいじゃないか」
「魔術は得意じゃないと言っとろうが! サイクロプスを屠れるような攻威魔術なんぞ撃てぬ」
事前にギルドで聞かされた話によれば、ロイズが扱える魔術は風属性のみ。それも、大型生物を絶命させられる程の威力は出せないとのことだった。
本人曰く、魔術は不得手だとか。今の反応を見るに、その言葉に偽りはないらしい。
「じゃあ、やっぱ剣でやるしかないな」
「だから、今日は調子が――」
「別に一撃で殺る必要はないだろ。首の付け根辺りを狙って、何回か思い切り振り下ろせ。それでサイクロプスは死ぬ」
たぶん。
「……」
押し黙るロイズ。必死に頭を回転させるが、上手い言い訳が思い付かないようだ。
うんうんと顎に手を当てて唸り続け、やがて観念したかのように項垂れた。
「……魔物とはいえ、生き物の命を奪う忌避感がどうしても払拭できんのだ。代わってくれ、頼む」
彼女が発した言葉は本心なのだろう。軽く頭を下げ、懇願してくるロイズに対し、俺は軽く頷いて応えた。
「初めから、素直にそう言えばいいんだよ」
「ユキト……」
ティアが何かを言い掛けるが、俺が目で制して止めた。
サイクロプスに近寄りながら、刀に手を掛ける。
どんなに重い立場や宿命を背負っているにしても、命を奪う行為なんて、経験しないで済むなら、それに越したことはない。
少なくとも、俺はそう思う。
今のロイズの苦悩を理解してやれるのは、たぶん俺だけなんじゃなかろうか。
だから――
「これで脅威は去っただろ」
音も無く大地を転がったサイクロプスの頭を一瞥して、刃に付着した血を布で拭った。
「念の為に付近を見回ってから帰ろう」
「そうだね」
サイクロプスの討伐証明部位である犬歯をせっせとナイフで抉り取っていくティアが頷く。
ロイズも特に異論はないらしく、素直に従ってくれた。
しかしまぁ、あれだな。改めて思ったけど、やっぱ魔術師って凄い。今回はティアとロイズの活躍のおかげであっさり斃せたけど、あの場面で俺しかいなかったら、かなりの苦戦を強いられていたと思う。
本来であれば、あの巨体そのものが武器として通用する代物だし、斬られた部位を即座に再生させる治癒能力は厄介極まりない。
頑強な肉体は下手な物理攻撃なんて物ともしないだろうし、弱点の火を使うにしたって、生半可な火力じゃ表皮を焦がすだけであの治癒能力を阻害するまでには至らないだろう。
魔術が使えない人間にとっては天敵のような奴だ。
いずれは俺も魔術を使いこなせるようにならないと、どうなるかわかったもんじゃない。
「おい、ぐみ……ユキト」
「えっ?」
唐突に"名前"を呼ばれて、少し驚いた。
振り返れば、ロイズが少し所在無さげに立っていた。
「……」
「どうした?」
ロイズは何かを言いたそうにモジモジしているが、中々言い出さないでいる。
「……いや、何でもない」
やがて、ひとつの溜め息と共に背を向けてしまった。
何だったんだ、いったい。
その後、コボルトの死骸からも出来る限り剥ぎ取りを行い、生き残りがいないか念入りに確認してから村へと立ち寄り、村長に脅威を排除したことを報告すると、冒険者ギルドへ帰還した。
◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆
「えぇぇぇっ!? サイクロプスが出たんですか!?」
うるさいな!
事情を説明したうえで、村長から受け取った依頼完了のサインが書かれた紙を渡したところ、担当の女性職員が大声をあげた。
そのせいで周りにいた冒険者たちが何事かとこちらを凝視している。
「ふふふ……そうだ! しっかりと討伐証明部位である牙も確保済みだ」
自身に注目が集まって気を良くしたロイズは、すっかり調子に乗ってしまっている。
帰りの道中なんて、雨に濡れたチワワみたいにしょんぼり大人しかったくせに、なんて現金な奴なんだ。
「――で、格上の魔物を討伐してみせたんだ。当然、ランク昇格のひとつやふたつあるのだろう?」
「……いえ、ありませんけど?」
「なんだと!?」
いや、流石にそれはないって。
そうツッコミたいところだが、後が面倒臭くなりそうなのでやめておいた。
ティアはこうなる事が薄々わかっていたのだろう、ギルドに入るなり、我関せずの態度でさっさと素材換金カウンターの方に行ってしまった。
俺もそっちについて行けばよかったか……。
しばらく職員と言い争っていたロイズだが、不毛な攻防の果てに言い包められたらしく、ぷりぷりと不機嫌な様子で戻ってきた。
「くそっあの職員の女め……いつか目に物見せてやる」
具体的にどうするつもりなのかは知りませんが、頑張ってください。
「まぁいい……。ほら、受け取るがよい」
ジャラッと麻袋を投げて寄越すロイズ。
冒険のお供としての報酬とは別に、達成した依頼の報酬は半分ずつ受け取ることで話は纏っているので、遠慮なく頂戴した。
まぁ、俺の場合はこれはさらに半分ずつティアと分けるつもりなので、貰えるお金は実質4分の1なのだが。
「では、今日はここで解散とする。明後日、同じ時間にギルドに集合だ」
「ん? 明日じゃないのか?」
「業腹だが、明日は別の用事があるのだ。私も有力貴族の嫡子である以上、付き合いというものがあるのでな。では、また後日」
そう言うと、ロイズはさっさとギルドを出て行こうとして、ふとこちらに振り返る。
「――っと、言い忘れていた。素材を換金した分の金はそっちの好きにしていいぞ」
それだけ言い残して、今度こそ振り返らずにギルドを出て行ってしまった。
なんかサバサバしてるなぁ。別に良いけど。
てか、あいつもあいつで、貴族としてやるべき事はやってるんだな……って言ったら、ちょっと失礼か?
とか考えていたら、足早にティアが近付いてきた。
「あれ? ロイズは?」
「もう帰ったよ。今日はもう解散だってさ」
「え、そうなの? 換金したぶんのお金を渡そうと思ってたのに」
どうしよう――とティアは胸に抱えた麻袋を悩ましげに見つめる。
不覚にもちょっとドキッとしてしまった。
「それは俺達で好きにしていいってさ」
「ふーん……なら、いっか。じゃあ、ボク達も帰ろう? ユキト」
「だな」
これから帰るとなると、家に着くのはちょうど夕食時かな?
初めてのお仕事ということで、そこそこ緊張したせいか、じんわりと薄く広がるような疲労を感じる。
せっかくだし、帰る前にセレトレノの街を観光してみたかったが、それはまた次の機会にしよう。