調子に乗ったバカ野郎
本格的な魔術の修行を始めてから三ヶ月と少しが経った。
魔流甲冑を覚えてから、魔術の修行は順調に進行している。
ユメ曰く、俺は魔力の扱いに関してはかなり筋が良いらしい。今回は三等白兵級に相当する攻威魔術を練習することになった。
うん、今日も実に天気が良い。気温も涼しく、過ごしやすい一日になりそうだ。
のんびりと空を漂う雲を見上げつつ、今日もユメを連れ立って湖畔で魔術の鍛錬を行うつもりでいたら、タイミングが良いのか悪いのか、ティアが遊びにやってきた。
「こんにちは。遊びに来たよ」
「おお、ティアか。よく来たのじゃ!」
馬に乗って駆け寄ってくるティアを見つけ、ユメが歓迎の意を示した。
寂しがりやなユメからすると頻繁に遊びに来るティアの存在は貴重なようで、こうして顔を見るたびに嬉しそうに顔を綻ばせる。
ていうか、ティアって結構な頻度で遊びにくるけど、家の事とかいいのか?
いやまぁ、家族からは不遇な扱いを受けてるらしいし、彼女がそれでいいなら俺も特に言うことはないんだけど。
「あれ? ユキト達はこれからどこかに出掛けちゃうの?」
「いや、そんなことないぞ。そこに見える湖畔で魔術の鍛錬をするだけだ」
「あ、そうなんだ。ふーん……」
これから魔術の鍛錬を始めることを教えると、ティアは何やら顎に手を当てて考え込む。
大方、俺との魔術の鍛錬に乗じて、ユメに教えを請う算段でも企てているのだろう。
何を言い出すか大体想像が付くあたり、彼女との仲も深まってきたということだろうか。
「ねぇユキト。その魔術の鍛錬、ボクも一緒に参加しちゃダメ?」
「ティアの思惑が透けて見えるが、俺は別に構わないぜ。何だかんだ言ってユメも甘くなってきてるし、今なら前みたいに拒否られることもないんじゃないか?」
「あはは……ありがと。ユキト」
果たしてその予想は正しかったらしい。ティアは図星を付かれたようで、少し恥ずかしそうに笑った。
ユメはそんな俺達の様子を傍で眺めながら、ニコニコと上機嫌な笑みを浮かべている。彼女の態度を見るに、ティアに魔術の指導をするのも吝かではないらしい。
最初に出会った頃の魔術関連に対する無碍も無い態度はどこへ行ったのやら。
頻繁に顔を合わせているうちに、すっかりティアの存在を受け入れてしまったようだ。チョロインか。
兎にも角にも、今日は飛び入りゲストを加えての鍛錬に変更だな。
馬を繋いだティアを迎え入れて、改めて湖畔に移動すること僅か数十秒。
木漏れ日溢れる畔で、俺とユメはそれぞれ専用となった切り株に座る。
ティアも空いている切り株に腰を下ろし、少々緊張した面持ちを見せた。
「さて、まずはいつもの通り、魔力を掌に集中させてみよ」
「わかった」
「はい」
体内で魔力が循環しているおかげで素早く魔力を練り上げることができた。
隣ではティアも同じように指示に従っている。別にティアが真似する必要はないと思うんだが……。
「次は掌に集めた魔力に属性の概念を加えるのじゃ。イメージせよ」
俺は意識を掌に集中させ、練り上げた素の魔力を雷の属性に変換するべく脳内のイメージを固めていく。
掌の魔力を冬場によくある静電気に置き換えて、それをどんどん溜めていく感覚だ。
大して苦も無く、手の周りから極々小さな紫電が迸り始める。パチリ、パチリと実に地味だが、無色透明の魔力という水が雷の色に染まった確かな手応えを得た。
