一つ目の巨人
大気を震わす野太い咆哮。揺れる大地。見上げる巨体は天高く聳え立ち、眼下の獲物を睥睨する。
その名はサイクロプス。一つ目の巨鬼。
大陸の人間においてその名を知らぬ者はおらず、数々の童話や唄、ひいては子供を叱り付ける常套句として「おいたをする子はサイクロプスに頭から齧られる」といった台詞まであるとかなんとか。
その強さは、正規の訓練を積んだ騎士5~10人相当。それなりの場数を踏んだ一般の兵士で換算すると、20人程の戦力比になるという。
なるほど、ロイズの言う通り、村人達では手も足も出ないに違いない。
とはいえ、こちらも人数的にはたったの3人。普通であれば、相対するなど以ての外。一にも二にも逃げることが優先されて然るべき状況だと思う。
しかし、ロイズは震える膝を拳で叩きながら、それでも尚、力強く笑った。
「幸いな事に、ここには魔術を扱える者が3人も揃っている。これだけで、戦力的には騎士団一個小隊に匹敵するだろう。加えて、愚民はジェムトを屠った実績があるんだ。格下のサイクロプス相手に勝てない道理はあるまい?」
ギルドで聞いた話によれば、ジェムトを討伐できる人間は、冒険者でいえばサファイアランク相当の戦力として遇されるらしい。
さて、肝心のサイクロプスといえば、ギルドランクでいえばルビー。サファイアより1つ格下である。
それでいて、ロイズを含めて、魔術を扱える者が3人。
素人に毛が生えた程度の腕しかない俺と、至極簡単な魔術しか行使できないロイズはとにかく、隣に佇む"正規の魔術師"であるティアの存在は大きい。
そう、実のところ、ティアは既に『鉄征魔術師』としての資格を得ているのだ。
アクィナス大森林での魔物駆除を終えた後、師事していた魔術師からの薦めもあって、魔術師協会にて鉄征魔術師の試験を受け、見事それをパスしたらしい。
だからこそ、俺の黒歴史が爆誕したあの日、ティアはユメに魔術を教えてもらえたのである。『己が師に相談もせず、勝手に師事する先を変えるのはマナー違反』という暗黙のルールも、己の師匠から一人前の判定を受け、師と弟子という立場を解消したティアには関係なかったのだ。
鉄征魔術師認定の羊皮紙とそれを証明するペンダントを持ってきたときのティアの喜びようといったら、それはもう可愛かっ……げふんげふん。
とりあえず、この事実だけを鑑みれば、俺達がサイクロプスに負ける理由はないといえるだろう。
しかし、ひとつだけ問題がある。
ジェムトと戦ったときの俺は魔流甲冑を纏っていた。だが、今の俺は魔流甲冑の使用をユメから禁じられている状態なのだ。
その理由は単純、己の基礎能力を鍛える為に他ならない。
魔流甲冑とは、己の内に魔力があって初めて成り立つ代物だ。仮に、魔術などで体内の魔力を使い尽くしてしまった場合、魔流甲冑は当然ながら使用不可能となる。
魔流甲冑がなければ相対する敵と斬り結べないなど笑い話にもならず、そんな事態を未然に防ぐ為に、素の状態における戦闘能力の向上に努めることになったのだ。
素の身体能力が上がれば、魔流甲冑状態での能力も比例して上がるとお墨付きも得ている。
以来、俺は極力、魔流甲冑に頼らない戦闘技術の向上に精を出してきた。
勿論、最強の切り札を出し惜しんで、取り返しのつかない失態を犯すつもりはない。いざとなれば、躊躇なく使うつもりだ。
ただ、できるだけ、過剰な"力"には頼らずに、己の技術を向上させていこうと思っている。
本来の目的であった体内の魔力を把握する問題に関しては、今となっては魔流甲冑を用いずとも普通に把握できるようになっているので、支障はない。
ということで、
「ティア」
「?」
「サポート、よろしく」
「うん、わかった。前衛は任せたよ」
短いやり取りだが、意思の疎通はこれで十分だ。
「――すぅ……はぁ……。よし、いくぞ」
