郷に入っては――
異世界に飛ばされて、ユメの家で厄介になってから二ヶ月余りが過ぎた。感想としてはあっという間と言う他にない。
この世界では元の世界と比べて、日々を生きていくのにかなりの労力を強いられる。
それこそ、暇を持て余すといった言葉が浮かばない程度には忙しい。恐らくは元の世界の何十倍も濃密な日常を過ごしているハズだ。
朝は日課である剣術の鍛錬をこなし、それが終われば、いつの間にか俺のベッドに潜り込んでいたユメを起こす。
俺が薪を割っている間にユメが朝食を作り、食事を終えれば食器を洗ったり衣服を洗濯する。当然、洗濯は手洗いだ。これがまた重労働で辛い。水も冷たいしな。
その後は庭で育てている作物の栽培や薬草の採取を手伝う。主に力仕事は俺の担当だ。
稀に薬草の種類について学んだり、採取した薬草を用いて簡単な薬の作り方を習ったりもする。
昼食の後は決まった時間に剣術と魔術の鍛錬を行い、それが終わればユメと一緒にお茶休憩を挟んで、この世界の文字を勉強する。
夕食を食べた後は自由時間だ。俺は軽く運動をこなしたり、魔導書で召喚する物のリストを作ったり。ユメは何やらスクロールっぽいものの製作に勤しんだり、読書に励んだり。
いざ就寝時間となれば、ここでも素直に床に就くなんてことはない。
どうにもユメは俺の高級ベッドの虜になってしまったらしく、寝入る前に意地でも潜入しようとしてくるのだ。そんなユメに俺の聖域を荒らさせまいと壮絶な攻防を繰り広げ、互いに疲れ切ったところでやっと就寝となる。
で、朝起きればいつの間にかベッドに潜んでいるユメに溜め息を吐くといった日々の繰り返しだ。
魔流甲冑の超感覚を掻い潜るとか、どういうからくりだよ。
休日は大体二週間に一度の割り合いだ。出来上がった薬品を都市に卸しに行くついでに、そのまま買い物や食事を楽しんだりする。
最早、召喚者と被召喚者、師匠と弟子という立場など関係ない。これだけ濃密な毎日を送っていれば、俺とユメの仲が急速に深まっていくのも頷けるというものだ。勿論、男女としての仲ではなく、家族愛的な意味合いで。
まだ二ヶ月しか経ってないのにも関わらず、既に一年以上連れ添っている気がするくらいには、ここでの生活は充実していた。
今となっては互いを大切なパートナーとして認め合いながら、日々を楽しく過ごしている……と思う。俺の思い上がりでなければの話だが。
時折、そこにティアが混ざったりもするのも良い刺激になっているのだろう。
それにしても、人間の順応性とは中々に優秀なもので、すっかり文明の利器から引き離された生活にも慣れてしまった。まぁいずれ召喚するけどな。
でも、トイレだけは未だに慣れない。せめて下水さえあれば。うぇっ。
まぁそれはさておき。現在、朝食を食べ終えて食器が片付けられたテーブルには俺を含めて3人の人間が座っている。
俺、ユメ、ティアの三人だ。
そう。かなり珍しい事に、今日に至ってはティアが朝食の場に居合わせている。
毎日顔を合わせているわけではないとはいえ、結構な頻度で遊びにくるティアと二ヶ月も一緒に過ごしていれば、ユメ程ではないにせよ、それなりに親しくなる――悲しい事に、俺達以外に友人と呼べる存在がいないのも大きい。
今では互いに遠慮も無くなり、自分で言うのも何だが、当初に比べて随分親しい間柄になったと思う。
それでも、普段のティアは昼食を食べ終えた頃に遊びにくるのが常であり、朝食を共にしたことはこれまで一度もなかった。
そんな彼女が何故この場にいるのか。
勿論、これにはちゃんとした理由がある。
今日は三人でアクィナス大森林に生息する魔物を狩りに赴く約束があるのだ。
「さて、食休みも済ませたし、そろそろ出発するとしようかのぅ」
「はい! 頑張ります!」
のんびりと気負いなく口を開いたユメに対し、ティアが少し緊張した面持ちで頷いた。
