不朽の名作
昼が過ぎ、ティータイムの時刻に差し掛かった。
目の前で湯気を立てるハーブティーを喉に流しつつ、お茶請けとして出されたクッキーをパクリと一口。
……やっぱりこっちの世界のクッキーは硬いうえに食感がザラザラしてて美味くない。
一応、砂糖が使われているから甘いっちゃ甘いのだが、洗練された食文化に育てられた現代日本人の味覚には合わないな。
砂糖があまり市場には出回ってないとかで、これでも高級品だそうだが。
顔を綻ばせてクッキーをもきゅもきゅ食べてる2人にコンビニで売ってるチョコチップクッキーあたりを食べさせて、いったいどんな反応をするのか確かめてみたいところだ。
そんな下らないことをつらつらと考えつつ、俺はクッキーを一枚だけ口の中に放り込んで、手を止めた。
寂しくなった口を誤魔化す為に、ここはひとつ会話に興じることにする。
「そういや、ユメは魔法で俺の身体を治す……いや、元に戻してくれたけど、普通に肉体を治癒する魔術ってないのか?」
「んぅ? あるぞい。肉体の治癒は光属性の魔術じゃな」
お茶のお替りを嗜みつつ、クッキーを貪りながら読書に勤しむユメは本から視線を離さずに答える。
「へぇ、光属性なのか。治癒魔術って水属性ってイメージがあったんだが。ラノベ的に」
「水属性の魔術では、体内を侵す毒物等の浄化がせいぜいじゃな。肉体の損傷を治すことはできぬ」
淡々と説明してくれたユメは手に持っていた本を静かに閉じた。
「ふむ。どうせじゃし、全八属性の中でも変わり種である光と闇属性の特性について、ちょいとばかし教えといてやろうかの。まずはユキトとも縁が深い闇属性から説明してやるのじゃ」
どうやら本格的に授業に入るらしい。
ティアも優雅にハーブティーとクッキーを口に運びながら、静聴する姿勢を見せた。
「あくまで学説じゃが、闇は全ての属性の祖と言われておる」
おや、属性にも系譜があるのか。
「そして、原初の属性である闇から光が生まれたのじゃ。後に闇と光は互いに交わることで火水土風の四属性を生み出し、その四属性が複雑に組み合わさった結果として雷と氷に派生した――そう考えられておる」
「ほう」
光と闇が両方そなわり最強に見える……古いか。
「んで」
人差し指をぴんと立てたユメが、その指先に小さな闇を作り出す。まるで空間に極小の穴が開いたようだ。
圧倒的な可視光吸収率とでも言うべきだろうか。真っ黒過ぎて、凹凸が全く判別できない。
「全ての祖となる闇は『無形』の概念を持つが故に、決まった性質というものがないのじゃ」
「おお、すげぇな」
ベンタブラックが球形を維持したまま宙に浮いたら、こういう感じになるかもしれないな。
ぽわぽわと小さな黒い粒子を放散させながら、その場に留まり続ける黒い塊に対し、俺はすっと真上から人差し指を突っ込んでみた。
「何の感触もない……」
形を乱してやろうと黒い塊を指先で掻き回してみるが、何の反応もない。まるで目に見えてるだけで、その場には何も存在していないかのようだ。
「まだこの闇に意味を持たせてないからの」
そんな台詞の後に、ユメの指先で漂う黒い塊が突然形を変える。
俺の指先を飲み込んだまま球形を保っていた闇が、黒い炎へと変化したのだ。
「うおおっ!?」
「うるさいのぅ。そんなに叫ばなくても大丈夫じゃて」
反射的に指を引っ込めようとするが、その前にユメによって手首をがっちりと掴まれてしまった。
いかん、これでは人差し指が焼けてしまう。
「おまッふざけ……んん? 熱くない?」
「うむ。こうして炎の形を保ってはいるがの。実際は中身を伴わない、見てくれだけの張りぼてじゃ」
焦燥に荒げかけた声が疑問に変わるまで3秒も掛からなかっただろう。
そんな俺の様子に、ユメは満足気な顔で頷く。
掴んでいた俺の手首を解放すると、再び指先の闇の形を次々と変化させていった。
先の曖昧さを消し去った黒い球だ。水を撫でるような独特の触感が感じられたと思いきや、いきなりゴムのような弾力を伴った物体に変わり、埋もれていた俺の人差し指を軽く締め付けてきた。