こんな簡単なことで魔力が属性を帯びるからこその適正なんだろうな。
「ちょい魔力が少ないか?」
掌に集まっている魔力の量に物足りなさを感じて、俺はもう少しだけ魔力を追加する。
すると、属性変換済みの魔力を押し上げるようにして素の魔力が表出した。
何ていうか、魔力の層が出来ているみたいだ。属性変換済みの魔力に素の魔力を注ぎ足せば、後は勝手に混ざってくれるものと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。まるで水と油だな。
仕方ないので、素の魔力を新たに属性変換する。
そこまでして、ようやく掌の魔力が一つに纏まった。
「こんなもんか……ん?」
ふと気になってティアの方を見てみれば、彼女の掌に纏わりつくように小さな水流が生まれていた。
まるで水が彼女を慕い、生き生きと踊っているようだ。
漏れ出る魔力の波動がティアの長い金髪をふわりと揺らし、彼女に凛とした空気を纏わせている。
へぇ、結構綺麗じゃないか。水属性、やっぱ羨ましい。
「ユキト? こっちをじっと見てどうかしたのかい?」
「いや、綺麗だなって思ってさ」
「へぁっ!?」
何故か驚いて奇声をあげるティア。魔力の集中が乱れたのか、纏う水流が荒々しく不規則になり、慌てて修正する。
どうにか魔力を落ち着かせ、安堵した様子で息を吐いたのも束の間、眉を八の字にして睨んできた。
「ちょっとぉ! 変な事言ってボクの魔力を乱そうとしないでくれるかな!?」
「いや、俺としては素直な感想を述べただけなんだが」
「――ッ!!」
何やら顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。再び魔力が乱れ、涙目になって必死に修正を施し始める。
どうしよう、面白いぞこれ。ハマりそうだ。
ていうか、ティアの奴どうにも変な誤解してそうだな……まぁあながち勘違いってワケでもないし黙っておくか。
「これこれ、修行中のラブコメは禁止じゃぞ」
「ちょっちがっ――!?」
「では、変換した魔力を対象に飛ばしてみよ。弓を引き絞り、矢を放つイメージで放出するのじゃ」
ラブコメの意味は知らないはずだが、ユメの言いたい事は察したらしい。ティアが焦るように否定するが、ユメはそれを無視して指示を続ける。
哀れな。
「ほいっと。あの的に当ててみよ」
ユメが手頃な空間に軽く手を振ると、地面からニョキニョキと複数の木の枝が生えてきた。
そのまま絡み合うようにして一つに纏まり、人間を模ったところで動きを止めた。
ユメお手製の木人か。芸が細かい奴だ。
「ではティアよ、ユキトに手本を見せてやるがよいぞ」
「――もうっ!」
どこか恥じらっているというか、拗ねているというか。複雑な感情を声に乗せてティアが魔力を放つ。
水流となって手の周りを循環していた水が一塊の水球となり、主の意志を反映して高速で飛翔していく。
狙い過たず、弾丸となった水球は木人の股間に容赦無く炸裂した。
それなりに強力な一撃だったらしく、穿たれた股間が少しばかり砕けてささくれ立っている。
……。
えっなんでわざわざそこ狙ったの?
「……」
襲い来る無言のプレッシャー。
圧されているっ……この俺が……!?
