ノブレス・オブリージュ
問題無く……とは言えないが、どうにか依頼を受けられた俺達は、セレトレノから馬車で1時間程離れたルルド村という小さな村落を訪れていた。
依頼人である村長に話を伺うと、近頃何者かに村の畑を荒らされたり、家畜を攫われたりするようになったとのこと。
村の狩人が調べたところ、どうやらコボルトの仕業であることが判明。自分達の手には負えないと判断し、冒険者ギルドに依頼を出したそうだ。
コボルトとは言わば二足歩行の犬、または狼のようなもので、そこそこ厄介な魔物なのだとか。
群は形成せず、単独か家族単位で行動し、山の斜面を掘って作った横穴を住処にするらしい。
人間の成人男性にも引けを取らない体躯に加え、人間を上回る膂力を有しており、簡単な得物くらいなら自作できる程度には頭も良い。
さらには狼特有の優れた嗅覚のおかげで、獲物を追跡する能力や危険感知にも長けているときている。
こうして聞く分には、確かに厄介そうだ。
村の狩人が事前に調べておいてくれたおかげで、巣の位置を大方絞り込めているのは有難い。
俺達だけで調査するとなっていたら、かなり苦労させられていただろう。何せ、スカウト技能を有している奴がいないからな。俺の魔流甲冑も今回は封印してるし。
兎にも角にも、ここまでお膳立てされているのなら、しっかりと仕事は果たさねばなるまい。
――と、勢い込んでいたのだが……。
「ハァ……ハァ……」
額から大量の汗を流し、荒い息を吐くロイズを見ると、想像以上に前途多難であることを痛感させられる。
騎士学校に通っていると豪語していたから、体力はそれなりに付いているものと思っていたんだけどな……。
休憩に丁度良さそうな小規模の岩場で、疲れ切ったようにうずくまるロイズの足は生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。
「おいおい、まだ山に入って一時間も経ってないぞ。流石にバテんの早過ぎだろ」
「黙れ……フルプレートは……重いんだぞ……」
まぁ確かに重そうだね。見た目は。
これが純ミスリル製であれば、下手な服より軽いらしいけど。
本人曰く、一応純ミスリル鎧も所有しているが、今回は訓練の為に通常の魔鋼製の鎧を着てきたそうだ。
魔鋼製っていわれても、ちょっと意味がわからない。
てことで、ティアに聞いてみたら、どうやら純鉄とマナサイドと呼ばれるこの大陸特有の鉱物を合わせた合金のことをそう呼ぶのだとか。
詳しい説明は省くが、鋼鉄製のプレートメイルに比べて軽くて丈夫、しかも単価が安いとかで、ほとんどの国で採用されているとのこと。
重量は鋼鉄製の3分の1程度しかないらしい。俺の記憶が確かなら、中世ヨーロッパで活躍したフルプレートアーマーの総重量が大体30kg前後だった気がする。つまり、魔鋼製だと10kg前後? あれ? 普通に軽くね?
