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病は君から  作者: 鵜狩三善
ニーズホッグ
66/104

17.

「アンリ、お前!」

「へぇ。姉さんも血相を変えたりするんだね。そんな必死な顔、初めて見るよ」


 冷たい声音で言い放ち、そしてアンリは天使のように笑う。


「ところで何を慌ててるんだい? ご自慢のペットが手もなく転がった事にかい? それともこの剣が発雷の呪紋を仕込んだ魔符になってた事にかな? うん、弟思いの姉さんだもの、きっと後の方にに決まってるよね。ご想像通り、これは僕のお手製だよ。僕だってアンデール王家直系なんだ。この程度の術式を組むのは造作もないさ。ああ、もし発覚したら大変な事になるって案じてるんだね? 大丈夫。大丈夫さ。法王府に追われるくらいなんて事ないよ」


 俺の喉元に片手で突きつけたまま、アンリは饒舌に(さえず)る。

 そうして神経質に前髪をいじり、その手の下で蛇のように姫様を睨んだ。


「そうさ。追われるからなんだよ。それくらいなんだってんだよ。構うものか。僕にはもうないんだ。この後もこの先も、僕にはもう何もないんだ! お前が、お前らが! 僕から全部奪ったんだから!」


 まくし立てられる恨み言を聞きながら、ようやく俺は自分の身に起こった事を把握する。

 やはりアンリのあの細剣には魔法が仕込んであったのだ。それはスタンガンみたいな機能を発揮して、俺は手もなくびりっとやられてしまったものらしい。

 まあよく考えりゃそうだよな。そりゃああるよな、マジックウェポン。禁じられてるって話は聞いたけど、作れないとは一言も言われてないし。

 しかもこれ、相当強烈な効能だ。辛うじて意識はあるし瞬きや呼吸くらいはできるけど、手足はぴくりとも動かない。ゲームでいうところの「麻痺」ってこんな感じなのだろう。

 くそ、勇んで姫様を助けに来ってのに、すっかりただの足でまといだ。

 悔しさに唇でも噛みたいところだけれど、今の俺にはそれすらも叶わない。


「姉さん、姉さんは昔からそうだったよね。いつも僕から全部を奪うんだ。奪っておいてその後に、親切ごかして慰めるんだ。上から目線で見下すんだ。いつだって僕の先回りをして、何でも分かったみたいな口を叩いて。気持ち悪いんだよ。鬱陶しいんだよ!」


 ぶつけられた言葉に身を強張らせ、姫様はゆっくりと瞬きをする。

 それから鼓舞するように自分の肘をぎゅっと握って、


「私は、一度だってお前から奪ったつもりはない。お前の行動に口を出したのは認めるが、それがお前の為に──」

「はあ!? 『お前の為』? 『お前の為』だ!? 押し付けがましいんだよ! 恩着せがましいんだよ! そんなの姉さんの考えた姉さんの為じゃないか。それがどうして僕の為になるんだよ! いつでも姉さんはそうだ。いつだって姉さんはそうだ。してやったしてやったしてやったしてやったしてやった! やる事なす事先回りしてお膳立てして、僕はお前の手のひらでしか生きられないとでも思ってるのかよ。なんでだよ。なんでお前が僕の姉なんだ。なんでお前みたいなのが、僕の姉さんなんだよ!」


 絞り出された声に返されたそれは、どうしようもない決裂の宣告だった。

 それでも姫様は、いつも通りに凛と背筋を伸ばしたままでいたけれど。でもそこにあるのは脆さと儚さばかりで、あとほんの少しでも力がかかれば、容易く砕けてしまいそうに見えた。


 いやこっちは魔法の才能最優先の社会みたいだから、アンリのそれは俺が憶測するよりもずっと強い、血を吐くほどの感情なのかもしれない。

 だけど、お前随分と自分には責任がないみたいに言うじゃないか。

 なんだそれ。なんなんだそれ。

 結局のところさっきからお前が口にしてるのは、全部が全部逃げ口上じゃないか。そんなの姫様の知った事じゃない。お前の矮小(わいしょう)な妬みを、姫様に押しつけてんじゃねぇよ。


 そんな事を思う俺は、相当に憎々しげな顔をしていたのだろう。

 言うだけ言って荒い息をついていたアンリは、俺と目を合わせるなりで脇腹を激しく蹴ってきた。

 いや目の端で捉えたこいつのモーションと視界が揺れたのとで打擲(ちょうちゃく)されたのだと分かったけれど、鎧に守られているとはいえ全然自覚できる痛みがない。これはやばい。ひょっとして後遺症とか滅茶苦茶残ったりするんじゃあるまいな。