斯く言う俺も全く緊張していないかと問われれば嘘になる程度には心臓を高鳴らせている。
生まれて初めて、本物の武器を生物に対して振るうことになるのだ。緊張しない方がどうかしているだろう。
――事の発端は、読書に耽っていたユメが何気なく言い放った一言だった。
「そういえば、もうそろそろ繁殖期じゃったな。駆除しとかんとマズイのぅ」
「あ? 駆除って何を? 虫?」
「魔物じゃ」
「何だ魔物か……えっ魔物? そんなのいるなんて初耳なんだが」
「教えてないからの。というわけで、ユキトも一緒に来るよーに」
以上。
え? 軽い? 仕方ないだろ、事実なんだから。
で、何故に二ヶ月もの間、この世界に魔物がいることを知らなかったのかというと。
簡潔に述べれば、都市に出向く以外でユメの家から離れることがなかったからである。
都市に出向くにしても空中散歩であっという間だったし。
ユメも特に教えてくれなかったしな。
なんで教えてくれなかったんだって問えば「聞かれなかったからじゃ」とかのたまいやがった。
まぁそれはいいとして、魔物を殺すなんて嫌だと断ったところ、
「この世界を生きていくうえで、魔物は切っても切り離せない存在じゃて。この森にも生息しておるし、今のうちに慣れておかんと後で痛い目を見るやもしれぬからの。悪いが、おぬしの為にも今回は強制じゃ」
「……マジか」
「わしとしてもユキトを巻き込むのは心苦しいが、大マジなのじゃ」
という非常に有難いお言葉を頂き、本日晴れて魔物討伐に赴くことに相成ったというわけだ。
俺的にはこの森にも魔物が住んでいたことに驚いた。衝撃の事実だ。
やっぱりここは異世界なのだと改めて認識したのは言うまでもない。
回想はさておき。
各々が準備を整えていく中で、ガチガチに緊張したティアの様子を見たユメが苦笑する。
「そう硬くなるでない、ティアよ。魔物の駆除とはいえ、所詮はこの家の周囲に住まう雑魚を掃除するだけじゃて。出現する魔物も大半がゴブリンとウルフ、当たりを引いてオークとトロール、大当たりでスプリガンかオーガといった程度じゃ。油断は厳禁じゃが、適度に気を楽にせんとこの先もたぬぞ?」
「はい! 精一杯頑張ります!」
あっ駄目だこれ。全然話聞いてない。
「やれやれ……」
ユメが困ったように溜め息を吐いた。
しかしながら、俺も心情的にはティアの味方をしたいところだ。
いくらユメが同行するとはいえ、これは立派な殺し合い――いや、生存競争であることには変わりないのだから。
余談だが、関係のないティアが何故に今回の魔物駆除に同行するのかというと、それは彼女自身が申し出たからに他ならない。
遊びにきたティアが、
「ティア。俺達、しばらく家を留守にすることになった」
「えっどこか行くの?」
「ちょっと森に住む魔物を駆除してくる」
「それ、ボクも行きたい!」
と話に飛びついたのだ。
最初は「危険じゃから、同行は認められん」と却下していたユメだったが、粘り強く交渉するティアの熱意に根負けして、最終的には認める形となった。
ティアの強引さに若干引いていたのは致し方ない。
まぁそんなわけで、監督役にユメを置いて、俺は人生初の実戦経験を積むことになったのである。
俺は未だにまともな攻威魔術は使えないので、前衛という形で刀を振るうことになるだろう。
途中休憩を含めた1日10時間程度の見回りを1週間続けて、魔物は見つけ次第駆除していく方針だ。家の周囲を幾つかのブロックに分けて、なるべく広範囲を周回できるように計画を組んでいる。
尚、過去にユメが作った各所の中継地点で夜営する予定なので、家にはしばらく戻ってこない。
「それにしても、ティアが魔物と戦った経験がないってのは意外だな」
「魔物の死体なら見たことあるんだけどね。生きた魔物にはまだ出会ったことがないんだ」
