ぼうけんしゃぎるど
「いってきます」
「いってらっしゃい、気を付けての。ティア、ユキトを頼んだのじゃ」
「お任せ下さい。行って参ります」
穏やかな声に送られて、玄関の扉を開けると、朝日の眩しさに思わず瞼を細めた。
今日は件の冒険者との顔合わせの日だ。家の前には既に魔術師協会から派遣された馬車が待機している。
俺は愛しの我が家を振り返り、扉の前で手を振って見送ってくれるユメに軽く手を振り返すと、ティアと共に馬車へ乗り込んだ。
「では、出発します」
御者が声を発し、手持ちの鞭を撓らせる。
馬が軽く嘶き、ゆっくりと馬車が前進した。
さて、この馬車の行き先だが、今回はいつもユメと訪れるルグルフケレスではない。そこよりも少々規模が小さい街である。距離的にはそう変わらないのだが。
ユメを伴わない外出は初めてだ。正直にいえば、少し緊張している。己の知識が及ばない未知の土地へ足を踏み入れるというのは、中々に勇気がいるものだ。
そういう意味で、ティアが同行してくれるのは本当にありがたかった。
ゴムタイヤではなく木製の車輪に、サスペンションすらない馬車の乗り心地は悪い。舗装された道ならばともかく、石ころと砂利だらけの道は車体を大きく揺らす。クッションが敷かれているとはいえ、ケツが痛いことこの上ない。
「街の名前は……何て言ったっけ?」
「セレトレノだよ」
ルグルフケレス程ではないが、街としては比較的大きな規模を誇っているらしい。
葡萄の産地として有名であり、セレトレノ産のワインは皇室にも献上される程に上等な品なのだとか。
おっと、それはどうでもいいか。
他愛もない雑談で時間を潰しつつ、馬車に揺られる気分はドナドナ。嘘だけど。
ティアをからかったり、弄ったり、逆襲されたりしながら、ざっと2時間弱が経過したとこで、やっと街の外観が見えてきた。土地の中央を最頂部として、なだらかな斜面を形成している土地の上に街が作られているらしい。
やはりというか、街を囲うように壁が張り巡らされているようだ。
家屋の屋根は基本的に細長い円錐となっており、独特な景観を生んでいる。
街の出入り口らしき大きな門の前には、街へ入ろうと群がる馬車が長蛇の列を作っていた。ルグルフケレスでもお馴染みの光景だな。
さて、今回こそはこの列に並ぶことになるのだろうかと思いきや、馬車は列を無視してずんずん進んでいく。
行き先に見えるのは、ルグルフケレスでも馴染みの門構え。VIP専用口だ。
律儀に順番待ちしている馬車の御者達から、どことなく冷たい眼差しを感じつつ、俺とティアが乗る馬車は実にスムーズに街への進入を果たした。
「さて、と」
目的地であるセレトレノの冒険者ギルド前で降ろされた俺達は、少し古びた木製の扉を押し開けて、中へと入る。
馬車はこのまま移動手段として自由に使っていいとのお達しなので、邪魔にならない場所で待機してもらう。
「ふぅん、こんなもんか」
室内はイメージ通りというか、なんというか。良くも悪くも普通。ファンタジー物で定番の落ち着いた雰囲気の内装だ。
そして、それぞれのテーブルに陣取っている冒険者らしき面々。初顔の人間など珍しくもないのだろう。
特に興味もなさそうな顔で、視線だけをこちらに寄越し、そしてティアを見て目を見開く。
そんな輩が徐々に数を増し、気付けば、ギルドに集う冒険者達のほとんど全員がティアに注目していた。
そりゃそうだよね。ティア、控えめに言ってもすっげー美少女だしね。ていうか、うん、はっきり言って絶世だもんね。気持ちはわかるよ。
「なんか、注目されてるみたい……」
ティアが少し不安そうに服の袖を摘んできた。
何せ人数が人数だ。怯えるのも仕方ないだろう。
一般人ならまだしも、相手は荒事に慣れた連中だ。その視線には一般人にはない目力がある。
