10.
「姫様の冗談はいつもの事とするとして、最近のタマちゃんは、ちょっぴり凶暴じゃないかと思うんですよ」
別にそこまでぎちぎちに抓られたわけではないのだけれど、左手をふーふー大げさに吹いて、俺は姫様に訴えてみたりする。もっかいポコってやってくださいよ。
「先も言っただろう。タルマを怒らせたのなら、それはおそらくお前も悪い」
「ええー」
が、返答はにべもなかった。
権力者が依怙贔屓とかずっこいんじゃないかと思います。
「まあ私の冗談口が誘い水をした事でもあるが、タルマ、お前はハギトに嫌われたいわけではないのだろう? ならば告げるべきがあるはずだな?」
するとタマちゃんは「はい」と神妙なお返事をして、
「ハギトさん、ごめんなさいでした」
え、あ、うん。
そうして真面目に頭を下げられてしまうと、悪乗り気味だった俺は弱い。
「いやいやそこまで気にしなくていいって。本気で痛かったり嫌だったりじゃないし、そもそも意味もなくこういう突発的な八つ当たりの受け役になるの、わりと慣れてるから。でもまあタマちゃんのをガン見したわけじゃないんだし、そんなに怒らないでくれると俺としてはぐふっ!?」
慌ててつらつらと並べ立てる途中で、タマちゃんの猫パンチがどすっと脇腹に炸裂した。
姫様は腕組みして大仰にため息を漏らすと、
「やはり、お前が悪い」
こらちょっと。
なんでそこでふたり揃って苦笑してやがりますか。
「まあハギトの件はひとまずとして、だ」
もうお前の面倒は見切れないとばかりに話を打ち切ると、姫様は俺の右側からテーブルに身を乗り出して、左手首の翻訳さんを指で弾いた。
「私としては、これもまた困りもののひとつだな」
「え、なんでです?」
いや翻訳さんがいてくれないと、それこそ俺は非常に困るんですけども。
「お前を即時使い魔にできないという事態は容易に予期しうるものだ。デュマの性状を考えるに、何の対策も施さなかったとは思い難い。ならばそれに、何らかの代行機能が仕組まれているのではないかと私は危惧している。だから取り急ぎでその予備の作成を命じたのだが……」
ああ、そういえば翻訳さんを作る図面みたいのがそのまま見つかったから、万一不具合が出ても修繕はできるみたいな話をしてくれてたっけか。特に不便がないからすっかり忘れてたけど。
「困った事に希少素材をふんだんに用いている上にひねくれた固有の術式を組み合わせて使っていてな。今ひとつ作業が捗っていないのだ。現物を解体して解析すれば早いのだが、それで効能を失っては元も子もない。そういう次第で、お前には不安な状況のままが続いてしまっている。すまない」
「いえいえ、全然ですよ。そもそもアイツがどこに逃げたのかも分からないままだし、何か変な機能があったにしても、起動させる人間がいなけりゃ問題ないですから。まあこれ着けてると居場所はアイツに知られるらしいですけど、のこのこ出てきてくれるならそれこそ好都合ってもんでしょうし」
それにしても、である。
改めて考えてみるとこの翻訳さん、結構えげつない作りだ。
いわゆるGPS機能付きなので、着けてるとデュマの野郎に居場所がバレる。どこへ行っても場所が丸わかりで逃げ切れない。
だけどこれ、拘束具的な機能はまったくない。至極簡単に着脱可能であるから、その気になれば外してぽいっと投げ捨ててしまえる。でもそうすると言葉の問題が浮上する。
助けを求めるにしろなんにしろ、意思の疎通ができなければどうにもならない。
絶対に着けてたくないのに、喚ばれた側からすると絶対に必要という、実に心的ダメージのある道具だ。
「しかしあのデュマっての、いらんとこだけ優秀ですね。あと性格悪いし。絶対に性格悪いし」
「そう言うな。人格面はともかく、あれはなかなかに優れた男だった。天賦の才があったと言っていい」
むむ?
