プロローグA
私にとって、この世界は灰色ですらない無色だった。
権力を持つ人間は私を都合のいい兵器としか見ようとしない。
私と同じ立場にある人間は、私を妬み、嫉み、羨むことしかしない。
私より力が弱い者は、私を化け物と蔑み、恐れるだけ。
皆が皆、私を避ける。
必死に手を伸ばしても、誰もこの手を取ってはくれない。
どうして?
真っ直ぐ私を見てほしい。
一人の人間として扱ってほしい。
魔術の才能も先祖代々受け継いできた魔法の知識もいらない。こんなもの、私が望んだわけじゃない。
寂しい。辛い。苦しい。
でも、私に近づいてくるのは、欲の肥えた愚者ばかり。
私はただ、誰かと一緒に笑っていたいだけなのに。
そんな私の細やかな願いすら、永遠に叶わないものだと思っていた。
……あの日、彼に出会うまでは。
彼は何の前触れも無く、突然私の前に現れた。
言葉は通じない。
意思の疎通すら満足に行えない。
彼との間に繋がる物は何一つない。
確かなものは、彼の優しさと温もりだけ。
けど、私にとってはそれだけで十分だった。
彼は曇りのない真っ直ぐな瞳で私を見てくれたから。
彼は私を一人の人間として対等に扱ってくれたから。
嬉しかった。彼は私が求めてやまなかったものを全て与えてくれたのだ。
彼と一緒に暮らす日々は毎日が新鮮で、鮮烈で。
慣れ親しんだ我が家ですら、別物の空間に生まれ変わったように感じた。
私が彼の人柄に惹かれるまで、そう時間は掛からなかったと思う。
ある日、この世界を見て回りたいという彼の願いを受けて、二人で旅に出ることにした。
野を越え、山を越え、川を越え、海を越え。
彼と一緒に見た世界は、私が知る無色の世界とは違ってとても色鮮やかだった。
いつしか、世界を見て回りたいという彼の願いは私自身の願いに変わっていた。
私達は旅の途中で色んな人と出会った。
そして、出会った誰もが私を恐れず、気安く笑いかけてくれた。
私は戸惑った。
彼らが私に笑いかけてくれる理由が分からなかったから。
それに加えて、他人が私に対して素の笑顔を見せてくれるなんて、私の人生の中でも何時振りかすら思い出せないくらいに久々だったから、どう接すればいいのか忘れてしまっていた。
それでも、特に問題は起きなかった。何故なら、私が困っているとすぐに彼が助けてくれたから。
ただ、頭の中には常に疑問が付き纏う。
何故、皆が私に笑いかけてくれるのか、と。
彼が隣にいるから?
誰も私の正体を知らないから?
それとも魔術を使っている姿を見られていないから?
いや、どれも違う。
答えは、私が他人を恐れなくなったからだ。
過去、私の周りにいた人間が私の力を恐れていたのは事実だ。
でも、実際は。
彼ら以上に、私が周囲の人間を恐れていたのだ。
私から歩み寄らないで、歩み寄ってくれることを望むばかりだったから。
本当の私を見てほしいと願いつつ、誰にも本当の私を見せようとしなかったから。
だから、私は孤独だったのだ。
しかし、今は違う。
私の隣には、私の全てを受け入れてくれる彼がいる。
歩み寄ったからこそ、歩み寄ってくれた人達がいる。
嬉しい。楽しい。満たされている。
私はいつしかこの世界が大好きになっていた。
いつまでもこんな光に満ちた日々が続けばいいのに。
そんな風に思っても仕方ないくらい、毎日が幸福に包まれていた。
けれど、現実はとても無情で、残酷で。
幸せな日常ほど、呆気なく霧散するものなのだ。
ある年、私が生まれた育った国の皇帝が戦で死に、それを契機に大陸中の国家を巻き込んだ大戦争が勃発した。
血で血を洗う戦乱の日々が幕を開け、数え切れないほど多くの人間が死んだ。
止まない悲鳴と剣戟の不協和音が日常となり、殺戮と略奪と凌辱が横行した。
凄惨な殺し合いはいつまで経っても終わらず、戦争の過程で多くの国が滅び、世界中の文明が崩壊していった。
滅んだ国の中には、私と彼が旅の最中に立ち寄って、忘れられない思い出を作った国が幾つもあった。
悲しかった。許せなかった。
せっかく世界を好きになることが出来たのに、その結末がこれなんて。
納得できるはずがない。
しかし、この世の理不尽さに慟哭する私の意思とは無関係に、果てのない殺し合いは続いていく。
結果として、私の力を知る世界中の国が私の身柄を求め、私の力を恐れる世界中の国が私の死体を求めた。
世界中の悪意がどこまでも私を追ってきた。
だが、邪なる全てを彼が跳ね除けてくれた。
彼は強かった。私が魔術を教えてからはさらに強くなった。
それでも、彼は決して無敵ではなく。
度重なる戦いで限界が訪れたのは必然だった。
彼と出会った日から数えて5年。
彼は敵対国の工作部隊の襲撃から私を庇って死んだ。
私は彼を殺した人間達を一人残らず皆殺しにしてから、ひたすら考えた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
何がいけなかったのか。
そもそもの原因は何なのか。
そして、気付く。
全ては皇帝の死から始まったのだと。
既に起こってしまった事象を覆すことは不可能だ。
ならば、事が起こる前に覆せばいい。
私は辺境の森にある我が家に帰ると、特別な魔導書の製作に取り掛かった。
歴史を改変する為に。
悲劇を回避する為に。
最愛の彼を取り戻す為に。
ただ、歴史を改変するには、この世界の人間では無理だと私は結論付けていた。
彼のように"外"から来た人でないと、この盤上は引っ繰り返せない。
この世界と私に偏見を持たず、第三者の視点から物事を見つめて、判断してくれる人でなければ。
そうでないと、まともに話すら聞いて貰えないだろうから。
考えなければいけないこと、試さなくてはならないことが山ほどある。
この魔導書が完成するまでに、いったいどれ程の年月が必要になるのか想像も付かない。
それでも、必ずやり遂げる。たとえ何十年、何百年……何千年掛かろうとも。
私に全てをくれた彼の為に。
私の全てを捧げてでも、必ず。
……必ず。