数人程度なら平気だろうが、数十人ともなれば話は別だ。数の圧力に抗うのは難しい。なかには、あからさまに下卑た眼差しを投げ掛けてくる輩もいるくらいだ。
こういう時はさっさと意識を逸らすに限る。俺はティアを伴って受付カウンターの前に立つと「お願いします」と一言だけ呟いてから、事前に持たされていた羊皮紙を置いた。
「拝見致します」
職員らしき女性が会釈もそこそこに、丸められた羊皮紙を開いて中に書かれた文章を確認する。
最後まで読み切ったらしい職員さんは、僅かばかり驚いた表情浮かべるが、すぐに作り笑顔で取り繕った。
「お待ちしておりました。冒険者ギルドへようこそ。どうぞこちらへ」
そんな言葉に促されて、俺とティアはギルドの奥にある貴賓室へと通される。
冒険者達の視線が遮られて、ホッとしたように息を吐くティアだったが、その華奢な手は俺の服の裾を掴んで離さない。
それを指摘するでもなく、俺は気付かぬふりをしつつ、職員の後に続いた。
たかが一介の、それもなり立て冒険者風情が、わざわざ別室に通されているのか。
次期伯爵というだけあって、良いご身分だな。
職員さんは、廊下に並んだ数ある扉のひとつの前で立ち止まると、落ち着いた動作でノックする。
「失礼します。魔術師協会より派遣された魔術従士様をお連れしました」
「入りなさい」
低く渋い男性の声に促され、職員さんが扉を開ける。
部屋には、白髪混じりの短い茶髪を後ろに撫で付け、右目を眼帯で覆った初老の男性と、燃えるように鮮やかな紅い長髪を一房ほどサイドテールで纏めた少女がいた。
ソファに座り、室内を軽く見渡してみるが、依頼主となる伯爵家の長男らしき人物は見受けられない。
女の子の方は、恐らく従者か護衛だろう。
「……」
白銀の金属プレートと純白の布で飾った全身鎧を着込んだ少女は、無言のまま、じっとこちらを見据えてくる。
とりあえず、軽く挨拶しとくか。
「どうも、魔術師協会より派遣されました。魔術従士のユキトです。それでこっちが――」
「付添人のティアリーズ・ド・ベクターです。どうぞよろしく」
「うむ」
鷹揚に少女が頷く。依頼人でもないくせに随分と偉そうだな、こいつ。
それにしても、これまた物凄い美少女が出てきたもんだ。
気が強そうな切れ長の瞳は、夕焼けを閉じ込めたような、沈みゆく太陽を連想させる。
俺がこの世界で出会う女の子は、どうしてこうも美しい瞳を持つ者ばかりなのか。
「ほう……」
初老の男性が、俺を見て驚いたような声を漏らした。
それにどのような意味が含まれていたのかは定かではないが、大方、俺の恰好が魔術師にそぐわないことに対して物申したかったのだろう。
蒼いコートの出で立ちに刀を腰に帯びてる今の恰好じゃ、無理もない。
「よくおいでくださった、ユキト殿。私は冒険者ギルドセレトレノ支部のギルドマスター。名をロゥハンという。そして、こちらが――」
「バークレイ伯爵家が嫡男、ロイズ・バークレイだ」
地声をわざと低くしているのだろうが、女の子らしい声の高さをイマイチ誤魔化せていない。
ロイズと名乗った少女は、自信に満ちた強気な笑みを浮かべる。
「ん? あなたが嫡男?」
「然り」
ティアの疑問に対し、気にした様子も無く肯定するロイズ。
どう見ても少女なのに、嫡男とはこれ如何に。まさか、男の娘? てか、誰かさんとキャラ被ってるような。
チラッと横を見ると、無言で微笑まれた……怖い。
「お前が言いたいことは分かっているぞ。大方、オレのような超絶美少女が、何故に男を名乗っているのか気になるのだろう?」
「てことは、やっぱり女なのか」
俺の視線に気付いたらしいロイズは、気を悪くした様子も無く、いや、寧ろ上機嫌に口を開く。
「お前、貴族に対する言葉遣いがなってないな。だが、許そう。愚民が無知で蒙昧なのは仕方ないことだからな。おっと、話を戻そう。オレは確かに肉体的にいえば女だが、伯爵家の長子として生まれた以上、心は男として生きてきたつもりだ。というわけで、オレの事は女と思ってくれるなよ」
