3.
そんなこんなで心に傷を負いつつも、続いて俺は本命のタマちゃんのところへ向かった。
正確に何処に居るかは知らないが、あの子の行動パターンからしておそらく厨房だろうと見当をつけて窺うと、果たしてその通りだった。タマちゃんは椅子に腰掛けて、真剣な面持ちでテーブルの上の本に没頭している。
よし、と拳を握って気合を入れた。、
とにもかくにも、合言葉は平身低頭だ。殴られようが蹴られようが、彼女の気が済むまで謝罪すべきだろう。
などと勢い込んでみたのだが、しかしタマちゃん、相当に集中しているようだ。読み耽るあまりで、周りには全然気が行ってない様子である。
……ふむ。
こっそり忍び足で近寄ってみた。流石に気づかれると思ったのだけれど、俺が真後ろに到着しても顔も上げない。
彼女の肩ごしに本を覗くと、半ページ使った大きな首飾りのスケッチが見えた。アクセサリーのカタログか、或いはハンドメイドのガイド本であろうか。説明めいた文章もあるのだが、相変わらずこちらの文字をさっと読み取れない俺である。
こういう時、普段は意識してない翻訳さんのありがたみを思い知る。
「……」
解説と照らし合わせているのか、タマちゃんはイラストのある箇所を起点に、ページを捲ったり戻したりと忙しない。俺に気がつく様子もまるでない。
それにしても、ひどく無防備な後ろ姿だった。
ゆるくウェーブのかかった蜂蜜色の髪は、ひどく手触りが良さそうだ。彼女の身じろぎのたび、それは肩を撫でて揺れ、ちらちらと形のいい耳が覗く。
うつむく加減で細い首筋がほんの少し露わになる。
目に痛いくらい、白い肌だった。
背後からその背を見下ろしているうちに、むらむらと変な気分が湧いてきた。いかん、ちょっとこれは我慢できそうもない。俺は不意の衝動に突き動かされるまま距離を詰め、
「わっ!」
「ひゃあんっ!?」
大声で脅かしたら、タマちゃんは比喩抜きで飛び上がり、椅子から転げ落ちそうになった。
それから両の手のひらで心臓の上を抑えながらこちらを振り向いて、あ、涙目になっていらっしゃる。
いやー、実にいいリアクションだなあ。眼福だなあ。
「何するんですか、もー!」
俺を認めたタマちゃんは拳を振り上げ、ぽかぽかと叩く真似をしてみせる。
こちらも可愛らしくて大変によろしい。
……っていや違うだろ。ごめんなさいをしに来たというのに、悪戯を仕掛けてどうする。
「や、タマちゃんちょっと待って。これには理由があるんだ。悪い衝動に負けた結果なんだ。だから、ちょっとやり直しを希望したい」
どうどう、と宥めつつ言うと、動きを止めたタマちゃんは、どうしてかそこで小さく笑った。
「ハギトさん、覚えてます?」
「え、何を?」
「わたしと初めて会った時も、ハギトさんそんな事言ってましたよ」
どうやら俺にとって世の中は、リテイクしたい事だらけの模様である。
「そうだったっけ?」
「そうだったですよ。ハギトさんって、緊張すると冗談めかしたり悪さをしたりして、空気を和ませようとしますよね」
「……そんなに見え透いてますか」
「はい。見てる人は分かってると思いますよー」
昨日姫様に指摘された悪癖であるが、どうやらタマちゃんにも見抜かれていたらしい。不覚としか言い様がない。
「ハギトさんがそんなに緊張してるって事は、つまり昨日の件でわたしが怒ってると思って、はらはらしてたんですね。大丈夫ですよー。わたし、怖くないですよー? 怒ってないですよー?」
おどけた調子で、タマちゃんは片目を瞑ってみせる。
俺のやり口ばかりでなく、ここへ来た目的も心境もすっかりお見通しであるらしい。
そりゃいつもならこの時間、俺はスクナナさんと外駆け回ってるわけだし、緊張して自分のところに来たなら、しかも前日に心当たりがあるなら、まあ推測は成り立つか。
それにしてもびっくりさせられた直後の一瞬でここまで考えるとか、タマちゃんはやっぱり頭の回転の早い子だと思う。
「なら話は早い。タマちゃん、俺にお詫びさせてください」
先回りされてしまった感はあるけれど、それはそれである。
俺は床の上に正座して、タマちゃんを見上げた。
「ごめんなさい。信用してもらって頼りにもしてもらってたのに、俺は裏切りました。しかも自分の感情優先でその場から逃げて、すぐには謝りすらしませんでした。本当にごめんなさい」
正式な土下座の作法とか知らないけれど、勢いのまま床に頭をつけようとしたところで、「やめてください」と制止された。
「とりあえず、ちゃんと座ってくださいな。すっごく、話しにくいです」
タマちゃんは大きく息をつくと、もう一脚椅子を引き出して、俺に勧める。
少し迷ったが、この場の優先権は彼女にこそあるだろう。おとなしく従って、膝がくっつくような距離でお互い腰掛けた。
「まずですね、さっきも言いましたけど、わたし怒ってません。そりゃびっくりしましたし、怖かったですけど。でもハギトさんは、ヒーローなので仕方ないです」
「いや、俺は」
