1.
──かちん。
どこかで、硬質な金属の嵌る音がした。
「成功したか」
朦朧とした意識の隅で、誰かの言う声を聞く。男の声だ。割と近い。
その認識を境に、じわじわと俺は覚醒していく。とはいえ頭の働きは鈍かった。芯にまで泥が詰まっているみたいだ。
「やはり界境を越える負担は大きいようです」
「ですが生体転移の成功は恐らく史上初でしょうな。援助した私としても鼻が高い」
「若い素体が群れる場所を、わざわざ絞り込んだ価値はありました」
次いで、更に幾人かが交わす声。
身じろぎしたら、それと同時に体中を鋭い痛みを走った。どこが痛いとかじゃなくて、全身が痛い。痛まない場所がない。
そういえば俺、風邪っ引きだったような気がする。じゃあこれは病気の所為か。それでこんなに痛むのか。
背中に冷たく堅い感触があった。どうも俺は、地べたか路面かに直接寝転がっているようだった。
恐ろしく重たいまぶたをこじ開けてると、天井の方にまばゆい光があった。それを背にして俺を見下ろす人影が、取り敢えず、ひい、ふう、みい。
「気がついたようですぞ」
「では質問に移りましょうか」
「少し休ませてからの方がいいのではないか?」
「いいえ、理論は実証されました。これが壊れたら次を喚べばいいのです。今回の計測を元に効率を突き詰めれば、次はオレ一人でも術式起動は可能でしょう」
体を起こそうとした途端、ぐわんと耳鳴りがした。
地面に立てたバットを額に当ててぐるぐる回って、それから走り出すという競技がある。平衡感覚がぐらぐらになるので、真っ直ぐ走れなくなるってアレだ。
その感じを何倍にもハードにしたのが、今の俺の状態だった。寝転がっているのに感覚的に世界は縦回転アンド横回転。少しも落ち着いてくれない。視界は捻れて捩れてひねくれて、モルワイデ図法さながらである。
結果体を起こそうと突いた腕はあっけなく崩れ、俺は再度床に転がった。
「おーい」
諦めて力を抜いて、周囲の人に呼びかける。
まあ真昼間から路上に男子高生が転がっていたら、普通は避ける。変人を見る目で遠巻きにして、基本関わらないようにする。それは分かる。気持ちは分かる。
いやしかし今の俺は、ちょっと洒落にならない感じの病人だ。意識飛んだ上に自力で立ち上がれないときたもんだ。放置されてたら冗談抜きで、無縁仏になりかねない。
「すみません。本気で調子悪いんで、救急車とか呼んでもらえませんか」
言ってから、あれ、と思った。
おかしい。絶対おかしい。
どこか朦朧としていた意識が、急速に覚醒へ向かう。
俺は別段行き倒れたのじゃなくて、昇降口で変なものに襲われたのだ。おかしな力に引っ張り込まれて。
……そんで、それからどうなったんだっけ?
「……分かるものだな」
「ああ、伝わりましたな。大したものですぞ、その腕輪」
「精神感応を利用した自動翻訳ですから、言語概念を持つあらゆる生物と意思疎通が可能です。こちらの言語同士ではテスト済みでしたが、他界の存在にも機能するかは謎でした。問題なく機能するようで胸を撫で下ろしております」
俺の発言に対し、周囲がまた言い交わしている。
それを尻目に瞬きをした。視界が輪郭を取り戻す。
俺が転がっているのは、石の床の上だった。床も石なら他も石。打ちっぱなしの色気のない壁と天井が部屋を囲っている。はめ殺しと思しき窓から、外の光が差し込んできていた。
え? いやこれ何だ?
……ここは、どこだ?
もう一度ぱちくりしてから、俺を見下ろす三人に目を移した。
一番手前のひとりは、俺の兄貴くらいの青年だった。腰に剣を帯びて、中世ファンタジーっぽい服装している。コスプレ? コスプレなのか?
「いやそれカッコいいっすね」みたいな事を言ってやろうかと思ったが、眼光がわりと洒落にならない感じだったのでやめておく。新納萩人は空気の読める少年なのだ。
次いで俺に近いのが、三十四十くらいのおっさん……と呼ぶには失礼なイケメンだ。いやナイスミドルと呼ぶべきか。光線の具合で淡い金色、或いは輝く銀色とも見える豪奢な長い髪をしていた。
三人のうちで一番金がかかってそうな服装で、一番威厳もありそうだが、しかしその目はどっか興味なく気だるげだ。俺の事などどうでもよさそう。
最後のひとりは白髪の爺ちゃん。白い顎髭を長く伸ばし、ローブと鍔付きの三角帽子までもがセットになったその佇まいは、如何にも童話の魔法使いといった風情だ。
だがしかし皺深い年の割に指輪腕輪といった装飾をじゃらじゃらとさせて、物凄く福福しく恰幅がいい。そして全体的に成金っぽい。人間を第一印象で判断してはいかんと思うが、多分こいつはエロジジイである。
細かい点はともあれ、全員が全員、ゲームに出てきそうなファンタジーキャラクターばかりだった。
いやホントにここどこだ。
「おい、貴様」
呆然としていると、眼光男がつかつかと寄ってきた。
間近から俺の顔をじろりと見下ろして、
「こちらの言っている事は理解できているな?」
それで気づいた。
あちらさんの言っている言葉は、日本語そのものっぽく俺には聞こえる。でもそれは日本語じゃない。
音それ自体に耳をすませば、こいつらは聞いた事のない言語で喋くっている。ヘタクソな吹き替え映画みたいに、口の動きと実際の音がまるであってないのだ。
それでいて何を言っているのかが理解できるのは、なんとも不思議だった。言葉の意味が直接頭の中に飛び込んで来る感じだ。
「返答はどうした。オレには服従的態度を取っておくのが賢明だぞ」
反応しない俺に業を煮やしたのか、学生服の襟首を掴んでぐいと引き起こされた。
さっきからの態度といい言い様といい、実に腹の立つヤツだ。
熱で我慢がなくなっていたのもあるだろう。言葉は返さず、代わりに俺は近くなったそいつの顔へ、思い切り咳を浴びせてやった。俺はまあ空気を読む質だが、読んだからといって、それに迎合してやる謂れはない。
ヤツが顔を顰めてのけぞったので、ざまあみろと心の中で勝ち誇る。
直後、しこたま殴られた。




