6.
ドアが激しく叩かれる音と、扉越しの人の声で目が覚めた。
寝ぼけ眼で窓を見やる。カーテン越しに朝日が差し込んでいた。
──あれ、ひょっとして俺ってば寝坊した?
ぼんやりと働かない頭で思って身を起こそうとして、それを妨げる重みで一気に意識がクリアになった。
いや姫さ……シンシアの寝顔が間近にあるとか心臓に大変よろしくないです。
おまけに彼女ときたら、十全の信頼を示すみたいに俺にぴったり寄り添ってくっついてて。昨夜の記憶が蘇ってほんわかしかけたところで、勢いよくドアが押し開けられた。
「火急につき失礼いたします!」
「姫さま、ハギトさんが……!」
飛び込んできたタマちゃんとナナちゃんが、そのまま「あ」と間抜けな声で固まった。
勿論俺も固まった。
なんというかもう、だらだらと冷や汗が滝流れする心地である。
いやだってお姫様の寝室に男が居るとか、しかも同衾してるとか、これはマズい。非常にマズい。状況的に夜這い以外の何物にも見えない。
「ハーギー?」
「……ハギトさん?」」
「待った。待って。違うんだ。とにかく誤解だ」
ずずいと詰め寄る二人に片手を突き出し釈明しようとしたところで、腕の中のシンシアがもぞもぞと動いた。ようやくにお目覚めのご様子で、やっぱこの人の眠りが浅いとか嘘だろう。
彼女は薄紫の瞳をぽけっと二三度瞬かせながら俺たちを見比べ、それで事態を把握したのか、見る見るうちに真っ赤になった。比喩抜きで湯気が出そうな感じだ。
「二人とも、勘違いをするな。ハギトに落ち度はない。これは、私の懇願した事だ」
当然ながらタマちゃんとナナちゃんのジト目がキツくなった。
いやあのですねシンシアさん。その言い方、勘繰ろうとするととても裏を勘ぐれちゃいますから。というか絶対まだ寝ぼけてるだろこの子。言い回しとタイミングが悪すぎる。
後々で聞いたところによると、二人がシンシアの寝室に押しかけてきたのは、俺が行方を晦ませたと勘違いたからだった。
朝早くに館にやってきたナナちゃんが玄関先に投げ出されてた俺の武装を発見。驚いて朝食の準備を整えていたタマちゃんに報告して二人で俺の部屋に行ってみたらばそこは蛻の殻で、大慌てで姫様の部屋にやって来た、という流れであったらしい。
毒龍の話が出た直後で俺が思いつめた顔してたってのもあって、二人とも咄嗟に俺がやらかしたと感じたそうである。
いやもうホントに、心配かけてごめんなさい。
はい。
まあなんというかそういう次第で、そりゃもうものすげぇ怒られました。
まず姫様に不埒を働こうとした狼藉者として説教されて、それから予想通り自殺行為に及ぼうとしていたという真相が明らかになって更に折檻されました。
ただ、これは口にはしなかったけど。不安にさせた側がこんな事言ったら絶対駄目なんだろうけど。そうやってかんかんになるくらい案じてくれる人がいて、俺はかなり嬉しかった。
ちなみにシンシアもタマちゃんにめっちゃ叱られてた。
「後でもう少しお話があります」とか言われて、珍しい事にしゅんと小さくなっていた。ひょっとしたらこのお屋敷最強って、タマちゃんなのかもしれない。
当然ながら朝から延々とそんな騒ぎを繰り広げていたお陰で、出仕の時間には大遅刻である。
それでもタマちゃんが「ちゃんとご飯は食べていってください!」と譲らないので、先にナナちゃんにひとっ走りしてもらって遅れを報せる形になった。
ナナちゃんには迷惑をかけてしまったのを反省しつつ、同時にやっぱり電話って物凄く便利なツールだったんだなあと再確認をした。
でもって俺がやらかしてしまったのはその後だ。
面会待ちの人に「あのシンシア様が遅れるとは、珍しいですな」と言われてついうっかり、
「いや昨日の夜、ちょっとあれこれありまして」
と何気なく答えてしまったのだ。
イグシュタット辺境伯のおっさんは顎を撫でながらふむふむ言っただけだったので、その時点では失策に気付かなかったのだけれども。
以降の人々が口々に、「形式よりも実が先行するのはままある事ですからな」とか「お気持ちは分かりますが、何事も程々が肝心ですぞ」とか「二人とも若いから仕方ないわねぇ」とか、したり顔で言うものだから流石に気づいた。
俺とシンシアがそういう関係になったって、完全に勘違いされている。いや一部勘違いではないのだけれども、あれくらいはまだ健全なお付き合いのうちのはずである。
だってのにあのおっさん、面白おかしく吹聴しやがったな。
そうやって悟ってしまって、「勘違いだ!」と取り乱したのが尚よくなかった。更に尾ひれがついて噂が広がった模様で、まさしく燎原の火の如しだ。この世界の偉い人は基本暇なのか。
でもシンシアのイメージの問題もあるだろうし、これは報告しないわけにはいかない。