「さっきからの口ぶりからですけど、ひょっとして姫様とデュマって、直接の知り合いだったりします?」
「ああ。以前法王府の魔法塾の話はしただろう? 私とデュマは同窓だ。術才のある同年代は大抵同じ人間を師として、同じ場所で学ぶからな」
デュマと姫様には見た目的な年齢差がある。なので一瞬とてもびっくりした。ああでもそっか。こっちだと「同年代」の幅が広いんだ。
一年生から六年生までをまとめてひとクラスで授業する過疎地の小学校みたいな感じなんだろう。
などと考えていたら、
「どうした、ハギト? 何を不満そうにしている?」
突然姫様に覗きこまれた。
「え? 俺、そんな顔してた?」
さっぱり心当たりがないので横のタマちゃんに尋ねると、「してました、してました」と力強く頷かれてしまった。
「あのですね、姫さまが他の男性を褒めてらっしゃったので、ハギトさんはやきもちなんですよ」
おまけに更に決めつけられた。
ちょっと待って違うから。そういうんじゃないですから! そういうのじゃないですから!
「そうか。やきもちか」
いやだから、姫様もこんなんで納得した感じになるんじゃありません。
それに妬かれてちょっと嬉しいみたいにされると、対応に困るじゃないですか。
「お前に構っていると、つい時間を過ごしてしまうな」
いい加減に本題に戻ろうと姫様が告げたのは、二人してムキになる俺をさんざんからかった後でである。
脇道に逸れたのがまるで俺の所為みたいな言いだったりだが、もう文句をつける気力もない。好きに言えばいいさちくしょう。どうせ歴史なんて勝者のものに決まってる。
「先日の夕餐会で、私が席を外したのを覚えているか?」
「ええ、ばっちり覚えてます」
華やかなパーティに取り残された俺がどんだけ心細かったと思ってるんですか、などと恨み言してやろうかとも考えたが、タマちゃんに「ハギトさんってばその後すぐ女の子たちに囲まれてましたよね」とツッコまれそうな気がしたのでやめておく。
「あの折に一緒に別室に行った数名は、ザカーリ・ミニオンの縁者だ」
「ああ、あの爺ちゃんの」
実は俺、あの人には結構恩がある。
なんつったって、「俺を助けてやってくれ」と姫様に一報してくれたのはあの爺ちゃんなのだ。だから葬式にくらいは参列したかったんだけど、結局叶わなかった。
「以前も訊いた事だが、ハギト、お前一体、ミニオン卿に何をした?」
いや何と言われましても。
「前言った通りです。風邪引いた後にしばらく話したくらいで、他には何も」
正直に答えると、「そうか」と姫様は眉を寄せた。
「そのミニオン卿が、お前に財産の一切を残すと遺言していた。卿の親族がこれを破棄しようと目論んだのだが、昨今の動きを見てどうやらお前に諂うが上策と判断したものらしい。それで私の元にその話を持ってきたのだ」
そんな話題だったから、わざわざ別室に行ってたのか。
というか俺に遺産を残すって、何考えてんだあの爺ちゃん。聞けば魔法資質重視な世界につき、こうして見込んだ人物に全相続ってのはままある事らしいのだけれど、でも俺、あの人に何一つだってしてないぞ?