にこっと意味深な笑みを向けてくるティアさん怖いです。よくよく見れば、目だけ笑ってないし。
ひ、ひえー。
「ユキト、おぬしの番じゃぞ」
「お、おう……」
ユメに乞われて、俺は微かに震える人差し指を向けた。
ターゲットである木人の頭に狙いを定め、引き絞った弦を解放するイメージで魔力を放出する。
刹那、指先から紫電が放たれた。
網膜を焼く閃光が空気を裂き、癇癪玉が破裂したような乾いた音を湖畔に響かせた。
唐突な轟音に吃驚したティアが自分の耳を慌てて押さえる。
木人に目を向ければ、まるで髪の毛が生えたように頭部が黒く焦げていた。
「少しの魔力でこの威力か。電流の強弱は変換した魔力の量に比例するのか? ふーむ」
これ、心臓付近に当てれば即死するレベル? 人間って1アンペアで死ぬって聞いた事があるんだが。
でも、アンペアなんて測りようがないし……。
まぁいいか、おいおい試していこう。色々と物騒な世界みたいだし、いずれ機会は訪れるだろうさ。
理想の非殺傷魔術を目指して、これからもっと研鑽を重ねなければ。
「うむうむ、二人とも良い感じなのじゃ。威力だけなら対人戦でも十分に通用するであろ。あとはどれだけ素早く属性変換した魔力を練れるかが鍵じゃの」
ユメが満足気に微笑みながら大様に頷く。
座った切り株の座面が高すぎて足をぷらぷらさせているので、師匠としての威厳は全くない。
色々と微笑ましいお師匠様だ。
「今日は掌に"集め終わった"魔力を変換してもらったが、こんなのは初歩の初歩じゃて。上手く出来たからといって調子に乗らぬようにの。いずれは魔力を掌集中させる作業と魔力の属性変換を同時にこなしてもらうのじゃ」
順々ではなく、同時か。一つ一つこなすのは楽になってきたが、同時となるとまた難しくなるんだろうな。
「さて、あとは反復練習じゃ。各自、好きなように鍛錬を積むがよいぞ」
そう言うや否や、ユメは異次元から本を取り出すと、その場で読書に勤しみ始めた。
どっから出したんだよとはツッコまない。
一緒に生活していくうちに、魔術に関するユメの出鱈目具合には慣れた。今更騒ぐのもみっともない。
俺は本に現を抜かすユメを放置して、ティアに視線を向ける。
「ティアは俺より早く魔術の修行を始めてるよな? 今はどれくらい進んでるんだ?」
「そうだね、魔力の集中と属性変換の同時進行はできるよ。ただ、集めた魔力を維持させるのが少し苦手でね。そこで詰まってるんだ」
「ほほー。それなら師匠に見て貰ったらどうだ? こう言っちゃなんだが、あいつ上手いぞ。俺も師匠のおかげでコツが掴めたくらいだからな」
俺がユメに匙を向けると、彼女の耳がぴくっと動いた。どうやらこっそり会話を聞いていたらしい。
しかし、自分から動こうとはしない。どこかそわそわと落ち着かない様子を見せながらも、視線は本に……あっ今チラッとティアに向いたぞ。
ユメの"構ってちゃん"オーラが半端無い。
俺とティアは互いに目を合わせると、何方からともなく小さく吹き出した。
「ネレイス様、魔力の維持が上手くできないのです。どうか見て頂けませんか?」
「んう? なんじゃ、そんなことも出来ぬのか? 仕方ない子じゃのぅ。どれ、わしがひとつ見てやるのじゃ」
「ご指導よろしくお願いします」
「うむ!」
ぴょこんと切り株から飛び降りたユメがティアの隣に移動する。
これからマスターとゲストのマンツーマンレッスンが始まるようなので、邪魔をしないように少し離れることにした。
メートル単位で大体20m程の距離を置き、俺も鍛錬を続ける。
実は少し試してみたいことがあったので、それを実践してみようと思う。
まずは魔力を集中、属性変換。この作業を維持できる限界まで繰り返す。
何回か繰り返すうちに、先程とは比較にならない規模の紫電が右手に纏わり付き、バチバチと危険な音を立て始めた。
「……まだだ」