次はかっちりとした正方形の黒いブロック。俺の指先に引っ付いたまま形を整えられたせいで、指が抜けない。軽くテーブルを叩いてみれば、コンコンと見た目通りのしっかりとした音を立てる。重さは全くないのに。どういうこっちゃ。
かと思えば、かっちりとしたブロックが溶けたバターように崩れてしまった。指先で触ってみれば、強い粘度を感じる。なんかコールタールに似てるかもしれない。コールタールなんて触ったことないけど。
一通りの形を再現してから、小さな闇は再び元の球形に収束した。
それを見て、俺の脳裏で豆電球が光る。
「ユメ、人差し指を真っ直ぐ俺に向けて」
「ん? こうか?」
「そうそう。次はその小さな闇を人差し指の第一関節を埋めるくらいまで持ってきて」
「これに何の意味があるのじゃ?」
首を傾げるユメには答えず、俺は自分の人差し指先をユメの指先にくっ付けた。
「E.○.」
ダークバージョン。
「……」
「俺、エリ○ットな」
「えっ……てことは、わしが○.T.?」
「適任だろ?」
俺の行動の意味が理解できず、きょとんとした表情を見せていたユメは自身に課せられた配役を知り、怒りに顔を赤く染めた。
「――イヤじゃイヤじゃ! わしもエ○オットがいい! あんな皺くちゃな人外役はイヤじゃあ!」
「お前、発言には気を付けろよ。下手したら不特定多数の○.○.ファンに消されるぞ?」
「やかましい!! 元はといえばユキトが唐突にくだらない事をやらかすのが悪いのじゃ!! そもそも、これをやるなら光属性じゃろうに、なんで闇属性でやろうと思ったの!?」
「なんとなく?」
「ムキィィイイイッ!!」
足裏で床を踏み鳴らすユメだったが、ひとりだけ話についていけないティアの苦笑を見て、怒りを鎮める。
「あー……コホン! 話を戻すのじゃ。闇属性は、魔術を構成するうえで、最も魔術師の独創性が反映される。擬似的にじゃが、他属性の魔術を再現することも可能じゃの」
「えっなにそれ強い」
つまり、闇属性だけでなく、他属性の特性を生かした戦術が構築できるってわけだ。
圧倒的じゃないか。
「落ち着くがよい。再現できるといっても、おぬしが考えているような都合の良い結果にはならぬよ」
「そうなのか?」
「仮に闇属性の魔術で火を起こしたとして、本物の火のように物体を燃焼させることはないのじゃ。水を再現しても、それで喉を潤すことは当然叶わぬ。闇の本質はあくまで『無形』じゃからして、本来の属性同様の効果は得られないのじゃよ」
なるほど。真似るのは外面だけで、中身は伴ってないってことか。
便利そうに見えて、意外とそうでもないのかもな。
……いや、前言撤回。基本属性を真似るんじゃなくて、あくまで『影』を操るって考えれば、色々と使い道はありそうだ。
「ちなみに、闇魔術で再現できるのは闇と光から直接生まれたとされる基本属性のみ。光属性は勿論、基本属性の派生といわれる雷と氷属性も再現は不可能じゃ」
「なんで?」
「詳しい理由はわしも知らん。じゃが、一説には神が定めたルールに則っているらしい」
「ここにきて神様か……」
神様って単語が出ると、話が一気に胡散臭くなるのはどうしてだろうな。
「うむ。その神の名はヴァーミルといってな。この星に生命が誕生するより以前、世界が無限の闇に包まれていた頃、小さな光と共にこの世に現出したとされている存在じゃ」
あ、分かった。そのヴァーミルって神様、創世神っていうオチに違いない。
「無駄話になる故、詳しい説明は省くが、現代に伝わる魔術という概念はこのヴァーミルが生み出したものとされておる。――で、ここで光属性が絡んでくるわけじゃが、自らが光と共に生まれたということに因んで、ヴァーミルは光属性に己の神性を加えたのじゃ」
「へぇ」
光属性に神性を加えるとか、話がよくわかんない展開になってきたな。まぁ神様だから何でもありなのか?