「はい、お水」
「すまない……」
息も絶え絶えのロイズに、水筒を手渡すティア。
彼女の装いは以前と変わらず、皮鎧を主軸とした身軽な装備だ。
普段から重りを背負って走り込みなどをしているらしく、軽装なのも相俟って、疲れた様子は微塵も感じられない。
受け取った水筒を呷るロイズの体力が回復するまで、まだしばらく時間がかかりそうだ。
暇だし、地図を見て現在地の確認でもしておこう。
「巣があると思しき最初のエリアまでは……ここからざっと1kmってとこか? 徒歩なら10分弱程度の距離だが……」
ここは山だ。少なく見積もっても、目的地までは倍以上の時間が掛かるとみておくべきか。
起伏はそこまで激しくないうえに、斜面もなだらかで歩きやすいものの、整理されていない山道は想像以上に足に負担が掛かる。
それに、著しく体力を消耗している輩もいるしな。
この調子だと、細かく休憩を挟むことになるかもしれない。
まぁ、あくまで主役はロイズなのだし、どれだけ休もうが一向に構わないけど。
唇の端から零れた水を拭うこともせず、一心不乱に水を飲むロイズを見る限り、あんな調子でコボルトを討伐できるのかちょっと心配になるな。
てか、水は有限なんだから、飲み過ぎんなよ――って、そうか……ティアが水魔術使えるから、補充には事欠かないのか。ちくしょう、やっぱ便利過ぎるだろ水属性……。
「ところで、ロイズはどうして実戦経験を積もうだなんて考えたんだい? いくら騎士学校の生徒だからって、仮にも伯爵家の次期当主が戦場に出る機会なんて滅多にないと思うけど」
手持無沙汰なのか、ロイズに向けて、何となしに話を振るティア。こういうデリケートそうなところを遠慮なく突けるのは、辺境伯家という肩書き故か。
「……テアルの言う通りだ。実際、オレは騎士として国に奉公する為に騎士学校へ入学したわけではない」
そこで、一旦言葉を止めたロイズは、どこか遠い眼差しで雲を見上げた。
「オレには次期伯爵家当主として、領民を護る義務がある。今はお父様がその責務を果たしているが、いずれはオレがその役目を継がねばならない。己の決断をもって、臣下に"死ね"と命令しなければならなくなる日が、もうすぐ……」
その夕焼けを閉じ込めたような美しい瞳に、果たしてどんな景色を映しているのか。
「兵士を死地に送り出す側の人間が、命のやり取り、その恐怖と凄惨さを知らないでどうする? オレは、命を懸けて戦う臣下の想いを酌んでやることすらできないような、そんな無能な領主にはなりたくない。これが、オレが冒険者として実戦を経験しておこうと思い至った理由だ」
騎士学校に通う生徒が、どのような目的をもって騎士を目指しているかは知らないが、恐らく、ロイズのような輩は極少数なのではなかろうか。
高潔……とは違うかもしれない。どう言葉にしていいのか、俺にはわからない。だが、少なくとも、彼女の臣下となった人間はとても恵まれていると思った。
「……凄いね、ロイズは。ちょっと見直したよ」
「ん? 見直したとはどういう意味だ?」
そのままの意味だよ――とは言わないでおこう。
頭に疑問符を浮かべるロイズには答えず、ティアは柔らかい笑みを浮かべる。
話しているうちに落ち着いたのか、ロイズの呼吸も整ったことだし、そろそろ出発しようと腰を下ろしていた岩から立ち上がりかけたところで――
「あとはアレだな。いつもいつもオレから生徒達の人気を奪い、ちやほやされている、あの小憎らしい雌犬に一泡吹かせる為だ!」
「……小憎らしい雌犬?」
何やら場の空気を容赦なくブッ壊す発言が飛び出してきた。
ぐっと拳を握り、天に突き上げるロイズの唇は憎々しげに歪んでいる。余程の辛酸を舐めさせられてきたらしい。
その瞳孔に仄暗い炎が灯る。
「オレと同じ伯爵家の嫡子でありながら、当主の座は双子の弟に譲り、自分は騎士道に生きるなどと抜かしている小娘よ。品行方正、清廉潔白、それでいて……オレには及ばないが、そこそこ容姿も優れている。趣味は料理に裁縫と、貴族の風上にも置けない程に家庭的。さらには騎士を目指すだけあって剣術に秀で、魔術も得意ときたもんだ――バカか、あいつは!? どれだけ才能を独り占めすれば気が済むのだッ!?」