「ん、そういうことなら――」
「ああ、待て。皆まで言うな。オレが余りにも可憐で美し過ぎる故、どうしても女として意識してしまうというのだろう? よい、許す。これは壮絶な美貌を持って生まれてしまった私の罪だからな。男とは本能的に美しい女を求めるものだ。お前に非はない。非はないが、あまり態度に出さないでくれると有難い」
「……」
よく喋る嫡男様だ。とはいえ、どうやら悪い奴ではなさそう。少々、いや大分、自意識過剰でナルシスト気質だが。
俺と一通り会話したことで満足したのだろう。ロイズは視線をティアに向ける。
「さて、お初にお目にかかる、ティアリーズ殿。噂には聞いていたが、本当に男装をしているのだな」
「よろしく、バークレイ卿。この服装はちょっとした意地みたいなもので、そんなに深い意味はないよ」
「そうか、了解した。それと、オレはまだ爵位を継いでいないのでな。故に卿と呼ぶ必要はないぞ。というより、互いに同年齢なんだ。ここは気安く呼び捨てにしてくれ」
「なるほど。なら、ボクのこともテアルでいいよ」
互いに握手を交わすティアとロイズ。
あれ? ロイズにはテアルって呼ばせるのか。
「自己紹介も済みましたな。それでは、改めて雇用期間や労働条件、報酬の説明等をさせていただきたい――」
タイミング良く声を掛けてきたギルドマスターが、テーブルに羊皮紙を広げる。おそらく、契約に関する内容が書かれているのだろう。
ギルドマスターが直々に仲介を果たすあたり、伯爵家の影響力の強さが窺える。しかし、当の嫡男様は比較的フランクな人柄らしい。
これなら、仕事の方で無茶振りされるということもないだろう。
このまま、何事も無く仕事を終えて、無事に報酬を貰えるといいな。
◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆
「――なぜコボルトの討伐依頼が受けられんのだ!?」
なんて思っていた時期が、俺にもありました……。
「コボルトの討伐依頼はギルドランクがアメシスト以上の冒険者に限定されておりますので」
「ふざけるな! オレは騎士学校に属する身だぞ!? きちんと戦闘訓練は受けている! そこらの素人ではないのだ!」
「そう仰られましても、ロイズ様のランクはガーネットですから……ギルド規定で、アメシスト以上の冒険者の同伴か、それに相当する実力を有していると証明された者が随伴しない限り、コボルトの討伐依頼は受けられませんよ?」
「ええいっ貴様では話にならん! ギルドマスターを呼べ!」
「ギルドマスターは先程会合へ向かわれましたので、既にここにはいらっしゃいません」
「お、おのれぇぇえええ……!」
夕焼けを閉じ込めたような瞳の中に憤怒の炎を燃やすロイズと、貴族様の無茶振りにも屈することなく、淡々と職務を全うする受付の女性職員さん。
一方的にバチバチと火花を散らすロイズだが、職員さんは一切取り合わない。仮にも貴族の嫡子に対して、中々の度胸をしている。
それはさておき、俺達としてはさっさと折れるか、妥協するかしてほしい。もしくは日を改めるか。
受ける依頼の決定権はロイズにあるので、何も言えないのが歯痒いところだ。
ティアと顔を見合わせ、揃って溜め息を吐いてしまう。
「あ、そういえば」
「ん?」
カウンターでがなるロイズの声を聞き流していると、ティアが何事か思い出したような声をあげた。
「ほら、ネレイス様から預かったジェムトの素材だよ」
「あぁ、そうか。そういや売って来いって言われてたっけ」
ユメが欲しいと訴えた素材は手元に残したうえで、皮やら何やら不要な素材を馬車の荷台に詰め込んでいたことを思い出す。
解体したとはいえ、元々が3メートルもの体躯を誇っていただけに、相当な量の荷物となってしまっているので、出来るならさっさと処分してしまいたい。