緊張を緩和するように深呼吸を繰り返したロイズが剣を抜き放ち、静かに言う。
感情に任せて叫んだりしなかったのには、ちょっと感心した。
俺は真っ先に茂みから飛び出すと、奴の注意を引く為に、一直線に駆ける。
これが巨大な魔物との初遭遇であれば、腰を抜かしていても可笑しくはなかったが……こうして普通に対処できているのも、ユメに無理矢理魔物駆除に連れ出されたおかげだな。
夢中で肉に齧り付いていたサイクロプスの一つ目が俺の姿を捉えるが、デカい図体に比例するように、その動きは鈍重だった。
食事を優先するべきか、襲撃者の撃退を優先するべきか、視線が肉塊となったコボルトと俺の間で行き来している。
今まで、敵に奇襲されるといった経験をしてこなかったのだろうか。判断が遅い。俺としては都合が良いのだが。
一息に間合いを駆け抜けると、腰の鞘から抜刀、サイクロプスの右足の腱を切断した。背中に悲鳴を浴びつつ、振り返らずに駆け抜ける。
これで、奴の機動力は大きく削った。この後の闘いは大分楽になるだろう――と思いきや。
手元の肉塊を放り投げたサイクロプスが、怒りに身を任せるように吼え猛り、両手を掲げて襲い掛かってきた。
その動きはやはり鈍いものの、足の腱を斬られたにしては淀みが無さすぎる。
見れば、右足の腱部分から煙が立ち昇っていた。
……あれはまさか。
「おいおい、再生してんのかよ」
サイクロプスの青白い巨腕が、俺の身体を鷲掴みせんと唸りをあげる。
迫り来る腕を、大袈裟に飛び跳ねて避けるような真似は、体力を無駄に浪費するだけだ。
相手の動きを見極めて、最小限の動きで回避するか、無効化するのが鉄則。
――あの日、アクィナス大森林で魔物の大群に囲まれたとき、学んだことがある。
派手な動きをすればするだけ、己の体力を激しく削る。まぁ、それは至極当然の話なんだけど。
魔流甲冑を纏っていれば、ある程度の無茶もきくが、それでも限界はある。
いつ何時戦闘になるかわからない、無数の魔物が跳梁跋扈する土地で、己の体力を温存する為には、戦闘中においても無駄な動きを極限まで省き、必要最低限の体捌きで敵を制するしかない。
そのセンスを磨くために、アクィナス大森林の奥地で、何度死に掛けたことか……。ユメがいなければ、最低3回は死んでいたかもしれない。思い出すだけで、身震いが止まらなくなりそうだ。
「……おっと」
正面から飛んでくるサイクロプスの右腕を躱す。拳から繰り出される怒涛の風圧が肌を叩く。
薙ぎ払われた左腕を屈んで避ける。空気を巻き込む音が鼓膜を震わせる。
怒涛の連打の悉くを、皮膚を掠めるギリギリのところで捌く。ただし、これは綱渡りでも何でもない。
サイクロプスの動きを見切り、決して当たらないと確信したが故にできる回避運動だ。
疲労の蓄積を抑えつつ、次のアクションを最速で行えるようにする為の布石ともいえる。
「――ッッ!!」
猛り狂う一つ目巨人の咆哮が大地を震わせる。
苛立つサイクロプスは荒れる感情を剥き出し、両腕を乱雑に振るうが、狙いも何もあったもんじゃない。
あんなにやたらめったら動いていたら、幾ら魔物の優れた体力でも、一瞬で底を着いてしまうだろうに。
案の定、しばらく暴れ回ったサイクロプスは膝を付くようにして、荒い息を吐き始めた。
言わんこっちゃない。
次の瞬間、サイクロプスの顔が爆炎に包まれる。
激しい炎によって生み出された膨大な熱量は止まることを知らず、俺の上半身まで焼き尽くす勢いだ。
あまりの熱さに圧され、咄嗟に後退する。
誰が放った魔術であるかなど、考えるまでもない。
のたうち回るサイクロプスの絶叫を耳にしながら、ちらりとティアに視線を向ければ、パチリとウィンクされた。
さらに、ティアが放った炎を加速させるように、ロイズが風の魔術を行使する。
潤沢な酸素を送り込まれ、サイクロプスの顔面を包む炎はその勢いを増した。
あぁ、これはえげつない……。