面会やら書状の受け渡しやらが一段落した頃合に恐る恐るで言上したら、それに珍しくナナちゃんが割って入った。
「失礼ながら、ニーロ卿の発言がなくとも、斯様な噂は流れていたかと存じます」
言う口調はどことなく冷ややかだ。
ちなみにナナちゃん、シンシアに普通に喋るようにと要請されて鋭意努力中ではあるのだけれど、切り替えにはまだ不慣れな様子である。
「いやまたなんでさ?」
「どうして、そう思う?」
重なった問いに呆れたような息をついて、
「あのですね。ご自身ではお気づきではないようですが、お二方とも本日はずっと、お互いを意識し過ぎです。ちらちらと見過ぎです。大好き光線が出てました」
いやどんな光線だそれは。
ナナちゃんの言語センスには、時々ついていき兼ねる。
「……そんなに見ていたか?」
「はい」
「俺も?」
「ハギも!」
力強く断言されて、俺とシンシアは顔を見合わせる。それからなんだか照れてしまって揃って俯き、「ほら、また!」とナナちゃんに足を踏まれた。
そんなこんなを経て館に戻ると、今度はいつもの四人で会議である。
議題は「俺の今後について」。
要は毒龍アペーモシュにどう対応するかって話なのだけれども、どうも違った意味に聞こえるのは何故だろう。あともひとつ疑問を呈するならば、この状況は一体なんなのだろうか。
シンシアをテーブルの向こう正面に、俺は両隣をタマちゃんとナナちゃんに固められ、しかもそれぞれに腕をしっかり捕まえられていたりする。
いや感触的には嬉しいのだけども、昨晩シンシアとあんな事した直後であるからして、罪悪感が物凄い。
「えーと。あの、これは一体」
「私が許可をした。諦めろ。お前には私たちに平等に接する義務がある」
「そーですよ。ハギトさんはわたしたちにだって甘くするべきなんです。ねー、ナナさん」
流石にそこで「ねー」とは返せなかったのか、ナナちゃんは無言のまま、けれど同意の意思表示として一層に強く俺の腕を抱き込んだ。
これまでだったら「またからかわれてる」なんて流すところだったけど、それがひどく失礼な振る舞いだと身に染みたばかりだ。だけどするとその手の感情を、つまりその、厚意ならぬ好意を真正面から受け止めるって事になるわけで。
左肩はタマちゃんにもたれられ、右腕はナナちゃんに拘束されたまま、俺は逃げるに逃げれない自縄自縛に陥ってしまう。
シンシアは軽く笑って「多妻制の基本だ」なんて言ってるけれども、どうもちょっぴり拗ねている感触だ。あとで機嫌を取っておこうと思う。
「だがお前たちには誤解があるようだ。まずはそれは正しておこう。私とハギトは、別段男女の仲になったというわけではない」
「だろうと思っていました」
「存じてますよー。お召し物もそのままでしたしね」
言い訳めいたシンシアの否定に、あっさりと頷く二人である。あれ、じゃあなんで俺、今朝めっちゃ怒られたんですかね。
「でも、特別な関係にはなったんですよね?」
なんて油断したところにタマちゃんの抜き打ちが来た。
あ、ちょっとナナちゃん、的確に肋骨の上を肘でぐりぐりするのはやめてください。それ、わりと真面目に痛いです。
「……互いの気持ちを明確な言葉にした。それから、その」
多分無意識になのだろう。シンシアは自分の唇にそっと指を当てた。ぽおっとその頬が薔薇色に染まる。
「く、くちづけは交わした」
途端、タマちゃんは「きゃー!」と歓声を上げ、ナナちゃんは興味津々に身を乗り出した。
「姫さまからですか!? ハギトさんからですか!?」
「それぞれから、一回ずつだ」
「驚きました。ハギって基本的に臆病者だから」
「逃げ足ばっかり早いですからね、ハギトさん」
いや何もそんな馬鹿正直に回答しなくても。
というかこれ、俺が責められる流れなのか?
「し、紳士的な振る舞いと言って欲しいな」
ここらで介入しとかないと、洗いざらい白状させられそうな気配である。俺の恥ずかしい発言の数々がシンシアの口からだだ漏れになりそうな雰囲気である。
無理矢理に口を挟んだら、
「うんうん、ハギは紳士的だよね」
「非常に紳士的ですよねー」
あ、くそ。今ふたりで俺を馬鹿にしたろう。
「確かに、紳士的ではあるな」
おまけにそこへ、シンシアまで乗ったってきた。
そこはフォローするべきだろう裏切り者、という俺の視線を髪と一緒に軽く払って、
「正直なところを言えば、昨夜、私としては覚悟もしていた」
「何の覚悟をだよ!?」
「そんなもの、決まっているだろう。私は閨の作法に詳しくない。ああした場合は、お前が手を引いてくれなければ困る」
いや。
いやいやいやいや。
そんな「お前がちゃんとリードしろ」みたいな事言われましても、俺だって経験ないですから。全然経験なんてないですから!