さらに魔力を重ねると、魔力を保持することが徐々に困難になっていき、それに比例して掌で激しく暴れるようになった。
これはもう活きのいい魚を通り越して、エイリアンのベイビーが人間の腸から爆誕したレベルといえよう。
だが、まだまだ足りない。
俺は作業を再開する。
そこから何度同じ事を繰り返しただろうか。いつ掌から放散するとも分からないほどに魔力を溜めたところで、本当にもうこれ以上は維持できないという限界を迎えた。
さて、これでようやく実験に入れるな。
問題はここからだ。
最早、掌は紫電を纏うなどの表現では足りないほどの白光を纏っており、強烈な放電現象は見る者に寒気すら抱かせる。
ちょっぴり恐怖心が顔を出したが、それ以上の好奇心に押され、俺は未知の一歩を踏み出す決心を固めた。
実験の内容は、掌で暴れ狂う属性変換済みの魔力を"素の魔力の膜"で覆って強引に抑えつけるというものだ。
以降、この素の魔力の膜を魔力膜と呼称することにしよう。
今日の鍛錬で分かったことだが、素の魔力と属性変換済みの魔力は水と油のようなもので、両者は決して相容れることがない。
この特性を利用してみようと思う。
成功すれば維持できる魔力の総量が上がるはずだが、確証はなかった。
しかし、もしも俺の思惑通りだったとしたら。
限界まで練り上げた魔力を放出した時、果たしてどうなるのか。
興味は尽きない。
やっぱね、魔術とかそういうのって一種の浪漫だからね。色々と試してみたくなっちゃうのも仕方ないと思うんだよ。
っと、それはさておき。鬼門は魔力の制御を切り替える瞬間だな。これに失敗したら全てが水の泡、押し込めることに成功してまえばこちらのもの。
「いくぜ……」
直視できない程の猛々しい光を纏う掌。そのさらに上から魔力を被せる。
掌を覆った魔力を維持する形で、これまで保ってきた属性変換済みの魔力の制御を手放した。
両方維持するのは、今の俺にはまだ難しい。だから、まずは実験の第一段階として魔力膜の耐久度を調べようと思う。
「ぐっ……!」
爆発的な圧力が肉体的な負担として圧し掛かるが、魔力膜で強引に押し込めることに何とか成功した。
よし、成功だ!
さて、ここからは力尽くだな。
全神経を魔力膜の維持に注ぎ込み、後はひたすら掌に集めた魔力の属性変換を繰り返すだけ。考えなしのゴリ押しタイム。
おし! オラ、限界を超えるだ!!
1回、2回、3回、まだまだいけるぜ!
4回、5回、6回、もっともっと!
7回、8回、9回……うおっ!?
計9回に及ぶ属性変換を終えた時、ピシッと魔力膜に亀裂が奔った。
一度亀裂が入ってしまえば、それを止める術は無い。俺が何か対策を考えるより早く、魔力膜が崩壊していく。
罅の隙間から漏れ出た魔力が、雷の嵐と言い換えても差支えない凶悪な暴風となって周囲に吹き荒れた。
荒れ狂う紫電が縦横無尽に宙を引き裂き、大地を焦がして爪跡を残す。
俺の束縛から逃れた魔力は獲物を求めて暴走する雷の牙獣と化した。
あれ? ちょい待ち、これは少々マズイ気がしますよ。
予定では魔力を抑え切れなくなった時点で、そのまま霧散して消失するハズだったんだが。
どうにもそんな生易しく終わる雰囲気ではない。警鐘が鼓動と合わさって慌ただしくガンガンと脈打っている。
あー……これってもしかして、やっちまった系か?
俺はどうやら取り返しのつかないことをしてしまったらしい。
轟々と押し寄せる圧倒的な死の気配に、自分でも少し間抜けかなって思う現実逃避をしていたら。
亀裂から漏れ出た魔力の波動を感知したのだろう。ティアの指導に夢中になっていたユメが、この先二度とお目に掛かれないであろう程に狼狽した表情を張り付けて俺に振り返った。
しかし、連鎖する魔力崩壊はほんの僅かな時間の余裕すら許さない。
焦燥と不安に圧され、思考がゆっくりと凍り付いていく。
「――ユキトッ!!」
遠くで、ユメの悲痛な絶叫が響いた。