「ロイズの方もしばらく時間がかかりそうだし、今のうちに卸しておこう?」
「だな。じゃあ、ちょっくら馬車まで取りにいってくる」
時は金なり。時間は有効活用しなくちゃ勿体無いもんな。
「ボクも手伝うよ」
「わりぃ」
聞こえているかは定かではないが、一方的に白熱しているロイズに一言、馬車まで荷物を取りにいってくる旨を告げるとティアと2人でギルドを出る。
近くで待機していた馬車を恙なく見つけ、荷台から荷物を下ろす。
大きな麻袋が2つに小さな麻袋が1つ。小さな袋は見た目相応に軽いものの、大きな荷物はそれひとつで成人女性一人分の重量はある。
「んうぅぅぅ……!」
案の定、ティアは大きな袋を抱えようとして引き摺ることしかできず、悪戦苦闘していた。
いくら男装して、腰に護身用に剣を携えているといっても、こういうところはしっかり女の子だな。
「ははっ大きい袋は俺が持つから、ティアは小さいやつを頼む」
「うぅっ……面目ない」
ティアから袋を取り上げ、2つの大きな袋をそれぞれ左右の肩に抱える。
「流石、男の子! 力あるね」
「まぁ、このくらいはな」
伊達に鍛えてるわけじゃないんでね。
ただ、両手が塞がっているもんで、この状態ではドアを開けることが出来ない。
というわけで、ティアに先導してもらい、再度ギルドに足を踏み入れる。
「――ふふふっ……ここまで私をコケにした愚か者は貴様が初めてだよ……。こうなれば徹底抗戦だっ! 絶対にコボルト討伐依頼を受けてやる!」
「駄目です」
まだやってんのかよ。
周囲を見れば、ロイズが我を通すか、職員が規定を守らせるか、冒険者たちの間で賭け事に発展していた。
暇な奴らだな。
一先ず依頼の件はロイズに任せ、俺とティアはジェムトの素材を換金する為に別のカウンターへ足を向ける。
妙な熱気に包まれている依頼受付カウンターとは違い、素材換金カウンターは静かなもんだ。
黙々と自分の仕事をこなす職員達は、全員が素材の鑑定に長けたプロなのだろう。
冒険者から持ち込まれた魔物の素材をひとつひとつ、虫眼鏡等を使用し、細かなところまで精査している。
「すみません、魔物の素材を換金したいのですが」
「畏まりました――っと、随分多いですね」
乱暴に置くつもりはなかったのだが、それでも鈍い音をたてる麻袋を見て、応対してくれた男性職員が驚いたように瞠目する。
近くで別の作業をしていた職員達も、麻袋の大きさを見て、すぐに彼の周りへ集まってきた。
「ギルドタグを提示していただけますか?」
恐らくは冒険者の身分証明書のようなものなんだろう。しかし、今日初めて冒険者ギルドへ足を運んだ俺がそんなものを持ち合わせているはずもない。
ティアに視線を向けてみるが、彼女も首を横に振る。
「いえ、俺達は冒険者ではないので、タグとやらは持ってません」
「となりますと、一般の持ち込みということになりますので、査定額の1割を手数料として頂戴致しますが、よろしいですか?」
手数料か……。まぁ、1割なら消費税と大して変わらないし、いいか。
「問題ありません」
「ありがとうございます。では、持ち込まれた魔物の名前を教えていただけますか?」
テーブルの下から分厚い辞書のようなものを取り出した職員。どうやら魔物の資料か何からしい。査定額を決める為の参考にするのだろう。
「ジェムトです」
「……え?」
資料を捲っていた職員の手が唐突に止まる。いや、彼だけじゃない。
彼の周りにいた職員達も、まるで金縛りにでもあったかのように揃って動きを止めている。
かなり不気味な光景だ。
「あれ? 名前間違えたか……?」
「いや、合ってるけど?」
動揺を露わにする職員の反応が気になり、思わずティアに目を向けるが、彼女は不思議そうに首を傾げるのみ。
すると、職員が恐る恐るといった感じで口を開いた。
