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魔女の断罪

 湿っぽい、暗鬱とした階段を下る。周囲を照らすのは憲兵の掲げるランタンのみ。苔が生えていることもあり、足元の石段はいつ滑るかわからない。サイファーは慎重に、石段を降りていく。

 この石室は重罪人を収容するために、天然の洞窟を切り出して作ったとされている。これから会いに行く重罪人は「魔女」と呼ばれる……世界を敵に回して戦った一人の女、だがサイファーにとってはそれ以上の意味を持つ女性であった。

「十五分だ」

 短く、冷徹に告げられた。サイファーは弾かれたように鉄格子に飛びつき、「魔女」の姿を確認する。

 囚人服である白の貫頭衣に身を包んだ、サイファーより少し年上の女性が、椅子と寝台を兼用するのであろう板に座っていた。腰まである亜麻色の髪はまともな手入れなどされていないのだろう、かつて彼女が自慢していた頃とは比べ物にならないくらいみすぼらしく見える。目は落ちくぼみ、頬はやつれ、唇はカサカサに荒れている。それでも醜い、と感じさせないのは、彼女自身が元から持つ気品や美しさといったもののせいなのかもしれない。

「……ステラ」

 サイファーは女性の名を呼んだ。とても、懐かしい気がした。

「サイファー君……来てくれないかもって思った」

 呼応して、ゆっくりとステラがサイファーの方に顔を向けた。そして彼女はふっと笑みを浮かべた。表情は安堵に満ちていた。その顔が、サイファーの心を容赦なく抉る。

「お前が会いたいって言って会いに行かなかったこと、ねえだろ」

 抉られた傷を埋めようとぶっきらぼうに答えてみせるサイファー。だが、

「ふふ、そうだね」

 ステラは笑みを崩さない。それが、余計にサイファーの心を痛めた。

「なんでそんな顔してられるんだよ、ステラ……明日には死んじまうんだぞ!?」

 鉄格子を殴る。鈍い音とともに、拳に鈍痛が走った。あまりに無力だと思った、姉にも近いステラのためにできることは、サイファーが思いつく限り、何もなかった。

 ステラは、世界を敵に回してたった一人で戦った。そしてその結果、明日の処刑を待つ身となった。その理由はわからない、風の噂でもそれだけは決して口を割らなかったという。多分サイファーにも話してくれないだろうことは想像がついていた。ステラはこれを墓まで持っていくつもりだ……史上最悪とも揶揄される大罪人に墓など与えられるわけもないが。

「大丈夫だよ。わたしはサイファー君たちを置いて死んだりなんかしないから」

 やはり笑みをたたえたまま、ステラはそう返す。明日に迫った処刑の日にも恐れなど抱いていないようにも見える。

(死んだりしない……って、どういう意味だ?)

 サイファーはステラの言葉が引っかかる。死を前に錯乱しているか、気休めを言っているか、普通ならそんな印象を与えるような言葉。しかしステラが発したのはそのどちらでもないであろうことが言葉尻から受け取れる。そもそも、サイファーの知っているステラは嘘や気休めで人に偽りの安寧を与えるような人ではない。

 ――とすれば、嘘偽りのない事実?

(馬鹿な)

 いくらなんでも、とサイファーは思った。しかしステラは続ける。

「まだやることがあるから。こんなところじゃ、死ねないよ」

 表情はやわらかなまま。しかし彼女の瞳には決意の炎が灯っている。

 それを見てサイファーは確信する。

(……嘘偽りのない、本気なんだな)

 ステラは死なない。たとえ明日死んでも、いつの日か戻ってくるのだろう。

「じゃあステラ、一つ誓わせてくれねえか」

 サイファーはそう言いながら虚空から筒を取り出した。サイファーはこの筒を、爆炎筒と呼んでいた。

 爆炎筒を目の前に掲げた瞬間、今までずっと沈黙を保ちサイファーを監視していた憲兵が、狼狽しつつサイファーに槍を突きつけた。

「貴様……!」

「……道具(ガジェット)!?」

 ステラはぼんやりと筒に視線を移しながらそれが何であるかを言い当てた。

 道具。人の持つ強い思いから抽出された奇跡を、人々はそう呼んだ。そしてその奇跡は人々の間で崇められ……そしてステラの叛旗以降、忌み嫌われた。

「その道具を今すぐ納めろ、さもなくばお前も罪人としてここに投獄することになる!」

 サイファーは憲兵を横目に見ながら、もう十分だと言わんばかりに長銃から手を離す。と、筒はまるで砂のようにサラサラと崩れ去った。一瞬の後、そこにはもう何もない。

「次に会うことがあったなら……絶対に」

「時間だ」

 誓いは最後まで紡がれることはなかった。しかし誓いは伝わった、とサイファーは信じることにした。遮られた言葉にステラは驚きの表情を見せながらも頷いたのを、憲兵に連れられる間際に確認することができた。


 処刑場である建国広場は王都の中心部にある。そこから六条の大通りが伸び、それぞれ商業地区や居住区へとつながっている。もともと往来の激しい大通りは、今まさに人でごった返していた。

 そのほとんどは建国広場へと向かう民。おそらく、叛逆の魔女の姿を見物……そして石や罵詈雑言を投げつけるのだろう。そんな人々の流れに逆らい、サイファーはフードを深々と被り建国広場に背を向けて歩いていた。

 見たくなかった、というのが本音だ。

 日の高さを見るに、あと少しといったところか。教会の鐘が鳴る頃、ステラは火刑に処される。灰になるまで焼き尽くされ、その遺体は八つに分けられて別々の川に流される。死なない、死ねないとステラは言っていたし、サイファーもそれを信じることにした。

(ステラ……悪い)

 本来であればその様を目に焼き付けておくべきだったのかもしれない。だがそれを黙って見ていられるとも思えなかった。

 そんな心の言葉と同時、建国広場の方から地を揺るがすような歓声が上がった。それでもサイファーは振り向かない。そう決めた。

「あんたは見ないのかい。魔女の処刑」

 レーションを買い求めた露店の主が、訝しげにサイファーの顔をのぞき込んでくる。サイファーは肩をすくめながら、

「罪人の処刑なんて特に見て面白いもんでもねえしな」

 適当にあしらい、レーションと銅貨をやりとりする。

 と、教会の鐘が鳴った。

「お、始まったみてえだな」

 露店の主が、興味深そうに建国広場の方へと視線を向けた。呼応するかのように、建国広場から地を揺らすほどの歓声が上がった。

「あんたももったいねえな。こんな見世物、めったに見れねえぜ」

 見世物、という言葉にサイファーは過敏に反応する。腹の中になにか黒いものが渦巻くのがはっきりと分かる、今にでもこの露店の主を締めあげて、その発言を訂正させたい衝動に駆られる。その衝動に身を委ねることをしなかったのは、ステラへの誓いがあったからだ。

(次はステラを守ると誓ったんだ……次に会うまでは、こんなどうしようもないことで騒ぎなど)

 手では握りこぶしを握りつつ。しかし顔はなるべく平静を装う。

「さっきも言ったさ。罪人の公開処刑なんて、見てて面白いもんでもねえ」

(特に、見知った顔の火刑なんて、な)

 建国広場の方は見ない。受け取ったレーションをバックパックに押し込み、フードを深々とかぶって王都の出口へと足を向けた。

 もう、別れは済ませてきた。

 次に待っているのは……出会いだ。ステラとの再会。その日まで、必ず、この世界を見届ける。ステラが絶望し、叛旗を翻したこの世界を。

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