わしわしと頭を掻き毟り、駄々っ子のように地団太を踏む姿を前にして、先程までの儚げな雰囲気は微塵も感じられない。
なんて残念な女なんだ。「あと胸がデカい……」と小さな声で呟いていたのは、聞かなかったことにしてやるのが武士の情けか……。
無意識のうちに向いてしまったロイズの一部分から、そっと視線を剥がす。
「――このように非常に腹立たしい……いや、いっそ憎らしいまでに男の情欲を掻き立てる女だが、幸いなことに奴には"実戦経験"がない。だから、オレが先に命のやり取りを経験することで、雌犬の一歩先を行ってやろうというわけだ!」
「「……」」
「雌犬は実家に帰省すると言っていたからな。奴が活動を停止している今こそ好機! この秋の長期休暇中に、絶対的な差をつけてやる!」
前の話と今の話、どちらに比重が置かれているかと問われれば、大分後者のほうが重い気がする。
高貴な貴族から一転、一気に俗物っぽくなってしまった。
イイハナシダッタノニナー。
感動を返してほしい。
「この流れで聞くのは少し不安なんだが、ついでにもうひとつ質問してもいいか?」
「許す。何なりと聞くがよい」
「パーティメンバーに、わざわざ希少な特殊系統の魔術師を望んだのは何でだ?」
「なんだ、つまらん質問だな。そんなの、決まっているだろう?」
少し間を置くように溜めを作ったロイズは、渾身のドヤ顔を披露する。
「その方が、箔が付くからだ!」
……あんた、正直だね。
「さて、そろそろ行くか」
「そうだね」
冷めた空気から逃れるように俺とティアは淡々と立ち上がり、手早く出発の準備を整えて、さっさと歩き出す。
「あっおい待たんか! オレを置いていくなっ」
慌てて追い縋るロイズには振り返らず、心の中でひとつ溜め息を吐くに留めておく。
ただ。
裏表がない分、接しやすい人物であるのは確かだ。
貴族として、腹芸ができそうにないのはどうかと思うけど。それは彼女の忠臣となる人々が上手くフォローしていくのだろう。そこらへんは、俺には関係のない話である。
やれやれ。まぁ、受けた仕事はきっちりこなしますよ。
せいぜい、望みのままに経験を積ませてやりましょうかい。
◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆
「――今の聞こえたか?」
「ん? 何か聞こえたの?」
コボルトの巣があると予想される複数のエリアを探索し、これで3つめ。
幸いというべきか、入山してから一度も魔物と遭遇していないので、体力はほとんど消費していない。アクィナス大森林での魔物駆除とは雲泥の差、拍子抜けもいいところだ。
しかしながら、体力のないロイズは疲労から周囲への警戒が散漫になりつつあり、そろそろ村へ引き返そうかと思考を巡らせていた頃合い。
折れた木の枝や小石を黙々と靴底で踏み締める音に混じって、微かに妙な音が鼓膜に届いた。
「獣の悲鳴みたいなものが聞こえたんだけど……」
「どの方向から?」
「たぶん、向こうの――」
――直後に響く、断末魔の叫び声。
人間ではない、獣のそれは、ともすれば犬や狼といえる動物に近いような気がした。
「……っ!」
今度こそ、ティアにも聞こえたらしい。傍らを見れば、ロイズも強張った表情で固まったいた。
あの悲鳴は尋常ではない。寒気を通り越して吐き気すら覚える空気の変わりように、普通であれば誰もが一目散に踵を返すだろう。様子を見に行くなど以ての外だ。
だが、俺達は……いや、ロイズは冒険者である。ルルド村の村長から依頼を受け、コボルトを掃討するという使命を帯びている。
ここで尻尾を巻いて逃げるという選択肢はあり得ない。
「行くぞ、テアル、愚民。この先で何が起こっているのかを確認する」
意志の強い眼差しで、絶叫が轟いてきた方向を睨み据えるロイズに頷き、俺達は慎重に歩を進めた。
気付けば、細やかに吹いていた風は止み、鳥の囀りすら聞こえなくなっていた。まるで生き物が逃げ出してしまったか、息を潜めているような静寂が辺りを支配している。どうにも、嫌な感じだ。
背筋を這い回る正体不明の不快感を努めて無視しつつ、生い茂る木々の合間を縫うようにして進んだ先に見えたのは、ぽっかりと拓けた空間に佇む巨大な影と、地面に横たわる毛むくじゃらの何か。