「あの、今ジェムトと聞こえたのですが、間違いありませんか?」
「はい……」
魔物の名前に間違いはないはずだが、何かマズかったのだろうか。
胸中に過ぎる不安に圧され、曖昧に頷いておく。
職員は即座に袋を開き、中身を取り出すと、素材をひとつひとつ手にとって慎重に調べていく。
「間違いない、この素材は紛れも無くジェムトのものだ……討伐されたのはお二人という認識でよろしいですか?」
「ううん。ボクは何もしてないよ。ジェムトはこっちのユキトが一人で斃したんだ」
質問を繰り返してくる職員に対し、ティアが気負いなく答える。
「なっ――お一人でジェムトを討伐されたんですか!!?」
響く大声。
依頼受け付けカウンターでのやり取りを発端とする熱狂が一瞬で静まり返る。
いやいや、なんで皆黙るんだよ。
「おい……聞いたか? 今の――」
「ああ。ジェムトを単独で討伐したって――」
「どうやらギルドには所属していないようだが……何者だ、あいつ――」
ざわ…ざわ…――いやいや、変な擬音を脳内で再生している場合じゃない。
先程までの賑やかなムードはどこへやら。この場にいる全員が俺に視線を向けている。
別に気圧されるようなことはないが、非常に居心地が悪い。
特に悪い事をしたわけでもないんだが……。
「おい! 愚民!!」
「ん?」
ドカドカと床を鳴らしながら近付いてくるロイズは、喜色の笑みを浮かべている。
てか、愚民って。ちゃんと名前は名乗ったはずなんだが……まぁいいか。
「聞いたぞ。お前、ジェムトを討伐したのだな!?」
何が嬉しいのか、ロイズは興奮した面持ちで顔を近づけてくる。って、ちょっ近い! 女の子特有の甘い香りが……。
「あ、ああ――って、うお!?」
なんて、ちょっとだけドキドキしてたら、思い切り襟首を掴まれて、後ろに引き剥がされた。
「ロイズ、仮にも貴族の嫡子が、少しはしたないんじゃないかな?」
「むっ……そう言われると確かに。オレとしたことが、無防備に異性に近付き過ぎたか」
ティアの呆れたような眼差しなど気にも留めず、ロイズは軽い調子で受け流す。
うぅむ、こいつ、存外大物なのかもしれない。
「それはさておき、だ。少しの間、愚民を借りるぞ。テアルよ」
「別にいいけど……。愚民じゃなくて、ユキトだよ」
「ああ、わかったわかった」
不満そうな顔で俺に対する呼び方の訂正を求めるティアに対し、ひらひらと手を振って背中をみせるロイズ。
そのまま、首根っこを猫のように掴まれ、ずるずると依頼受付カウンターまで連れていかれた。
俺の意志など一顧だにしない、いっそ清々しいまでのジャイアニズムである。
ティアと引き離される間際、アイコンタクトと最小限のジェスチャーで、
「ジェムトの素材は任せた」
「任されました。その代わり、依頼の方は任せたからね?」
「ほい」
と、意思疎通を果たしておく。
俺とティアも、中々のツーカーになってきたんじゃなかろうか。
「おい! 受付の女!」
再びカウンターの前へと舞い戻ったロイズは、太々しい態度のまま、強気な笑みを浮かべる。
彼女の言いたいことが分かっているらしい職員さんは、苦々しい表情を隠さない。
その様子に、さらに機嫌を良くしたらしく、鼠を甚振る猫のように目を細めた。
なんだか、こいつの隠された本性の一端を垣間見た気がするぞ。
「先程、貴様は言ったな。コボルト討伐依頼を受ける為には、ランクがアメシスト以上の冒険者の同伴、若しくはそれに匹敵する同行者が必要だと」
無言のまま目を逸らしつつ頷く職員さんの顔に、ずいっと己の顔を近づけたロイズは、芝居掛かった口調で言葉を続ける。
「ふふふ……そうかそうか。ところで、ひとつ質問があるんだ。ジェムトを討伐した人間は、ギルドランクで評価するとどれくらいになるのかな?」
「一概には断言できませんが、最低でもサファイアランクの冒険者と同等の実力があると見做されるかと……」