「ひとつ教えておいてやるけどな。お前、半日はそのままだ。諦めろよ。生殺与奪は僕に握られてるって理解して、精々機嫌を損ねないようにしてろ。お前はロイドを始末してきてくれたみたいだからな。それに免じて、そうすれば少しだけ長生きさせてやる」


 姫様の制止を無視して更に数回俺を蹴飛ばし、それからアンリは右肩の傷に靴底を押し当て囁いた。

 その言いで、ひとつ知れた。

 こいつは決して馬鹿じゃない。ロイドが自分を裏切ろうとしてるのをちゃんと把握していた。ロイドが今夜でアンリを切り捨てようとしていたのと同様に、アンリもロイドを切り捨てるつもりだったのだ。

 なるほど、それでその剣かと納得もした。

 姫様の命を狙うだけなら、もっと分かりやすく殺傷力が高いもの方がいいはずだ。なのに殺傷能力じゃなくて、行動不能にする方に重きを置いたみたいなこの魔法の選択。これは多分、ロイドの鎧対策だったのだろう。

 あの衝撃は俺の剣を伝ってやって来たわけで、おそらく金属鎧に対しても同様の効果を発揮したはずだ。そうして動きを止めてしまえば、細剣で突き殺すのは難しい仕業じゃないだろう。

 しかしするとこの主従、お互いにお互いの寝首を掻く算段で暗殺に来てたって話になるわけで。後先どころか救いの欠片もありゃしないな。


「やめろ! お前が憎むのは私だろう。私だけだろう! ハギトは関係ないはずだ!」


 痛覚も何も麻痺しているから全然痛くないのだけれど、傷口を踏みにじる行為を見かねたのだろう。姫様が焦れるように叫ぶ。

 それで、アンリの意識がまたそちらへと向いた。


「『やめろ』だって? 違うだろう、姉さん。 姉さんは頼む側だ。僕に懇願する側だ。それならお願いの仕方ってのがあるはずだよね? ほら、(ぬか)づきなよ。這いつくばって懇願しなよ。『お願いします、やめてください』ってさ」


 姫様は。


「お願いします。ハギトをこれ以上傷つけないでください。ハギトの手当てをさせてください」


 ほんの一瞬も躊躇(ちゅうちょ)なんてしなかった。

 なんの迷いもなくその場ですとんと膝を突いて、絨毯の毛足に埋めるように額を擦りつける。その手早さにアンリは一瞬呆気にとられ、それから乾いた響きで大笑する。

 

「気分がいいな。今まで生きてきて、一番気分がいい」


 人生の絶頂とでも言わんばかりの表情で呟きながら近寄って、アンリは姫様の頭を上から踏みつけた。そんな真似をされているのに、姫様は微動だにしなかった。ただされるがままになりながら、「お願いします」と繰り返す。

 なんでだよ。

 なんで俺なんかの為に、そんな必死になってるんだよ。姫様はなんだってできる人だろ。俺を切り捨てればこんな状況、簡単に打破できるはずだろ。 なのに、なんでだよ。

 叫びたいのに、俺の喉はわずかな音を鳴らすばかりで役に立たない。

 見ているしかできない自分が歯痒くて、俺は姫様の胸中を思うとたまらなくて、ぼろぼろと涙が出た。


「もういいよ、姉さん。顔を上げて」


 侮辱的な行為に満足がいったのか、やがてアンリがそう告げる。

 その面持ちはこれ以上ないくらい幸福そうに歪んでいたけれど、姫様への警戒は怠らないようだった。一足飛びに俺のところへと飛び退(すさ)って、油断なくまた剣を押し当てる。


「では、ハギトを」

「嫌だね」


 だが続くアンリの台詞に、ほっと緩めかけた姫様の表情が凍りついた。


「僕は姉さんに、僕の嫌な事をされたんだ。され続けてきたんだ。だから姉さんの望む通りになんてしてやるものか。姉さんのお願いなんて、ひとつだって聞いてやるものか。──はは、また初めて見る顔だな、姉さん。絶望でもしたかい? でも当然だろう? 僕から奪い続けてきたんだ。なら、僕に奪われるのは当然だろう? こいつの次は姉さんのお気に入りのあの女、あの料理番の女だ。その次はク族だ。あの近衛とその一族だ。姉さんの大事なものは、姉さんの大切なものは、全部、全部、全部全部全部ぶっ壊してやる。何もかもなくしてやる」