俺が顎を撫でて首を捻っていると、
「なんだか分かる気がします。ハギトさんって人の心の弱いところを突くの、得意ですから」
ちょっとタマちゃんやめてください。
実は昔兄貴から「ハギは無自覚に人の弱みにつけこむよなあ」と似たような発言を食らった経験がある。
しかもおふくろのみならず、杏子までもがそれに強く同意したので、「慮ってるつもりだったけど、俺のしてる事って結局そんな類なのだろうか」なんて感じでしばらく悩んだ。そして本気で凹んだ。いわばトラウマである。
「なるほど。分からないでもないな」
思い返してまた下を向いてたら、そこにもうひとつ追い打ちがきた。
姫様もか。姫様までブルータスか。
「ミニオン卿の真意は不詳にしても、これは私ひとりで処理できる話ではない。お前にはお前の意志があると、お前自身が証明してしまった後でもあるからな。細かい話はお前が同席して詰めざるを得ないぞ」
「ひ、姫様に全権委任とか駄目ですか!」
「できるわけがないだろう。ミニオン卿の遺産は莫大だ。奢侈を尽くしたとしても、向こう三代は遊んで暮らせるだろう。そんなものを白紙委任など、私がお前からいい様に搾取しているだけだと思われかねない」
は? いやちょっと思考が止まったんですけども。三代ってどういう事ですか。本気で何考えてんですかあのじーちゃん。そんな大金、受け取る謂れは全然ないぞ。
「勿論お前一人で交渉の場に赴かせたりはしない。それは約束するから安心するといい。私か、或いはタルマが必ず同席する」
「ええっ、わたしですか?」
「ああ。そういう経験も、そろそろお前は積むべきだ。ハギトを助けてやってくれ」
「……それじゃあ、頑張ってみます」
タマちゃんの返答に、うん、と満足げに微笑むと、次いで姫様はこちらに向き直った。
「そうした事も踏まえて、ハギト、お前にはこちらの礼法も学んでおいてもらいたい。流石にそうした場では、一渡りの心得があるべきだろうからな」
うぐ。
礼儀作法とかマナーとか、ちょっと苦手意識が強いんだよな。
「だがお前の事はタルマやスクナナにばかり任せてばかりだ。二人も、その、まあ、何かと負担だろう。だから」
そこで姫様は、少し躊躇うように言葉を切った。
「だからお前にやる気があるのなら、それは折を見て私が教えてやろうと思うが、どうだ?」
うーむ、言われてみればそうだよな。
タマちゃんもナナちゃんも、本来のお仕事の時間を割いて俺の面倒見てくれてるわけだ。分担した方がいいってのは正しい。じゃあ姫様によろしくお願いして、と言いかけて考え直した。
いやだってその三人のうちで、一番多忙なのって姫様じゃないか。
「えっと、できるなら教わっておきたいところなんですけど、姫様からってのはちょっと」
「……そうか。では以後はこの午後で、タルマに習うのがいいだろう。タルマ、頼めるか?」
「あ、はい。じゃあまた教材になりそうなのを見繕っておきますね」」
あれ。
まただ。またしても一瞬、ほんの一瞬だけ、姫さまが瞳の奥を凍らせる気配がした。なんだろうと覗き込む前に幻のように通り過ぎてしまって、その正体はつかめない。
タマちゃんを見やったけれど、彼女は俺の視線に、きょとんと目を瞬かせるばかりだった。姫様との付き合いの長いタマちゃんが何も気にしてないのなら、これは俺だけの変な感覚なのだろうか。
「あの!」
そこでタマちゃんが少し大きめの声を上げた。どうやらおかしな雰囲気になった俺を気遣ったものらしい。
「ところでわたし、さっきから気になってた事があるんです。よろしいでしょうか?」
「どうした?」
「どうぞどうぞ」
俺と姫様に促されて、タマちゃんはこくんと頷くと、
「姫さまがこちらへいらしてすぐ、お二人であれを返す返さないのお話をしてらっしゃいましたよね。何かの道具みたいに聞こえましたけど、『あれ』ってなんの事なのでしょうか?」
あ。タマちゃんのバカ。
頭を抱えた俺とは対照的に、姫様は満面の笑みを浮かべた。
「そうか。タルマはまだ指した事がないのだな。少しだけ待っているといい」
言うが早いか立ち上がり、スキップでもしそうな足取りで部屋を出る。向かった先は自室であろう。
「あーあ。俺知らないぞ」
「え? え?」
「先に言っとくな、タマちゃん。ご愁傷様です」
「ちょ、ちょっとハギトさん!? なんですか? あれって一体なんなんですかー!?」
そんなこんなで日は過ぎて。
竹とんぼと将棋セットの生産だの多量のラブレターだの突然の遺産相続問題だの、予想外がいくつか起こりもしたけれど、それでも全部の事が上手く回っていってるみたいで。
だから俺は、すっかり油断してしまっていたのだ。