意外にも、ティアも俺と同じく魔物と戦うのは今回が初めてらしい。1人で狩りとかするくらいだから、魔物との戦闘は経験しているものと思っていたが。
「今日は生まれて初めての実戦だからね。ネレイス様の足を引っ張らないようにしないと」
コートの下に装備した皮鎧を撫でなるティアは、普段とは異なるピリピリとした雰囲気を醸し出している。
ちなみに、彼女のスマートな皮鎧はサイズをピッタリ合わせた特注品らしい。流石はお貴族様。
「気合入れ過ぎて、空回りしないように気を付けるのじゃぞ?」
「はい! 精一杯頑張ります!」
「……心配じゃのぅ」
不安げに表情を歪めるユメの横で、俺は久々にルグルフケレスで購入してもらった外出用のコートに着替えると、腰に巻き付けた剣帯に刀を差して準備を整えた。
うん、しっくりくる。普段着よりもこっちの方が俺の性に合っているかもしれない。
いつもは町民Aみたいな地味な恰好してるから、ギャップが凄いといえば凄いかもな。服の質的な意味で。
「わあ……見違えたね、ユキト。まるで凄腕の剣士様みたいだ」
「ん、そうか? そう素直に褒められるとちょっと照れるな……」
ティアの純粋な賞賛に少しだけ顔に熱が篭った。容姿端麗な女子に褒められるのは、一人の男子として嬉しいものだ。
「2人とも準備は良いかの?」
ユメを見れば厳かな装飾が施されたチャコールグレイのローブを着用し、黒いケープを羽織っていた。見た目の幼さを除けば、如何にも本職の魔術師といった風情だ。
普段着ているダボッとしたものでもなければ、余所行き用の蒼柄ローブでもない、今まで見た中で最も"らしい"恰好をしている。
なんていうか、ファイアーエ○ブレムの魔道士みたいな感じ。
「ああ」
「大丈夫です」
気力は十分。既に準備は整っている。
「うむ。では行こうかの」
頷いたユメの指示に従って、俺達はアクィナス大森林に潜む魔物を駆除しに出発した。
◆◆◆――――――――――――――――――◆◆◆
「――へぇ、こいつがゴブリンか。何ていうか凄いな。随分と森の景色に同化してるっていうか……何あれ、もしかしてギリースーツ?」
家を出発して約6時間程だろうか。
ユメ曰く、魔術で整備したらしい魔物駆除専用の見回りコースを進んでいると、木々の隙間から飛び出してきたゴブリンと遭遇した。
数は5匹。体格は12~13歳の子供と同じくらいだ。
外見としてはファンタジー物の王道といえるだろう。緑の肌、額に生えた小さい角、剥き出しの犬歯という万人が連想するゴブリンその物だ。
しかし、身に付けている衣装が想像より遥かに厄介な代物だった。
動物の毛皮らしい腰巻、木の棍棒。ここまではいい。
だが、ゴブリンが被っている兜と纏っている外套。この2つが余りにも問題だ。
兜や外套には様々な木の葉や細かい木の枝が張り付けられており、まるで元の世界でいうギリースーツのような迷彩効果を発揮している。
これ、待ち伏せとかされて弓矢で一斉射されたら相当危険だぞ……。
今回は魔流甲冑特有の超感覚のおかげで奇襲される前に発見できたから良いものの、斥候の技能を持たない人間が見回るとなると、何かしら対策が必要になるのは間違いない。
「ゴブリンじゃな。まぁ雑魚じゃて、油断はしなければ負けはせんよ」
「……そうか? こいつら、結構練度高いと思うんだけど」
前衛として先頭に立ったせいで狙われているのだろうか。投げられてくる斧が鬱陶しい。
顔面に飛んできた投げ斧を首を傾けて避けつつ、続いて投げ込まれた2本目を抜刀した刀で弾きながら、ユメに疑問を返す。
通常なら一瞬で刃が欠けて使い物にならなくなってしまうところだが、ユメが事前に『形状保存の魔法』とやらで刀の強度を上げてくれたので何の問題もない。ちなみに効果は永続だそうだ。魔法って凄いね。
……いや、そんなことより、こいつら斧スキル高くないか?