「頭に血が昇る」なんて表現がある。言い得て妙な言葉だと思う。かっとなった時の感覚ってのは、まさにそんな具合だ。

 でも本当に怒り心頭になると、逆に冷え切ったみたいに思考がしんと静まるものなんだな。

 俺は知ってる。

 タマちゃんがどれくらい努力してるか。ナナちゃんがどれくらい背伸びしてるか。姫様がふたりの事を、どれくらい気にかけてるのかを。

 そういう人たちの頑張りをこいつは足蹴(あしげ)にすると言ってのけていて、しかもその為のとば口として利用されてるのは、よりにもよって俺なのだ。

 自分の無力が悔しくて悔しくて、思わずで拳を握る。

 ……ん、あれ?


「それにしてもこいつを随分気にかけるんだな。ひょっとして惚れてたりとかするのかい? まさか、こんな冴えない使い魔に? いやお似合いかもしれないね。出来損ないは出来損ない同士、ゴミはゴミ同士で(つが)うのがお似合いだ」


 気づかれてしまえばそれまでだから、俺は必死に姫様を見た。ほんの一瞬だけ、俺たちの視線が交錯する。果たして、それで通じた感触があった。

 それにしても、と、心の中でため息をつく。

 俺に秘められた力とか伝説のナントカカントカとか、そんな物凄い性能があればよかった。そうすればここから格好よく大逆転できたのに。

 でも残念ながら、俺にそんな便利で都合のいいものはない。一切備わってない。

 だから。


「──え?」


 わずかに身を起こして喉元の切っ先を外すと、俺はグローブを外しておいた左手で、アンリの右手首を掴んだ。

 さっき無念さに拳を握らなかったら気付かなかったろう。

 理由は知れない。だけど少しばかりなら動けるくらいの力が、いつの間にやら俺の体に戻ってきていた。


 でもって転がって、状況分析してるしかない俺は思ったわけだ。

 アンリの細剣は刺突用である。刃こそついているものの、切っ先を外せば密着状態での切れ味はさほどではない。押し当てられれば肌は斬れるだろうけれど、致命傷にはなりにくい。

 咄嗟(とっさ)に害を及ぼせないなら、この場における脅迫材料としてはもう無効だ。

 そしてもうひとつの脅威である、符の起動による電気ショックの方。先ほどの「ロイド対策じゃないか」って思考がハズレでなければ、これもこの状況によって封殺できるはずである。

 発火用の魔符で起きた火は、起動した人間の意図を無視して自然法則に従って燃える。例えばタマちゃんの起こした料理用の火が、きっちり鍋を焦がしたりする。アンリの発雷ってのも、おそらくこれに準じてる。

 さっきの起動時にアンリが無事だったのを見るに、発生する雷にある程度の指向性を付与できるとか、柄が絶縁体だとか、そんな類の仕掛けが講じてあるのだろう。

 だけどこうして(じか)に触られてる状態で、俺に雷なんてぶち込んだらどうなるか。

 昔兄貴から、こんなブラックジョークを聞かされた。

 電気椅子で処刑される直前の囚人に、看守が最後の望みを尋ねた。すると死刑囚は答えて曰く、「私の手を握っていてください」。

 つまりまあ、そういう次第である。


「お前、どうして!? このっ、離せ!」


 わりと推論頼りの賭けだったのだけれど、只管俺を振り払って細剣を奪い返そうとするこの慌てっぷりから察するに、どうやら正鵠を射ていたようだ。

 いやいや違うだろ、弟さん。

 お前は頼む側だ。俺に懇願する側だ。それならお願いの仕方ってのがあるはずだよな?

 ……などと余裕ぶって皮肉る思考をするけども、俺の体はまだままならなくて、しかも使えるのは左手一本だけときている。振り解かれるのは時間の問題だ。


 ──だから。


 先の思考を引き継いで思う。

 死ぬほど格好悪いけど、こんな時まで、こんな事まで押し付けてしまって申し訳ないけれど。

 でも俺にできるのはここまでだ。

 だから姫様、後は任せた。


 心の中で呟いたのと、綺麗な弧を描いてしなる回し蹴りが飛んできたのとはほぼ同時だった。

 俺ともみ合うアンリの腕を、足首をL字に固定したままのブーツのつま先がピンポイントで蹴り飛ばし、細剣が高く宙に舞う。

 姫様の動きはそこでは止まらない。終わらない。

 蹴り足を軸足に踏み変えて、スカートの裾を大輪の花のように広げながら半回転。今度は後ろ回し蹴りの形で逆足が飛んで、ごッ、と俺の視界の外で、かなりえげつない音がした。