というかもしかして「私から襲ったりはしない」ってのは、「俺から襲うのはあり」って意味だったのだろうか。
だけど流されて不安を誤魔化すみたいに、甘えて縋って逃げるみたいに、そういう大切な事をしたくなかったのは事実だ。正直ちょっと見栄を張りすぎたって後悔する気持ちがなくもないけど、でも。
爆弾発言に目を白黒させていたら、横合いから片頬をむにむにと引っ張られた。タマちゃんの仕業である。
最近はこの子の手を上げても平気なのだけれども、罪悪感があってやっぱりガードは不能のままだ。タマちゃんの気の済むまでむにられているしかない。
その逆側でナナちゃんが、「やっぱりハギって」と深く嘆息。
「ヘタレだよ」
「ヘタレです」
「ヘタレだな」
なんだこの異口同音の四面楚歌。
「完璧主義で潔癖性で、しかも見栄坊だから困る。あまりに女に、恥を見せるものではないぞ?」
ふん、と鼻を鳴らすシンシアだけれども、前半部分については、君にだけは言われたくない気がします。
「いいですか、ハギトさん。こっちだって結構不安なんですよ。だから勇気を出した時には、少しだけでも応えて欲しいと思います。いつも自信がないみたいな態度で逃げちゃうんですから」
こっちからは蒸し返しにくいんですよ、とタマちゃん。
仰る通りで、なんかもうごめんなさい。
「だけどその割に小まめに親切で思わせぶりに気が回るし、人が弱ってるところに必ずにつけ込んでくるし。タチが悪いと思うな」
とどめの舌鋒はナナちゃんである。
実はおふくろも親父の事を「特技は人の弱みにつけ込む事だった」なんて評していて、「なんだそれ物凄い悪党じゃないか」とか思っていたのだけれど、ひょっとしてあれはこういう意味だったのだろうか。
「あんなふうにされたり言われたりしたら、やっぱりもしかして、って思ったりしちゃうんだから。大体ハギは──」
「でもわたしは、ハギトさんのそんな不器用なところも好きですよ」
ナナちゃんの俺いじめが加速しようとしたところに、タマちゃんの華麗なハシゴ外しが炸裂した。「えっ!?」みたいな感じで、ナナちゃんは俺越しにタマちゃんを見る。
シンシアもちょっと驚いたような視線を送っていたけど、当のタマちゃんは涼しい顔で、
「と、こういう具合に女の争いを誘発しかねませんから、ハギトさんは自分の行動をよーく考えてくださいね?」
「すみませんでした。実は猛省中なんで、今後気をつけていこうと思います」
別に追従したわけじゃない。
丁度そこらを悔いている最中だっただけに、「勇気を出した時には、少しだけでも応えて欲しいと思います」ってタマちゃんの言葉が、ぐっさり胸に刺さったのだ。
俺は向こうから働きかけてもらって、それに一喜一憂していた。相手には行動を望むくせに、自分は鈍重に動こうとしないままだった。
好意を示すのは、すげなく拒まれた時を思えば誰だってちょっぴり怖い。
だからもし伝えてもらって嬉しかったなら、それを言葉にしなくちゃだ。言わなくても伝わる、なんて甘えてちゃ駄目なんだ。
あって当然のように思える日常が、いつ何時失われてしまうか分からない。
だからすぐ傍の大事なものに、決して狎れてはならない。
多分一期一会って言葉は、そういう意味なのじゃないかって思う。
「あとさ」
「はい?」
「俺も、タマちゃんの事好きだよ」
「にゃっ!?」
特に昨日の一件で、はっきり言葉にしてもらえると凄く嬉しいってのは骨身に染みた。
「いつも気を回してくれて、時々自分が泥をかぶったりするところとか。あと色々言ってからちょっと恥ずかしくなって照れ隠しに悪ぶったりしちゃうようなとこ、可愛いと思う」
というわけで早速実践したのだけども、「好きって、可愛いって……!」とリピートした後、タマちゃんは顔を覆って背中を向けて丸くなってしまった。
おや?
「悪化したというべきか、進化したとするべきか。判断に悩むな」
「僕は悪化で間違いないと思います」
通じ合った目でシンシアと言い交わすと、ナナちゃんは俺の脇腹へのぐりぐりを再開する。
「俺変な事言ってないだろ! シンシアだって昨日、ちゃんと口に出すのはいい事だって」
「馬鹿め。自分の行動を考えろとも言われたばかりだろう。時と場合を選択しろ。睦言は、二人だけで囁くべきだ」
ばっさりと切り捨てて、それからシンシアは静聴を求めて二度ほど手を打った。
「少々、前座が長くなった。私たちが今協議すべきはかの毒龍に関してだ。そしてこれについてはひとつ、私に腹案がある」
言葉を切って一同を見回し、シンシアはいつもの不敵めいた笑みを口元に湛える。
「ハギトには、英雄になってもらおう」