それなりに距離が開いてるにも関わらず、結構正確に斧が飛んでくるんだが……。ユメは雑魚と言い切ったが、俺としては彼女の言を疑わざるを得ない。
また一本、投げ斧が眉間に飛んできた。やはりプロか。
「――燃えろ!」
「ィギャアアアァァッ!!」
殺意を滾らせた一声がゴブリンに向けられた数瞬後、俺の背後にいるティアの炎弾が飛翔して、進路を塞ぐように陣取っていた2匹のゴブリンを纏めて焼き殺した。
爆音が轟いた直後に肉の焼け焦げる臭いが漂ってきて、思わず顔を顰めてしまう。
仲間を失ったゴブリン達が動揺するように動きを止めた。
ティアの奴、戦うのは初めてだって言ってた割には全く躊躇しなかったな。
「ネレイス様! やりました!」
「これこれ。まだ3匹残っておるのじゃぞ、油断するでないというに」
「はい!」
ゴブリンを倒して興奮するティアをユメが窘める。
ティアの様子を見る限り、命のやり取りに対する恐怖はあっても、命を奪う事に対する忌避感はないようだ。
これも生まれ育った環境の違い故か。そこに情け容赦は一切存在しない。
さて、次は俺の番か……。
覚悟を決めて、一歩踏み出す。
俺の行動に気付いたゴブリン達が、慌てて鉈を構えて迎撃する態勢を取った。
魔流甲冑を会得してから約二ヶ月。最初こそ劇的に上昇した身体能力に振り回されたものの、鍛錬を重ねた今となってはそれこそ己の意思のままに肉体を操れる。
ゴブリン達との距離はメートル単位にして凡そ8m。
俺は大地を蹴るようにして一息に間合いを詰めると、最も手前にいたゴブリンに向けて刀を振り被る。
ゴブリンは眼で追う事すら出来なかったらしい。阿呆のようにポカンと口を開けて隙を晒していた。
俺はその首を遠慮なく刎ねようとして――
「……」
刃がゴブリンの首の皮に薄らと食い込んだところで、思わず刀の切っ先を止めていた。
ごめん、やっぱ無理だわこれ。
ユメ、助けて。
「キシャアッ!!」
「おっと……」
別の個体によって横合いから鉈が振り下ろされた。俺は首を落とそうとしたゴブリンから離れることでそれを回避する。
追撃してきた別の個体の横薙ぎを一歩後ろに下がることで避けると、ここでようやく我を取り戻した最初のゴブリンが手斧を持って襲い掛かってきた。
我武者羅に振り回される斧を体捌きだけで往なしつつ、時折、機を見ては刀を振るおうと試みるもやはり腕は動かない。
意図せず心がプレーキを踏んでしまうようだった。
「……」
手斧を持ったゴブリンが暴れている間に、別の2匹が三角形を作る形で俺を取り囲む。
奇声を混じりに繰り出される手斧の一撃を上半身を傾けることで避け、脇から放たれる突きを身を逸らして躱し、真後ろから振り上げられた鉈を背中に刀を回し、受け止めて流した。
死角からの攻撃も、魔流甲冑を纏った俺の前では何の意味も成さない。そもそも、この状態だと視覚情報に頼る必要すらないからな。
ゴブリン達は鉈や斧が全く当たらない事に苛立ち始めたらしく、その挙動がどんどん乱雑になっていく。
結果として、攻撃を捌くだけならさらに容易になった――まぁ俺としてはそんな意図は全くなかったんだけど。
鋭い音を伴って複数の斬撃が俺を攻め立てるものの、その凶刃が届くことはない。
「さて、どうしようか……」
必死に繰り返される攻撃を軽く捌きつつ、俺は思考を巡らせる。
このままゴブリン達の体力が切れるまで踊り続けるのも一つの選択肢といえるが、それでは後ろで控えているユメ達に申し訳ないし、却下だ。
ならば、どうする。
いや、考えるまでもない。さっさとこの手で殺せばいい。
しかし、どうしても魔物を"殺す"という決心が付けられないのは、俺の心の弱さ故か。
こうしてグダグダと悩んでいる間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
気付けば、こちらからは何もせずにただひたすらゴブリン達の攻撃を捌き続けるという、何とも無駄で意味のない大立回りが展開されていた。
ホントどうしようか。殺さなきゃ殺される世界とはいえ、自分で手を下すという事がこんなにも恐ろしいものだとは。
舐めてた。異世界生活舐めてたわ。
……最悪、ユメかティアに代わってもらうべきかな。