 ちなみにインパクトの瞬間を見てないのは、俺がその前後だけきつく目を閉じていたからだ。

 なんでそんな真似をしたかは言わぬが花だろう。おそらくきっと姫様は、俺が仰向けに寝転がったままなのをお忘れ遊ばしてるんである。

 バランスの為に上体を床と平行にした姫様は 自然な動きで手を伸ばすと床に転がったままの俺の剣を拾い上げ、そこから更にもう半回転。体を縦に戻しつつ、蹴られて倒れたアンリへ向けて、刃をぴたりと突きつけた。

 応接室の照明用の符の灯りを、鋼の輝きがぎらりと鈍く反射する。遠心力の名残りで、姫様の長い髪がふわりとその肢体に巻きつき、そして解けた。


「私は少し、急いている。アンリ、これ以上は余計な手間をかけてくれるな。言っている意味は分かるな? 動くな。下手に逃げれば手元が狂う」


 手にした剣を同じく、鋼のように冷たい声音だった。

 打撃を受けたのであろう側頭部を抑えながら身を起こしかけていたアンリは、それを見て「ひっ」と喉の奥から怯えた悲鳴を漏らしたけれど。

 俺の目に姫様のそれは、努めて装う虚勢の酷薄としか映らなかった。


「ち、違うんだ姉さん。これはただの冗談、そう冗談なんだよ。違うんだ。そう、そうだ。父さんが悪いだ。姉さんをあんなふうに利用しようとした父さんが悪いんだよ。だから僕は悪くない。悪くないんだ」


 支離滅裂を口走りながら、尻餅の姿勢でアンリは後退る。本人にとっては筋の通った言い訳であるのかもしれなかった。


「やめて、やめてよ姉さん。殺さないで。お願い。姉さんはいつだって助けてくれたじゃないか。僕を助けてくれたじゃないか。冗談なんだろう? ちょっと怖がらせてやろうって、それだけなんだろう? そうか。そうだ。そいつだ。姉さんはそこの病魔に騙されてるんだ。おかしな病気にされてるんだよ。だから今少し勘違いをして」

「動くな、と言ったぞ」


 (せわ)しなく逃げ場を探すアンリの目が、ふと俺の上で止まる。天啓を得たとばかりに忙しなく動き出すアンリの口舌を、姫様の一声(いっせい)が両断した。


「待って、待って待って待って! 僕をどうする気だよ姉さん。僕は弟なんだぞ。たったひとりの弟で、もうたったひとりだけの家族なんだぞ!」

「そうだな」


 囁くようなその返答には、確かな訣別(けつべつ)の響きがある。

 けれど何を勘違いしたのかアンリはその顔に、喜色満面の笑みを浮かべた。 


「そうだろう? 分かってくれたんだね、姉さ……」

「だからこそ姉である私が、弟であるお前の不始末を処断せねばなるまい。でなければ示しがつかないというものだ」

「え」


 それ以上の問答は無用とばかりに、姫様は下段から剣を跳ね上げた。

 抜き身がアンリの顔を走る。頬から目を通って額に抜けたその裂傷は、命に関わるほど深くもないが、決して浅い傷でもない。

 一瞬の後、自分がどういう仕打ちを受けたか悟ったアンリの悲鳴が上がった。 


「鏡を見るたび、己の愚かさを思い出せ」


 姫様はそれだけ言って背を向けた。それきり二度と、弟さんの方へは振り返らなかった。


「待たせたな、ハギト。意識はあるか?」


 次いで姫様は足早に俺のところへやって来て、屈んで顔を覗き込むように問いかける。

 まだ声が出ないので片手を上げて応えようと思ったのだけれど、いつの間にか左手までがずしりと重い。うまく動かない。


「もういい。無理はせずそのままでいろ」


 それを見て取るや優しく囁き、姫様は刃先で俺の傷口周りの衣服を切り取っていく。耳元で繰り返される姫様の励ましが、やがて治癒魔法の詠唱に変わり──そこらで完全に意識を失ってしまったので、俺にはそれから後の記憶がない。

 ただ暗闇に落ちきるまでずっと、俺にはアンリの歔欷(きょき)が聞こえていて。

 だから思った。

 思わずにはいられなかった。


 お前は何がしたかった?

 お前は何が欲しかった?

 たったひとりの家族までを傷つけて、それは何の涙だよ。


 本当に泣きたいのは、姫様の方に違いないのに。

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