言いかけた俺を遮って、タマちゃんは先を続ける。
「わたしは先の事、後の事を考えて、ハギトさんを引き止めたつもりでした。けどそれって、しない為の言い訳だったかもしれません。だって姫さまが目の前で悲しい思いをしてたのに、わたしは動かなかったんですから。だからハギトさん自身が何を言おうと思おうと、姫さまにとってハギトさんは、ちゃんとヒーローだったはずですよ」
いいですか、と教え諭すように、タマちゃんは顔の前で指を一本立てた。
「ハギトさんは、時々完璧主義ですよね。だけどわたしは思うんです。百点満点じゃなきゃ零点なのかな、って。全問正解じゃなくったって、ちゃんと得点してたりはあるんです。こーゆーのって、自分よりも他人の評価の方が全然正しかったりするんですよ」
そして不意に手を伸ばして、ふんわりと俺の頭を撫でた。
「ですから、そんなに自分ばっかり責めないでください。自分を嫌ったりしないでください。わたしはハギトさんの味方ですから。大丈夫です。ハギトさんの仕業ですし、今回の事だって大目に見ちゃいます。だから大丈夫。わたしはハギトさんに怒ったり、ハギトさんを嫌ったりしてません。ね?」
タマちゃんは、本当にいい子だ。
言ってない色んな事。隠してるみっともない事。そういうのを多分全部汲み取って、その上でこうしてくれている。
撫でられながらそう思って、お陰でますます罪悪感が募った。こんな子の信頼を裏切るとか、俺は地獄に落ちた方がいいのじゃなかろうか。
「あ、でも、もっかいやったら駄目ですからね。わたしだって怒ります。その場合はおしおきですから」
おしおきか。
おしおきねぇ。
「タマちゃんになら、いいかもな」
「……はい?」
「タマちゃんのおしおきなら受けてみたい気がするな」
「ええっ!?」
あ、引かれた。ドン引かれた。
照れ隠しの冗談口であったのだが、タマちゃんは「ハギトさんってそういう……。じゃあよく姫さまに蹴られてるのも……」などと目を逸らして呟いている。
またしてもあらぬ噂が広まりそうで怖いぞおい。
「いやちょっとタマちゃん、本気じゃないから。本気じゃないからね?」
「ええ、だいじょーぶです。分かってます。ちゃんと分かってますって」
いかん、かわいそうな人を見る目だ。
ある意味許してくれてない。
「やっぱ結構怒ってるよね? 根に持ってるよね?」
「やだなー、そんな事ありませんよー?」
心のこもらない口調で返してから、ふっとタマちゃんが真剣な目をした。
「わたしが怒るとしたら、それは別の事についてです。あのですね、姫さま、悄気返ってましたよ?」
「あ……うん」
いやなんであの人がしょんぼりするんだよ。
俺が同席断ったくらいで、そんなになる事ないだろう。だって俺は、俺は姫様の家族を。
ちくりと胸が痛んでうつむくと、タマちゃんは「しまった」と言わんばかりの顔をしてから、また手を伸ばして頭を撫でてくれた。
「そうだ。ハギトさんハギトさん、ひとつ訊いてもいーですか?」
ひとしきり俺の髪をぐしゃぐしゃにした後、微妙になった空気を変えるように、タマちゃんが話題を転じた。
「はいはい、いいですよ。どうぞどうぞ」
「じゃあ遠慮なく、です。あのですね、わたしと姫さまが逆の立場だったら、ハギトさん、助けに来てくれました?」
すかさず食いついたらそんな質問である。
逆の立場っていうと、つまりタマちゃんが絡まれる側で、姫様が引き止める側だったら、って事か。
「そりゃ勿論行くよ。いつだって助けに行く」
「そーですか」
即答への返答は、なんか気のないような言葉だった。
あれ、と思って顔を見たら、なんか妙にそわそわと、耳にかかった髪をいじったりしている。
「ただ問題と前提条件の間違いが、ひとつずつある気がするな」
「え、なんですか? わたし、何かおかしな事言ってました?」
途端慌てたふうになるタマちゃんに、勿体つけて俺はひとつ頷いて、
「まず問題の方。俺がどんなに頑張っても、本気の姫様は振り切れないと思う」
だってあの人あの細腕片一方で、でかい木製テーブル軽々と持ち上げるんだぜ? そりゃ魔法を使った上での事だけども、腕ずくで敵う気がまるでしません。
「それから間違いの方。姫様は俺と一緒かそれより早く、タマちゃん助けに駆け出してるに違いない」
「あ、確かに。それはそうですね」
苦笑気味に同意するタマちゃん。
あの人、大層な男前であるからなあ。
「でもって最後にひとつ。さっき姫様を助けに行かなかったのを、『しない為の言い訳をしてた』だなんて言ってたけど、そんな事ないって俺は思ってる。その場の感情だけで動いちゃいけない場合ってのはあるし、何よりタマちゃんがそんな子じゃないの、俺は知ってるから」
「でも、わたし」
今度は俺が、タマちゃんの台詞を遮る番だった。
「こういうのって自分よりも、他人の評価の方が正しかったりするんだぜ?」
「……はい」
顔の前で指を一本立てて言ってやると、タマちゃんは頷いて、にふ、と嬉しそうに笑った。