「光属性が肉体の治癒などという他属性とは毛色の違う特性を有しているのはこの為じゃ。ちなみに、光属性自体に攻撃性能はないでな。攻威魔術として用いるには他属性と組み合わせて使わねばならん。ここ、覚えておくよーに!」
「ほほう」
相対した敵が光属性っぽい攻威魔術を使ってきたら、そいつは必然的に複数の属性持ちってことになるわけか。
光属性っぽい攻威魔術って、具体的にどういう感じになるのかよく分からんけど。
「光属性はともかく、闇属性は明確なイメージを描きにくいでの。故に、全属性の中で最も扱いが難しいと言われておるが、まぁ"ユキトなら"大丈夫じゃろ」
意味深な台詞を残すユメ。
まぁ、そこらへんは俺も同意なのだが。こちとら、そっち系の妄想には事欠かない国の出身だし。想像力でこの世界の住人に負ける気はしない。
内心で少しばかり闇属性に対する闘志を燃やしていたら、ふとチリチリとした視線を感じたので、その方向へ顔を向けてみると、そこには頬を膨らませてジト目を向けてくるティアがいた。
咄嗟に視線を逸らすが、目と目が合ってしまった感は否めない。
「……ユキトずるい」
でたー! この期に及んで嫉妬とかウケるんですけど。
俺の属性を教えてから随分経つのに、この手の話になると未だに機嫌が悪くなるとか。嫉妬厨かよ。
自分を見つめる視線の中に呆れの感情が含まれていることを悟ったのか、ティアはますます頬を膨らませて言う。
「ずるい」
「知らんがな」
「ユキトに魔術が下手になる呪いを掛けてやりたい」
「おい、やめろ馬鹿。この話題は早くも終了ですね」
ファンタジーな世界だし、呪いとか本当にありそうで怖い。
「具体的には魔力が暴発する呪いかな」
「やめて」
出来たてほやほやの黒歴史を躊躇なく抉ってくるスタイル、嫌いです。
「――ん?」
歓談の途中だったのだが、このボロ家に何かが近づいてくる気配に気付き、ふと件の方向に振り返ってしまった。
今は甲冑状態を解除しているのだが、それにも関わらず気配を察知できたのは、私生活の中でも魔流甲冑を維持していた影響なのかもしれない。以前に比べて空気の変化を察知する感覚が成長しているようだ。
そんな俺の様子に気付くことなく、ユメとティアは楽しげにくっちゃべっていたが、玄関の扉がノックされると同時にぴたりと静止した。
もう一度、今度は少し大きめのノックが聞こえたところで、ユメが警戒するように声を投げ掛ける。
「……何者じゃ?」
「急な訪問、大変失礼致します。私は魔術師協会ルグルフケレス支部長、アントニー・ツェルニケンと申します。本日はサイガ魔術従士にご相談があって参りました」
あのおっさんかよ。出来ればもう関わり合いたくなかったのに。
それはユメも同じだったのか、頭に疑問符を浮かべて俺の顔を見つめてくる。
どうやら例の王国の間諜とやらではないらしいが、魔術師協会の支部長が俺に何の用なんだかな。
「……厄介事の臭いがぷんぷんするぜ」
俺の呟きを耳にしたユメとティアの気の毒そうな眼差しが、心を抉る。
なんか、納得のいかない視線なんだが。