1.
俺が一手を指したら、む、と向かいの姫様が唸った。
数手前の駒が妙手として効いてきたのだ。
アンリの一件が引き起こした波紋もようやくに収まり、ついでに俺の怪我もすっかり癒えて、俺と姫様は昼食の食休みをのんびり対局して過ごしていたりする。
以前「王様は基本お神輿」みたいな話をされた通りで、大事が済みさえすれば姫様の役割は激減して、わりに余暇ができるものらしい。
そんな官僚任せの業務形態でも王族って存在が形骸化しないのは、やっぱり魔法が血筋で伝わるからなのだろう。
ライフラインを維持するものであるから魔法の資質を備えた人はそれだけで一目置かれるし、その為に血統を重視する社会システムだから、偉い人ほど強い資質を持つようになってる。
結果としてお神輿はお神輿でも、確実にご利益があるお神輿として安定してるわけだ。
でもって現在のその偉い人のトップである姫様は、王権代行なるご身分に就かれたらしい。これまた前に聞いた通りで、アンリの娘さんが成長するまでの空白期間の補佐役である。
なのでもう「姫様」じゃなくて、もっと立場に相応しい尊称でお呼びすべきかとも思うのだけども、今更呼び方を変えるのもなんか妙な気がして、その事案は俺の中で棚上げされたままだ。ナナちゃん辺りにまた「無礼だ! 不敬だ!」と叱られたら改めよう。
というか俺が姫様に敬語抜きで話してるのを見つけたら、絶対ぎゃあぎゃあ怒るだろうなあ、あの子。
……なんて物思いに耽っていられるくらい、姫様は盤面を睨んで長考中だ。
余程にいい手を指せたようで結構嬉しい。
日本に居た頃は駒の動かし方くらいしか知らなかった将棋だけども、このところ連日のように姫様のお相手をしているうちに、だんだんその面白みが分かってきた気がしてる。
きちっと定められた枠の中で、集中して純粋な思考錯誤を繰り返すってのはなかなかに楽しい。
だからってわけでもないだろうけど、最近「ここをああしたいんだな」とか「ああしてここへ着地したいんだな」みたいに、姫様の手筋が見えたり読めたりする事がある。
「無くて七癖」とはよく言ったもので、人間色んなところにその個性が出るものなのだ。
その極端な例を挙げるならうちの兄貴である。
あの馬鹿兄貴はじゃんけんに妙な拘りを持っていて、最初に出す手は必ずグーなのだ。曰く「小賢しく考えた上で負けると悔しいだろ。だから最初は気合のグーだ」。
俺や杏子に配慮して譲ってくれてるのかと思った時期もあったのだけれど、どうも違うらしい。あれはもう、ぶっちゃけ奇行の領域だ。
こうまで分かりやすくもないけれど、やっぱり姫様の戦術にも好悪がある。駒得になろうとも自軍の被害を避ける傾向にあってあまり無理押しをしてこない、なんてのがその一例だ。
以前からそういう好みは把握していたのだけども、アンリの一件以来、何故か奇妙にそれがよく見えて、結構いい勝負ができるようになった。いやまあ「いい勝負」なんて格好をつけたところで、実は飛車角金銀落としの対局であったりする。地力はやっぱり遠く及ばない。
「随分と、戦況の構築が巧みになったな」
「だとしたら、それもシ……姫様のお陰かな。『場面場面に対応するのではなく、自ら局面を作り上げろ』ってアレ、かなり意識して参考にしてるから。やりたい事を念頭に組み立ててくってのが、最近分かってきた気がしてる」
「そうか」
姫様は少しだけ得意そうに形のいい頤を撫で、それからぴしりと次の手を指した。
それは予想通りだったので素早く受けて返したのだけども、その次の駒が思わぬ位置に来た。
あ、あれ?
「だが、」
狼狽して先を考える俺を楽しげに見守りながら、姫様が呟く。
「まだまだ不慣れだな。今度は自分の『こうしたい』に囚われている。方向性を明確に定めた分、自分の思考と見解に固執するしてしまっているな」
こんにゃろと応じた手はぴしぴしと打ち崩されて、そこからたちまちに詰まされてしまった。
むう。あの長考でここまで読んでたって事だろうか。
「お前の長所は柔軟性、しなやかな強さにあると思う。それを失くしては勿体無いぞ」
参りました、の俺の声に微笑むと、姫様は盤越しに手を伸ばして俺の頭を撫でた。
「まあ、そう不貞腐れるな。私もそろそろ、駒を増やさせてもらわないと厳しくなってきた。その伸びは頼もしい限りだよ」
途中まで押してる感じだっただけに、悔しさが顔に出ていたのだろう。そんなフォローめいた事までを言う。
大変先達っぽい台詞だけど、いやあの、姫様に将棋教えたのって俺ですからね?