魔物の視界に入らないよう、静かに茂みに隠れ、注意深く観察する。
「――」
両手で獲物を掴み、無我夢中で咀嚼しているのは薄い青色の肌をした巨人だった。体長は……屈んでいるので正確なところはわからないが、恐らく5mは下るまい。
屈んでも尚、ジェムトと同等以上の体格がありそうだ。
動物の毛皮を腰に巻き付けている以外、何も身に付けておらず、筋骨隆々とした肉体を惜しげもなく曝け出している。
太く短い一本角に巨大な一つ目を持つ巨人は、その尖った歯で骨付き肉を貪るように"コボルト"を噛み砕いていた。
でろんと地面に垂れ下がっているのは、腸を含めた内蔵か。
凄まじい血臭が鼻を劈く。
「う――ッ」
慌てて口元を抑え、必死の形相で耐えるティアとロイズ。
あんな光景を目撃してしまっては無理もない。かくいう俺も、かなりやばかった。
「あ……あれはサイクロプスだ……」
青白い顔でそう呟くロイズは、口の端から垂れた涎を乱暴に拭きつつ、サイクロプスと呼ばれた魔物を睨み付ける。
なるほど、サイクロプスときたか。魔導書の翻訳機能がそう訳しているだけで、実際にどんな発音をしているのかは定かではないが、外見でいえばしっくりくるネーミングだ。
「……どうやら、依頼は達成されたみたいだな」
俺達の手ではなく、サイクロプスという予期せぬ第三者の乱入によって。
コボルトはどうやら家族単位で暮らしていたらしい。すぐ傍にある横穴が巣とみて間違いないはずだ。
散乱している死骸の数は全部で5匹。サイクロプス以外に気配は感じられない。恐らくは全滅。
恙なく、お仕事は終了したわけだ。
「さて、どうするの? ボク達の役目はあくまでコボルトの排除であって、サイクロプスを斃すことじゃない。ここで退却してもギルドからのお咎めはないと思うけど」
ティアが落ち着いた声音で問いかけるが、ロイズからの返答はない。悩むような素振りを見る限り、どうするべきか考えているようだ。
顔色の悪いロイズとは対照的に、ティアは精神的な余裕を感じさせる。アクィナス大森林での魔物駆除の経験が、彼女を大きく成長させたようだ。
まぁ、そりゃそうか。数えるのも馬鹿らしくなるほど、沢山魔物倒したもんなぁ。目の前のサイクロプスにしても、体格に限ればほぼ同格のトロールを駆除した実績があるし。
あの時は訓練がてら、俺とティアの2人で斃したんだっけ。
駆除の行程にしても、ユメは途中から後方でアドバイスするだけになって、始末するのは俺達の仕事になってたからな。
……ていうかね?
ちょこんと俺のコートの袖を指先で摘むのはやめていただきたい。どきがムネムネしちゃうでしょう? これでも俺、思春期の男の子ですので。
おっと、閑話休題っと。
「――サイクロプスはここで排除する」
蒼い顔のまま、それでもしっかりとした口調で、ロイズが決断する。
「理由を聞いても?」
「端的に言って、サイクロプスに対抗できるのがオレ達しかいないからだ」
鋭い眼差しでサイクロプスを睨みつけるロイズは、ぎゅっと掌を握り締める。
「……村人風情では、束になったところでサイクロプスには対抗できまい」
緊張か、恐怖か、若しくはその両方か。指先が白く変色するほどに握り締められた拳は細かく震えていた。
「ここから村までの距離も近過ぎる。獲物を求めるサイクロプスが村を発見してしまえば、村人達は為す術なく皆殺しにされてしまうだろう。仮に、オレ達が援軍を呼びに、馬を走らせてギルドまで戻ったとして、セレトレノに着く頃には日が暮れている。視界が利かない夜間の移動は困難を極める故、まず間違いなく、援軍の出発は早朝まで待つことになるはずだ。その間に、村が襲われないとも限らぬ」
それでも、彼女は顔を上げて、ただ前を見据える。
「オレは貴族だ。貴族には、か弱き民を護る義務がある。ここで彼らを見捨てて、自分だけ逃げ出すわけにはいかんのだ……!」
唇を噛み締め、己の信念を吐露するロイズ。本音でいえば、今すぐにでも逃げ出したいだろうに。
しかしながら、その選択肢は彼女の貴族としての誇りが許さない。
なるほど。これが世に言うノブレス・オブリージュ、か。
ならば。
俺はティアと視線を交わし、頷き合う。
――いっちょ、やってやろうじゃないの。