「ほう! サファイアとな! それは凄い! アメシストなんぞ目じゃないなぁ、うん?」
悔しそうに唇を噛み締める職員とは対照的に、どこまでも調子を上げていく。
はっきり言って、傍目から見てもウザいことこの上ないが、それでもどこか憎めない愛嬌を感じさせるのは、こいつが貴族という立場を利用して権力を振りかざしていないからだろう。
ここまでのやり取りを見てきて、職員さんの態度は貴族の嫡子に対するものとしてはかなり無礼だと思う。だが、ロイズは一度たりとも不満を口にしていない。
態度こそ貴族らしく無駄にデカいものの、それに見合う器の大きさを兼ね備えているようだった。
こういう奴は嫌いじゃないよ。
「というわけで、だ。ジェムトを討伐したこの愚民がいる限り、オレは何の問題もなくコボルト討伐依頼を受けられると愚考するが、どうだろう?」
ロイズは自らの勝利を確信しているらしい。実に見事なドヤ顏だ。
とはいえ、職員の方もまだ負けを認めたわけではないらしい。キッと表情を引き締めて、相手の眼を真っ向から見据える。
「ロイズ様の仰る通りです――ジェムトを討伐したという彼の言葉が事実であるのなら、ですが」
「うぬ?」
反論されるとは思っていなかったのか、きょとんとした顔を晒すロイズだったが――
「彼は確かにジェムトの素材を持ち込んだようです。しかし、それだけで彼がジェムトの討伐を成し得たと判断するのは、些か早計ではないでしょうか?」
「……何が言いたい」
相手の考えを察したのか、声音が低くなった。
てか、職員さんも変に意地になってないか、これ?
いい加減に依頼受諾を認めても問題なかろうに。
仮に、依頼先で俺達の身に何か起こっても、ゴリ押ししたのはこちらだ。職員さんに責任が生じるわけでもあるまい。
……そういう問題でもないのか? 大人の社会はわからん。
「この場合、他の誰かが討伐したジェムトの素材をギルドに持ち込んだうえで、自分の功績だと騙っている可能性も十分に――」
「おい、女」
唐突に表情を消したロイズが、強引に職員さんの口を閉ざす。
「そこまでにしておけ。それ以上は愚民に対する侮辱に他ならぬ」
決して相手を威圧したり、恫喝しているわけではない――ないのだが、彼女の口から語られる言葉には、背筋が震えるような圧力があった。
カリスマ値がビンビンだぜ。
「言っておくが、此奴はかの『魔法使い』永銀の天威ネレイスに選ばれし唯一無二の愛弟子だ。つまらん嘘を吐いて、師の顔に泥を塗るような真似はするまいよ」
ロイズの言葉を耳にした周囲の冒険者達が、動揺したようにざわつき始める。職員さんはといえば、その端正な顔を真っ青に染め、震えていた。なんでや。
「ちなみに――」
横合いから聞き慣れた声が飛んできたと思いきや、ジャラジャラと金属音がする皮袋を胸に抱えたティアがゆっくりとした足取りで近づいてきていた。
どうやら、素材の換金が終わったらしい。
てか、幾らになったの、それ。凄い重そうだけど。
「ユキトがジェムトを斃したことは、ボクと、ここにはいないけれどネレイス様が保証するよ。ボクはネレイス様と一緒に、彼の勇姿の一部始終を見届けた」
唇を弧に描いているだけで、決して目は笑っていないティアがロイズのフォローに入る。怖い。
「――だ、そうだ。では、話を戻そう。……コボルト討伐依頼を受けたいのだが?」
職員さんの瞳から光が消えていくのを、俺は見逃さなかった。
哀れな……。
普通に職務を果たそうとしただけの女性を、理不尽に追い詰めてしまった罪悪感が胸中で疼く。言ってることも正論だったし。
いや、俺はカウンターの前に連れてこられただけで、一言も喋ってないんだけどさ。
補足:冒険者のギルドランク
低い方から順にオニキス→トルマリン→ガーネット→アメシスト→エメラルド→ルビー→サファイア→ダイアモンド