――少しばかりの焦燥が心の内で燻り始めた、その時。
ふわっと身体の脇を一陣の風が通り抜けたかと思えば、目の前で突然2匹のゴブリンの首が地面に落ちた。
首の根元から赤黒い血を噴出させて絶命するゴブリン達は、己の身に何が起こったのかも理解できなかったのだろう。呆けた顔で鼓動を止めている。
「……ユメか?」
横目で振り返るように背後を見やれば、案の定、ユメが厳しい顔付きで杖を構えていた。
どうやら、待たせ過ぎてしまったようだ。
「……」
ユメは険しい表情を顔面に張り付けたまま、無言で俺を見据える。
残された最後の1匹は、俺の"童貞"を捨てさせる為の生贄らしい。
ゴブリンもここに至って、敵対した相手が自分達より遥かに格上だと悟ったのだろう。その顔に恐怖の色を刻み、背を向けて逃走を図ろうとする。
その試みは、ユメの魔術によって両脚を切断されることによって無理矢理頓挫させられた。
不可視の刃に足を断ち切られたゴブリンは盛大に転んだ後、一瞬何が起こったのかわからずに呆然と己の脚を見つめた。そして、痛苦の絶叫をあげる。
「ギィヤアアァァ!!」
両脚を失っても尚、ゴブリンは両腕を使って、少しでも俺から離れようともがく。
人間の構造でいえば大腿動脈ごとすっぱり断たれているので、恐らくあと数分もすればこいつは死ぬだろう。だが、このゴブリンの生き汚さは、この世界を生きていくうえで大いに見習うべきかもしれない。
そんな事を考えていたら、再びそよ風が頬を凪いだ。
見れば、ゴブリンの両腕が半ばから切り落とされている。
ユメが達磨にする形で身動きを封じたようだ。
「ギャアァ……」
大量の血を失い、ゴブリンの大きな瞳から徐々に光が消えていく。
その様を漠然と眺めていた俺は、ここで初めて"魔物"と目を合わせた。
ゴブリンは恐怖と絶望に塗れた醜い顔を晒し、声は出なくとも、涙に濡れた双眸と諦観し切った態度で訴えてくる。
――殺してくれ、と。
次の瞬間、翻った俺の刀は躊躇無くその首を落としていた。
生々しい音を立てて、血溜まりの中に落ちた頭部がゆっくりと地面を転がっていく。
無様に地を這う魔物に対し、哀憐の情を抱いたわけでも、慈悲を与えようと考えたわけでもない。
ただ、"見ていられない"と思った瞬間、気付いたら刀が閃いていたのだ。
「……」
人間に似た生き物を殺した。その事実に吐き気や罪悪感を覚える事はなく、掌に残る感触だけが不快だった。
「ユキトや」
ゴブリン達が皆息絶えて、危険が無くなったと判断したらしいユメがティアを伴って近寄ってくる。
「それで良いのじゃ。この世界は基本的に弱肉強食の理で成り立っておる。殺すことを躊躇えば、己が死ぬだけじゃて」
わざわざ相手の四肢を切断して、そうするように仕向けた奴が何言ってやがる……。
俺は憤懣を込めて睨むが、ユメは少し傷付いたように眉を歪めただけで、決して目を逸らさなかった。
「……ちっ」
気まずくなって、俺の方から顔を背けてしまう。
「ユキト、大丈夫かい……?」
ティアが気遣わしげに尋ねてくるが、それは生き物を殺したことに対する配慮ではなく、単純に俺の様子がおかしいと思ったからだろう。
「ん、問題ないぞ」
「そう。それならいいんだけど……」
命を奪った相手が"人に仇なす"魔物だったおかげだろうか。思ったより心は乱れていない。これが人間であれば、どうなっていたか定かではないが。
……これ以上考えるのはよそう。意味もなければ意義もない。郷に入っては郷に従え、だ。
何れにせよ、一つの壁を乗り越えたことは間違いないのだから。
大丈夫、これからは問題なく殺れるはず。
「心配してくれて、ありがとな」
「うん……」
未だに心配そうな顔で見つめてくるティアに軽く笑いかけて、不安を拭ってやる。
「では、駆除を続けるとしようかの」
魔術でゴブリン達を土に埋めたユメがそう言い放つ。
気持ちを切り替えるべく、俺は両手で頬を叩くと、前を見据えて見回りを再開した。
「――ユメ」
「んぅ?」
「睨んで悪かった」
「気にする必要はないのじゃ」
ふにゃっと相好を崩すユメの頭を軽く撫でてやってから、先頭へ立った。
気合を入れ直そう。まだ、魔物駆除は始まったばかりなのだから。