さて。
若干の無念は残るものの、俺はこれからタマちゃんの授業を受けねばならない。姫様もナナちゃんと、なんか新しい護衛集団の設立草案を練るとかで、将棋はここまででお開きである。
盤と駒を片付けて立ち上がった姫様を、
「あ、ちょっと待って」
思い出して俺は呼び止めた。
ついつい熱中してしまったけども、今日はひとつ打診しておく用件があったのだ。
「どうした?」
「ちょっとお願いしたい事がありまして」
そのまま立ち話でもいいような短い話だったのだけれど、そう告げる前に姫様は引き返してきて腰掛けてしまった。しかもわざわざ椅子を動かして、さっきまでの向かいにじゃなく俺の隣にである。
……いや話しやすいんだか話しにくいんだか。
俺は卓に片腕を乗せて、上体を捻るようにして姫様と向かい合う。
「ほら、お給料もらっただろ」
「ああ」
正規雇用してもらった直後に大怪我しちゃったんで、なんか全然働いた気はしてないのだけども、もらっちゃったんである。しかも見舞金と報奨金がプラスされてた。逆に申し訳ない感じだ。
「あれを使ってこう、ぱーっと俺の快気祝いをやろうかと思うんだ」
自分で自分のお祝いを企画しちゃうとかなんか寂しい子みたいであるけども、実はもう公には祝ってもらったりしてる。後遺症もなく傷が癒えたのが確認された後、パレードと晩餐会を催されたりしたんである。
パレードの方は姫様と一緒にオープンカー仕様の馬車で練り歩くハメになった。晒し者である。というかどうせ群衆は皆姫様を見に来てるわけだから、晒し者の上に添え物である。あとなんでだかめっちゃ竹とんぼが飛んでた。
一方晩餐会は、よく知らない立派そうな人とか偉そうな人とか身分高そうな人たちとひたすら挨拶と当たり障りのない会話を続ける数時間の耐久レースときたもんだ。
どっちもまるで祝われた気のしない、なんとも素敵な行事であった。
まあこれも姫様の飾り物、病魔としての給料のうちだと言われてしまえば仕方ない。居心地悪かったけど我慢をした。そしてお陰で素敵なものを見た。
馬に跨る重装騎士である。
馬といえばこちらでは例の爬虫類どもなのだけど、その鎧騎士が乗ってたのは姫様んちの厩舎にはいないヤツだった。特徴は突撃槍みたいな三本角に、たてがみめいた襟巻き状の頭骨。つまりトリケラトプスのミニサイズである。
「おお、あれかっけぇ!」と感動していたら、
「買ってやりたいところだが、うちで飼うには少々手がかかりすぎるな」
どうやら他のと違ってかなり食べる馬らしい。気性も荒いらしくて、人死にが出る事もあるそうな。まあそりゃミニサイズでも恐竜だしあの角だしなあ……って違うんです姫様。別におねだりしたとかそういうんじゃないんです。
いやちょっと関係のない嫌な事まで思い出してしまったけども、そんな快気祝いの験直しに、本当にお世話になってる人たち集めて豪勢に奢っちまおうか、って寸法である。
「仲いい人だけに声かけてメシでもって考えてるんだけど、それにここの庭を使わせてもらえないかな? それからできたら、姫様も出席してくれると嬉しいんだけど……駄目?」
一応おっちゃんら辺りにまで声をかけるつもりでいる。でもそれだとやっぱ、姫様には猥雑過ぎるだろうか。
危惧しつつで言ったのだけれど、無意識なのだろうか、姫様は卓上の俺の人差し指と薬指を、それぞれ左右の手でつまんで上げたり下げたりして遊んでいる。あの、話聞いてますかお嬢さん。
「……」
「……」
手持ち無沙汰なので姫様に使われてない方の指先に、くるくる髪を絡めたり、ほどいたり。
そんな仕業をしながら待っていたら、ようやく姫様が促す沈黙に気が付いた。
「そ、そうだな。場所を使うのに関しては何の問題もない。参加についてだが、私の体が空く折でよければ、そしてお前が私をエスコートするというなら、考えておく」
「当日はあちこちうろつく事になると思うから随時は無理かもだけど、できるだけシ……姫様の周りにいるようにするよ。それでどうかな?」
「ああ、うん。まあいいだろう」
姫様が首肯してくれたので一安心だ。というかここで許可が得られなかったら計画段階で蹴躓くとこだった。
料理が絡む事だからタマちゃんにはもう打ち合わせ済みである。快気祝いと言いつつ心配かけたお詫びとお礼を兼ねての事なのにひと働きしてもらうのは気が引けるけど、でも俺一人では絶対に美味しい食事が提供できないので致し方ない。
ちなみに「ハギトさんの快気祝いですから、わたしが腕を振るうのは当然ですよ」なんて頼もしいお言葉を頂戴している。
「ところで」
あとはじゃあ姫様の空き日程が決まり次第でナナちゃんやノノ、おっちゃんらなんかに声をかけて、などと思っていたら、そこに姫様の声が割り込んだ。
「ところで、お前は随分と私の髪が気に入りだな」
「……? うわっ!?」
気づいたら全然意図しないままに、姫様の髪を弄りまわしてた。その長い髪の先っぽに指を絡めて遊ばせていた。いや一体全体何しでかしてるんだよ俺。
「ごめんなさい。姫様の髪、凄い手触りいいんで、つい。あ、処刑とかは勘弁してください」
「するか、馬鹿め」
苦笑して返して、そこで姫様は悪戯を思いついた子供の目をした。
すっと顔を近づけて蠱惑的に微笑んで、
「──別に、髪以外を触っても構わないのだぞ?」
次いで自分の髪を少し束ねて手に取って、その毛先で俺の喉元をくすぐってくる。
これまでだったら狼狽えて取り乱しすところだけども、手筋が分かってきたのは何も盤面に限ってじゃない。
「じゃあ遠慮なく」
「え?」
言うなり俺は、いやらしく手を握ったり開いたり。
そのままゆっくりと姫様の胸元に両手を伸ばす素振りをして見せたらば、姫様は一瞬の間の後、「きゃっ!?」と大変可愛らしい悲鳴を上げて、自分を抱きしめるような格好で身を守った。
それからしてやったりな笑みの俺に気づいて、真っ赤な顔で涙目になる。
「た、謀ったな!」
「自分の『こうしたい』に囚われてるから、対応の柔軟性を欠くんだぜ?」
しれっと応じると姫様は憮然として、
「最近のお前は可愛くないっ」
つんと拗ねてそっぽを向いた。なんだか将棋の負けを取り返した気分である。
というか姫様あのですね、そもそも男は「可愛い」なんて言われて喜ばないですから。




